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虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ - Shot an arrow at the stone he believed was the tiger. The arrow penetrated the stone all the way up to its feathers.

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本文 李広将軍と申せし・つはものは 虎に母を食れて 虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき、 貴辺も又かくのごとく 敵は・ねらふらめども 法華経の御信心 強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし りこうしょうぐん と もうせし・つわもの は とら に はは を くわれて とら に にたる いし を い しかば そのや はぶくら まで せめぬ、のち に いし と みては たつ こと なし、のち には せっこしょうぐん と もうしき、 きへん も また かくの ごとく てき は・ねらうめ ども ほけきょう の ごしんじん ごうじょう なれば だいなん も・かねて きえ そうろう か、これ に つけても よくよく ごしんじん あるべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [石虎将軍御書] せっこしょうぐんごしょ (1186頁) 弘安元年10月 (1278年) 通解(意訳) 中国の李広将軍(りこうしょうぐん)という武将は、一頭の虎に母を食い殺された辛い経験があった。 ある日、その虎が草むらにうずくまっているものを見つけた。そこで「これこそ親の仇の虎だ」と、仇討ちの一念に燃えて矢を射たところ、見事に命中した。「遂に仕留めた」と駆け寄ってみると、なんと、虎ではなく、形のよく似た石であった。しかし、矢はその硬い石を貫き羽まで突き刺さっていた。その後、矢を射ても石に刺さることはなかったという。 ある日、よく似た虎を見つけ、「母の敵討ち」という強い一念で矢を放った。 「仇討ちをやり遂げた」と駆け寄ったところ、実はそれは虎ではなく、形のよく似た石であったが、その矢は硬い石を貫き通し、矢ぶくら(矢の羽根の部分)にまで突き刺さっていた。 その後、それが虎に似た石であると気付いてからは、何度その石に矢を射ても、矢が石に刺さるということはなかったという。 このことから、後世には人々から「石虎将軍」と呼ばれるようになったのである。 あなたもまた、この故事のように、敵はあなたを襲撃しようと狙っているだろうが、法華経への信心が強盛であるので、大難も、事が起こる前に消えたのであろうか。この事を踏まえても、よくよく御本尊を信じていきなさい。 - 深き「一念」が、不可能を

法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる - The more one praises the blessings of the Lotus Sutra, the more one’s own blessings will increase.

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本文 金は やけば 弥 色まさり 剣は とげば 弥 利くなる・法華経の功徳は ほむれば 弥 功徳まさる、 二十八品は 正き事は わずかなり 讃むる言 こそ多く候へ と 思食す べし こがね は やけば いよいよ いろ まさり つるぎ は とげば いよいよ とく なる・ほけきょう の くどく は ほむれば いよいよ くどく まさる、 にじゅうはっぽん は まさしき こと は わずか なり ほむる ことば こそ おおく そうらえ と おぼしめすべし 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう (1241~1242頁)  建治2年潤3月 (1276年) 通解(意訳) 金は、焼いて精錬すれば、いよいよ色がよくなり、剣は、研げばいよいよ良く切れるようになる。 同じように、法華経の功徳を褒め称えるならば、ますます功徳が勝るのである。 法華経二十八品は、正しい法理を説いたところはわずかではあるが、讃めた言葉こそ多くあるのだ、ということを心得てきなさい。 英語で御書 Gosho in English The more gold is heated in the flames, the brighter will be its color; the more a sword is whetted, the sharper it will become. And the more one praises the blessings of the Lotus Sutra, the more one’s own blessings will increase. Bear in mind that the twenty-eight chapters of the Lotus Sutra contain only a few passages elucidating the truth, but a great many words of praise. " The Blessings of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 673 in March, 1276.

弓の つよくして つる よはく・太刀 つるぎ にて・つかう人の臆病なるやうにて候 - like a strong bow with a weak bowstring, or a fine sword in the hands of a coward.

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本文 御いのりの叶い候はざらんは 弓の つよくして つる よはく・太刀 つるぎ にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、 あへて法華経の 御とが にては候べからず おん いのり の かない そうらわざらん は ゆみ の つよく して つる よわく・たち つるぎ にて・つかう ひと の おくびょう なる よう にて そうろう べし、 あえて ほけきょう の おん とが にては そうろう べからず 王舎城事 おうしゃじょうじ (1138頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 祈りが叶わないのは、法華経という強い弓があっても、それを信じる心という弓のつるが弱く、妙法の利剣という最強の剣があっても、相手に立ち向かおうとせず、臆病であっては意味が無いようなものである。 このように、信心で自身の仏界を涌現させ、勇気と智慧を引き出そうという姿勢がないからであって、祈りが叶わないのは、決して法華経のせいではない。 英語で御書 Gosho in English The fact that her prayers have gone unanswered is like a strong bow with a weak bowstring, or a fine sword in the hands of a coward. It is in no sense the fault of the Lotus Sutra.  " The Royal Palace " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 488 in April, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Why does your prayer not come true, that reason is even if you have a strong bow called Lotus Sutra, you have weak faith which the bow string is weak. Also, if you are coward and you

虚空に鳥の飛跡あり人此をみず - There are trails in the sky where birds fly, but people cannot recognize them

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本文 闇の中に影あり 人 此をみず 虚空に鳥の飛跡あり 人 此をみず・大海に魚の道あり 人 これをみず 月の中に四天下の人物 一もかけず 人 此をみず、而りと いへども 天眼は此をみる。 日女御前の御身の内心に 宝塔品 まします 凡夫は見ずと いへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮 又 此を すいす・あら たうとし・たうとし やみの なかに かげあり ひと これを みず こくうに とりの とぶ あと あり ひと これをみず・たいかいに さかなの みち あり ひと これを みず つきの なかに してんげの じんぶつ ひとりも かけず ひと これを みず、しかりと いえども てんがんは これを みる。 にちにょ ごぜんの おんみの ないしんに ほうとうぼん まします ぼんぷは みずと いえども しゃか・たほう・じっぽうの しょぶつは ごらんあり、にちれん また これを すいす・あら とうとし・とうとし 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [嘱累品等大意] るいぞくほんとうたいい (1250頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 闇の中に影があっても、人はこれを見ることはできない。空には鳥の飛ぶ道があるが、人はこれを見ることはできない。大海に魚の泳ぐ道があるが、人はこれを見ることが出来ない。月の中に世界中の人々が一人もかけず映っているが、人はこれを見ることはできないのである。しかし天眼はこれを見ることができる。 日女御前の御身の内に、厳然と宝塔品(=仏界、仏の生命)は存在している。人の眼(凡夫の眼)には見えなくても、釈迦・多宝・十方の諸仏は御覧になっているのである。日蓮もまた、この事を推察するのである。尊い事である、尊い事である。  英語で御書 Gosho in English There are shadows in the darkness, but people cannot discern them. There are trails in the sky where birds fly, but people cannot recognize them. There are paths in the sea along which fish swim, but people cannot per

人身は持ちがたし草の上の露 - Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass.

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本文 人身は受けがたし 爪の上の土・人身は持ちがたし 草の上の露、 百二十まで持ちて 名を・くたして死せんよりは 生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ じんしん は うけがたし つめ の うえ の つち・じんしん は もちがたし くさ の うえ の つゆ、 ひゃく にじゅう まで もちて な を くたして し せん より は いきて いちにち なりとも な を あげん こと こそ たいせつ なれ 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 人間として生まれてくることは難しいことであって、爪の上に乗っているわずかな土のようにまれである。また、人間として生まれたとしてもその身を持つことは難しく、草の上に乗っている朝露がすぐに蒸発してしまうようにはかない。 たとえ120歳まで身を持ったとしても、悪い評判を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。 英語で御書 Gosho in English It is rare to be born a human being. The number of those endowed with human life is as small as the amount of earth one can place on a fingernail. Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass. But it is better to live a single day with honor than to live to 120 and die in disgrace. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 850 in November, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 人身 は 受けがたし 爪

南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり - The Gohonzon exists only within the mortal flesh of ...chant Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只 我れ等 衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に おはしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり この ごほんぞん まったく よそ に もとむる こと なかれ・ただ われら しゅじょう の ほけきょう を たもちて なんみょうほうれんげきょう と となうる きょうちゅう の にくだん に おわします なり、これ を く しき しん のう しん にょ の みやこ とは もうすなり 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) この御本尊を決して別の所に求めてはならない。 ただ、われわれ衆生が法華経を信受して、南無妙法蓮華経と唱える、自身の胸中の肉団にいらっしゃるのである。 これを「九識心王真如の都」(自身の奥底にある、絶対的幸福の生命の都)というのである。 英語で御書 Gosho in English Never seek this Gohonzon outside yourself. The Gohonzon exists only within the mortal flesh of us ordinary people who embrace the Lotus Sutra and chant Nam-myoho-renge-kyo. The body is the palace of the ninth consciousness, the unchanging reality that reigns over all of life’s functions. " The Real Aspect of the Gohonzon " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 821 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此の 御本尊 全く 余所 に 求る 事 なかれ・ 只 我れ等 衆生 の 法華経 を 持ちて 南無妙法蓮華経 と 唱うる 胸中 の 肉団 に おはします

各各互に読聞けまいらせさせ給え - Should read this letter to one another and listen.

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本文 設い身命に及ぶとも退転すること莫れ。 富木・三郎左衛門の尉・河野辺・大和阿闍梨等・殿原・御房達 各各 互に 読聞け まいらせさせ給え、 かかる濁世には 互に つねに・いゐあわせて ひまもなく 後世 ねがわせ給い候へ たとい しんみょうに およぶとも たいてん すること なかれ。 とき・さぶろうざえもんのじょう・かわのべ・やまとあじゃり とう・とのばら・ごぼう たち おのおの たがいに よみきけ まいらせ させたまえ、 かかる じょくせ には たがいに つねに・いいあわせて ひまもなく ごせ ねがわせ たまい そうらえ 法華行者逢難事 ほっけ ぎょうじゃ ほうなん じ (965頁) 文永11年1月 (1274年) 通解(意訳) たとえ大難が身命に及ぶ事があっても、決して退転してはならない。 富木常忍(とき じょうにん)・三郎左衛門尉(さぶろう ざえもんのじょう=四条金吾)・河野辺入道(かわのべ にゅうどう)・大和阿闍梨(やまと あじゃり)等の殿達や御房達、 おのおのお互いに読み聞かせてさしあげなさい。 このような濁世には互いにつねに話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。 直接会って対話する「膝詰めの対話」 ただ一人でもいい。 その一人の人に全力で法を説き、体験を語り、広布のこと、 人生のことを心から話し合っていけばよいのだ。 二人でもいい、御本尊の話をして、感激し合って帰る座談会にしてほしい。 三人もくれば、”大勢”というべきである。 -戸田城聖 英語で御書 Gosho in English Even if it should cost you your lives, you must never discard your faith. Toki, Saburō Saemon-no-jō, Kawanobe, Āchārya Yamato, and the rest of you, gentlemen and priests, should read this letter to one another and listen. In this defiled age, you should always talk together and never cease to pray for your next lif

命と申す物は一身第一の珍宝なり - Life is the most precious of all treasures.

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本文 命と申す物は一身第一の珍宝なり 一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、 法華経の一代の聖教に超過して いみじきと申すは寿量品のゆへぞかし いのち と もうす もの は いっしん いちだい の ちんぽう なり いちにち なり とも・これを のぶる ならば せんまんりょう の こがね にも すぎたり、 ほけきょう の いちだい の せいきょう に ちょうか して いみじき と もうす は じゅりょうほん の ゆえ ぞかし 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) 命というものは人間が持っている第一の珍しい宝である。一日でも寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさる。法華経が釈尊の説いた説法の中で最も優れている理由は、「あらゆる生命の中に仏性が存在する」ということが、法華経の如来寿量品第十六に説かれているからであり、その生命を一日でも長く寿命を延ばす事ができるからである。 *私達が日々実践している勤行の「妙法蓮華経如来寿量品第十六(みょうほうれんげきょう にょうらいじゅりょうほん だい16」は、この「法華経如来寿量品第十六」から抜粋したものです。 英語で御書 Gosho in English Life is the most precious of all treasures. Even one extra day of life is worth more than ten million ryō [;the currency unit of Japan at time ] of gold. The Lotus Sutra surpasses all the other sacred teachings of the Buddha’s lifetime because of the “Life Span” chapter. " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 There is opinion of February from J

人の地に倒れて還つて地より起つが如し-It is like the case of a person who falls to the ground, but who then pushes himself up from the ground and rises to his feet again

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本文 「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」等云云、 地に たうれたる人は・かへりて 地より をく 「ひと の ち に たおれて かえって ち より たつ が ごとし」とう うんぬん、 ち に たうれる ひと は・かえりて ち より おく 法華証明抄 ほっけしょうめいしょう [死活抄] しかつしょう (1586頁) 弘安5年2月 (1282年) 通解(意訳) 「人の地に倒れて還って地より起つが如し」等とある。 地に倒れた人は、反対に地によって起きるのである。 宿命転換 「倒れても、また立ち上がればよい。立ち上がるたびに、より強くなれる。題目で、打開できない試練などない。信心で、変毒為薬できない苦難などない」 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English “It is like the case of a person who falls to the ground, but who then pushes himself up from the ground and rises to his feet again.” One who has fallen to the ground recovers and rises up from the ground. " The Proof of the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1108 in February, 1282. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Change Karma "No problem even if you fall down, you only need to stand up again. Each time you get up, you can become stronger. There is no ordeal that can not be overcome to DAIMOKU. There is no hardship that can not be overcome

蔵の財よりも身の財すぐれたり - More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body

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本文 中務三郎左衛門尉は 主の御ためにも 仏法の御ためにも 世間の心ねも よかりけり・よかりけりと 鎌倉の人人の口に うたはれ給へ、 穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり なかつかささぶろうさえもんのじょう は しゅ の おんため にも ぶっぽう の おんため にも せけん の こころね も よかりけり・よかりけり と かまくら の ひとびと の くち に うたわれ たまえ、 あなかしこ・あなかしこ・くら の たから より み の たから すぐれたり み の たから より こころ の たから だいいち なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法においての心がけも、世間に対する心がけについても、人間として立派な人であった、立派であったと、鎌倉の人々にいわれるようになりなさい。 おそれ多くも、蔵におさめている財産よりも、健康、技能や才能などの自分の身の財産が優れている。その身の財よりも、誠実な振舞や感謝の念などの、心の財が第一なのである。 英語で御書 Gosho in English Live so that all the people of Kamakura will say in your praise that Nakatsukasa Saburō Saemon-no-jō is diligent in the service of his lord, in the service of Buddhism, and in his concern for other people. More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body,and the treasure of the heart are the most valuable of all. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1,

諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す - The heavenly beings day and night will for the sake of the Law constantly guard and protect them.

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本文 法華経の第五に云く 諸天昼夜に 常に 法の為の故に 而も之を衛護す、 経文の如くんば 南無妙法蓮華経と申す人をば 大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり ほけきょう の だいご に いわく しょてん ちゅうや に つね に ほう の ため の ゆえ に しかも これ を えいご す、 きょうもん の ごとくんば なんみょうほうれんげきょう と もうす ひと をば だいぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう・ちゅうや に しゅご すべし と みえたり 諫暁八幡抄 かんぎょうはちまんしょう (588頁) 弘安3年12月 (1280年) 通解(意訳) 法華経の第五巻、安楽行品第十四には「諸天は昼夜に常に法のためのゆえに、これを衛護する」と説かれている。  この経文通りであれば、南無妙法蓮華経と唱える人を、大梵天王・帝釈天王・日月・四天等の諸天善神が、昼夜にこの人を守護されるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra says in its fifth volume, “The heavenly beings day and night will for the sake of the Law constantly guard and protect them.” If we go by this passage of the sutra, then it would seem that Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, and the four heavenly kings ought day and night to guard and protect those persons who chant Nam-myoho-renge-kyo.  " On Reprimanding Hachiman " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 936 in December, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経 の 第五

おごれる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり - An arrogant person will always be overcome with fear when meeting a strong enemy.

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本文 悪王の正法を破るに 邪法の僧等が方人をなして 智者を失はん時は 師子王の如くなる心をもてる者 必ず仏になるべし 例せば日蓮が如し これおごれるにはあらず 正法を惜む心の強盛なるべし おごれる者は必ず強敵に値て おそるる心出来するなり   あくおうの しょうほうを やぶる に じゃほうの そうらが かたうどを なして ちしゃを うしなわんときは ししおうの ごとく なる こころを もてるもの かならず ほとけに なるべし れいせば にちれんが ごとし これ おごれるには あらず しょうほうを おしむ こころの ごうじょう なるべし おごれるものは かならず ごうてきに あいて おそるる こころ しゅったい するなり 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (957頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 悪王が正法を滅亡させようとする時、悪僧たちが悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時には、師子王のような心を持つ者が必ず仏になることができる。 例えば日蓮のようにである。 このように言うのは、傲慢な心を起こしているからではない。ただ、正法が滅することを惜しむ心が強いからである。傲れる者は、悪王や悪僧などの強敵にあうと、必ず恐怖の心が生まれてくるものである。 英語で御書 Gosho in English When an evil ruler in consort with priests of erroneous teachings tries to destroy the correct teaching and do away with a man of wisdom, those with the heart of a lion king are sure to attain Buddhahood. Like Nichiren, for example. I say this not out of arrogance, but because I am deeply committed to the correct teaching.  An arrogant person will always be overcome with fear when meeting a strong

願くは我が弟子等・大願ををこせ - My wish is that all my disciples make a great vow.

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本文 願くは我が弟子等・大願を をこせ、去年 去去年(こぞ おととし)の やくびやうに 死にし 人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしとも みへず、 とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、 をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海に あつらへ・ちりを大地に うづむと をもへ ねがわくは わが でし ら・だいがん を おこせ、こぞ おととし の やくびょう に しに し ひとびと の・かず にも いらず、また とうじ・もうこ の せめ に・まぬかるべし とも みえず、 とにかく に し は いちじょう なり、そのときの なげき は とうじ の ごとし、 おなじく は・かり にも ほけきょう の ゆえ に いのち を すてよ、つゆ を たいかい に あつらえ・ちり を だいち に うずむ と おもえ 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [竜門御書] りゅうもんごしょ 1561頁 弘安2年11月 (1279年) 通解(意訳) 願わくは、我が弟子たちは広宣流布という大願を起こしなさい。 去年や一作年に起こった疫病で死んだ人々の数には入らなかったにしても、現在、蒙古(モンゴル帝国)が攻めてきた時に、死を免れることができるとは思えない。 とにかく、どんな形であれ、人の死というものは、いずれ皆に平等に訪れるものであり、决定した(けつじょう した、決まった)事である。その時の嘆きや苦しみは、死の間際では全く同じ苦しみなのである。 同じ死を迎える事が決定しているのであれば、「もしかしたら、自分の命は明日には無いかもしれない」と思い切って、法華経のために命を捨てなさい。 これこそ、露のような小さな生命を、法華経という大海に入れるように、また塵が妙法という大地に埋める事だと思いなさい。 ☆ 今日は創価学会創立記念日です。おめでとうございます! ☆ 2021年11月18日 管理人 英語で御書 Gosho in English My wish is that all my disciples make a great vow. We are very fortunate to be alive after the widespread epidemics that occurred last y

南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし - So long as he chants Nam-myoho-renge-kyo, they will invariably protect him.

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本文 行者は 必ず 不実なりとも・智慧は をろかなりとも・身は 不浄なりとも・戒徳は 備へずとも・南無妙法蓮華経と申さば 必ず 守護し給うべし ぎょうじゃ は かならず ふじつ なり とも・ちしゃ は おろか なり とも・み は ふじょう なり とも・かいとく は そなえず とも・なんみょうほうれんげきょう と もうさば かならず しゅご し たもうべし 祈祷抄  きとうしょう (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) もし行者であるかは真実でないにしても、智慧は愚かであっても、身は不浄であっても、戒徳は備えていなくても、ただ南無妙法蓮華経とならば、必ず諸天善神から守護されるべきである。 英語で御書 Gosho in English It makes no difference if the practitioner [ of the Lotus Sutra] himself is lacking in worth, defective in wisdom, impure in his person, and lacking in virtue derived from observing the precepts. So long as he chants Nam-myoho-renge-kyo, they will invariably protect [ by the Goodness of the Gods] him. " On Player " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 Unclear Month, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 行者は 必ず 不実なりとも・智慧は をろかなりとも・身は 不浄なりとも・戒徳は 備へずとも・南無妙法蓮華経と申さば 必ず 守護し給うべし GYŌJA WA KANARAZU FUJITSU NARITOMO・CHIE WA OROKA NARITOMO・MI WA FUJŌ NARITOMO・KAITOKU WA SONAEZU TOMO・NAM-MYOHO-RENGE

二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし - Among all the 2,994,830 women of Japan, you should think of yourself as number one.

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本文 日本国と申すは女人の国と申す国なり、 天照太神と申せし女神のつきいだし給える島なり、 此の日本には男 十九億九万四千八百二十八人・ 女は 二十九億九万四千八百三十人なり  (中略) 二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし にほんこくと もうすは にょにんの くにと もうす くになり、 てんしょうだいじんと もうせし にょしんの つきいだしたまえる しまなり、 このにほんには おとこ 19おく9まん4せん8ひゃく28にん・ おんなは 29おく9まん4せん8ひゃく30にん なり(ちゅうりゃく) 29おく9まん4せん8ひゃく30にんの にょにんのなかの だいいちなりと おぼしめすべし 日眼女造立釈迦仏供養事 にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと (1188頁)  弘安2年2月 (1279年) 通解(意訳) 日本国というのは女人の国ともいえる国である。 天照太神という女神の築かれた島である。 この日本国には男は199万4828人・女は299万4830人いる。 (中略) (法華経だけが、女人成仏を説いている唯一の法であるから)法華経を信受している女性は、299万4830人の中でも一番優れた女性なのだと思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English This country of Japan may be called a women’s country.  These islands were created by the Sun Goddess.  In this land of Japan there are 1,994,828 men and 2,994,830 women. ( Omit )  Among all the 2,994,830 women of Japan, you should think of yourself as number one. " Concerning the Statue of Shakyamuni Buddha Fashioned by Nichigen-nyo " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 812 - 813 in Febr

磁石の鉄を吸うがごとく月の水に遷るがごとく - Like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water

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本文 諸天は法華経の行者 出来せば 磁石の鉄を吸うがごとく 月の水に遷るがごとく 須臾に来つて行者に代り 仏前の御誓を はたさせ給べし しょてんは ほけきょうのぎょうじゃ しゅったいせば じしゃくの てつをすうがごとく つきの みずにうつるがごとく しゅゆにきたって ぎょうじゃにかわり ぶつぜんの おんちかいを はたさせたもうべし 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (217頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 諸天善神は、法華経の行者が出来したならば、磁石が鉄を吸うように、月の影がそのまま水に映るように、 ただちに来って、かたく法華経の行者を守護し、行者に代わって難を受けもって、仏前の誓いを果たすべきである。 英語で御書 Gosho in English If a votary of the Lotus Sutra should appear, then, like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water, they will instantly come forth to take on his sufferings for him and thereby fulfill the vow that they made in the presence of the Buddha. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 261 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 諸天 は 法華経 の 行者 出来せば 磁石 の 鉄 を 吸う が ごとく 月 の 水 に 遷る が ごとく 須臾 に 来つて 行者 に 代り 仏前 の 御誓 を はたさせ 給べし SHOTEN WA HOKEKYO NO GYŌJA SHUT'TAI SEBA JISHAKU NO TETSU WO

妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし - Let us openly and clearly outline the virtues of Myoho-renge-kyo

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本文 妙法蓮華経の徳 あらあら 申し開くべし、 毒薬変じて薬となる 妙法蓮華経の五字は悪変じて善と 玉泉と申す泉は石を玉となす 此の五字は凡夫を仏となす みょうほうれんげきょうの とく あらあら もうし ひらくべし、 どくやく へんじて くすりと なる みょうほうれんげきょうの ごじは あく へんじて ぜんと ぎょくせんと もうす いずみは いしを たまと なす この ごじは ぼんぷを ほとけと なす 内房女房殿御返事 うつぶさにょうぼうどのごへんじ [白馬白鳥御書] はくばはくちょうごしょ (1422頁) 弘安3年8月 (1280年) 通解(意訳) 妙法蓮華経の功徳を大まかに申し開いて差し上げよう。 毒薬が変じて薬となる、とのたとえがあるように、妙法蓮華経の五字は、悪が変じて善となるのである。 玉泉という泉は、石を宝玉に変えると言われている。同じように、この五字は凡夫を仏に成すのである。 英語で御書 Gosho in English Let us openly and clearly outline the virtues of Myoho-renge-kyo! Just as poisonous compounds are changed into medicine, so these five characters of Myoho-renge-kyo change evil into good. The Spring of Jewels is so called because, in this spring, stones are changed into jewels. In the same way, these five characters can change ordinary human beings into Buddhas. " White Horses and White Swans " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 1064 in August, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 妙法蓮華経 の 徳 あらあら