一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし - Nichiren declares that the sufferings that all living beings undergo,all springing from this one cause
本文
涅槃経に云く「一切衆生 異の苦 を 受くるは 悉く 是 如来一人の 苦なり」等云云、
日蓮云く 一切衆生の 同一苦は 悉く 是 日蓮一人の苦と申すべし
ねはんぎょう に いわく「いっさいしゅじょう いのく を うくる は ことごとく これ にょらい ひとり の く なり」とう うんぬん、
にちれん いわく いっさいしゅじょう の どういっく は ことごとく これ にちれん ひとり の く と もうすべし
諫暁八幡抄
かんぎょうはちまんしょう
(587頁)
弘安3年12月
(1280年)
通解(意訳)
涅槃経には「一切衆生の、異なる因縁や果報によって起こる種々さまざまな苦悩は、ことごとく、これ 如来一人の 苦である」等と説かれている。
日蓮も同じく「日本国の一切衆生が、皆同じ大謗法を犯すという大罪によって受ける苦しみは、ことごとく、これ日蓮一人の苦である」と言うのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
The Nirvana Sutra says, “The varied sufferings that all living beings undergo—all these are the Thus Come One’s own sufferings.”
And Nichiren declares that the sufferings that all living beings undergo, all springing from this one cause—all these are Nichiren’s own sufferings.
" On Reprimanding Hachiman "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 934
in December, 1280.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
涅槃経 に 云く「一切衆生 異 の 苦 を 受くる は 悉く 是 如来 一人 の 苦 なり」等 云云、
日蓮 云く 一切衆生 の 同一苦 は 悉く 是 日蓮 一人 の 苦 と 申す べし
NEHAN-GYŌ NI IWAKU「IS'SAI SHUJŌ I NO KU WO UKURU WA KOTOGOTOKU KORE NYORAI HITORI NO KU NARI」TOU UN-NUN,
NICHIREN IWAKU IS'SAI SHUJŌ DOUIK'KU WA KOTOGOTOKU KORE NICHIREN HITORI NO KU TO MŌSU BESHI
諫暁 八幡 抄
KANGYŌ HACHIMAN SHŌ
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