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法華経は一文・一句なれども耳にふるる者は既に仏になるべき - Those who hear even a single sentence or phrase of the Lotus Sutra will attain Buddhahood.

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本文 法華経は一文・一句なれども耳にふるる者は既に仏になるべき ほけきょう は いちもん・いっく なれども みみ に ふるる もの は すで に ほとけ に なる べき 四恩抄 しおんしょう [伊豆御勘気抄] いずごかんきしょう (936頁) 弘長2年1月 (1262年) 通解(意訳) 法華経は一文・一句であっても、それを聞く者は、既に仏の境涯という、自己の生命に秘められた無限の可能性を開く事ができるのである。 英語で御書 Gosho in English Those who hear even a single sentence or phrase of the Lotus Sutra will attain Buddhahood. " The Four Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 42 in January, 1262. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) Those who hears one will be able to open up infinite possibility hidden in the life of yourself. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

仏法の中に内薫外護と申す大なる大事あり - The Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without.

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本文 仏法の中に 内薫外護(ないくん げご)と申す 大なる大事ありて 宗論にて候、 法華経には「我 深く汝等を敬う」 涅槃経には「一切衆生 悉く 仏性有り」 馬鳴菩薩の起信論には「真如の法 常に薫習するを以ての故に 妄心 即滅して 法身顕現す」 弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、 かくれたる事のあらはれたる 徳となり候なり ぶっぽう の なか に ないくん げご と もうす おおい なる だいじ ありて しゅうろん にて そうろう、 ほけきょう には「われ ふかく なんだち を うやまう」 ねはんぎょう には「いっさい しゅじょう ことごとく ぶっしょう あり」 めみょうぼさつ の きしんろん には「しんにょ の ほう つね に くんじゅう する を もって の ゆえ に もうしん そく めつして ほうしん けんがん す」 みろくぼさつ の ゆがろん には みえたり、 かくれ たる こと の あらわれ たる とく と なり そうろう なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1170~1171頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 仏法の中に「内薫外護」という大事な法門があり、これが仏教を説く上で大事となる原理である。 法華経の不軽品には、「私は深くあなた達のことを敬う」とあり、 涅槃経には「あらゆる人々の生命には、等しく仏性という無限の可能性が元来備わっている」とある。 他にも様々な仏教の経典に著されている程に大事な原理であり、 「あらゆる人の生命に、もともと仏性が内在しており、布に染み込ませた香料が薫りを発するように、仏性が生命の内より薫発すること(内薫)によって、迷いの生命が消滅して、自己の仏性が身体や言動などの現証(作用)という、目に見える働きとなって顕れるのである。この時、仏性を涌現した自分と縁している周囲の人々の言動や様々な現証も、仏性という無限の可能性を大きく引き出す助けとなって、自分も、自分に縁した人々をも護る(外護)という働きが顕れる」 これを内薫外護と呼ぶのである。 人知れず、人のために動き働いた事実は、隠れてはいるが内薫として自己の生命を豊かにし、仏性を開き、振舞いや周囲の助けといった徳・

八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり - Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds.

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本文 賢人は 八風と申して 八のかぜに をかされぬ を 賢人と申すなり、 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、 をを心は 利あるに・よろこばず・をとろうるに なげかず等の事なり、 此の 八風に をかされぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり けんじんは はっぷう と もうして はち の かぜ に おかされぬ を けんじん と もうすなり、 り・すい・き・よ・そう・しき・く・らくなり、 おおこころ は り ある に・よろこばず・おとろうる に なげかず とう の こと なり、 この はっぷう に おかされぬ ひと をば かならず てん は まもらせ たもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [八風抄] はっぷうしょう (1151頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 賢人とは八風といって、八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利(利益を得る)・衰(衰える/損をする)・毀(非難される)・誉(誉められる)・称(讃えられる)・譏(謗られる)・苦(苦しむ)・楽(楽しむ)である。 大まかな意味は、世間的な利益を得たり、楽しい事が起きても喜ばず、逆に損をしたり、苦しい事が起きた事を嘆かない、ということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。 多少の事で一喜一憂せず、何があっても動じない事が大切である。 英語で御書 Gosho in English Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds: prosperity, decline, disgrace, honor, praise, censure, suffering, and pleasure. They are neither elated by prosperity nor grieved by decline. The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.  " The Eight Winds &

地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし - It is like the lion king, the monarch of all the creatures that run on the ground, and like the eagle, the king of all the creatures that fly in the sky.

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本文 この経文は一切経に勝れたり 地走る者の王たり 師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり 鷲のごとし この きょうもん は いっさいきょう に すぐれたり ち はしる もの の おう たり ししおう の ごとし・そら とぶ もの の おう たり わし の ごとし 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [真実報恩経事] しんじつほうおんきょうじ (1311~1312頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) この法華経の経文は、釈尊の説いた一切経のなかで最も勝れている。地を走る者の王であり、 師子王のようである。空を飛ぶ者の王であり、鷲のようである。 英語で御書 Gosho in English This sutra is superior to all other sutras. It is like the lion king, the monarch of all the creatures that run on the ground, and like the eagle, the king of all the creatures that fly in the sky.  " The Sutra of True Requital "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 929 to 930 in 1278 [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今 一重強盛に御志あるべし - I say this for your sake. I know your faith has always been admirable, but now you must strengthen it more than ever.

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本文 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、 人の心かたければ 神のまほり必ずつよしとこそ候へ、 是は御ために申すぞ 古への御心ざし申す計りなし・其よりも 今 一重強盛に御志あるべし されば みょうらくたいし のたまわく 「かならず こころ の かたき に よりて かみ の まもり すなわち つよし」とう うんぬん、ひと の こころ かたければ かみ の まほり かならず つよし と こそ そうらえ、 これ は おん ため に もうす ぞ いにしえ の おん こころざし もうす ばかり なし・それよりも いま いちじゅう ごうじょう に おん こころざし あるべし 乙御前御消息 おとごぜんごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう  (1220頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) (諸天善神が法華経を信ずる人を守護することは間違いないとの道理と先例を挙げて) それゆえに、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言われている。その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということである。 これは、あなたのために申し上げるのである。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができない。しかし、それよりもなお一層、強盛に信心をしていきなさい。  英語で御書 Gosho in English That is why the Great Teacher Miao-lo stated, “The stronger one’s faith, the greater the protection of the gods.”  So long as one maintains firm faith, one is certain to receive the great protection of the gods. I say this for your sake. I know your faith has always been admirable, but now you must strengthen it more than ever.  " The Supremacy of th

心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし - Never let your mind stray, be firm in faith at all times, and you will “enjoy peace and security in your present existence and good circumstances in future existences.”

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本文 釈迦・多宝等の十方 無量の仏・上行 地涌等の菩薩も (中略) 日本国中の大小の諸神も・総じて 此の法華経を強く信じまいらせて 余念なく一筋に信仰する者をば 影の身にそふが如く 守らせ給ひ候なり、 相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし しゃか・たほう とう の じっぽう むりょう の ほとけ・じょうぎょう じゆう とう の ぼさつ も(ちゅうりゃく)にほんこくじゅう の だいしょう の しょじん も・そうじて この ほけきょう を つよく しんじ まいらせて よねん なく ひとすじ に しんこう する もの をば かげ の み に そう が ごとく まもらせ たまい そうろう なり、 あいかまえて あいかまえて こころ を ひるがえさず・ひとすじ に しんじ たもう ならば・げんせあんのん・ごしょうぜんしょ なるべし 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ (1527頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 釈迦仏をはじめとして、あらゆる経典に説かれている仏菩薩をはじめ日本の大小の神が、 どのような困難に直面しても この法華経を強盛に信じて、 退転することなく、ただ一筋に信仰する者を、ちょうど影の身に添うようにして守護 すると誓っているのである。 「あらゆる諸天が自分を守護してくださる」という事を疑わず、また 「御本尊があるのだから、臆せずに、堂々と困難に立ち向かい、必ず打ち破るのだ」と、 しっかりと御本尊を信じ、心をひるがえさずに、一筋に 信心を貫き通す人は、安らかで広大な心を持ち、地獄のような如何なる困難も、自己の信心と努力で、寂光土(善処)へと変えていく事ができる(現世安穏・後生善処)のである。 英語で御書 Gosho in English We know that Shakyamuni, Many Treasures, and the countless Buddhas of the ten directions,  [ Omitt, The All of Goodness Gods:SHOTEN-ZENJIN] , will, as a shadow follows a form, guard an

力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし - Teach others to the best of your ability, even if it is only a single sentence or phrase.

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本文 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし ぎょうがく の にどう を はげみ そうろう べし、ぎょうがく たえなば ぶっぽう は ある べからず、われ も いたし ひと をも きょうけ そうらえ、ぎょうがく は しんじん より おこる べく そうろう、ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経(広宣流布)のために行動し、法華経のことを学んでいきなさい。行学が途絶えてしまえば、仏法はないのである。 自分も行い、人にも教えて導いていきなさい。行学は信心から起こるものである。 力があれば、行学で学んだことや体験などを、一文一句でも人に語っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Exert yourself in the two ways of practice and study. Without practice and study, there can be no Buddhism. You must not only persevere yourself; you must also teach others. Both practice and study arise from faith. Teach others to the best of your ability, even if it is only a single sentence or phrase.  [ Jambudvīpa: All of the World ] " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 386 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもと

今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ - Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts.

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本文 法華経・涅槃経等に 此の二辺を合せ見るに・ いはずば 今生は事なくとも 後生は必ず無間地獄に堕べし、 いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、 二辺の中には・いうべし、 王難等・出来の時は 退転すべくは 一度に思ひ止るべしと 且くやすらいし程に 宝塔品の六難九易これなり、 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも 我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも 我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 ほけきょう ねはんぎょう に この にへん を あわせみる に いわずば こんじょう は こと なくとも ごしょう は かならず むけんじごく に おつ べし いう ならば さんしょうしま かならず きそい おこる べし と しりぬ にへん の うち には いう べし おうなん とう しゅったい の とき は たいてん すべく は いちど に おもい とどまるべし と しばらく やすらいし ほど に ほうとうほん の ろくなんくい これ なり われら ほど の しょうりき の もの しゅみせん は なぐ とも われら ほど の むつう の もの かれくさ を おうて ごうか には やけず とも  われら ほど の むち の もの ごうしゃ の きょうぎょう をば よみ おぼう とも ほけきょう は いっく いちげ も まつだい に たもち がたし と とかるる は これ なる べし、 こんど・ごうじょう の ぼだいしん を・おこして たいてん せじ と がんしぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経・涅槃経等の文に、法華経を説くと様々な困難が競い起こる事について、 言うか言わないのかの二辺を合わせ見るに、 言わないならば、今生には事がないけれども後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。 言うならば、三障四魔が競い起こってこれを妨げるのであるということがわかった。 この二辺の中には言うべきである。 しかし王難等の

今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし - Now, in the Latter Day of the Law, neither the Lotus Sutra nor the other sutras lead to enlightenment. Only Nam-myoho-renge-kyo can do so.

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本文 今 末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但 南無妙法蓮華経なるべし、 かう申し出だして候も・わたくしの計(はからい)にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界(じゆうせんかい)の御計なり、 此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり いま まっぽう に はいり ぬれば よきょう も ほけきょう も せん なし、ただ なんみょうほうれんげきょう なるべし、 こう もうしだして そうろう も・わたくし の はからい には あらず、しゃか・たほう・じっぽうのしょぶつ・じゆうせんかい の おんはからい なり、 この なんみょうほうれんげきょう に よじ を まじえば・ゆゆしき ひがこと なり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [末法要法御書] まっぽうようほうごしょ (1545~46頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 今、時代は末法に入ったのであれば、諸教も法華経も効果(詮無し)がなく、無益である。ただ南無妙法蓮華経以外にない。 こう言い出しているのも、私(日蓮)が自分で考えだした事ではない。釈尊、多宝仏、十方の諸仏、地涌千界の菩薩のお計らいによることである。 この南無妙法蓮華経の題目を唱えていながら、偏った(僻んだ・ひがんだ)我見(がけん)や他の諸教の修行などを交えてしまえば、それは大変な間違いである。 英語で御書 Gosho in English Now, in the Latter Day of the Law, neither the Lotus Sutra nor the other sutras lead to enlightenment. Only Nam-myoho-renge-kyo can do so.  This is not my own judgment. Shakyamuni, Many Treasures, the Buddhas of the ten directions, and the bodhisattvas who emerged from the earth as numerous as the dust particles of a thousand worlds have so determine

日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ・師子は値いがたかるべし - It is hard to encounter a master like Nichiren, who since distant kalpas in the past down to the present day has never begrudged his body or life in order to expose the faults of his powerful enemies!

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本文 願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、 過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ・師子は値いがたかるべし ねがわく は わが でしら は ししおう の こ と なりて ぐんこ に わらわるる こと なかれ、 かこ おんのんごう より この かた にちれん が ごとく しんみょう を すてて ごうてき の とが を あらわせ・しし は あいがたかる べし 閻浮提中御書 えんぶだいちゅうごしょ [師子王御書] ししおうごしょ (1589頁) 年月不明 (弘安元年説有り) 通解(意訳) 願わくは日蓮の弟子等は、師子王の子となって、群れた狐のような者たちに笑わるることがあってはならない。 過去遠遠劫より以来の日蓮のように、身命を捨てて強敵の悪(謗法)を暴き顕していきなさい。師子に値うことは難しいのである。 師子(獅子王)である日蓮大聖人の弟子であれば、弟子も師子の子となりなさい。 やがて師子となり、師弟共に師子王の心を持って、命を捨てる覚悟で邪悪と戦い、命を捨てる覚悟で民衆救済の広宣流布のために戦いなさい。 師匠は、愛する弟子を護る為ならば、あらゆる困難に立ち向かい、弟子は、師子王である師匠の心を我が心として、民衆の為に、師匠を護るために戦うのだ。 本物の獅子に遭うことが難しいように、本物の師匠と弟子とは出会い難いものなのである。 英語で御書 Gosho in English My wish is that my disciples will be cubs of the lion king, never to be laughed at by the pack of foxes. It is hard to encounter a master like Nichiren, who since distant kalpas in the past down to the present day has never begrudged his body or life in order to expose the faults of his powerful enemies! " In the Continent of

九識心王真如の都 - The body is the palace of the ninth consciousness

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本文 此の御本尊 全く余所に求る事なかれ・只 我れ等 衆生の法華経を持ちて 南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を 九識心王真如の都 とは申すなり、 十界具足とは十界 一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり 此には 輪円具足 とも 功徳聚 とも名くるなり、 此の御本尊も 只 信心の二字に をさまれり 以信得入とは是なり。 この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しんのう しんにょ の みやこ とは もうす なり、 じっかいぐそく とは じっかい いっかい も かけず いっかい に ある なり、これ に よって まんだら とは もうす なり、まんだら と いう は てんじく の な なり これ には えんりんぐそく とも くどくじゅ とも なづくる なり この ごほんぞん も ただ しんじん の にじ に おさまれり いしんとくにゅう とは これなり。 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。 十界具足とは、 十界 (一瞬の人の生命の状態を十界で著す考え方) の中の一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、 自身の生命はそのまま御本尊であり、 御本尊を曼陀羅というのである。 曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば 円の様に欠けることのなく、全てが備わっている完全な命の状態を指す 輪円具足とも、 功徳の集まりである 功徳聚ともいうのである。 この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。 この御本尊も全く同じであり、ただ信心の

叶ひ叶はぬは 御信心により候 - Whether or not your prayer is answered will depend on your faith

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本文 其の上は 私に計り申すに及ばず候 叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず、 水すめば 月うつる 風ふけば 木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし 信の よはきは にごるがごとし、信心の・いさぎよきは すめるがごとし 木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ そのうえ は わたし に ばかり もうす に およばず そうろう かない かなわぬ は ごしんじん に より そうろう べし まったく にちれん が とが に あらず、 みず すめば つき うつる かぜ ふけば き ゆるぐ ごとく・みな の みこころ は みず の ごとし しん の よわき は にごる が ごとし、しんじん の・いさぎ よき は すめる が ごとし 日厳尼御前御返事 にちごんあまごぜんごへんじ (1262頁) 弘安3年10月 (1280年) 通解(意訳) 信心の功徳について、これを自分勝手の解釈で御本尊の功徳を推し量ってはならない。 日蓮が、あなたの願いをいくら祈ったところで、願いが叶うか叶わないかは、結局は全てあなたの御信心によるものであり、全く日蓮のせいではない。 例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れるように、人の心は水のようなものである。 信人が弱いのは、水が濁っているようなものであり、信心が強く潔いのは、水が澄んでいるようなものである。 木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすことは、朝夕の勤行・唱題を怠らず、信心を深めていく努力と、現実と向き合って、願いが成就するよう努力をする事である。 *「題目をあげていればなんとかなる」と、自分が努力する事を怠れば、せっかく諸天が動いたとしても、願いは成就しない。 自分の信心を深め、行学を実践していきなさい。 仏法の道理である「南無妙法蓮華経」の御本尊を揺り動かすような実践の信心と同時に、現実を変えようとする努力をするところに、御本尊の功徳が顕れるのだと、しっかり心得ていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now there is no need to attempt to surmise yourself how things will go.  W

此の経は則ち為 閻浮提の人の病の良薬なり - This sutra provides good medicine for the ills of the people of Jambudvīpa.

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本文 法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、されば経に云く「此の経は則ち為 閻浮提の人の病の良薬なり 若し人 病有らんに 是の経を聞くことを得ば 病 即消滅して不老不死ならん」等云云 ほけきょう と もうす おきょう は しんしん の しょびょう の りょうやく なり、されば きょう に いわく「この きょう は すなわち これ えんぶだい の ひと の やまい の りょうやく なり もし ひと やまい あらん に この きょう を きく こと を えば びょうそく しょうめつ して ふろう ふし ならん」とう うんぬん 太田左衛門尉御返事 おおたさえもんのじょうごへんじ [方便寿量肝心事] ほうべんじゅりょうかんじんじ (1015頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 法華経という御経は身心の諸々の病の良薬である。 そうであるから、法華経薬王品第23に「この経はすなわちこれ、閻浮提(えんぶだい=全世界)の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞くことができれば、病はすぐに治って、不老不死となるであろう」等とある。 法華経は、体や心の全ての病の良薬である。 毎朝夕の勤行で法華経の方便品第二、如来寿量品第十六を読み、法華経の主題である「南無妙法蓮華経」と題目を深く信じていきなさい。 自分自身も題目を唱え、病人にも題目や日蓮仏法の素晴らしさを勧め聞かせていけば、必ず病は治り、老いや死への恐怖をも希望へと変革できるであろう、と説いている。 英語で御書 Gosho in English The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind. Thus it states: “This sutra provides good medicine for the ills of the people of Jambudvīpa. If a person who has an illness is able to hear this sutra, then his illness will be wiped out and he will kn

過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか - It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this.

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本文 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、 「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ かこの しゅくえん おい きたって こんど にちれんが でしと なり たもうか・しゃか たほうこそ ごぞんじ そうらめ、 「ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう」よも そらごと そうらわじ 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1338頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去世からの宿縁に導かれて、今世に日蓮と同じ日本の国土に共に生まれ、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそご存知のことであろう。 法華経化城喩品第7に、「あらゆる場所の、あらゆる諸仏の国土に、常に師と同じ時・同じ場所に生まれる」(在在諸仏土常与師倶生、ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう)と書かれていることが、まさか嘘であるはずがない。 生死を貫く師弟の絆 「あなた(初代会長・牧口常三郎先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身でもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」 -戸田城聖 「この一言に私は感動した。それと同じ心で私もまた戸田先生にお仕えしようと決めた。師に捧げた、わが人生に一つの後悔もない」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this. Shakyamuni and Many Treasures certainly realized this truth. The sutra’s statement, “Those persons who had heard the Law dwelled here and there in various Buddha l