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いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし - You should therefore strive in faith more than ever to receive the blessings of the Lotus Sutra.

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本文 いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠(しこう )が耳・離婁(りろう)が眼のやうに聞見させ給へ いよいよ・はげまして ほけきょうの くどくを え たもうべし、しこうが みみ・りろうが めの ように けんぶんさせたまえ 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) いよいよ信心に励んで、法華経の功徳である、「六根清浄(ろっこん しょうじょう)の功徳」を受けきっていきなさい。そして、清らかな耳と目で、世の中で起こる様々な出来事の正邪の真実を聞き分け、見抜く力を身につけなさい。 ・師曠(しこう)・中国の音楽家であり、少しの音色の違いを聞き分ける事ができた。  ・離婁(りろう)・同じく中国の伝説上の人物で、百歩離れた先の人の、細かい毛まで見えた。 *六根清浄の功徳 人間の心身を、眼根(げんこん)・耳根(にこん)・鼻根(びこん)・舌根(ぜっこん)・身根(しんこん)・意根(いこん)の、6種類の感覚に分けた仏法の考え方。法華経を信受することで心身が浄化され、元来持っている自分の能力(六根の力)を最大限に発揮することができる。 英語で御書 Gosho in English You should therefore strive in faith more than ever to receive the blessings of the Lotus Sutra. Listen with the ears of Shih K’uang and observe with the eyes of Li Lou.  " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33 April, 1261. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Shih K’uang, in Chinese legend, was

今は遠国に居住候に依りて面謁を期する事更になし - Now that I am living in a remote region, I have no opportunity to meet with you in person.

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本文 今は 遠国に 居住 候に依りて 面謁を期する事 更になし、 されば 心中に含みたる事も 使者 玉章に あらざれば 申すに及ばず 歎かし 歎かし、 当年の 大厄をば 日蓮に 任せ給へ いまはおんごくにきょじゅうそうろうによりてめんえつをごすることさらになし、 さればしんちゅうにふくみたることもししゃたまずさにあらざればもうすにおよばずなげかしなげかし、 とうねんのたいやくをばにちれんにまかせたまえ 太田左衛門尉御返事 おおたさえもんのじょうごへんじ [方便寿量肝心事] ほうべんじゅりょうかんじんじ (1015頁) 弘安元年4月 (1278年 通解(意訳) 今は遠国の身延に住んでいるので、お会いすることはかなわない。 そうであるから、心の中に思っている事も、使者や手紙でなければ伝えることができない。嘆かわしいことである。 (あなた:太田左衛門尉が心配している)今年の大厄のことは、日蓮に任せなさい。 英語で御書 Gosho in English Now that I am living in a remote region, I have no opportunity to meet with you in person. The thoughts I have in my heart can only be conveyed by way of messengers and letters. It is sad, sad indeed! As for this year of danger that you face, trust in me. " On the Importance of the “Expedient Means” and “Life Span” Chapters "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 750 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 今は 遠国 に 居住 候 に 依りて 面謁 を 期する 事 更 に なし、 されば 心中 に 含みたる 事 も 使者 玉章 に あらざれば 申す に

我が一念を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり - You must summon up deep faith that Myoho-renge-kyo is your life itself.

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本文 妙法と唱へ 蓮華と読まん時は 我が一念を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり みょうほうを となえ れんげと よまん ときは わが いちねんを さして みょうほうれんげきょうと なづくるぞと ふかく しんじんを ほっすべきなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (383頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 妙法と唱え、蓮華と読誦する時は、自分自身の一念の事を指して、妙法蓮華経と名づけるのである、と深く信心を発すべきである。 英語で御書 Gosho in English When you chant myōhō and recite renge, you must summon up deep faith that Myoho-renge-kyo is your life itself. " On Attaining Buddhahood in This lifetime "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 3 in 1255. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 妙法と唱へ 蓮華と読まん時は 我が一念を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり MYOHO WO TONAE RENGE TO YOMAN TOKI WA WAGA ICHINEN WO SASHITE MYOHO-RENGE-KYO TO NAZUKURUZO TO FUKAKU SHINJIN WO HOS'SU BEKI NARI 一生成仏抄 IS'SHO JŌBUTSU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり - I have shown the kind of compassion that a mother does when she labors to put milk into the mouth of her infant child.

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本文 今 日蓮は 去ぬる 建長五年 癸丑 四月二十八日より 今年 弘安三年 太歳庚辰 十二月にいたるまで 二十八年が間 又 他事なし、 只 妙法蓮華経の七字五字を 日本国の一切衆生の口に入れんと はげむ計りなり、 此れ 即 母の赤子の口に乳を入れんと はげむ慈悲なり いま にちれんは いぬる けんちょう ごねん みずのとうし しがつ にじゅうはちにち より ことし こうあん さんねん かのえたつ じゅうにがつ に いたるまでに じゅうはちねんかん が あいだ また たじ なし、 ただ みょうほうれんげきょう の しちじごじ を にほんこくの いっさいしゅじょうの くちに いれんと はげむばかり なり、 これ そく ははの あかごの くちに ちちを いれんと はげむ じひ なり 諫暁八幡抄 かんぎょうはちまんしょう (585頁) 弘安3年12月 (1280年) 通解(意訳) 今、日蓮は、立宗宣言をした去ぬる建長5年4月28日から、今年弘安3年12月に至るまで28年の間、一切衆生を救う事以外の他事は一切なく、 ただ、妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入ようと励んできただけである。 これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする、親の慈悲と同じである。 英語で御書 Gosho in English Now for the past twenty-eight years, since the fifth year of the Kenchō era [1253], cyclical sign mizunoto-ushi, the twenty-eighth day of the fourth month,25 until the present, the twelfth month of the third year of the Kōan era [1280], cyclical sign kanoe-tatsu,  I, Nichiren, have done nothing else, but have labored solely to put the five or seven characters of Myoho-renge-kyo into the mouths of all the living

虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ - Shot an arrow at the stone he believed was the tiger. The arrow penetrated the stone all the way up to its feathers.

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本文 李広将軍と申せし・つはものは 虎に母を食れて 虎に似たる石を射しかば 其の矢 羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき、 貴辺も又かくのごとく 敵は・ねらふらめども 法華経の御信心 強盛なれば大難も・かねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし りこうしょうぐん と もうせし・つわもの は とら に はは を くわれて とら に にたる いし を い しかば そのや はぶくら まで せめぬ、のち に いし と みては たつ こと なし、のち には せっこしょうぐん と もうしき、 きへん も また かくの ごとく てき は・ねらうめ ども ほけきょう の ごしんじん ごうじょう なれば だいなん も・かねて きえ そうろう か、これ に つけても よくよく ごしんじん あるべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [石虎将軍御書] せっこしょうぐんごしょ (1186頁) 弘安元年10月 (1278年) 通解(意訳) 中国の李広将軍(りこうしょうぐん)という武将は、一頭の虎に母を食い殺された辛い経験があった。 ある日、その虎が草むらにうずくまっているものを見つけた。そこで「これこそ親の仇の虎だ」と、仇討ちの一念に燃えて矢を射たところ、見事に命中した。「遂に仕留めた」と駆け寄ってみると、なんと、虎ではなく、形のよく似た石であった。しかし、矢はその硬い石を貫き羽まで突き刺さっていた。その後、矢を射ても石に刺さることはなかったという。 ある日、よく似た虎を見つけ、「母の敵討ち」という強い一念で矢を放った。 「仇討ちをやり遂げた」と駆け寄ったところ、実はそれは虎ではなく、形のよく似た石であったが、その矢は硬い石を貫き通し、矢ぶくら(矢の羽根の部分)にまで突き刺さっていた。 その後、それが虎に似た石であると気付いてからは、何度その石に矢を射ても、矢が石に刺さるということはなかったという。 このことから、後世には人々から「石虎将軍」と呼ばれるようになったのである。 あなたもまた、この故事のように、敵はあなたを襲撃しようと狙っているだろうが、法華経への信心が強盛であるので、大難も、事が起こる前に消えたのであろうか。この事を踏まえても、よくよく御本尊を信じていきなさい。 深き「一念」が、不可能を可能

来集して我が身に入りかはり我を助け給へ - will all gather and take possession of your body to assist you

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本文 釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へ と 観念せさせ給うべし しゃか・たほう・じっぽうのほとけ・らいしゅうしてわがみにいりかわりわれをたすけたまえとかんねんさせたもうべし 弥三郎殿御返事 やさぶろうどのごへんじ (1451頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) 釈迦仏・多宝仏・十方の仏が集い来て我が身に入りかわり、我を助けたまえと、諸天善神や教主釈尊をも揺り動かすような題目を唱え、御祈念していきなさい。 英語で御書 Gosho in English You should pray intently that Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and take possession of your body to assist you. " Reply to Yasaburō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 829 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You should chanting the DAIMOKU with a strong prayer like that shakes the Buddhas. Gosho in Japanese 釈迦・多宝・十方 の 仏・来集 して 我が 身 に 入りかはり 我 を 助け 給へ と 観念 せさせ 給う べし SHAKA・TAHŌ・JIPPŌ NO HOTOKE・RAISHŪ SHITE WAGA MI NI IRI-KAWARI WARE WO TASUKE TAMAE TO KAN-NEN SASE TAMOU BESHI 弥三郎 殿 御返事 YASABURŌ DONO GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings

色心二法をつぐ人なり - The child is the one who will inherit both your physical and spiritual aspects.

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本文 就中 夫婦共に法華の持者なり 法華経 流布あるべき たねを つぐ所の 玉の子 出で生れん 目出度 覚え 候ぞ、色心 二法を つぐ人なり 争か・をそなはり 候べき、とくとく こそ・うまれ 候はむ ずれ、此の薬を のませ 給はば 疑いなかるべきなり なかんずく ふうふ ともに ほっけの じしゃ なり ほけきょう るふ あるべき たねを つぐ ところの たまのこ いで うまれん めでたさ おぼえ そうろうぞ、しきしん にほうを つぐひとなり いかでか・おそなわり そうろうべき、とくとく こそ・うまれ そうらわむ ずれ、 このくすりを のませ たまらわば うたがいなかるべきなり 四条金吾女房御書 しじょうきんごにょうぼうごしょ [安産福子御書] あんざんふくしごしょ (1109頁) 文永8年5月 (1271年) 通解(意訳) (四条金吾と妻の日眼女に対して) 日蓮門下の中でも、とりわけあなた方は夫婦共に法華経を強信に持っている人達である。法華経が流布していくべき使命の種を受け継ぐところの、宝玉のような子供が生まれるだろう。まことにめでたいことである。 法華経の持者である、あなた方二人の色心(身と心)の二法を継ぐ人である。どうして難産なわけがあろうか。 この妙法という最高の薬を服されるならば、安産である事は疑いあるまい。 英語で御書 Gosho in English Above all, both you and your husband are upholders of the Lotus Sutra. You will surely bear a jewel of a child who is going to inherit the seed for the propagation of the Lotus Sutra. I wholeheartedly congratulate you. The child is the one who will inherit both your physical and spiritual aspects. How could you possibly suffer a prolonged labor? I expect that the child will be born qu

情無き 草木すら 友の喜び 友の歎き 一つなり - Even insentient plants and trees share as one a friend’s joys and sorrows.

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本文 松 栄れば 柏 悦ぶ 芝 かるれば 蘭 なく 情無き 草木すら 友の喜び 友の歎き 一つなり まつ さかえば かしわ よろこぶ しば かるれば らん なく じょう なき そうもく すら とも の よろこび とも の なげき ひとつ なり 光日上人御返事 こうにちしょうにんごへんじ (934頁) 弘安4年8月   (1281年) 通解(意訳) 松が栄えれば柏が悦ぶ、芝が枯れれば蘭は泣くといわれる。 非情の草木ですら、友の喜び、友の歎きは一体なのである。 英語で御書 Gosho in English When the pine flourishes, the cypress is overjoyed; when grasses wither, orchids weep. Even insentient plants and trees share as one a friend’s joys and sorrows.  " Reply to the Honorable Kōnichi " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 964 in August, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 松 栄れば 柏 悦ぶ 芝 かるれば 蘭 なく 情 無き 草木すら 友の 喜び 友の 歎き 一つ なり MATSU SAKAEBA KASHIWA YOROKOBU SHIBA KARUREBA RAN NAKU JŌ NAKI SŌ-MOKU SURA TOMO NO YOROKOBI TOMO NO NAGEKI HITOTSU NARI 光日 上人 御返事 KŌNICHI SHŌNIN GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  It

百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る - Without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas

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本文 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、 文の心は 此の経を持つ人は 百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり きょう に いわく「もし ほう を きく こと あらん もの は ひとり と して じょうぶつ せざる こと なし」うんぬん、 もん の こころ は この きょう を たもつ ひと は ひゃくにん は ひゃくにん ながら・せんにん は せんにん ながら・ひとり も かけず ほとけ に なる と もうす もんなり 上野尼御前御返事 うえのあまごぜんごへんじ [鳥竜遺竜事] おりょういりょうのこと (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 法華経には「もし法華経を聞く事が有る者は、一人として成仏しないことはない」(若有聞法者無一不成仏;にゃくうもん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ)と書かれている。 この文章の意味は、法華経を受持する人は、誰もが自身の無限の可能性を開き、幸福な境涯をつかむことができるという文なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” This passage means that, if there are a hundred or a thousand people who uphold this sutra, without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas.   " Wu-lung and I-lung " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099 November, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 経 に 云く「若し 法 を 聞く こと 有らん 者 は 一 と して 成仏 せざ

言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり - Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice.

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本文 心に分別して思い言い顕す言語なれば 心の外には分別も無分別も無し、 言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり こころに ふんべつして おもい いい あらわす げんごなれば こころのほかには ふんべつも むふんべつも なし、 ことばと いうは こころの おもいを ひびかして こえを あらわすを いうなり 三世諸仏総勘文教相廃立 さんぜしょぶつそうかんもんきょうそうはいりゅう (563頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 心で分別した思いを言い表すのが言葉(言語)であるから、心の外に出た言葉には、分別も無分別もない。 言葉というのは心の思いを響かせて声に顕したものをいうのである。 言葉というものは、相手を思いやる心、敬う心、尊重する心、励ます心などの、自分の心の底から湧き上がる慈悲の思いを相手に届かせるために、堂々と、誠実に声に出して表現することである。 英語で御書 Gosho in English Words are what give expression to the distinctions that are thought of in the mind. Therefore, outside of the mind there are neither distinctions nor the absence of distinctions. Words echo the thoughts of the mind and find expression through the voice. " The Unanimous Declaration by the Buddhas  of the Three Existences regarding the Classification of the Teachings  and Which Are to Be Abandoned and Which Upheld " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 843 October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (libera

弓の つよくして つる よはく・太刀 つるぎ にて・つかう人の臆病なるやうにて候 - like a strong bow with a weak bowstring, or a fine sword in the hands of a coward.

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本文 御いのりの叶い候はざらんは 弓の つよくして つる よはく・太刀 つるぎ にて・つかう人の臆病なるやうにて候べし、 あへて法華経の 御とが にては候べからず おん いのり の かない そうらわざらん は ゆみ の つよく して つる よわく・たち つるぎ にて・つかう ひと の おくびょう なる よう にて そうろう べし、 あえて ほけきょう の おん とが にては そうろう べからず 王舎城事 おうしゃじょうじ (1138頁) 建治元年4月 (1275年) 通解(意訳) 祈りが叶わないのは、法華経という強い弓があっても、それを信じる心という弓のつるが弱く、妙法の利剣という最強の剣があっても、相手に立ち向かおうとせず、臆病であっては意味が無いようなものである。 このように、信心で自身の仏界を涌現させ、勇気と智慧を引き出そうという姿勢がないからであって、祈りが叶わないのは、決して法華経のせいではない。 英語で御書 Gosho in English The fact that her prayers have gone unanswered is like a strong bow with a weak bowstring, or a fine sword in the hands of a coward. It is in no sense the fault of the Lotus Sutra.  " The Royal Palace " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 488 April, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Why does your prayer not come true. The reason is that even if you have a strong bow called Lotus Sutra, you have weak faith which the bow string is weak. Also, if you are coward and yo

日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候わん - Not only am I, Nichiren, delighted, but I am sure that Shakyamuni Buddha is delighted as well.

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本文 いまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候 日蓮が悦び候のみならず釈迦仏 定めて御悦び候わん、 我則歓喜諸仏亦然は是なり いまにはじめぬおんこころざしもうしつくしがたくそうろう にちれんがよろこびそうろうのみならずしゃかぶつさだめておんよろこびそうらん、 がそくかんきしょぶつやくねんはこれなり 六郎次郎殿御返事 ろくろうごろうどのごへんじ [報二檀越書] ほうにだんのつしょ (1464頁) 建治3年3月19日  (1277年) 通解(意訳) 今に始まったのではない御志、申し尽くしがたい。 日蓮が喜んでいるだけでなく、釈迦仏もきっとお喜びであろう。 法華経見宝塔品第11に、「我(釈迦仏)は歓喜する。諸仏もまた同様である」とあるのはこれである。 英語で御書 Gosho in English This is not the first time you have shown such kindness and I do not know how to thank you. Not only am I, Nichiren, delighted, but I am sure that Shakyamuni Buddha is delighted as well. As the Lotus Sutra says, “I will surely rejoice and so will the other Buddhas.” " Reply to Rokurō Jirō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 680 in 19, March, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese いまに はじめぬ 御心ざし 申し つくし がたく 候 日蓮 が 悦び 候 のみならず 釈迦仏 定めて 御悦び 候わん、 我 則 歓喜 諸仏 亦 然 は 是 なり IMA NI HAJIMENU ON-KOKOROZASHI MŌSHI TSUKUSHI GATAKU SŌRŌ NICHIREN GA YOROKOBI SŌRŌ NOMINARAZU SHA

畜生の心は 弱きをおどし強きをおそる - It is the nature of beasts to threaten the weak and fear the strong.

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本文 畜生の心は 弱きをおどし強きをおそる ちくしょうの こころは よわきを おどし つよきを おそる 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (957頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 畜生(獣・動物:十界の畜生界)の心は、自分より弱い相手を脅したり、軽蔑したりする。しかし、強い相手に対しては恐れたり、媚びたりするのである。 英語で御書 Gosho in English It is the nature of beasts to threaten the weak and fear the strong. " Letter from Sado " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 302 in March, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 畜生 の 心 は 弱き を おどし 強き を おそる CHIKUSHO NO KOKORO WA YOWAKI WO ODOSHI TSUYOKI WO OSORU 佐渡 御書 SADO GOSHO [富木殿 等 御返事] TOKI DONO TOU GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

水は一なれども 果報に随つて別別なり - Though the water is the same, it appears differently according to one’s karmic reward from the past.

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本文 此の経の文字は 皆悉く 生身妙覚の御仏なり 然れども 我等は肉眼なれば文字と見るなり、 例せば 餓鬼は恒河を火と見る 人は水と見る 天人は甘露と見る 水は一なれども 果報に随つて別別なり この きょうの もじは みな ことごとく しょうじんみょうかくの みほとけ なり しかれども われらは にくがん なれば もじと みる なり、 れいせば がきは ごうかを ひ と みる ひとは みず と みる てんにん は かんろ と みる みず は いち なれども かほうに したがって べつべつ なり 曾谷入道殿御返事 そやにゅうどうどのごへんじ (1025頁) 文永12年3月 (1275) 通解(意訳) この法華経の文字は、一字一字のすべてがことごとく、生身の釈迦仏と同じであり、そのまま自身の仏性と同じなのである。しかしながら、我等は凡夫の肉眼なので、ただの文字だと見るのである。 例えば、餓鬼界の境涯の者は恒河(ガンジス河)を火と見て恐れる。人界の境涯の者は水と見る。天界の境涯の者は甘露と見る。 水は同じひとつのものであるけれども、見る者の境涯の違いによって、見え方は別々なのである 英語で御書 Gosho in English The characters of this Sutra are all without exception living Buddhas of perfect enlightenment. But because we have the eyes of ordinary people, we see them as characters. For instance, hungry spirits perceive the Ganges River as fire, human beings perceive it as water, and heavenly beings perceive it as amrita. Though the water is the same, it appears differently according to one’s karmic reward from the past.  " Reply to the Lay Priest Soya "

法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきが ごとし - The lotus Sutra is like the indigo, and the strength of one's practice is like the deepening blue.

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本文 法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、 天台云く、「従藍而青」云云、此の釈の心は あい は葉のときよりも・なを そむれば・いよいよ あをし、 法華経は あい のごとし 修行のふかきは・いよいよ あをき が ごとし ほけきょうの ほうもんを きくに つけて・なお なお しんじんを はげむを・まことの どうしんしゃ とは もうすなり、 てんだい いわく、「じゅうらんにしょう」うんぬん、この しゃくの こころは あいは はの ときよりも・なお そむれば・いよいよ あおし、 ほけきょうは あいの ごとし しゅぎょうの ふかきは・いよいよ あおきが ごとし 上野殿後家尼御返事 うえのどのごけあまごへんじ [地獄即寂光御書] じごくそくじゃっこうごしょ (1505頁) 文永11年7月 (1274年) 通解(意訳) 法華経の教えを聞くごとにつけて、今よりさらに信心の修行に励むのを、真の信仰者というのである。 天台大師は「藍よりして而も青し(あい よりして しかも あおし)」といわれている。 この「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の意味は、藍は葉の時よりも、繰り返し染めれば染めるほど、いよいよ青さが増していく、という意味である。 法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍が染めるに従って、ますます青くなるようなものである。 謝辞 ~ 日替わり御書 6周年記念 日替わり御書 DAILY-GOSHO を読んで頂き、本当にありがとうございます。 2015年3月16日から始めた「日替わり御書 - Daily Gosho」が、今年で6周年を迎えることができました。 一人でもいいから、御書に触れていただくお手伝いができればいいな、という思いから始めた日替わり御書ですが、おかげさまで、DAILY-GOSHOは50万アクセスを達成しました。 今後ももっとお役に立てるよう、頑張ってまいります。 今後とも、「日替わり御書 - Daily Gosho」をよろしくお願いします。 2021年3月16日 日替わり御書  twitter @daily-gosho 追伸: 引き続き、北極圏と南極大陸からのアクセスをお待ちしております! 英語で御書 Gosho in English On hearing the teachin

夫れ仏法と申すは勝負をさきとし - Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat

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本文 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、 故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり それ ぶっぽう と もうす は しょうぶ を さき とし、おうほう と もうす は しょうばつ を もと と せり、 ゆえ に ほとけ をば せおう と ごう し おう をば じざい と なづけたり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [世雄御書] せおうごしょ (1165頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) そもそも仏法というものは勝負を第一とし、王法というものは賞罰を根本としている。 故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat, while secular authority is based on the principle of reward and punishment. For this reason, a Buddha is looked up to as the Hero of the World, while a king is called the one who rules at his will.  " The Hero of the World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 835 in 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、 故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり SORE BUP'PŌ TO MŌSU WA SHŌBU WO SAKI TOSHI, Ō-HŌ TO MŌSU WA SHŌ-BATSU WO MOTO TO SERI, YUE NI HOTOKE WOBA SEŌ TO GOU SHI Ō WOBA JIZAI TO NAZUKETARI 四条金吾殿御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [世雄御書] SE-Ō

苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき - Suffer what there is to suffer, enjoy what there is to enjoy

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本文 世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず、 ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、 これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ せけん の るなん きたる とも・とりあえ たもう べからず、けんじん・しょうにん も この こと は のがれず、 ただ にょうぼう と さけ うちのみて なんみょうほうれんげきょう と・となえ たまえ、 く をば く と さとり らく をば らく と ひらき くらく とも に おもい あわせて なんみょうほうれんげきょう と うちとなえ させたまえ、 これ あに じじゅほうらく に あらずや、いよいよ ごうじょう の しんりき を いたし たまへ 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 世間の種々な難がおこっても、とりあってはいけない。賢人や聖人であっても、人生を生きる上で起こる困難からは逃れる事はできないのである。ただ女房と酒でも飲みかわして、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。 苦しい時は苦しいままに、楽しい時は楽しいままに、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきって、今世の人生を存分に楽しみなさい。 これこそ自受法楽であり、自ら仏の悟りの法を受け、現世を楽しむ事ができる絶対的幸福ではないか。ますます強盛の信心をしていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Though worldly troubles may arise, never let them disturb you. No one can avoid problems, not even sages or worthies. Drink sake only at home with your wife, and chant Nam-myoho-renge-kyo. Suffer what there is to suffer, enjoy what there is to enjoy. Regard both suffering and j