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9月, 2020の投稿を表示しています

根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長し - The deeper the roots, the more luxuriant the branches.The farther the source, the longer the stream.

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本文 根ふかければ 枝さかへ 源 遠ければ流長しと 申して 一切の経は根あさく流ちかく 法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべし ね ふかければ えだ さかえ みなもと とおければ ながれ ながし と もうして いっさい の きょう は ね あさく ながれ ちかく ほけきょう は ね ふかく みなもと とおし、まつだい・あくせ までも・つきず・さかうべし NE FUKAKEREBA EDA SAKAE MINAMOTO TŌKEREBA NAGARE NAGASHI TO MŌSHITE IS'SAI NO KYŌ WA NE ASAKU NAGARE CHIKAKU HOKEKYO WA NE FUKAKU MINAMOTO TŌSHI, MATSUDAI・AKUSE MADEMO・TSUKIZU・SAKAUBESHI 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [源遠長流御書] ごんおんちょうりゅうごしょ (1180頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) 木の根が深ければその枝は栄え、水源が遠ければ川の流れは長いと言われるように、 法華経以外の諸教は根が浅く流れは近く、反対に法華経は根が深くその源は遠い。 信心強盛な者がいるからこそ、法華経は末法、悪世までも尽きることなく栄え、流布していくのである。 英語で御書 Gosho in English The deeper the roots, the more luxuriant the branches. The farther the source, the longer the stream. All sutras other than the Lotus Sutra have shallow roots and short streams, while the Lotus Sutra has deep roots and a distant source. " The Farther the Source, the Longer the Stream " "The Writings of Nichiren Daishonin"

人の心は水の器にしたがふが如く - The human heart is like water that assumes the shape of whatever vessel it occupies

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本文 人の心は水の器に したがふが如く 物の性は月の波に動くに似たり、 故に汝 当座は信ずと いふとも 後日は必ず翻へさん 魔来り 鬼来るとも 騒乱する事なかれ ひと の こころ は みず の うつわ に したがう が ごとく もの の しょう は つき の なみ に うごく に にたり、ゆえ に なんじ とうざ は しんず と いうとも ごじつ は かならず ひるがえさん ま きたり おに きたる とも そうらん する こと なかれ 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ (500頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 人の心は、水の形が器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は、水上に映っている月影が、波の動きに合わせて揺らめくのに似ている。 同じように、人の心も移ろいやすいものであるから、今、法門を聞いたばかりのあなたは、しばらくは法華経を信ずると言っても、後日になってから必ず心が揺り動くであろう。 しかし、それは信心をやめさせようとする魔の仕業であるから、日々の信心にこの事を覚悟しておいて、魔が来ても鬼が来ても、その時になって騒ぎ立てるようであってはならない。 英語で御書 Gosho in English The human heart is like water that assumes the shape of whatever vessel it occupies, and the nature of beings is like the reflection of the moon undulating on the waves. Now you insist that you will be firm in this faith, but another day you are bound to waver. Though devils and demons may come to tempt you, you must not allow yourself to be distracted. " Conversation between a Sage and an Unenlightened Ma

いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ - You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you.

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本文 此の法門の一行 いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、 大人には・いのりなしまいらせ候べし この ほうもん の いっこう いかなる ほんい なき こと ありとも・みず きかず・いわず して・むつばせ たまえ・だいにん には・いのり なし まいらせ そうろべし 陰徳陽報御書 いんとくようほうごしょ (1178頁)  弘安元年 (1278年) 通解(意訳) この法門の人々とは、たとえどんな不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。 おだやかにして、祈っていきなさい たがいに尊敬し仲良く前進 (リーダーの心がけとして)当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなければならない。 そのうえで、私的なことについては、いちいちこまかく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。 人それぞれに個性があり、生き方がある。 生活環境も違う。 たがいに尊重しあい、仲良くしていくことこそが大事である。(中略) たとえ不本意なことがあっても、広々とした心で、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信心に立てるよう激励していくことである。 また大きな立場から、成長を祈ってあげることである。 そうしていけば、本人の信心の深化とともに、しだいに人間的にも成長をめざしていくにちがいない。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you. Calmly continue to offer prayers.  " Unseen Virtue and Visible Reward "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.907 in April, 1278. [ --- ] is liberal transl

我並びに我が弟子・諸難ありとも 疑う心なくば自然に仏界にいたるべし - Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood.

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本文 我並びに我が弟子・諸難ありとも 疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、 天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に 朝夕 教えしかども・疑いを・をこして 皆すてけん つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし われ ならび に わが でし・しょなん ありとも うたがう こころ なくば じねん に ぶっかい に いたる べし、 てん の かご なき こと を うたがわざれ げんせ の あんのん ならざる こと を なげかざれ、 わが でし に ちょうせき おしえ しかども・うたがい を・おこして みな すてけん つたなき もの の ならい は やくそく せし こと を・まこと の とき は わするる なるべし 開目抄・下 かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] にんほんぞんかいけんのしょ (234頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 我ならびに我が弟子達は、いかなる大難があろうとも、法華経を疑う心がなければ、自然に仏界を開く事ができるのである。 法華経を信受していても、諸天の加護がないといって、法華経の功力を疑ってはならない。また、現状が安穏でない事を嘆いてはならない。 我が弟子に朝に晩に、このことを教えてきたが、疑いを起こして、みな退転してしまったであろう。 愚か者の常として、約束したことを大事な時には忘れてしまうのである。 学会精神の根幹 「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決する -池田大作 英語で御書 Gosho in English Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood. Do not have doubts simply because heaven does not lend you protection. Do not be discouraged because yo

法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し - Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、 法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり ほけきょう の ぎょうじゃ の すみか なれば・いかでか りょうぜん じょうど に おとる べき、 ほう みょう なる が ゆえに ひと とうとし・ひと とうとき が ゆえに ところ とうとし と もうす は これ なり 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [法妙人貴事] ほうみょうにんきのこと (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。 法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 英語で御書 Gosho in English This mountain is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1097 September, 1281. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This mountain: Nichiren Daishonin lived place where he l

日蓮は・なかねども・なみだ ひまなし - I, Nichiren, do not cry, but my tears flow ceaselessly.

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本文 鳥と虫とは なけども なみだ をちず、日蓮は・なかねども・なみだ ひまなし、 此のなみだ 世間の事には非ず 但 偏に法華経の故なり とりと むしとは なけども なみだ おちず、にちれんは・なかねども・なみだ ひまなし、 この なみだ せけん の こと には あらず ただ ひとえに ほけきょうの ゆえ なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 鳥と虫とは、泣くといっても涙を落とすことはない。日蓮は泣かないが涙がひまなく止まらないのである。しかしこの涙は世間の事を考えて流す涙ではない。ただ、ひとえに法華経を弘めゆく使命に目覚めたゆえの、歓喜の涙なのである。 英語で御書 Gosho in English Birds and crickets cry, but never shed tears. I, Nichiren, do not cry, but my tears flow ceaselessly. I shed my tears not for worldly affairs but solely for the sake of the Lotus Sutra. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 386 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren's tears is for the pleasure and awakening to the his missions of propagating the Nam-myoho-renge-kyo. Gosho in Japanese 鳥 と 虫 とは なけども なみだ をちず、日蓮 は・なかねども・なみだ ひまなし、 此の なみだ 世間 の 事 には 非ず 但 偏に 法華経 の 故 なり TORI TO MUSHI

うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し - Just as a single crab leg will ruin a thousand pots of lacquer.

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本文 謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし はかなし・はかなし、 何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、 うるし千ばいに蟹の足一つ 入れたらんが如し、毒気深入・失本心故(どっけじんにゅう・しっぽんしんこ)は是なり ほうぼう を せめず して じょうぶつ を ねがわば ひ の なか に みず を もとめ みず の なか に ひ を たずぬる が ごとく なるべし はかなし・はかなし、 いかに ほけきょう を しんじたもう とも ほうぼう あらば かならず じごく に をつ べし、 うるし せんばい に かに の あし ひとつ いれたらん が ごとし、どっけ じんにゅう・しっぽん しんこ とはこれ なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を探すようなものである。はかないことである。はかないことである。 いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。 千杯もの漆の中にカニの足を一つ入れれば、漆の効能は全てなくなり、役立たなくなるようなものである。「毒気が深く入って本心を失えるが故」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English To hope to attain Buddhahood without speaking out against slander is as futile as trying to find water in the midst of fire or fire in the midst of water. No matter how sincerely one believes in the Lotus Sutra, if one is guilty of failing to rebuke slander of the Law, one will surely fall into hell, just as a single crab leg will ruin a thousand pot

道理証文よりも現証にはすぎず - even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact.

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本文 日蓮 仏法をこころみるに 道理と証文とには すぎず、 又 道理 証文よりも現証にはすぎず にちれん ぶっぽう を こころみる に どうり と しょうもん と には すぎず、 また どうり しょうもん よりも げんしょう には すぎず 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 日蓮が様々な宗教の優劣・正邪を判断する際、 その宗教の教義や主張に、道徳や人道といった道理にかなっており、普遍妥当性(ふへん だとうせい、条件や時間などにとらわれず、どのような場合にも常に当てはまる性質)があるかを問う 「理証」 と、 記録または文書などの証拠があり、どの経典や文献を根本としているかを問う 「文証」 で判断をする以上の方法はない。 さらに、その宗教の正しさが、現実社会や実生活で証明されて、現実を変える力を持っているかを問う 「現証」 に勝るものない。 英語で御書 Gosho in English In judging the relative merit of Buddhist doctrines, I, Nichiren, believe that the best standards are those of reason and documentary proof. And even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  When Nichiren Buddhism judges the superiority or evilness of various religions, the doctri

自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり - This Nam-myoho-renge-kyo encompasses both practice for oneself and the teaching of others.

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本文 末法に入て 今日蓮が唱る所の題目は 前代に異り 自行化他に亘りて 南無妙法蓮華経なり まっぽう に いって いま にちれん が となうる ところ の だいもく は ぜんだい に ことなり じぎょうけた に わたりて なんみょうほうれんげきょう なり MAP'PO NI IT'TE IMA NICHIREN GA TONAURU TOKORO NO DAIMOKU WA ZENDAI NI KOTONARI JIGYŌ-KETA NI WATARITE NAM-MYOHO-RENGE-KYO NARI 三大秘法禀承事 さんだいひほうぼんじょうのこと SANDAI HIHŌ BONJŌ NO KOTO [三大秘法抄] さんだいひほうしょう SANDAI HIHŌ SHŌ (1022頁) 弘安4年4月 (1281年) 通解(意訳) 末法に入って、今日蓮が唱えている題目というのは、釈尊が法華経を顕してから、末法時代に入る前(正法、像法時代)に、悟りの境地を開いた一部の人だけが唱えることができた題目とは異なり、自分だけでなく他人にも勧める、「自行化他(自分も行い他人も教化する)」にわたって唱える南無妙法蓮華経なのである。 英語で御書 Gosho in English Now, however, we have entered the Latter Day of the Law, and the daimoku that I, Nichiren, chant is different from that of earlier ages. This Nam-myoho-renge-kyo encompasses both practice for oneself and the teaching of others.  " On the receiving of the Three Great Secret Laws "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.Vol.2, p. 986 in April, 1281. [ --- ] is liberal t

「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや - “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law?

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。 英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Please accept from yourself various pains that occur in the course of your li

秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし - even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it.

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本文 能く能く信心あるべく候、 たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん よくよくしんじんあるべくそうろう、 たとえばひやくなりともどくをいれぬればくすりのようすくなし、つるぎなれども・わるびれたるひとのためにはなにかせん 四条金吾女房御書 しじょうきんごにょうぼうごしょ [安産福子御書] あんざんふくしごしょ (1109頁) 文永8年5月 (1271年) 通解(意訳) さらに信心を強くするべきである。 たとえば、どんな秘薬であっても、毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にとってはなんの役にもたたない。 英語で御書 Gosho in English You must be careful to have firm faith. For example, even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it. Even a sword will be of no use to a coward. " Easy Delivery of a Fortune Child " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 186 in May, 1271. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 能く 能く 信心 あるべく 候、 たとへば 秘薬 なり とも 毒 を 入れぬれば 薬 の 用 すくなし、 つるぎ なれども・わるびれたる 人 の ため には 何かせん YOKU YOKU SHINJIN ARUBEKU SŌRŌ,  TATOEBA HIYAKU NARI TOMO DOKU WO IRENUREBA KUSURI NO YŌ SUKUNASHI,  TSURUGI NAREDOMO・WARUBIRETARU HITO NO TAME NIWA NANIKASEN 四条金吾 女房 御書 SHIJŌ-KINGO D

南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ - chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering and makes it possible for them to attain Buddhahood

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや NICHREN TOU NO TAGUI SHOURYOU WO TOBURAU TOKI HOKEKYO WO DOKUJU SHI NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAE TATEMATSURU TOKI DAIMOKU NO HIKARI MUGEN NI ITARITE SOKUSHIN-JOBUTSU SESHIMU, EKOU NO MON KORE YORI KOTO OKORU NARI, HOKKE FUSHIN NO HITO WA DAZAI-MUGEN NAREDOMO, DAIMOKU NO HIKARI WO MOTTE KOUSI HOKKE NO GYOUJA TO SHITE TOBURAWAN NI ANI KONO GI NI KAWARU BESHIYA 御義口伝 おんぎくでん ON GI KU DEN 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ JOHON NANAKA NO DAIJI 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと DAIGO・GESHI ABI JIGOKU NO KOTO (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という

心をば随えられたてまつるべからず - I will never follow him in my heart.

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本文 王地に生れたれば 身をば随えられたてまつる やうなりとも 心をば随えられ たてまつるべからず おうち に うまれたれば み をば したがえ たてまつる よう なりとも こころ をば したがえられ たてまつる べからず 撰時抄 せんじしょう (287頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 王地(権力者が支配している場所)に生まれて、体の自由は奪われ、支配されているようであっても、強い一念があれば、心の自由を奪われ、支配されることは誰にもできないのである。 ※ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界中の人権闘争を編纂した『語録 人間の権利』にも収録されている、世界的にも有名な御文です。 英語で御書 Gosho in English Even if it seems that, because I was born in the ruler’s domain, I follow him in my actions, I will never follow him in my heart. " The Selection of the Time " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 579 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This Gosho, the Nichiren's word : " Even if it seems that, because I was born in the ruler's domain, I follow him in my actions, I will never follow him in my heart. " : is quieted in Birthright of Man:Selected Texts, published in 1968 by UNESCO [ United Nations Educational Scientific and Cultura