法酒なり妙は醒めたり妙法と唱うれば無明法性体一なり - When we chant myōhō, or the Wonderful Law, we are expressing the idea that ignorance and a realization of the Dharma nature are in fact a single entity.
本迹二門(ほんしゃく にもん)は酒(さけ)なり 南無妙法蓮華経は醒め(さめ)たり 酒と醒むるとは相離れざる(あい はなれざる)なり、 酒は無明(むみょう)なり 醒むるは(さむる は)法性(ほっしょう)なり 法は酒なり 妙は醒めたり 妙法と唱うれば無明法性体一なり
御義口伝(735頁)
通解(意訳)
釈尊の説いたあらゆる経も、法華経の本文と迹門の二門も、酒に酔っているか、醒めているかに例えることができる。文底の南無妙法蓮華経は、醒めている状態である。
酒に酔っている状態と、醒めている状態は、離れたことではない。一人の人間が、酒に酔っているか醒めているかであり、その体は同じである。
酒に酔っている状態は生命が迷っている状態であり、無明である。
酒から醒めている状態は生命が自身の無限の可能性を悟っている状態であり、法性に目覚めた状態である。
妙法の「法」は酔っている状態、すなわち無明であり、「妙」は醒めている状態、すなわち法性である。
南無妙法蓮華経と唱えれば、無明と法性、迷いと悟りと、その体は同じであることを悟ることができるのである。
English Translations
" Chapter Eight: Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "
The wine and the sobering up from it are mutually inseparable. The wine is ignorance, and the sobering up from it is the realization of the Dharma nature. Hō, or “dharmas” (phenomena), stands for wine, and myō, or “wonderful,” stands for the sobering up. When we chant myōhō, or the Wonderful Law, we are expressing the idea that ignorance and a realization of the Dharma nature are in fact a single entity.
"The Orally Transmitted Teachings",P79
参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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