夫れ仏法と申すは勝負をさきとし - Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat
本文
夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、
故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり
それ ぶっぽう と もうす は しょうぶ を さき とし、おうほう と もうす は しょうばつ を もと と せり、
ゆえ に ほとけ をば せおう と ごう し おう をば じざい と なづけたり
四条金吾殿御返事
しじょうきんごどのごへんじ
[世雄御書]
せおうごしょ
(1165頁)
建治3年
(1277年)
通解(意訳)
そもそも仏法というものは勝負を第一とし、王法というものは賞罰を根本としている。
故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat, while secular authority is based on the principle of reward and punishment.
For this reason, a Buddha is looked up to as the Hero of the World, while a king is called the one who rules at his will.
" The Hero of the World "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 835
in 1277.
Gosho in Japanese
夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、
故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり
SORE BUP'PŌ TO MŌSU WA SHŌBU WO SAKI TOSHI, Ō-HŌ TO MŌSU WA SHŌ-BATSU WO MOTO TO SERI,
YUE NI HOTOKE WOBA SEŌ TO GOU SHI Ō WOBA JIZAI TO NAZUKETARI
四条金吾殿御返事
SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI
[世雄御書]
SE-Ō GOSHO
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