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烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし - they are being as ridiculous as fireflies laughing at the sun and moon...or a magpie mocking a phoenix.

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本文 日蓮御房は 師匠にて おはせども余に こはし 我等は やはらかに 法華経を弘むべし と 云んは 螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し 井江が河海をあなづり 烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし わらふなるべし。 にちれんごぼうは ししょうにて おわせども あまりにこわし われらは やわらかに ほけきょうを ひろむべしと いわんは ほたるびが にちがつをわらい ありづかが かざんをくだし せいこうが かかいをあなずり かささぎが らんほうを わらうなるべし わらうなるべし 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (961頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) (愚かな弟子達が)「日蓮御房は私達の師匠ではあられるが、余りにも強盛すぎる。我らは柔らかに法華経を弘めよう」と言っていることは、 ホタルの光が太陽や月の光を笑い、蟻塚が華山(約2kmある中国の山)を見下し、井戸や小川が大河や海を侮り、カササギが鸞鳥や鳳凰(らんちょう、ほうおう、いずれも伝説上の鳥)を笑うようなものである。笑うようなものである。 英語で御書 Gosho in English The renegade disciples say, “Though the priest Nichiren is our teacher, he is too forceful. We will spread the Lotus Sutra in a more peaceful way.” In so asserting, they are being as ridiculous as fireflies laughing at the sun and moon, an anthill belittling Mount Hua, wells and brooks despising the river and the ocean, or a magpie mocking a phoenix. Nam-myoho-renge-kyo. " Letter from Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 306 March, 1272.  [ -

声仏事を為す - The voice carries out the work of the Buddha

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本文 経とは 一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く 声仏事を為す 之を名けて経と為すと きょう とは いっさいしゅじょう の ごんご おんじょう を きょう と いう なり、しゃく に いわく こえ ぶつじ を なす これ を なづけて きょう と なす と 御義口伝 おんぎくでん 南無妙法蓮華経 なんみょうほうれんげきょう (708頁) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の) 経とは、一切衆生の言葉や発する音、声をいうのである。章安大師は、「声が仏の振る舞い等の働きをする。これを名付けて経という」といっている。 このように、南無妙法蓮華経こそ最高の法であり、最高の音声(おんじょう)なのである。 英語で御書 Gosho in English Kyō [of the Nam-myoho-renge-kyo] represents the words and voices of all living beings. A commentary [On “The Profound Meaning,” volume one] says, “The voice carries out the work of the Buddha, and this is called kyō, or sutra.” ==================================== Nam-myoho-renge-kyo " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part One, P 4 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The voice is work like a Buddha's behavior. thus, Nam-Myoho-Renge-Kyo is a greatest law and a greatest voice.  Gosho in Japanese 経とは 一切衆生 の 言語音声 を 経 と 云う なり、釈 に 云く 声 仏事 を

甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず - Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong

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本文 夫れ 木をうえ候には 大風吹き候へども つよき すけを かひぬれば・たうれず、本より生いて候 木なれども 根の弱きは・たうれぬ、 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず、すこし健の者も 独なれば悪しき みちには・たうれぬ それ き を うえ そうろう には おおかぜ ふき そうらえども つよき すけ を かい ぬれば・たうれず、もと より おいて そうろう き なれども ね の よわき は・たうれぬ、 かい なき もの なれども・たすくる もの つよければ たうれず、すこし けなげ の もの も ひとり なれば あしき みち には・たうれぬ 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) そもそも、木を植えた場合、大風が吹いたとしても、強い支柱で支えてあれば倒れない。元々生えていた木であっても、根が弱ければ倒れてしまう。 弱くて不甲斐ない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。すこし強くで頑強な者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまうのである。 善き友 『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄り添って、その苦しい『心音』に耳を傾けてあげなければ。  そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English When a tree has been transplanted,though fierce winds may blow, it will not topple if it has a firm stake to hold it up. but even a tree that has grown up in place may fall over if its roots are weak. Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong, but a person of considerable strength, when alone, may fall down on an un

譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し - The situation is like the joints in a piece of bamboo: if one joint is ruptured, then all the joints will split.

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本文 今 法華経と申すは 一切衆生を仏になす 秘術まします御経なり、 所謂 地獄の一人・餓鬼の一人・乃至 九界の一人を 仏になせば 一切衆生・皆 仏になるべき ことはり顕る、 譬えば竹の節を一つ破ぬれば 余の節 亦 破るるが如し いま ほけきょう と もうす は いっさいしゅじょう を ほとけ に なす ひじゅつ まします おきょう なり、 いわゆる じごく の ひとり・がき の ひとり・ないし きゅうかい の ひとり を ほとけ に なせば いっさいしゅじょう・みな ほとけ に なる べき ことわり あらわる、 たとえば たけ の ふし を ひとつ やぶり ぬれば よ の ふし また やぶるる が ごとし 法蓮抄 ほうれんしょう [父子成仏抄] ふしじょうぶつしょう (1046頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。生命の状態をあらわした、いわゆる十界論の地獄界の一人・餓鬼界の一人・ないし九界の中の一人、この「一人の人」を仏にすることで、「全ての人々が皆、同じように仏になることができる」という道理が顕れるのである。 例えば、竹の節を縦に一つ割れば、他の節もそれにしたがって、一瞬で縦に割れるようなものである。 このように、どのような状況にあったとしても、南無妙法蓮華経と唱えた瞬間に、仏界・仏性という、自己の無限の力、可能性を涌現させることができるのである。 英語で御書 Gosho in English The Lotus Sutra offers a secret means for leading all living beings to Buddhahood. It leads one person in the realm of hell, one person in the realm of hungry spirits, and thus one person in each of the nine realms of existence to Buddhahood, and thereby the way is opened for all living beings to attain Buddhahood. The situation is l