投稿

5月, 2023の投稿を表示しています

譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し - The situation is like the joints in a piece of bamboo: if one joint is ruptured, then all the joints will split.

イメージ
本文 今 法華経と申すは 一切衆生を仏になす 秘術まします御経なり、 所謂 地獄の一人・餓鬼の一人・乃至 九界の一人を 仏になせば 一切衆生・皆 仏になるべき ことはり顕る、 譬えば竹の節を一つ破ぬれば 余の節 亦 破るるが如し いま ほけきょう と もうす は いっさいしゅじょう を ほとけ に なす ひじゅつ まします おきょう なり、 いわゆる じごく の ひとり・がき の ひとり・ないし きゅうかい の ひとり を ほとけ に なせば いっさいしゅじょう・みな ほとけ に なる べき ことわり あらわる、 たとえば たけ の ふし を ひとつ やぶり ぬれば よ の ふし また やぶるる が ごとし 法蓮抄 ほうれんしょう [父子成仏抄] ふしじょうぶつしょう (1046頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。生命の状態をあらわした、いわゆる十界論の地獄界の一人・餓鬼界の一人・ないし九界の中の一人、この「一人の人」を仏にすることで、「全ての人々が皆、同じように仏になることができる」という道理が顕れるのである。 例えば、竹の節を縦に一つ割れば、他の節もそれにしたがって、一瞬で縦に割れるようなものである。 このように、どのような状況にあったとしても、南無妙法蓮華経と唱えた瞬間に、仏界・仏性という、自己の無限の力、可能性を涌現させることができるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra offers a secret means for leading all living beings to Buddhahood. It leads one person in the realm of hell, one person in the realm of hungry spirits, and thus one person in each of the nine realms of existence to Buddhahood, and thereby the way is opened for all living beings to attain Buddhahood. The situation is like the jo

よからんは不思議わるからんは一定とをもへ - be prepared for the worst, and not to expect good times, but take the bad times for granted.

イメージ
本文 ただ一えん(円)に おもい切れ・よからんは不思議 わるからんは 一定と をもへ ひだるし と をもわば餓鬼道を をしへよ、さむし と いわば 八かん地獄を をしへよ、 をそろしし と・いわば たか に あへる きじ ねこ に あえる ねずみを 他人と をもう事なかれ ただ いちえん に おもいきれ・よからん は ふしぎ わるからん は いちじょう と おもえ ひだるし と おもわば がきどう を おしえよ、さむし と いわば はっかん じごく を おしえよ、 おそろしし と・いわば たか に あえる きじ ねこ に あえる ねずみ を たにん と おもう こと なかれ 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190~1191頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) (迫害を受けている熱原地方の農民門下達に対しての指導) ただ一途に、信心を貫き通すのだと決意しなさい。 善い結果になる方が不思議であり、悪い結果になる方が当然と考え、しっかりと用心しなさい。 妙法(不思議な法)で大悪も大善へと変革できるのだから、信じ切って悠々と題目を唱え、信行学を実践し、実証を示していきなさい。 空腹だと思うようであれば、餓鬼道の苦しみを教えよ(=学びなさい)。寒いと言うのであれば、八寒地獄の苦しみをを教えよ。 恐ろしいと言うのであれば、鷹に遭った雉(きじ)、猫に遭った鼠(ねずみ)を他人事と思わず、自分の事のように考えなさい。  英語で御書 Gosho in English Tell them to be prepared for the worst, and not to expect good times, but take the bad times for granted. If they complain of hunger, tell them about the sufferings of the world of hungry spirits. If they grumble that they are cold, tell them of the eight cold hells. If they say they are frightened, explain to them that a pheasant sighted by a

鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか - You demons, by making this man suffer, are you trying to swallow a sword point first

イメージ
本文 鬼神めらめ 此の人を なやますは 剣を さかさまに・のむか 又 大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、 あなかしこ・あなかしこ、此の人の やまいを忽に なをして・かへりて まほりと なりて 鬼道の大苦を ぬくべきか  きじん めらめ この ひと を なやます は つるぎ を さかさま に・のむ か また だいか を いだくか、さんぜ じっぽう の ほとけ の だいおんてき と なるか、 あなかしこ・あなかしこ、この ひと の やまい を たちまちに なおして・かえりて まもり と なりて きどう の だいく を ぬく べきか 法華証明抄 ほっけしょうめいしょう [死活抄] しかつしょう (1587頁) 弘安5年2月 (1282年) 通解(意訳) 鬼神達め、法華経の行者である人を病気で悩ますとは、剣を逆に飲むか、または大火を抱くか、さらには三世十方の仏の大怨敵となろうとするのか。 (あなかしこ=くれぐれも、の意味あり)これを恐ろしく思うのであれば、この人の病をたちまちに冶して、かえって守護の善神となって、鬼神らこそ餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。 英語で御書 Gosho in English You demons, by making this man suffer, are you trying to swallow a sword point first, or embrace a raging fire, or become the archenemy of the Buddhas of the ten directions in the three existences? How terrible this will be for you! Should you not cure this man’s illness immediately, act rather as his protectors, and escape from the grievous sufferings that are the lot of demons? " The Proof of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", V

言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり - Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice.

イメージ
本文 心に分別して思い言い顕す言語なれば 心の外には分別も無分別も無し、 言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり こころに ふんべつして おもい いい あらわす げんごなれば こころのほかには ふんべつも むふんべつも なし、 ことばと いうは こころの おもいを ひびかして こえを あらわすを いうなり 三世諸仏総勘文教相廃立 さんぜしょぶつそうかんもんきょうそうはいりゅう (563頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 心で分別した思いを言い表すのが言葉(言語)であるから、心の外に出た言葉には、分別も無分別もない。 言葉というのは心の思いを響かせて声に顕したものをいうのである。 言葉というものは、相手を思いやる心、敬う心、尊重する心、励ます心などの、自分の心の底から湧き上がる慈悲の思いを相手に届かせるために、堂々と、誠実に声に出して表現することである。 英語で御書 Gosho in English Words are what give expression to the distinctions that are thought of in the mind. Therefore, outside of the mind there are neither distinctions nor the absence of distinctions. Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice. " The Unanimous Declaration by the Buddhas  of the Three Existences regarding the Classification of the Teachings  and Which Are to Be Abandoned and Which Upheld " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 843 in October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (lib

一切衆生の盲目をひらける功徳あり - It has the beneficial power to open the blind eyes of every living being

イメージ
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。 日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。   この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-myoho-renge-ky

悲母の恩を報ぜんために - In order to repay my debt to my mother

イメージ
本文 但法華経計りこそ 女人成仏・悲母の恩を 報ずる 実の報恩経にて候へと 見候いしかば・悲母の恩を 報ぜんために 此の経の題目を 一切の女人に唱えさせん と 願す ただほけきょう ばかり こそ にょにん じょうぶつ・ひも の おん を ほうずる まこと の ほうおんきょう にて そうらえ と み そうらい しかば・ひも の おん を ほうぜん ために この きょう の だいもく を いっさい の にょにん に となえ させん と がんす 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [真実報恩経事] しんじつほうおんきょうじ (1311~1312頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) ただ、法華経だけが、あらゆる仏典の中で唯一女性が成仏できる事を明かした経文である。 慈父・悲母(父母の慈悲)への報恩(ほうおん・恩返し)、特に悲母への報恩のための、真実の報恩経であると考えたので、悲母の恩を報ずるために、法華経の題目をすべての女性に唱えさせようと、願いを立てたのである。 英語で御書 Gosho in English Since I have realized that only the Lotus Sutra teaches the attainment of Buddhahood by women, and that only the Lotus is the sutra of true requital for repaying the kindness of our mother, in order to repay my debt to my mother, I have vowed to enable all women to chant the daimoku of this sutra. " The Sutra of True Requital " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 931 in July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 但 法華経 計り こそ 女人 成仏・悲母 の 恩 を 報ずる 実 の 報恩経 にて 候へ と 見 候

末代幼稚の頚に懸けさしめ給う - With which he then adorned the necks of the ignorant people of the latter age.

イメージ
本文 一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み  末代幼稚の頚に懸けさしめ給う いちねんさんぜんを しらざるものには ほとけ・だいじひを おこし ごじのうちに このたまをつつみ まつだい ようちのくびに かけさせしめたもう 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (254頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 一念三千の法理を知らない末法の衆生に対して、仏は大慈悲を起こし、妙法蓮華経の五字に一念三千の珠をつつみ、 仏の生命を大御本尊として曼荼羅に顕して、 末法の無知で幼いすべての衆生が、自身の仏の境涯を開くことができるようにして下さったのである。 英語で御書 Gosho in English Showing profound compassion for those unable to comprehend the gem of the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, the Buddha wrapped it within the five characters [ of Myoho-renge-kyo ], with which he then adorned the necks of the ignorant people of the latter age. " The Object of Devotion for Observing the Mind  Established in the Fifth Five-Hundred-Year  Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 376 April, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一念三千 を 識らざる 者 には 仏・大慈悲 を 起し 五字

仏法の中に内薫外護と申す大なる大事あり - Buddhism teaches that, when the Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without.

イメージ
本文 仏法の中に 内薫外護(ないくん げご)と申す 大なる大事ありて 宗論にて候、 法華経には「我 深く汝等を敬う」 涅槃経には「一切衆生 悉く 仏性有り」 (中略) かくれたる事のあらはれたる 徳となり候なり ぶっぽう の なか に ないくん げご と もうす おおい なる だいじ ありて しゅうろん にて そうろう、 ほけきょう には「われ ふかく なんだち を うやまう」 ねはんぎょう には「いっさい しゅじょう ことごとく ぶっしょう あり」 (ちゅうりゃく) かくれ たる こと の あらわれ たる とく と なり そうろう なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1170~1171頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 仏法の中に「内薫外護」という大事な法門があり、これが仏教を説く上で大事となる原理である。 法華経の不軽品には、「私は深くあなた達のことを敬う」とあり、 涅槃経には「あらゆる人々の生命には、等しく仏性という無限の可能性が元来備わっている」とある。 「あらゆる人の生命に、もともと仏性が内在しており、布に染み込ませた香料が薫りを発するように、仏性が生命の内より薫発すること(内薫)によって、迷いの生命が消滅して、自己の仏性が身体や言動などの現証という、目に見える働きとなって顕れるのである。この時、仏性を涌現した自分と縁している周囲の人々の言動や様々な現証も、仏性という無限の可能性を大きく引き出す助けとなって、自分も、自分に縁した人々をも護る(外護)という働きが顕れる。」 これを内薫外護と呼ぶのである。 (中略) 人知れず、人のために動き働いた事実は、隠れてはいるが内薫として自己の生命を豊かにし、仏性を開き、振舞いや周囲の助けといった徳・外護となって顕れてくるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism teaches that, when the Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without. This is one of its fundamental principles.  The Lotus Sutra say

法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり - The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind.

イメージ
本文 法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、 されば経に云く「此の経は則ち為 閻浮提の人の病の良薬なり 若し人 病有らんに 是の経を聞くことを得ば 病 即消滅して不老不死ならん」等云云 ほけきょう と もうす おきょう は しんしん の しょびょう の りょうやく なり、されば きょう に いわく「この きょう は すなわち これ えんぶだい の ひと の やまい の りょうやく なり もし ひと やまい あらん に この きょう を きく こと を えば びょうそく しょうめつ して ふろう ふし ならん」とう うんぬん 太田左衛門尉御返事 おおたさえもんのじょうごへんじ [方便寿量肝心事] ほうべんじゅりょうかんじんじ (1015頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 法華経という御経は身心の諸々の病の良薬である。 そうであるから、法華経薬王品第23に「この経はすなわちこれ、閻浮提(えんぶだい=全世界)の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞くことができれば、病はすぐに治って、不老不死となるであろう」等とある。 法華経は、体や心の全ての病の良薬である。 毎朝夕の勤行で法華経の方便品第二、如来寿量品第十六を読み、法華経の主題である「南無妙法蓮華経」と題目を深く信じていきなさい。 自分自身も題目を唱え、病人にも題目や日蓮仏法の素晴らしさを勧め聞かせていけば、必ず病は治り、老いや死への恐怖をも希望へと変革できるであろう、と説かれている。 英語で御書 Gosho in English The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind. Thus it states: “This sutra provides good medicine for the ills of the people of Jambudvīpa. If a person who has an illness is able to hear this sutra, then his illness will be wiped out and he will know neither old age nor

一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか - If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet?

イメージ
本文 一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか いちじょうのほりを・こえぬものじゅうじょう・にじゅうじょうのほりを・こうべきか 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (912頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 一丈(約3m)の幅の堀を超えられない者が、十丈、二十丈の堀を超えることができようか。 何事も成し遂げるには、小さな挑戦とその勝利を繰り返していく事で、無理だと思われる困難を乗り越え、勝利をつかむ事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet? " The Actions of the Votary of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 766 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To accomplish anything, by repeating small challenges and their victories, you can overcome seemingly impossible difficulties and win. Gosho in Japanese 一丈 の ほり を・こへぬもの 十丈・二十丈 の ほり を・こう べき か ICHI-JŌ NO HORI WO・KORENU MONO JŪ-JŌ・NIJŪ-JŌ NO HORI WO・KOU BEKI KA 種種 御振舞 御書 SHUJU OFURUMAI GOSHO [佐渡 抄] SADO SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings

「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」 - “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.”

イメージ
本文 日蓮を供養し 又 日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば 仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず、 経に云く「仏の智慧を以て籌量するも多少其の辺を得ず」と云へり にちれんをくようしまたにちれんがでしだんなとなりたもうこと、そのくどくをばほとけのちえにても・はかりつくしたもうべからず、 きょうにいわく「ほとけのちえをもってちゅうりょうするもたしょうそのへんをえず」といえり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮を供養し、また日蓮の弟子や檀那となられた功徳は、仏の智慧でも量り尽くすことはできない。 これは法華経薬王菩薩本事品第二十三にいわく 「仏の智慧を以て籌量(ちゅうりょう:考え量る)するも多少其の辺を得ず」と説かれているのである。 英語で御書 Gosho in English Not even the wisdom of the Buddha can fathom the blessings that one will obtain by giving alms to Nichiren and by becoming his disciple and lay supporter. The sutra reads, “[The benefits he gains there will be such that] even the Buddha wisdom could never finish calculating their extent.” " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.  384 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 を 供養 し又 日蓮 が 弟子 檀那 と なり 給う 事、其 の 功徳 をば 仏 の 智慧 にても・はかり 尽し 給う べからず、 経 に 云く「仏 の 智慧 を 以て 籌量 する も 多少 其 の 辺 を 得ず」と 云へり NICHIREN WO KUYŌ SHI MATA NICHIR

いつとなく日月にかげをうかぶる身なり - Whatever the time, I will be reflected in the sun and the moon.

イメージ
本文 日蓮こいしく・をはしせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、 いつとなく日月にかげをうかぶる身なり にちれん こいしく・おわしせば つねに いずる ひ ゆうべに・いずる つきを おがませ たまえ、 いつとなく にちがつ に かげを うかぶる み なり 国府尼御前御書 こうあまごぜんごしょ [佐渡給仕御書] さどきゅうじごしょ (1325頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 日蓮を恋しく思われるならば、常に朝に出る太陽、夕べに出る月を拝されるがよい。何時であっても、日月に影を浮かべる身なのである 英語で御書 Gosho in English If you find that you miss me, always look at the sun that rises [in the morning] and the moon that rises in the evening. Whatever the time, I will be reflected in the sun and the moon. " Letter to the Lay Nun of Kō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 596 in July, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 こいしく・をはしせば 常 に 出ずる 日 ゆうべ に・いづる 月 を をがませ 給え、 いつとなく 日月 に かげ を うかぶる 身 なり NICHIREN KOISHIKU・OWASHISEBA TSUNE NI IZURU HI YŪBE NI・IZURU TSUKI WO OGAMASE TAMAE, ITSUTONAKU NICHIGATSU NI KAGE WO UKABURU MI NARI 国府 尼 御前 御書 KŌ AMA GOZEN GOSHO [佐渡 給仕 御書] SADO KYŪJI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nic

今生人界の思出なるべき - that will remain as the only memory of your present life in this human world.

イメージ
本文 願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ 只 今生の 名聞・後世の弄引なるべけれ 須く 心を一にして 南無妙法蓮華経と 我も唱へ 他をも 勧んのみこそ 今生人界の 思出 なるべき ねがわく は「げんせ あんのん・ごしょう ぜんしょ」の みょうほうを たもつ のみ こそ ただ こんじょうの みょうもん・ごせ の ろういん なるべけれ すべからく こころ を いつ に して なんみょうほうれんげきょう と われも となえ た をも すすめん のみ こそ こんじょう にんかい の おもいで なるべき 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (467頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) 願くは「現世は安穏であり、後生は善処に生れる」と仰せの妙法を持つことのみが、ただ今世での真の名誉であり、未来世では成仏の手引きとなるのである。是非とも心を定めて、南無妙法蓮華経と真剣に祈り、勇気を持って他人にも勧めることが、人間として今生に生まれてきた思い出となるのである。 人生最高の思い出 「この世に生まれて、一体何人の人を幸福にしたか。 何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。 人生、最期に残るのは、最期の生命を飾るのは、それではないだろうか。」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English I pray that you will embrace the Mystic Law, which guarantees that people “will enjoy peace and security in their present existence and good circumstances in future existences.” This is the only glory that you need seek in your present lifetime, and is the action that will draw you toward Buddhahood in your next existence. Single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo and urge others to do the same; that will remain a

因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す - Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う しゃくそんの いんぎょうかとく の にほうは みょうほうれんげきょうの ごじ に ぐそくす われら この ごじを じゅじすれば じねんに かの いんがの くどくを ゆずりあたえ たもう 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 釈尊が久遠より積み重ねた、成仏の原因である修行(因行)と、その結果として得た福徳(果徳)の二法は、全て妙法蓮華経の五字に具足している。 私たちは、この妙法蓮華経を受持して、自行化他の題目を唱え実践していくならば、自然に必ず、成仏の原因も結果も私達に譲り与えられるのである。 英語で御書 Gosho in English Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo. If we believe in these five characters, we will naturally be granted the same benefits as he was. " The Object of Devotion for Observing the Mind " " The Object of Devotion for Observing the Mind Established  in the Fifth Five-Hundred-Year Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 365 in April, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Jap

我等程の小力の者・須弥山はなぐとも... - Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about...

イメージ
本文 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも 我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも 我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 われら ほど の しょうりき の もの しゅみせん は なぐ とも われら ほど の むつう の もの かれくさ を おうて ごうか には やけず とも  われら ほど の むち の もの ごうしゃ の きょうぎょう をば よみ おぼう とも ほけきょう は いっく いちげ も まつだい に たもち がたし と とかるる は これ なる べし、 こんど・ごうじょう の ぼだいしん を・おこして たいてん せじ と がんしぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) われらほどの小力の者が、須弥山のごとき大山を投げるとも、 われらほどの神通のない者が、燃えやすい乾草を背負って劫火のなかをくぐり、しかも焼けないことがあろうとも、 われらほどの無智の者が、数え切れない多数の経々を読みおぼえることができるとしても、 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。 英語で御書 Gosho in English Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about; persons like myself who are lacking in supernatural powers might still shoulder a load of dry grass and yet remain unburned in the fire at the end of the kalpa of decline; and persons like myself who

南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや - Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle?

イメージ
本文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なす べきや、 きしぼじん・じゅうらせつにょ・ほけきょう の だいもく を たもつ もの を しゅご すべし と みえたり 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、成仏への障りをなすことができようか。 鬼女母神や十羅刹女などの諸天善神が、法華経の題目を持つ者を守護すると、経文には書かれているのである 英語で御書 Gosho in English Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle? It is written that those who embrace the daimoku of the Lotus Sutra will be protected by the Mother of Demon Children and by the ten demon daughters.  " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1273 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 南無妙法蓮華経 は 師子吼 の 如し・いかなる 病 さはり を なすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経 の 題目 を 持つ もの を 守護 すべし と 見えたり NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA SHISHI-KU NO GOTOSHI・IKANARU YAMAI SAWARI WO NASUBEKIYA, KISHIBOJIN・JŪRASETSUNYO・HOKEKYO NO DAIMOKU WO TAMOTU MONO WO SHUGO SUBESHI TO MIETARI 経王

大人には・いのりなしまいらせ候べし - Calmly continue to offer prayers.

イメージ
本文 此の法門の一行 いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、 大人には・いのりなしまいらせ候べし この ほうもん の いっこう いかなる ほんい なき こと ありとも・みず きかず・いわず して・むつばせ たまえ・だいにん には・いのり なし まいらせ そうろべし 陰徳陽報御書 いんとくようほうごしょ (1178頁)  弘安元年 (1278年) 通解(意訳) この法門の人々とは、たとえどんな不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。 おだやかにして、祈っていきなさい。 たがいに尊敬し仲良く前進 (リーダーの心がけとして)当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなければならない。 そのうえで、私的なことについては、いちいちこまかく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。 人それぞれに個性があり、生き方がある。 生活環境も違う。 たがいに尊重しあい、仲良くしていくことこそが大事である。(中略) たとえ不本意なことがあっても、広々とした心で、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信心に立てるよう激励していくことである。 また大きな立場から、成長を祈ってあげることである。 そうしていけば、本人の信心の深化とともに、しだいに人間的にも成長をめざしていくにちがいない。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you. Calmly continue to offer prayers.  " Unseen Virtue and Visible Reward "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.907 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To resp

法華を弘むる者は諸仏の使者なり - A person who propagates the Lotus Sutra is a votary of the Buddhas.

イメージ
本文 夫れ未萠を知る者は 六正の聖臣なり 法華を弘むる者は 諸仏の使者なり、 而るに日蓮 忝くも鷲嶺・鶴林の文を開いて 鵝王・烏瑟の志を覚り剰え 将来を勘えたるに粗符合することを得たり 先哲に及ばずと雖も 定んで後人には希なる可き者なり それ みぼう を しる もの は りくせい の せいしん なり ほっけ を ひろむる もの は しょぶつ の ししゃ なり、 しかるに にちれん かたじけなく も じゅれい・かくりん の もん を ひらいて がおう・うひつ の こころざし を さとり あまつさえ しょうらい を かんがえたる に ほぼ ふごう する こと を えたり せんてつ に およばず と いえども さだんで こうじん には まれ なる べき もの なり 一昨日御書 いっさくじつごしょ (183頁) 文永8年9月12日  (1271年) 竜の口法難の当日 通解(意訳) 未萠を知る者は、「六正の聖臣」といって、未来の危機を察知し、未然に封じて君主に仕える最高地位である。法華経を弘める者は、諸仏の使者である。 それにもかかわらず、日蓮は、おそれ多くも釈尊が霊鷲山で説いた法華経や、入滅の前に鶴林で説いた涅槃経の文を開いて、仏の本意を覚った。それだけではなく、日本国の将来をこれらの経典に照らし合わせて考えたところ、蒙古襲来や内乱(他国侵逼難・自界叛逆難)がほぼ符合している事を得た。 これらのことは、(日蓮は)先哲には及ばないとはいえ、後の将来には希な人となるべき者である。 英語で御書 Gosho in English A person who can foretell the future is known as a sage minister, the highest of the six upright ones. A person who propagates the Lotus Sutra is a votary of the Buddhas. And I make bold to declare that, opening the texts delivered on Eagle Peak and in the grove of sal trees, I have come to understand the intentions of the w

「衆生所遊楽」 - “. . . Where living beings enjoy themselves at ease.”

イメージ
本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。 英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  By chanting the DAIMOKU of Nam-Myoho-Renge-Kyo, you can accept the various pains from yourself that occur in the course of you