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2月, 2021の投稿を表示しています

仏と申す事も我等の心の内にをはします - The Buddha dwells within our hearts.

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本文 仏と申す事も 我等の心の内に をはします・譬へば 石の中に火あり 珠の中に財のあるがごとし、 我等 凡夫は まつげの ちかき と 虚空の とをき とは見候事なし、 我等が 心の内に 仏は をはしましけるを 知り候はざりけるぞ ほとけと もうす ことも われらの こころの うちに おわします・たとえば いしの なかに ひ あり たまの なかに たからの あるが ごとし、 われら ぼんぷは まつげの ちかきと こくうの とおき とは み そうろう ことなし、 われらが こころの うちに ほとけは おわしましけるを しりそうらわざりけるぞ 十字御書 むしもちごしょ (1491頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 仏というのも私達の心のなかにいらっしゃるのである。たとえば、火打ち石の中に火種の元があり、珠の原石の中に財宝があるようなものである。 我ら凡夫は、まつげが近くにある事と、虚空が遠くにある事は見ることができない。 同じように、私達の心の中に仏がおられるのを知らないでいたのである。 英語で御書 Gosho in English The Buddha dwells within our hearts. For example, flint has the potential to produce fire, and gems have intrinsic value. We ordinary people can see neither our own eyelashes, which are so close, nor the heavens in the distance. Likewise, we do not see that the Buddha exists in our own hearts. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 January, 1281. Gosho in Japanese 仏と申す事も 我等の心の内に をはします・譬へば 石の中に火あり 珠の中に財のあるがごとし、 我等 凡夫は まつげの ちかき と 虚空の とをき とは

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in J

正像には西より東に向い末法には東より西に往く- It spread from west to east in the Former and Middle Days of the Law, but will travel from east to west in the Latter Day.

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本文 月は西より出でて東を照し 日は東より出でて西を照す 仏法も又 以て是くの如し 正像には 西より東に向い 末法には 東より西に往く つき は にし より いでて ひがし を てらし ひ は ひがし より いでて にし を てらす ぶっぽう も また もって かくの ごとし しょうぞう には にし より ひがし に むかい まっぽう には ひがし より にし に ゆく 顕仏未来記 けんぶつみらいき (508頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた、この大宇宙の法則の通りである。 正法・像法時代には、仏法は西のインドから、中国、朝鮮、日本へと東へ伝わり、代わりにその国々の仏法は、本質を失って形骸化してしまった。 しかし、釈尊の説いた法華経に予言された通り、末法に入ったなら、東の国・日本で、地涌の菩薩である法華経の行者が出現し、仏法の真髄である『南無妙法蓮華経』の大仏法を説き明かし、東のこの日本から西へと流布し、世界中に広く流布されてゆくのである。 *これを「仏法西還」といいます 英語で御書 Gosho in English The moon appears in the west and sheds its light eastward, but the sun rises in the east and casts its rays to the west. The same is true of Buddhism. It spread from west to east in the Former and Middle Days of the Law, but will travel from east to west in the Latter Day. " On the Buddha’s Prophecy " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 401 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The moon appea

竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道 - The dragon king’s daughter attained Buddhahood, it opened up the way to attaining Buddhahood for all women of later ages

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本文 挙一例諸(こ いち れい しょ)と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし こいちれいしょ と もうして りゅうにゅ が じょうぶつ は まつだい の にょにん の じょうぶつ おうじょう の みち を ふみ あけたる なるべし 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (233頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 「一つを挙げて諸々に通じる例とする」と申して、竜女の成仏は末法の女人の成仏・往生の道を踏みあけたものである。 英語で御書 Gosho in English “One example that stands for all the rest.” When the dragon king’s daughter attained Buddhahood, it opened up the way to attaining Buddhahood for all women of later ages. " The Opening of the Eyes " Part two. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 268 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 挙一例諸(こ いち れい しょ)と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし KO-ICHI-REI-SHO TO MOUSHITE RYŪNYO GA JŌBUTSU WA MATSUDAI NO NYONIN NO JŌBUTSU NO MICHI WO FUMIAKETARU NARUBESHI 開目抄・下  KAIMOKUSHŌ・GE [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] NIN HONZON KAIKEN NO SHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" &q

一切衆生の盲目をひらける功徳あり - It has the beneficial power to open the blind eyes of every living being

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日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。 日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。   この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-myoh

身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず - I follow him in my actions, I will never follow him in my heart.

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本文 王地に生れたれば 身をば随えられたてまつる やうなりとも 心をば随えられ たてまつるべからず おうち に うまれたれば み をば したがえ たてまつる よう なりとも こころ を したがえられ たてまつる べからず 撰時抄 せんじしょう (287頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 王地(権力者が支配している場所)に生まれて、体の自由は奪われ、支配されているようであっても、強い一念があれば、心の自由を奪われ、支配されることは誰にもできないのである。 ※ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界中の人権闘争を編纂した『語録 人間の権利』にも収録されている、世界的にも有名な御文です。 英語で御書 Gosho in English Even if it seems that, because I was born in the ruler’s domain, I follow him in my actions, I will never follow him in my heart. " The Selection of the Time " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 579 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This Gosho, the Nichiren's words: " Even if it seems that, because I was born in the ruler's domain, I follow him in my actions, I will never follow him in my heart. " : are quieted in Birthright of Man: Selected Texts, published in 1968 by UNESCO [ United Nations Educational Scientific and Cultural Organization] to commem

仏の種は 法華経より外になきなり - the seeds of Buddhahood exist nowhere apart from the Lotus Sutra.

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本文 とてもかくても 法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし 謗ぜん者は 毒鼓の縁となって仏になるべきなり、 何にとしても  仏の種は 法華経より外になきなり とてもかくても ほけきょう を しいて とき きかす べし、しんぜん ひと は ほとけ に なるべし ぼうぜん もの は どっく の えん と なって ほとけ に なるべき なり、 いかにとしても ほとけ の たね は ほけきょう より ほか に なきなり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (552頁) 建治3年3月 (1277年) 通解(意訳) とにもかくにも、法華経を強いて 説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る(そしる)者は 、涅槃経にある毒鼓の縁(どっく の えん、毒を塗った太鼓を叩くと、聞く人も聞こうとしない人も、その音を聞いた者は皆死ぬ=煩悩を滅し、法華経への道を得る)、逆縁となって仏になるのである。 どちらにしても仏の種は、法華経よりほかにはないのである。 相手が聞くか聞かないかはともかく、「自分の勇気を強く奮い立たせて、誠実に粘り強く」あえて信心の事を語り、信心の種を相手に植え付ける(下種していく)べきである。すぐにその種が芽生える人(発心下種・ほっしんげしゅ)もいれば、すぐには芽生えない人(聞法下種・もんぽうげしゅ)もいる。 どちらにしても、種はまいているのだから、必ず相手が信心をする時がくる。折伏の結果は相手ではなく、自分の一念次第なのである。 英語で御書 Gosho in English One should by all means persist in preaching the Lotus Sutra and causing them to hear it. Those who put their faith in it will surely attain Buddhahood, while those who slander it will establish a “poison-drum relationship” with it and will likewise attain Buddhahood. In any event, the seeds of Buddhahood exist no

設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし - Whatever trouble occurs, regard it as no more than a dream, and think only of the Lotus Sutra.

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本文 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし、 中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが 今は前前いひをきし事既にあひぬれば よしなく謗ぜし人人も悔ゆる心あるべし、 設いこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず たとい・いかなる・わずらわしきこと ありとも ゆめに なして ただ ほけきょう の こと のみ さわぐらせ たもうべし、 なかにも にちれんが ほうもんは いにしえ こそ しんじ かたかりしが いまは さきざき いいおきしこと すでに あいぬれば よしなく ぼうぜし ひとびとも くゆる こころ あるべし、 たとい これより のちに しんずる なんにょ ありとも おのおのには かえ おもう べからず 兄弟抄 きょうだいしょう (1080頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) たとえ、心を煩わせるような悩みや苦難があったとしても、これを夢と思って、ただ法華経の修行のことだけを思索し、専念していきなさい。 なかでも、日蓮の法門は、以前には信じ難かったが、今は前々から言っておいたことが的中したので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているであろう。たとえ、これより後に法華経を信ずる男女があっても、あなた方に替えて思うことはできない。 英語で御書 Gosho in English Whatever trouble occurs, regard it as no more than a dream, and think only of the Lotus Sutra. Nichiren’s teaching was especially difficult to believe at first, but now that my prophecies have been fulfilled, those who slandered without reason have come to repent. Even if in the future other men and women become my believers, they will not replace you in my heart. " Letter to the Bro

今生人界の思出なるべき - that will remain as the only memory of your present life in this human world.

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本文 願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ 只 今生の 名聞・後世の弄引なるべけれ 須く 心を一にして 南無妙法蓮華経と 我も唱へ 他をも 勧んのみこそ 今生人界の 思出 なるべき ねがわく は「げんせ あんのん・ごしょう ぜんしょ」の みょうほうを たもつ のみ こそ ただ こんじょうの みょうもん・ごせ の ろういん なるべけれ すべからく こころ を いつ に して なんみょうほうれんげきょう と われも となえ た をも すすめん のみ こそ こんじょう にんかい の おもいで なるべき 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (467頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) 願くは「現世は安穏であり、後生は善処に生れる」と仰せの妙法を持つことのみが、ただ今世での真の名誉であり、未来世では成仏の手引きとなるのである。是非とも心を定めて、南無妙法蓮華経と真剣に祈り、勇気を持って他人にも勧めることが、人間として今生に生まれてきた思い出となるのである。 人生最高の思い出 「この世に生まれて、一体何人の人を幸福にしたか。 何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。 人生、最期に残るのは、最期の生命を飾るのは、それではないだろうか。」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English I pray that you will embrace the Mystic Law, which guarantees that people “will enjoy peace and security in their present existence and good circumstances in future existences.” This is the only glory that you need seek in your present lifetime, and is the action that will draw you toward Buddhahood in your next existence. Single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo and urge others to do the same; th

此の繩にとりつかば 我れ岸の上に引き登さん - If you take hold of this rope, I will pull you up to the top of the embankment

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本文 高き岸の下に人ありて 登ること あたはざらんに 又岸の上に人ありて 繩をおろして 此の繩にとりつかば 我れ岸の上に引き登さんと 云はんに 引く人の力を疑い 繩の弱からん事をあやぶみて 手を納めて 是を とらざらんが 如し 争か岸の上に登る事を うべき、 若し其の詞に随ひて 手をのべ 是をとらへば 即ち 登る事を うべし たかき きし の した に ひと ありて のぼる こと あたはざらん に また きし の うえ に ひと ありて なわ を おろして この なわ に とりつかば われ きし の うえ に ひきのぼさん と いわんに ひく ひと の ちから を うたがい なわ の よわからん こと を あやぶみて て を おさめて これ を とらざらん が ごとし いかでか きし の うえ に のぼる こと を うべき、 もし その ことば に したがいて て を のべ これ を とらえば たちまち のぼる こと を うべし 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (464頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) (法華経を信じないというのは、)たとえば高い岸壁の下に人がいて、その岸壁を登ることができないでいる時に、また岸壁の上に人がいて、繩を下ろして、 「この繩に捕まれば、私が岸の上に引いて登らせよう」というのに、 引く人の力を疑い、繩が弱くて切れるのではないかと危ぶんで、手を出さず、縄を取らないようなものである。 相手の力と縄の強さを信じずに、どうして岸の上に登ることができようか。 もしその人の言葉に随って、手を差し出し縄をつかめば、即ちに登ることができるのである。 このように、まず法華経のことを信じることから、即身成仏への直道を得ることができる(以信得入・い しん とく にゅう、信を以って仏への直道へ入る事を得る)のである。 英語で御書 Gosho in English Suppose that a person is standing at the foot of a tall embankment and is unable to ascend. And suppose that there is someone on top of the embankment who lowers a rope

心の師とはなるとも心を師とすべからず - one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.

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本文 相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからず と 仏は記し給ひしなり、 法華経の御為に 身をも捨て 命をも惜まざれ と 強盛に申せしは 是なり あいかまえ あいかまえて こころ の し とは なる とも こころ を し と すべからず と ほとけ は しるし たまいし なり、 ほけきょう の おん ために み をも すて いのち をも おしまざれ と ごうじょう に もうせし はこれなり 義浄房御書 ぎじょうぼうごしょ [己心仏界抄] こしんぶっかいしょう (892頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) よくよく心して、揺らぎやすい自身の心を、師匠の教え通りに自身の心とはしても、自分のわがままな心や臆病な心など、自分の心を師匠としてはならない、と釈尊は経文に記されている。 「法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないように」と強盛に教えてきたのは、このことである。 この師匠の教えの通りに実践するのが本当の弟子であり、本当の師弟である。 英語で御書 Gosho in English The Buddha wrote that one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself. This is what I mean when I emphatically urge you to give up even your body, and never begrudge even your life for the sake of the Lotus Sutra. " Letter to Gijō-bō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 390 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 相構へ 相構へて 心 の 師 とは なるとも 心 を 師 と すべからず と 仏 は 記し 給ひし なり、 法華経 の 御為 に 身 をも 捨て 命 をも 惜まざれ と 強盛 に 申せし は 是 なり AI

法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり - No treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra

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本文 末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、 若し然れば 貴賤上下をえらばず 南無妙法蓮華経と・となうるものは 我が身 宝塔にして 我が身 又 多宝如来なり、 妙法蓮華経より外に 宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり 宝塔 又 南無妙法蓮華経なり まっぽう に いって ほけきょう を たもつ なんにょ の・すがた より ほか には ほうとう なき なり、 もし しかれば きせん じょうげ を えらばず なんみょうほうれんげきょう と・となうる もの は わが み ほうとう に して わが み また たほうにょらい なり、 みょうほうれんげきょう より ほか に ほうとう なき なり、ほけきょう の だいもく・ほうとう なり ほうとう また なんみょうほうれんげきょうなり 阿仏房御書 あぶつぼうごしょ [宝塔御書] ほうとうごしょ (1304頁) 文永9年3月(1272年) (建治2年(1279年)説有り) 通解(意訳) 末法に入って、法華経(御本尊)を持つ男女の姿より他には宝塔はない。 もしそうであれば、身分の貴さやいやしさ、立場の上と下といった差別なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身がそのまま宝塔であり、またその身が多宝如来(仏)なのである。 妙法蓮華経以外に宝塔はない。法華経の題目は南無妙法蓮華経が宝塔である。宝塔はまた南無妙法蓮華経なのである。  英語で御書 Gosho in English In the Latter Day of the Law, no treasure tower exists other than the figures of the men and women who embrace the Lotus Sutra. It follows, therefore, that whether eminent or humble, high or low, those who chant Nam-myoho-renge-kyo are themselves the treasure tower, and, likewise, are themselves the Thus Come One Many Treasures. No treasure tower exis

今一重強盛に御志あるべし - Now you must strengthen it more than ever.

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本文 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、 人の心かたければ 神のまほり必ずつよしとこそ候へ、 是は御ために申すぞ 古への御心ざし申す計りなし・其よりも 今 一重強盛に御志あるべし されば みょうらくたいし のたまわく 「かならず こころ の かたき に よりて かみ の まもり すなわち つよし」とう うんぬん、 ひと の こころ かたければ かみ の まほり かならず つよし と こそ そうらえ、 これ は おん ため に もうす ぞ いにしえ の おん こころざし もうす ばかり なし・それよりも いま いちじゅう ごうじょう に おん こころざし あるべし 乙御前御消息 おと ごぜん ごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう  (1220頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) (諸天善神が法華経を信ずる人を守護することは間違いないとの道理と先例を挙げて) それゆえに、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言われている。 その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということである。 これは、あなたのために申し上げるのである。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができない。しかし、それよりもなお一層、強盛に信心をしていきなさい。 英語で御書 Gosho in English That is why the Great Teacher Miao-lo stated, “The stronger one’s faith, the greater the protection of the gods.” So long as one maintains firm faith, one is certain to receive the great protection of the gods. I say this for your sake. I know your faith has always been admirable, but now you must strengthen it more than ever.  " The Supremacy of the Law " "The W

始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり - One who perseveres through great persecutions and embraces the sutra from beginning to end is the Thus Come One’s emissary

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本文 経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」 八巻・一巻・一品・一偈の人 乃至 題目を唱うる人・如来の使なり、 始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり きょう に いわく「のうせつ のうきょう・のうじ のうきょう の ひと・すなわち にょらい の つかい なり」 はっかん・いっかん・いっぽん・いちげ の ひと ないし だいもく を となうる ひと・にょらい の つかい なり、 し ちゅう じゅう すてず して だいなん を・とおす ひと・にょらい の つかい なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [源遠長流御書] ごんおんちょうりゅうごしょ (1181~1182頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) 法華経法師品第十に「能く此の経を説き、能く此の経を受持する人は仏の使いである」と説かれている。法華経の全八巻、一巻、一品、一偈でも読み上げる人(現代での勤行)から、南無妙法蓮華経の題目を唱え、法華経を受持している人は如来の使いである。 さらに信心を始めた時、それからの人生の途中、そして臨終の最期まで、生涯、妙法を捨てずに、どのような大難を受けても信心を貫き通す人は如来の使いである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states that one who “can preach this sutra” or who “can uphold this sutra” is “the envoy of the Thus Come One.” In other words, one who embraces the eight volumes, or a single volume, chapter, or verse, of the Lotus Sutra, or who chants the daimoku, is the Thus Come One’s emissary. Also, one who perseveres through great persecutions and embraces the sutra from beginning to end is the Thus Come One’s emissary. " The Fa

すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし - Should you slacken in your resolve even a bit, devils will take advantage.

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本文 設い大鬼神の つける人なりとも 日蓮をば 梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給う ゆへに ばつしがたかるべし と 存じ給うべし、 月月・日日につより給へ・すこしも たゆむ心あらば 魔 たよりを うべし。 我等 凡夫の つたなさは 経論に有る事と 遠き事は おそるる心なし たとい だいきじん の つける ひと なりとも にちれん をば ぼんしゃく・にちがつ・してんとう・てんしょうだいじん・はちまん の しゅご し たもう ゆへに ばっし がた かるべし とぞんじ たもうべし、 つきづき・ひび に つより たまへ・すこし も たゆむ こころ あらば ま たより を うべし、 われら ぼんぷ の つたなさ は きょうろん に ある こと と とおき こと は おそるる こころ なし 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) たとえ大鬼神が取りついている人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王、天照太神・八幡大菩薩等、あらゆる諸天善神が守護されているゆえに、誰にも罰することはできないのだと確信していきなさい。 同じように、自分にも諸天の守護があるのだと確信して、月々日々に、常に信心を奮い起していきなさい。少しでも信心にゆるむ心が出てくれば、三障四魔がその心の隙をたよりにして、紛れて襲ってくるであろう。 我々凡夫の拙なさとして、経文に難が競うと説かれている事を常に教えているが、自分に大難が襲ってくる事などという事は、自分には縁遠い他人事として、大難を恐れる心がない。 これが信心の心が緩む一例であり、いざ自分に難が襲った時には、退転する原因となってしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Not even a person possessed by a powerful demon, can harm Nichiren, because Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, the Sun Goddess, and Hachiman are safeguarding him. Strengthen your faith day by d

況滅度後の大難の三類甚しかるべし - The great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing.

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本文 されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし 況滅度後(きょう めつ ど ご)の大難の三類甚しかるべし されば この きょう を ちょうもん し はじめん ひ より おもい さだむ べし きょうめつ どご の だいなん の さんるい はなはだし かるべし 如説修行抄 にょせつしゅぎょうしょう (501頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経の修行を真剣に始めようとするなら、この法華経を聞いたその日から、覚悟を定めなさい。 末法には、猶多怨嫉・況滅度後(ゆ た おん しつ・きょう めつ ど ご、釈尊在世の世でさえ猶(なお)、怨みや嫉妬が多い。況や滅度の後をや)と経文にある。 このように、釈尊在世以上に、在家の男女(俗衆増上慢)、出家の僧侶(道門増上慢)、世間的には聖人のように振る舞っているが、本心は名誉や財産に執着し、偽善を行っている僧侶(僭聖増上慢)の、三種類の強敵が、はなはだしく現われるのである  英語で御書 Gosho in English Therefore, from the very day you listen to [and take faith in] this sutra, you should be fully prepared to face the great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing. " On Practicing the Buddha’s Teachings " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 391 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Three types of enemies (1) “The arrogance and presumption of lay people” or arrogant lay people. (2) “The a

よからんは不思議わるからんは一定とをもへ - be prepared for the worst, and not to expect good times, but take the bad times for granted.

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本文 ただ一えん(円)に おもい切れ・よからんは不思議 わるからんは 一定と をもへ ひだるし と をもわば餓鬼道を をしへよ、さむし と いわば 八かん地獄を をしへよ、 をそろしし と・いわば たか に あへる きじ ねこ に あえる ねずみを 他人と をもう事なかれ ただ いちえん に おもいきれ・よからん は ふしぎ わるからん は いちじょう と おもえ ひだるし と おもわば がきどう を おしえよ、さむし と いわば はっかん じごく を おしえよ、 おそろしし と・いわば たか に あえる きじ ねこ に あえる ねずみ を たにん と おもう こと なかれ 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190~1191頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) (迫害を受けている熱原地方の農民門下達に対しての指導) ただ一途に、信心を貫き通すのだと決意しなさい。 善い結果になる方が不思議であり、悪い結果になる方が当然と考え、しっかりと用心しなさい。 妙法(不思議な法)で大悪も大善へと変革できるのだから、信じ切って悠々と題目を唱え、信行学を実践し、実証を示していきなさい。 空腹だと思うようであれば、餓鬼道の苦しみを教えよ(=学びなさい)。寒いと言うのであれば、八寒地獄の苦しみをを教えよ。 恐ろしいと言うのであれば、鷹に遭った雉(きじ)、猫に遭った鼠(ねずみ)を他人事と思わず、自分の事のように考えなさい。   英語で御書 Gosho in English Tell them to be prepared for the worst, and not to expect good times, but take the bad times for granted. If they complain of hunger, tell them about the sufferings of the world of hungry spirits. If they grumble that they are cold, tell them of the eight cold hells. If they say they are frightened, explain to them that a pheasant s