九識心王真如の都 - The body is the palace of the ninth consciousness
本文
此の御本尊 全く余所に求る事なかれ・只 我れ等 衆生の法華経を持ちて 南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を 九識心王真如の都 とは申すなり、
十界具足とは十界 一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり 此には 輪円具足 とも 功徳聚 とも名くるなり、
此の御本尊も 只 信心の二字に をさまれり 以信得入とは是なり。
この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しんのう しんにょ の みやこ とは もうす なり、
じっかいぐそく とは じっかい いっかい も かけず いっかい に ある なり、これ に よって まんだら とは もうす なり、まんだら と いう は てんじく の な なり これ には えんりんぐそく とも くどくじゅ とも なづくる なり この ごほんぞん も ただ しんじん の にじ に おさまれり いしんとくにゅう とは これなり。
此の御本尊 全く余所に求る事なかれ・只 我れ等 衆生の法華経を持ちて 南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を 九識心王真如の都 とは申すなり、
十界具足とは十界 一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり 此には 輪円具足 とも 功徳聚 とも名くるなり、
此の御本尊も 只 信心の二字に をさまれり 以信得入とは是なり。
この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しんのう しんにょ の みやこ とは もうす なり、
じっかいぐそく とは じっかい いっかい も かけず いっかい に ある なり、これ に よって まんだら とは もうす なり、まんだら と いう は てんじく の な なり これ には えんりんぐそく とも くどくじゅ とも なづくる なり この ごほんぞん も ただ しんじん の にじ に おさまれり いしんとくにゅう とは これなり。
日女御前御返事
にちにょごぜんごへんじ
[御本尊相貌抄]
ごほんぞんそうみょうしょう
(1244頁)
建治3年8月
(1277年)
にちにょごぜんごへんじ
[御本尊相貌抄]
ごほんぞんそうみょうしょう
(1244頁)
建治3年8月
(1277年)
通解(意訳)
この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。
十界具足とは、十界(一瞬の人の生命の状態を十界で著す考え方)の中の一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、自身の生命はそのまま御本尊であり、御本尊を曼陀羅というのである。
曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば円の様に欠けることのなく、全てが備わっている完全な命の状態を指す輪円具足とも、功徳の集まりである功徳聚ともいうのである。
この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。
この御本尊も全く同じであり、ただ信心の二文字に全てが備わっているのであり、曼荼羅を信じる心によって、自身の仏界を開くことができるのである。
この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。
十界具足とは、十界(一瞬の人の生命の状態を十界で著す考え方)の中の一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、自身の生命はそのまま御本尊であり、御本尊を曼陀羅というのである。
曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば円の様に欠けることのなく、全てが備わっている完全な命の状態を指す輪円具足とも、功徳の集まりである功徳聚ともいうのである。
この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。
この御本尊も全く同じであり、ただ信心の二文字に全てが備わっているのであり、曼荼羅を信じる心によって、自身の仏界を開くことができるのである。
英語で御書
Gosho in English
Never seek this Gohonzon outside yourself. The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo. The body is the palace of the ninth consciousness, the unchanging reality that reigns over all of life’s functions.
To be endowed with the Ten Worlds means that all ten, without a single exception, exist in one world. Because of this it is called a mandala.
Mandala is a Sanskrit word that is translated as “perfectly endowed” or “a cluster of blessings.”
This Gohonzon also is found only in the two characters for faith. This is what the sutra means when it states that one can “gain entrance through faith alone.”
Gosho in English
Never seek this Gohonzon outside yourself. The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo. The body is the palace of the ninth consciousness, the unchanging reality that reigns over all of life’s functions.
To be endowed with the Ten Worlds means that all ten, without a single exception, exist in one world. Because of this it is called a mandala.
Mandala is a Sanskrit word that is translated as “perfectly endowed” or “a cluster of blessings.”
This Gohonzon also is found only in the two characters for faith. This is what the sutra means when it states that one can “gain entrance through faith alone.”
" The Real Aspect of the Gohonzon "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 821
in August, 1277.
[ --- ] is liberal translation.
Interpretation (liberal translation)"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 821
in August, 1277.
[ --- ] is liberal translation.
The palace of the ninth consciousness, this phrase meaning that The Capital of happy life unchangeable permanently that there is in the mental and physical depths of own.
参考文献:
「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography :
"The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography :
"The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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