投稿

ラベル(曾谷殿御返事)が付いた投稿を表示しています

法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり - The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ] , I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く ...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 白馬 の なく...

法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり - The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ] , I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く 仏 は うへて の ...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japane...

うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し - Just as a single crab leg will ruin a thousand pots of lacquer.

イメージ
本文 謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め 水の中に火を尋ぬるが如くなるべし はかなし・はかなし、 何に法華経を信じ給うとも 謗法あらば必ず地獄にをつべし、 うるし千ばいに蟹の足一つ 入れたらんが如し、毒気深入・失本心故(どっけじんにゅう・しっぽんしんこ)は是なり ほうぼう を せめず して じょうぶつ を ねがわば ひ の なか に みず を もとめ みず の なか に ひ を たずぬる が ごとく なるべし はかなし・はかなし、 いかに ほけきょう を しんじたもう とも ほうぼう あらば かならず じごく に をつ べし、 うるし せんばい に かに の あし ひとつ いれたらん が ごとし、どっけ じんにゅう・しっぽん しんこ とはこれ なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を探すようなものである。はかないことである。はかないことである。 いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。 千杯もの漆の中にカニの足を一つ入れれば、漆の効能は全てなくなり、役立たなくなるようなものである。「毒気が深く入って本心を失えるが故」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English To hope to attain Buddhahood without speaking out against slander is as futile as trying to find water in the midst of fire or fire in the midst of water. No matter how sincerely one believes in the Lotus Sutra, if one is guilty of failing to rebuke slander of the Law, one will surely fall into hell, just as a single crab leg will ruin a thousand pots of l...

命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候 - Life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system.

イメージ
本文 命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、 米は命を継ぐ物なり 譬えば米は油の如く 命は燈の如し、 法華経は燈の如く 行者は油の如し いのち をば さんぜんだいせんせかい にても かわぬ もの にて そうろう と ほとけ は とかせ たまえり、 こめ は いのち を つぐ もの なり たとえば こめ は あぶら の ごとく いのち は ともしび の ごとし ほけきょう は ともしび の ごとく ぎょうじゃ は あぶら の ごとし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1059頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 命というものは、全宇宙の財宝をもってしても買うことができないものであると、仏は説かれている。 (ご供養として頂いた)米は、命を継ぐものである。譬えていえば、米は油で、命は燈火のようなものであり、命という燈火が途切れないように、お米という油を足すのである。 これと同じように、法華経は燈火であり、法華経の行者は油のようなものである。法華経の行者という油がなければ、法華経という教えは途絶えてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddha says that life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system. Rice is what sustains life. It is like the oil that sustains the life of the lamp. The Lotus Sutra is a lamp, and its votary is the oil that sustains it.  " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 983 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal trans...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 白馬 の なく...

然どもいまだこりず候 - But still I am not discouraged.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ], I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く 仏 は うへて の 如く 衆生 は 田...

命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候 - Life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system.

イメージ
本文 命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、 米は命を継ぐ物なり 譬えば米は油の如く 命は燈の如し、 法華経は燈の如く 行者は油の如し いのち をば さんぜんだいせんせかい にても かわぬ もの にて そうろう と ほとけ は とかせ たまえり、 こめ は いのち を つぐ もの なり たとえば こめ は あぶら の ごとく いのち は ともしび の ごとし ほけきょう は ともしび の ごとく ぎょうじゃ は あぶら の ごとし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1059頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 命というものは、全宇宙の財宝をもってしても買うことができないものであると、仏は説かれている。 (ご供養として頂いた)米は、命を継ぐものである。譬えていえば、米は油で、命は燈火のようなものであり、命という燈火が途切れないように、お米という油を足すのである。 これと同じように、法華経は燈火であり、法華経の行者は油のようなものである。法華経の行者という油がなければ、法華経という教えは途絶えてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddha says that life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system. Rice is what sustains life. It is like the oil that sustains the life of the lamp. The Lotus Sutra is a lamp, and its votary is the oil that sustains it.  " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 983 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal trans...

然どもいまだこりず候 - But still I am not discouraged.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ], I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く 仏 は うへて の 如く 衆生 は...

命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候 - Life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system.

イメージ
本文 命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、 米は命を継ぐ物なり 譬えば米は油の如く 命は燈の如し、 法華経は燈の如く 行者は油の如し いのち をば さんぜんだいせんせかい にても かわぬ もの にて そうろう と ほとけ は とかせ たまえり、 こめ は いのち を つぐ もの なり たとえば こめ は あぶら の ごとく いのち は ともしび の ごとし ほけきょう は ともしび の ごとく ぎょうじゃ は あぶら の ごとし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1059頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 命というものは、全宇宙の財宝をもってしても買うことができないものであると、仏は説かれている。 (ご供養として頂いた)米は、命を継ぐものである。譬えていえば、米は油で、命は燈火のようなものであり、命という燈火が途切れないように、お米という油を足すのである。 これと同じように、法華経は燈火であり、法華経の行者は油のようなものである。法華経の行者という油がなければ、法華経という教えは途絶えてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddha says that life is something that cannot be purchased even for the price of an entire major world system. Rice is what sustains life. It is like the oil that sustains the life of the lamp. The Lotus Sutra is a lamp, and its votary is the oil that sustains it.  " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 983 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal trans...

然どもいまだこりず候 - But still I am not discouraged.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ], I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field. " The Essentials for Attaining Buddhahood " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 748 in August, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此 法門 を 日蓮 申す 故に 忠言 耳 に 逆う 道理 なる が 故 に 流罪 せられ 命 にも 及びし なり、 然ども いまだ こりず 候 法華経 は 種 の 如く 仏...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in J...

うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し - Just as a single crab leg will ruin a thousand pots of lacquer.

イメージ
本文 謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし はかなし・はかなし、 何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、 うるし千ばいに蟹の足一つ 入れたらんが如し、毒気深入・失本心故(どっけじんにゅう・しっぽんしんこ)は是なり ほうぼう を せめず して じょうぶつ を ねがわば ひ の なか に みず を もとめ みず の なか に ひ を たずぬる が ごとく なるべし はかなし・はかなし、 いかに ほけきょう を しんじたもう とも ほうぼう あらば かならず じごく に をつ べし、 うるし せんばい に かに の あし ひとつ いれたらん が ごとし、どっけ じんにゅう・しっぽん しんこ とはこれ なり 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を探すようなものである。はかないことである。はかないことである。 いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。 千杯もの漆の中にカニの足を一つ入れれば、漆の効能は全てなくなり、役立たなくなるようなものである。「毒気が深く入って本心を失えるが故」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English To hope to attain Buddhahood without speaking out against slander is as futile as trying to find water in the midst of fire or fire in the midst of water. No matter how sincerely one believes in the Lotus Sutra, if one is guilty of failing to rebuke slander of the Law, one will surely fall into hell, just as a single crab leg will ruin a thousand pot...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし HAKUBA NO NAKU WA WARERA GA NAM-MYOHO-RENGE-KYO NO KOE NARI, KONO KOE WO KIKASETAMOU BONTEN・TAISHAKU・NICHIGATSU・SHITEN-TOU・IKADEA IRO WO MASHI HIKARI WO SAKAN NI NASHITAMAWAZARU BEKI, IKADEKA WARERA WO SHUGO SHI TAMAWAZARU BEKI TO・TSUYOZUYO TO・OBOSHIMESU BESHI 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ SOYA DONO GOHENJI [輪陀王御書] りんだおうごしょ RINDA Ō GOSHO (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how coul...

いまだこりず候 - Still I am not discouraged.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり KONO HŌMON WO NICHIREN MŌSU YUE NI CHŪGEN MIMI NI SAKARAU DŌRI NARU GA YUE NI RUZAI SERARE INOCHI NIMO OYOBISHI NARI, SHIKAREDOMO IMADA KORIZU SŌRŌ HOKEKYO WA TANE NO GOTOKU HOTOKE WA UETE NO GOTOKU SHUJŌ WA TA NO GOTOKU NARI 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ SOYA DONO GOHENJI [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう JŌBUTSU YŌJIN SHŌ (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ about The Lotus Sutra ] , I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and t...

法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり - The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, and the people like the field.

イメージ
本文 此法門を日蓮申す 故に 忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ 命にも及びしなり、然どもいまだこりず候 法華経は種の如く 仏はうへての如く 衆生は田の如くなり この ほうもん を にちれん もうす ゆえ に ちゅうげん みみ に さからう どうり なる が ゆえに るざい せられ いのち にも およびし なり、しかれども いまだ こりず そうろう、 ほけきょう は たね の ごとく ほとけ は うえて の ごとく しゅじょう は た の ごとく なり KONO HŌMON WO NICHIREN MŌSU YUE NI CHŪGEN MIMI NI SAKARAU DŌRI NARU GA YUE NI RUZAI SERARE INOCHI NIMO OYOBISHI NARI, SHIKAREDOMO IMADA KORIZU SŌRŌ HOKEKYO WA TANE NO GOTOKU HOTOKE WA UETE NO GOTOKU SHUJŌ WA TA NO GOTOKU NARI 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ SOYA DONO GOHENJI [成仏用心抄] じょうぶつようじんしょう J ŌBUTSU Y ŌJIN SH Ō (1056頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の法門を日蓮が申すゆえに、忠告は耳障りに聞こえるのが人間の道理でもあるから、流罪にされたり、命にも及んだのである。しかしながら、私はいまだに懲りていない。 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである。 英語で御書 Gosho in English I have expounded this teaching [ of The Lotus Sutra ] , I have been exiled and almost killed. As the saying goes, “Good advice grates on the ear.” But still I am not discouraged. The Lotus Sutra is like the seed, the Buddha like the sower, a...