母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり - I have shown the kind of compassion that a mother does when she labors to put milk into the mouth of her infant child.
本文
今 日蓮は 去ぬる 建長五年 癸丑 四月二十八日より 今年 弘安三年 太歳庚辰 十二月にいたるまで 二十八年が間 又 他事なし、
只 妙法蓮華経の七字五字を 日本国の一切衆生の口に入れんと はげむ計りなり、
此れ 即 母の赤子の口に乳を入れんと はげむ慈悲なり
いま にちれんは いぬる けんちょう ごねん みずのとうし しがつ にじゅうはちにち より ことし こうあん さんねん かのえたつ じゅうにがつ に いたるまでに じゅうはちねんかん が あいだ また たじ なし、
ただ みょうほうれんげきょう の しちじごじ を にほんこくの いっさいしゅじょうの くちに いれんと はげむばかり なり、
これ そく ははの あかごの くちに ちちを いれんと はげむ じひ なり
諫暁八幡抄
かんぎょうはちまんしょう
(585頁)
弘安3年12月
(1280年)
通解(意訳)
今、日蓮は、立宗宣言をした去ぬる建長5年4月28日から、今年弘安3年12月に至るまで28年の間、一切衆生を救う事以外の他事は一切なく、
ただ、妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入ようと励んできただけである。
これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする、親の慈悲と同じである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Now for the past twenty-eight years, since the fifth year of the Kenchō era [1253], cyclical sign mizunoto-ushi, the twenty-eighth day of the fourth month,25 until the present, the twelfth month of the third year of the Kōan era [1280], cyclical sign kanoe-tatsu,
I, Nichiren, have done nothing else, but have labored solely to put the five or seven characters of Myoho-renge-kyo into the mouths of all the living beings of the country of Japan.
In doing so, I have shown the kind of compassion that a mother does when she labors to put milk into the mouth of her infant child.
" On Reprimanding Hachiman "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 931
December, 1280.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
今 日蓮は 去ぬる 建長五年 癸丑 四月二十八日より 今年 弘安三年 太歳庚辰 十二月にいたるまで 二十八年が間 又 他事なし、
只 妙法蓮華経の七字五字を 日本国の一切衆生の口に入れんと はげむ計りなり、
此れ 即 母の赤子の口に乳を入れんと はげむ慈悲なり
IMA NICHIREN WA INURU KENCHŌ GONEN MIZUNOTO-USHI SHIGATSU NIJŪHACHI NICHI YORI KOTOSHI KOUAN SANNEN KANOE-TATSU JŪNIGATSU NI ITARUMADE NI JŪHACHINENKAN GA AIDA MATA TAJI NASHI,
TADA MYOHO-RENGE-KYONO SHICHIJI-GOJI WO NIHONKOKU NO IS'SAI SHUJŌ NO KUCHI NI IREN TO HAGEMU BAKARI NARI,
KORE SOKU HAHA NO AKAGO NO KUCHI NI CHICHI WO IREN TO HAGEMU JIHI NARI
諫暁八幡抄
KANGYŌ HACHIMAN SHŌ
コメント
コメントを投稿
誰でもコメントができるようになりました。
匿名コメントも可能ですので、気軽にコメントできます。