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日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり - Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo..

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本文 一閻浮提に 人ごとに有智無智を きらはず 一同に他事をすてて 南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず 一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間 一人も唱えず 日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり いちえんぶだいにひとごとにうちむちをきらわずいちどうにたじをすててなんみょうほうれんげきょうととなうべし、 このこといまだ・ひろまらずいちえんぶだいのうちにぶつめつご・2225ねんがあいだひとりもとなえずにちれんひとり・なんみょうほうれんげきょう・なんみょうほうれんげきょうとこえをおしまずとなうるなり 報恩抄 ほうおんしょう (328~329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 全世界の人々が、仏法の知識のある者と、知恵のない者の区別なく、皆が一同に他の経を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。この事は未だに弘まっておらず、全世界において、釈尊滅後2225年の間、一人として唱えなかった。日蓮が初めて、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声を惜しまず唱えているのである。 英語で御書 Gosho in English Every person, regardless of whether wise or ignorant, will set aside other practices and join in the chanting of Nam-myoho-renge-kyo. This teaching has never been taught before. Here in the entire land of Jambudvīpa, in all the 2,225 years since the passing of the Buddha, not a single person chanted it. Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daisho

強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ - I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts.

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本文 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 ほけきょうは いっく いちげ も まつだいに たもちがたし と とかるるは これ なるべし、 こんど・ごうじょうの ぼだいしんを・おこして たいてん せじと がん しぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。  英語で御書 Gosho in English The difficulty of embracing even one phrase or verse of the Lotus Sutra in the Latter Day of the Law.  Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts. " The Opening of the Eyes " Part I " The Writings of Nichiren Daishonin ", Vol.1, p.240 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  These guidance is the teachings of the “Treasure Tower” chapter on the six difficult and nine easy acts. Gosho in Japanese 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提

秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし - even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it.

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本文 能く能く信心あるべく候、 たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん よくよくしんじんあるべくそうろう、 たとえばひやくなりともどくをいれぬればくすりのようすくなし、つるぎなれども・わるびれたるひとのためにはなにかせん 四条金吾女房御書 しじょうきんごにょうぼうごしょ [安産福子御書] あんざんふくしごしょ (1109頁) 文永8年5月 (1271年) 通解(意訳) さらに信心を強くするべきである。 たとえば、どんな秘薬であっても、毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にとってはなんの役にもたたない。 英語で御書 Gosho in English You must be careful to have firm faith. For example, even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it. Even a sword will be of no use to a coward. " Easy Delivery of a Fortune Child " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 186 in May, 1271. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 能く 能く 信心 あるべく 候、 たとへば 秘薬 なり とも 毒 を 入れぬれば 薬 の 用 すくなし、 つるぎ なれども・わるびれたる 人 の ため には 何かせん YOKU YOKU SHINJIN ARUBEKU SŌRŌ,  TATOEBA HIYAKU NARI TOMO DOKU WO IRENUREBA KUSURI NO YŌ SUKUNASHI,  TSURUGI NAREDOMO・WARUBIRETARU HITO NO TAME NIWA NANIKASEN 四条金吾 女房 御書 SHIJŌ-KINGO DONO GOSHO [安産 福子 御書] ANZAN FUKU

若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや - If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters.

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本文 地涌の菩薩のさきがけ 日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや 入りなまし、 若し日蓮 地涌の菩薩の数に入らば 豈に 日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや じゆの ぼさつの さきがけ にちれん いちにん なり、じゆの ぼさつの かずにもや いりなまし、 もし にちれん じゆの ぼさつの かずにいらば あに にちれんが でしだんな・じゆの るうりに あらずや 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 地涌の菩薩の先駆けは、日蓮一人である。もしくは地涌の菩薩の数にも入っているのであろうか。 もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているのであれば、日蓮の弟子檀那達もまた地涌の菩薩であり、仲間ということになろう。 英語で御書 Gosho in English Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth. He may even be one of them. If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 385 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 地涌 の 菩薩 の さきがけ 日蓮 一人 なり、地涌 の 菩薩 の 数 にもや 入りなまし、 若し 日蓮 地涌 の 菩薩 の 数 に 入らば 豈に 日蓮 が 弟子 檀那・地涌 の 流類 に 非ずや JIYU NO BOSATSU NO SAKIGAKE NICHIREN ICHININ NARI, JIYU NO BOSATSU NO KAZU NIMOYA IRINAMASHI, MOSHI NICHIREN JIYU NO BOSATSU

南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし - those who so much as one time pronounce the words Nam-myoho-renge-kyo, not one will fail to become a Buddha.

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本文 無量劫が間・一度も そら事なくして其の功に依りて仏となり給いて候が・無一不成仏と申して 南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるは なしと・とかせ給いて候 釈迦一仏の仰せなりとも 疑うべきにあらざるに・十方の仏の御前にて・なにのゆへにか・そら事 をばせさせ給うべき むりょうこうが あいだ・いちども そらごと なくして その こうに よりて ほとけと なり たまいて そうろうが・むいちふじょうぶつと もうして なんみょうほうれんげきょうを だ いちど もうせし ひと・ひとりとして ほとけに ならざるは なしと・とかせ たまいて そうろう しゃか いちぶつの おおせなり とも うたがうべきに あらざるに・じっぽうの ほとけの ごぜんにて・なにの ゆえにか・そらごと をば せさせ たもうべき 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [百箇日御書] ひゃっかにちごしょ (1573頁) 弘安3年~弘安4年 (1280年~1281年) 通解(意訳) 釈尊は、無量劫(遥か昔の過去世)の修行の間、一度も虚言(うそ)をつくことはなかった。その功徳によって仏となられた方が「無一不成仏(むいちふじょうぶつ・一人として仏にならないものはない)」と言われて、南無妙法蓮華経とただ一度でも唱えた人は、一人として仏の生命を成かない者はない、と説かれているのである。 虚言を言わなかった釈迦仏がこう仰せになっているだけでも疑う余地はなく、さらに十方の諸仏(諸天善神)も、この事が真実であることを証明したのである。 これ以上、何を理由にしても虚言ではなく、「必ず功徳が顕れる」と、南無妙法蓮華経を深く信受し、題目を唱えていくべきである。 英語で御書 Gosho in English [ Shakyamuni Buddha was ] During those countless kalpas, not once did he tell a lie. And when, as a result of the merit he had gained, he became a Buddha, he declared that "not a one will fail to attain Buddhahood." That is, h

さいわいは心よりいでて我をかざる - Fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect.

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本文 わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる わざわいは くちより いでで みを やぶる・ さいわいは こころより いでて われを かざる 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 災事は口から出て、災難を呼び寄せて、自分自身の身を滅ぼす元となる。 幸福とは誠意と真心からの振舞いから、幸福を呼び寄せて、どのような宝石よりも自分自身を輝かせる事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English Misfortune comes from one’s mouth and ruins one, but fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる WAZAWAI WA KUCHI YORI IDETE MI WO YABURU・ SAIWAI WA KOKORO YORI IDETE WARE WO KAZARU 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

磁石の鉄を吸うがごとく月の水に遷るがごとく - Like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water

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本文 諸天は法華経の行者 出来せば 磁石の鉄を吸うがごとく 月の水に遷るがごとく 須臾に来つて行者に代り 仏前の御誓を はたさせ給べし しょてんは ほけきょうのぎょうじゃ しゅったいせば じしゃくの てつをすうがごとく つきの みずにうつるがごとく しゅゆにきたって ぎょうじゃにかわり ぶつぜんの おんちかいを はたさせたもうべし 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (217頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 諸天善神は、法華経の行者が出来したならば、磁石が鉄を吸うように、月の影がそのまま水に映るように、 ただちに来って、かたく法華経の行者を守護し、行者に代わって難を受けもって、仏前の誓いを果たすべきである。 英語で御書 Gosho in English If a votary of the Lotus Sutra should appear, then, like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water, they will instantly come forth to take on his sufferings for him and thereby fulfill the vow that they made in the presence of the Buddha. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 261 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 諸天 は 法華経 の 行者 出来せば 磁石 の 鉄 を 吸う が ごとく 月 の 水 に 遷る が ごとく 須臾 に 来つて 行者 に 代り 仏前 の 御誓 を はたさせ 給べし SHOTEN WA HOKEKYO NO GYŌJA SHUT'TAI SEBA JISHAKU NO TETSU WO

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ]

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal transl

法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず - It could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered.

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本文 大地は ささば はづるるとも 虚空を つなぐ者は ありとも・潮の みちひぬ事は ありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・ ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず 祈祷抄 きとうしょう (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) 大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。 英語で御書 Gosho in English Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 大地は ささば はづるる とも 虚空 を つなぐ 者 は あり とも・潮 の みちひぬ 事 は あり とも 日 は 西 より 出づる とも・ 法華経 の 行者 の 祈り の かなはぬ 事 は ある べからず DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO ŌZORA WO TSUNAGU MONO WA ARI TOMO・SHIO  NO MICHI-INU KOTO WA ARI TOMO HI

師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し - Those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example.

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本文 悪王の正法を破るに 邪法の僧等が方人をなして 智者を失はん時は 師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし 例せば日蓮が如し これおごれるにはあらず 正法を惜む心の強盛なるべし おごれる者は必ず強敵に値て おそるる心出来するなり あくおうの しょうほうを やぶる に じゃほうの そうらが かたうどを なして ちしゃを うしなわんときは ししおうの ごとく なる こころを もてるもの かならず ほとけに なるべし れいせば にちれんが ごとし これ おごれるには あらず しょうほうを おしむ こころの ごうじょう なるべし おごれるものは かならず ごうてきに あいて おそるる こころ しゅったい するなり 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (957頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 悪王が正法を滅亡させようとする時、悪僧たちが悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時には、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。 例えば日蓮のようにである。 このように言うのは、傲慢な心を起こしているからではない。ただ、正法が滅することを惜しむ心が強いからである。傲れる者は、悪王や悪僧などの強敵にあうと、必ず恐怖の心が生まれてくるものである。 英語で御書 Gosho in English When an evil ruler in consort with priests of erroneous teachings tries to destroy the correct teaching and do away with a man of wisdom, those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example. I say this not out of arrogance, but because I am deeply committed to the correct teaching.  An arrogant person will always be overcome with fear when meeting a strong en

合掌とは法華経の異名なり - Gasshō, or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra

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本文 合掌とは法華経の異名なり 向仏(こうぶつ)とは法華経に値い奉ると云うなり 合掌は色法なり 向仏は心法なり、 色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍(かんぎ ゆやく)と説くなり がっしょうとはほけきょうのいみょうなりこうぶつとはほけきょうにあいたてまつるというなり がっしょうはしきほうなりこうぶつはしんぽうなり、 しきしんのにほうをみょうほうとかいごするをかんぎゆやくととくなり 御義口伝 おんぎくでん 譬喩品九箇の大事 ひゆぼんきゅうかのだいじ 第二 即起合掌の事  だいに そっきがっしょうのこと (722頁) 通解(意訳) 「合掌」とは法華経の異名である。「向仏」とは、妙法蓮華経にあいたてまつるということである。 合掌は色法(肉体・身心の変化の法)の姿であり、向仏とは信心であり、心法(心や精神の変化の法)である。 色心の二法を妙法蓮華経であると悟る事を、譬喩品の中で、釈尊の弟子である舎利弗が、喜びのあまり踊り出したと説くのである。 歓喜踊躍(歓喜のあまり身体は踊りだし、心はいきいきとしていて、その人の身心の生命が躍動する姿)とは、色法と心法がかけ離れたものではなく一体の姿(色心不二)なのであり、歓喜踊躍と説くのであり、この歓喜こそ法華経の真髄の妙法蓮華経と説くのである。 英語で御書 Gosho in English Gasshō [;合掌] , or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra.  Kōbutsu [;向仏] , or “turning to face the Buddha,” means that one encounters and pays respect to the Lotus Sutra. Pressing the palms together is an element of the body. Turning to face the Buddha is an element of the mind. The passage describes how one dances with joy when one comes to the realization that the elements of

偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず - I say all this solely for the sake of the nation, for the sake of the Law, for the sake of others, not for my own sake.

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本文 但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず ただ ひとえ に くに の ため ほう の ため ひと の ため に して み の ため に これ を もうさず 安国論御勘由来 あんこくろんごかんゆらい [立正安国論] りっしょうあんこくろん (35頁) 文永5年4月   (1268年) 通解(意訳) (立正安国論を書き、国家に提出したことは) ただ、国のため、正法のため、民衆救済のためであって、自身の名声や利益のためにいうのではない。 英語で御書 Gosho in English I say all this solely for the sake of the nation, for the sake of the Law, for the sake of others, not for my own sake. " The Rationale for Writing  “On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land” "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 164 in April, 1268. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To submit to the government "On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land" is only for the nation, for the law of justice, for the salvation of the people. It is not for my own fame or profit. Gosho in Japanese 但 偏に 国 の 為 法 の 為 人 の 為 に して 身 の 為 に 之 を 申さず TADA HITOE NI KUNI NO TAME HŌ NO TAME HITO NO TAME NI SHITE MI

善知識に値う事が第一のかたき事なり - Encountering a good friend is the hardest possible thing to do.

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本文 善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり ぜんちしきに あうことが だいいちの かたきこと なり、されば ほとけは ぜんちしきに あうこと をば いちげんの かめの うきぎに いり・ぼんてんより いとを さげて だいちの はりの めに いるに たとえ たまえり 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 善知識に値うことが最も難しいことである。それゆえ、仏は善知識に値うことを、千年に一度しか浮かび上がってこない伝説の一眼の亀が、たまたま海に浮いている浮木に出会って、浮き木の穴に入るようなものであり、天より糸を下げて、大地に立ててある針の目に通すようなものである、と譬えられているのである。 英語で御書 Gosho in English Encountering a good friend is the hardest possible thing to do. For this reason, the Buddha likened it to the rarity of a one-eyed turtle finding a floating log with a hollow in it the right size to hold him, or to the difficulty of trying to lower a thread from the Brahmā heaven and pass it through the eye of a needle on the earth. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 善知識 に 値う 事 が 第一 の かたき 事 なり、 されば 仏 は 善知識 に 値う 事 をば 一眼 の かめ の

各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすとも をづる事なかれ - Each of you should summon up the courage of a lion king and never succumb to threats from anyone.

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本文 各各 師子王の心を取り出して・いかに 人 をどすとも をづる 事なかれ、 師子王は百獣に をぢず・師子の子・又かくのごとし、 彼等は野干の ほうるなり 日蓮が一門は師子の吼るなり おのおの ししおう の こころ を とり いだして いかに ひと おどす とも おずる こと なかれ、 ししおう は ひゃくじゅう に おじず・ しし の こ・また かくのごとし、 かれら は やかん の ほうる なり にちれん が いちもん は しし の ほうる なり 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 日蓮と我が弟子ら一門は、一人ひとりが百獣の王ライオン(師子王)の心を取り出して、どのように人に脅されようとも、決して恐れる事があってはならない。 ライオン(師子王=師匠)は、他のどんな動物(百獣)をも恐れない。師子の子(弟子)もまた同じである。 彼ら(法華経を非難する人々)は、野犬やキツネらのような畜生が吠えているのと同じである。日蓮と我が弟子ら一門は、師弟が一体となって吼えているのである。 英語で御書 Gosho in English Each of you should summon up the courage of a lion king and never succumb to threats from anyone. The lion king fears no other beast, no do its cubs. Slanders are like barking foxes, but Nichiren's followers are like roaring lions. " On Persecutions Befalling the Sage " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 997 in October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Lion king: Teacher.  Cubs: Disciples.

祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有り - Concerning prayer, there are conspicuous prayer and conspicuous response, conspicuous prayer and inconspicuous response, inconspicuous prayer and inconspicuous response, and inconspicuous prayer and conspicuous response.

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本文 祈祷に於ては 顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷 有りと雖も 只 肝要は此の経の信心を致し給い候はば 現当の所願満足 有る可く候 きとう に おいては けんき けんのう・けんき みょうおう・みょうき みょうおう・みょう きけんのう の きとう あり と いえども ただ かんよう は この きょう の しんじん を いたし たまい そうらわば げんとう の しょがん まんぞく ある べく そうろう 道妙禅門御書 どうみょうぜんもんごしょ [四種祈禱御書] ししゅきとうごしょ (1242頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 祈祷(祈り、信心)には、 顕祈顕応(けんき けんのう:目に見える信心と、何らかの形で見える功徳)、 顕祈冥応(けんき みょうおう:目に見える信心と、目に見えず、未知の間に出ている功徳)、 冥祈冥応(みょうき みょうおう:目には見えない信心と、目には見えない功徳)、 冥祈顕応(みょうき けんのう:目には見えない信心と、目に見える功徳)、 この4種類の信心と功徳の顕れがあると言えども、ただ肝心なことは、妙法の功徳は必ず顕れる事を信じ抜いて、この法華経を信心されるならば、現在及び未来の所願が満足されるであろう。 英語で御書 Gosho in English Concerning prayer, there are conspicuous prayer and conspicuous response, conspicuous prayer and inconspicuous response, inconspicuous prayer and inconspicuous response, and inconspicuous prayer and conspicuous response.  But the only essential point is that, if you believe in this sutra, all your desires will be fulfilled in both the present and the future. " Letter to the Lay Priest Dōmyō " "The Writin

元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか - The sharp sword that severs the fundamental darkness inherent in life, is none other than the Lotus Sutra.

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本文 生死の長夜を照す大燈・元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか しょうじ の ちょうや を てらす だいとう・がんぽん の むみょう を きる りけん は この ほうもん に すぎざるか 諸経と法華経と難易の事 しょきょう と ほけきょう と なんい の こと [難信難解法門] なんしんなんげほうもん (991頁) 弘安3年5月 (1280年) 通解(意訳) 生死の悩みや苦しみという長い夜を照らすほどの大きな燈明、衆生の元品の無明(生命が迷っている状態)を断ち斬り、本来持っている仏性を開く利剣は、この法門をおいて他にはないのである。 英語で御書 Gosho in English The great lantern that illuminates the long night of the sufferings of birth and death, the sharp sword that severs the fundamental darkness inherent in life, is none other than the Lotus Sutra.  " A Comparison of the Lotus and Other Sutras " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1038 in May, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 生死 の 長夜 を 照す 大燈・元品 の 無明 を 切る 利剣 は 此の 法門 に 過ぎざるか SHŌ-JI NO CHŌYA WO TERASU DAITŌ・GANPON NO MUMYO WO KIRU RIKEN WA KONO HŌMON NI SUGIZARUKA 諸経と法華経と難易の事 SHOKYO TO HOKEKYO TO NAN-I NO KOTO [難信難解法門] NAN SHIN NAN GE HŌMON 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of

法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり - No treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra

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本文 末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、 若し然れば 貴賤上下をえらばず 南無妙法蓮華経と・となうるものは 我が身 宝塔にして 我が身 又 多宝如来なり、 妙法蓮華経より外に 宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり 宝塔 又 南無妙法蓮華経なり まっぽう に いって ほけきょう を たもつ なんにょ の・すがた より ほか には ほうとう なき なり、 もし しかれば きせん じょうげ を えらばず なんみょうほうれんげきょう と・となうる もの は わが み ほうとう に して わが み また たほうにょらい なり、 みょうほうれんげきょう より ほか に ほうとう なき なり、ほけきょう の だいもく・ほうとう なり ほうとう また なんみょうほうれんげきょうなり 阿仏房御書 あぶつぼうごしょ [宝塔御書] ほうとうごしょ (1304頁) 文永9年3月(1272年) (建治2年(1279年)説有り) 通解(意訳) 末法に入って、法華経(御本尊)を持つ男女の姿より他には宝塔はない。 もしそうであれば、身分の貴さやいやしさ、立場の上と下といった差別なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身がそのまま宝塔であり、またその身が多宝如来(仏)なのである。 妙法蓮華経以外に宝塔はない。法華経の題目は南無妙法蓮華経が宝塔である。宝塔はまた南無妙法蓮華経なのである。  英語で御書 Gosho in English In the Latter Day of the Law, no treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra. It follows, therefore, that whether eminent or humble, high or low, those who chant Nam-myoho-renge-kyo are themselves the treasure tower, and, likewise, are themselves the Thus Come One Many Treasures. No treasure tower exist

つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし - Foolish men are likely to forget the promises they have made when the crucial moment comes.

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本文 我並びに我が弟子・諸難ありとも 疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、 天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に 朝夕 教えしかども・疑いを・をこして 皆すてけん つたなき者のならひは 約束せし事を・まことの時は わするるなるべし われ ならび に わが でし・しょなん ありとも うたがう こころ なくば じねん に ぶっかい に いたる べし、 てん の かご なき こと を うたがわざれ げんせ の あんのん ならざる こと を なげかざれ、 わが でし に ちょうせき おしえ しかども・うたがい を・おこして みな すてけん つたなき もの の ならい は やくそく せし こと を・まこと の とき は わするる なるべし 開目抄・下 かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] にんほんぞんかいけんのしょ (234頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 我ならびに我が弟子達は、いかなる大難があろうとも、法華経を疑う心がなければ、自然に仏界を開く事ができるのである。 法華経を信受していても、諸天の加護がないといって、法華経の功力を疑ってはならない。また、現状が安穏でない事を嘆いてはならない。 我が弟子に朝に晩に、このことを教えてきたが、疑いを起こして、みな退転してしまったであろう。 愚か者の常として、約束したことを大事な時には忘れてしまうのである。 学会精神の根幹 「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決する -池田大作 英語で御書 Gosho in English Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood. Do not have doubts simply because heaven does not lend you protection. Do not be discouraged because you do not enjoy an easy and secure exis

其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ - I entrust you with the propagation of Buddhism in your province

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本文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、 仏種は縁に従つて起る 是の故に 一乗を説くなるべし その くに の ぶっぽう は きへん に まかせ たてまつり そうろうぞ、 ぶっしゅ は えん に よって おこる その ゆえに いちじょう を とく なるべし 高橋殿御返事 たかはしどのごへんじ [米穀御書] べいこくごしょ (1445頁) 年月不明 (建治~弘安が有力) (1275~78年) 通解(意訳) その国の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種という、本来誰もが持っている仏の生命は、この妙法を誠実に語るという、妙法との縁によって起こるものである。この故に、”諸教で最も優れた法華経の法(一乗)”を説くのである。 "友情と信頼の拡大" 人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって大きく変わることができる。ありのままの人間として心を開き、声をかけていくのだ。  その瞬間から、お互いの生命が、より強く、より豊かに変わり始める。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English I entrust you with the propagation of Buddhism in your province. It is stated that “the seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions, and for this reason they preach the single vehicle.” " Properties of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1117 The main opinion is from 1275 to 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "Expanding friendship and trust" People's minds be able to change greatly on the fellowship with other