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過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか - It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this.

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本文 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、 「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ かこの しゅくえん おい きたって こんど にちれんが でしと なり たもうか・しゃか たほうこそ ごぞんじ そうらめ、 「ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう」よも そらごと そうらわじ 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1338頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去世からの宿縁に導かれて、今世に日蓮と同じ日本の国土に共に生まれ、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそご存知のことであろう。 法華経化城喩品第7に、「あらゆる場所の、あらゆる諸仏の国土に、常に師と同じ時・同じ場所に生まれる」(在在諸仏土常与師倶生、ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう)と書かれていることが、まさか嘘であるはずがない。 生死を貫く師弟の絆 「あなた(初代会長・牧口常三郎先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。  そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身でもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。 なんたるしあわせでございましょうか」 -戸田城聖 「この一言に私は感動した。 それと同じ心で私もまた戸田先生にお仕えしようと決めた。 師に捧げた、わが人生に一つの後悔もない」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this. Shakyamuni and Many Treasures certainly realized this truth. The sutra’s statement, “Those persons who had heard the Law dwelled here and there in various Buddha lands, constantly reborn i...

自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり - This Nam-myoho-renge-kyo encompasses both practice for oneself and the teaching of others.

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本文 末法に入て 今日蓮が唱る所の題目は 前代に異り 自行化他に亘りて 南無妙法蓮華経なり まっぽう に いって いま にちれん が となうる ところ の だいもく は ぜんだい に ことなり じぎょうけた に わたりて なんみょうほうれんげきょう なり 三大秘法禀承事 さんだいひほうぼんじょうのこと [三大秘法抄] さんだいひほうしょう (1022頁) 弘安4年4月 (1281年) 通解(意訳) 末法に入って、今日蓮が唱えている題目というのは、釈尊が法華経を顕してから、末法時代に入る前(正法、像法時代)に、悟りの境地を開いた一部の人だけが唱えることができた題目とは異なり、自分だけでなく他人にも勧める、「自行化他(自分も行い他人も教化する)」にわたって唱える南無妙法蓮華経なのである。 英語で御書 Gosho in English Now, however, we have entered the Latter Day of the Law, and the daimoku that I, Nichiren, chant is different from that of earlier ages. This Nam-myoho-renge-kyo encompasses both practice for oneself and the teaching of others.  " On the receiving of the Three Great Secret Laws "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.Vol.2, p. 986 in April, 1281. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  " -different from that of earlier ages." Only the person who could achieve Buddhahood could chant daimoku after Buddha publicizes a Lotus Sutra, the for...

魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば 悦ぶ事に候 - It is the way of the devil to delight in obstructing good and in causing the production of evil.

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本文 法華経の行者をば 第六天の魔王の必ず障うべきにて候、十境の中の魔境 此れなり 魔の習いは 善を障えて悪を造らしむるをば 悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば 力 及ばずして 善を造らしむ 又 二乗の行をなす物をば・あながちに怨をなして善をすすむるなり、 又 菩薩の行をなす物をば 遮つて 二乗の行をすすむ 是 後に 純円の行を一向になす者をば 兼別等に堕すなり ほけきょうの ぎょうじゃをば だいろくてんの まおう かならず ささう べきにて そうろう、 じっきょうの なかの まきょう これなり まの ならいは ぜんを ささえて あくを つくらしむるをば よろこぶことに そうろう、しいて あくをつくらざる ものをば ちから およばずして ぜんを つくらしむ また にじょうの ぎょうを なすものをば・あながちに あだを なして ぜんを すすむるなり、また ぼさつの ぎょうを なすものをば さえぎって にじょうの ぎょうをすすむ この のちに じゅんえんの ぎょうを いっこうに なすものをば けんべつとうに おとすなり 常忍抄 じょうにんしょう [稟権出界抄] ほんごんしゅっかいしょう (981頁) 建治3年10月 (1277年) 通解(意訳) 法華経の行者のことを、第六天の魔王が必ず妨げるのである。 天台大師が顕した「摩訶止観」にある、魔事境がこれにあたり、仏道修行の障げとなる種々の現象が起こるのである。 魔の習癖は、善い行い(善行)をしようとする者を妨げて、悪事をさせるのを悦ぶことにある。どうしても悪事を行わない者には、力が及ばずに善行をさせるが、天界・人界の六道(十界のうち、地獄界・餓鬼界・修羅界・人界・天界)に留まった善行をさせ、仏法と縁させないよう邪魔するのである。 また、法華経以外の小乗仏教(自分だけの悟りを得ようとする、声聞・縁覚界の仏教)の修行をする者には、ひたすら恨んで、仏法にまで及ばない天界・人界の善行をさせ、大乗仏教(他人にも悟りを得させようとする、菩薩界の仏道修行)をする者には、それを邪魔して、より劣った二乗仏教の修行をすすめる。 そして最後に、一切衆生に皆等しく仏性があると説いている、真の仏法である法華経を、説法通りに修行をする者には、法華経に別の教えや我見の解釈を加えたり、法華経の解釈を誤ったりした大謗法...

道理証文よりも現証にはすぎず - even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact.

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本文 日蓮 仏法をこころみるに 道理と証文とには すぎず、 又 道理 証文よりも現証にはすぎず にちれん ぶっぽう を こころみる に どうり と しょうもん と には すぎず、 また どうり しょうもん よりも げんしょう には すぎず 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 日蓮が様々な宗教の優劣・正邪を判断する際、その宗教の教義や主張に、道徳や人道といった道理にかなっており、普遍妥当性(ふへん だとうせい、条件や時間などにとらわれず、どのような場合にも常に当てはまる性質)があるかを問う「理証」と、 記録または文書などの証拠があり、どの経典や文献を根本としているかを問う「文証」で判断をする以上の方法はない。 さらに、その宗教の正しさが、現実社会や実生活で証明されて、現実を変える力を持っているかを問う「現証」に勝るものない。 英語で御書 Gosho in English In judging the relative merit of Buddhist doctrines, I, Nichiren, believe that the best standards are those of reason and documentary proof. And even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  When Nichiren Buddhism judges the superiority or evilness of various religions, the doctrines and insistences of the religions c...

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。   英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhah...

深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし - Arouse deep faith, and diligently polish your mirror day and night.

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本文 衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し 迷う時は衆生と名付け悟る時をば仏と名けたり、 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是を磨くとは云うなり しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし まよう ときは しゅじょうと なづけ さとる ときをば ほとけと なづけたり、 たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし、 ただいまも いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 衆生といっても仏といっても、また同様に2つの隔てがあるわけではない。迷う時は衆生と名付け、悟った時には仏と名付けるのである。 たとえば、曇っている鏡であっても、磨けば玉のように見えるようなものである。 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English It is the same with a Buddha and an ordinary being. When deluded, one is called an ordinary being, but when enlightened, one is called a Buddha. This is similar to...

大地の底にかくしをきたる真の弟子あり - The Buddha declared: My true disciples I have kept hidden in the depths of the earth

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本文 我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、 上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、 あなかしこ・あなかしこ・我が滅度の後・正法一千年・像法一千年に弘通すべからず、 われ ごひゃく じんてんこう より だいち の そこ に かくし おきたる しん の でし あり・これ に ゆずる べし とて、 じょうぎょうぼさつ ら を ゆしゅつぼん に めし ださせ たまいて、ほけきょう の ほんもん の かんじん たる みょうほうれんげきょう の ごじ を ゆずらせ たまいて、 あなかしこ・あなかしこ・わが めつど の のち・しょうほう いっせんねん・ぞうほう いっせんねん に ぐつう す べからず、 末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、 大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、 一閻浮提の人人・各各・甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、 諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、 まっぽう の はじめ に ほうぼう の ほうし いち えんぶだい に じゅうまん して しょてん いかり を なし すいせい は いってん に わたらせ だいち は おおなみ の ごとく おどらん、 だいかんばつ・たいか・たいすい・たいふう・だいえきびょう・だいききん・だいひょうらん とう の むりょうの だいさいなん ならび おこり、 いち えんぶだい の ひとびと・おのおの・かっちゅう を きて ゆみつえ を て に にぎらん とき、 しょぶつ・しょ ぼさつ・しょ だいぜんじん とう の おんちから の およばせ たまわざらん とき、 諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとく・しげからん時・ 此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏・記しをかせ給いぬ しょにん みな し して むげんじごく に おちる こと あめ の ごとく・しげ からん とき・ この ご じ の だい まんだら を み に たい し こころ に ぞん ぜば しょおう は くに を たすけ ばんにん は なん を のがれん、ないし ご...

此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へまいりあわせ給うなり - Persons who uphold this sutra, though they may be strangers to one another, will meet on Eagle Peak.

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本文 此の経を持つ人人は 他人なれども同じ霊山へ まいりあわせ給うなり、 いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし この きょう を たもつ ひとびと は たにん なれども おなじ りょうぜん へ まいり あわせ たもう なり、 いか に いわんや こ しょうりょう も との も おなじく ほけきょう を しんじさせ たまえば・おなじ ところ に うまれ させ たもうべし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [土餅供養御書] つちもちくようごしょ (1508~1509頁) 文永11年11月 (1274年) 通解(意訳) この経を受持する人々は、他人であっても同じ霊山へ参ってまた会うことができるのである。ましてや、故聖霊(南条時光の父・故南条兵衛七郎)も、殿(時光)も同じく法華経を信仰されているのだから、必ず同じ所にお生まれになるであろう。 英語で御書 Gosho in English Persons who uphold this sutra, though they may be strangers to one another, will meet on Eagle Peak. And how much more certain is it that you and your late father, because you both have faith in the Lotus Sutra, will be reborn there together! " On the Offering of a Mud Pie "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 500 in November, 1274. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You: Tokimitsu Nanjō who Famous youth leaders. Gosho in Japanese 此の 経 を 持つ 人人 は 他人 なれども 同じ 霊山 へ まいり あわせ 給う なり、 いか...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

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本文 始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ  五百品 ごひゃっぽん (788頁) 通解(意訳) 信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。 英語で御書 Gosho in English Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys. ==================================== The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra - 8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 211 to 212 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓...

信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし - Faith that is weak is like muddy water, while faith that is brave is like clear water.

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本文 其の上は 私に計り申すに及ばず候 叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず、 水すめば 月うつる 風ふけば 木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし 信の よはきは にごるがごとし、信心の・いさぎよきは すめるがごとし 木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ そのうえ は わたし に ばかり もうす に およばず そうろう かない かなわぬ は ごしんじん に より そうろう べし まったく にちれん が とが に あらず、 みず すめば つき うつる かぜ ふけば き ゆるぐ ごとく・みな の みこころ は みず の ごとし しん の よわき は にごる が ごとし、しんじん の・いさぎ よき は すめる が ごとし きは どうりの ごとし・かぜの ゆるがすは きょうもんを よむが ごとしと・おぼしめせ 日厳尼御前御返事 にちごんあまごぜんごへんじ (1262頁) 弘安3年10月 (1280年) 通解(意訳) 信心の功徳について、これを自分勝手の解釈で御本尊の功徳を推し量ってはならない。 日蓮が、あなたの願いをいくら祈ったところで、願いが叶うか叶わないかは、結局は全てあなたの御信心によるものであり、全く日蓮のせいではない。 例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れるように、人の心は水のようなものである。 信人が弱いのは、水が濁っているようなものであり、信心が強く潔いのは、水が澄んでいるようなものである。 木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすことは、朝夕の勤行・唱題を怠らず、信心を深めていく努力と、現実と向き合って、願いが成就するよう努力をする事である。 「題目をあげていればなんとかなる」と、自分が努力する事を怠れば、せっかく諸天が動いたとしても、願いは成就しない。 自分の信心を深め、行学を実践していきなさい。 仏法の道理である「南無妙法蓮華経」の御本尊を揺り動かすような実践の信心と同時に、現実を変えようとする努力をするところに、御本尊の功徳が顕れるのだと、しっかり心得ていきなさい。  英語で御書 Gosho in English Now there is no need to attempt to surmise yourself ...

「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」 - “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”

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本文 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、 文の心は 此の経を持つ人は 百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり きょう に いわく「もし ほう を きく こと あらん もの は ひとり と して じょうぶつ せざる こと なし」うんぬん、 もん の こころ は この きょう を たもつ ひと は ひゃくにん は ひゃくにん ながら・せんにん は せんにん ながら・ひとり も かけず ほとけ に なる と もうす もんなり 上野尼御前御返事 うえのあまごぜんごへんじ [鳥竜遺竜事] おりょういりょうのこと (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 法華経には「もし法華経を聞く事が有る者は、一人として成仏しないことはない」(若有聞法者無一不成仏:にゃくうもん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ)と書かれている。 この文章の意味は、法華経を受持する人は、誰もが自身の無限の可能性を開き、幸福な境涯をつかむことができるという文なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” This passage means that, if there are a hundred or a thousand people who uphold this sutra, without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas.  " Wu-lung and I-lung " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099 November, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 経 に 云く「若し 法 を 聞く こと 有らん 者 は 一 と して 成仏...

行学の二道をはげみ候べし- Exert yourself in the two ways of practice and study.

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本文 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、 我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし ぎょうがく の にどう を はげみ そうろう べし、ぎょうがく たえなば ぶっぽう は ある べからず、 われ も いたし ひと をも きょうけ そうらえ、ぎょうがく は しんじん より おこる べく そうろう、ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経(広宣流布)のために行動し、法華経のことを学んでいきなさい。行学が途絶えてしまえば、仏法はないのである。 自分も行い、人にも教えて導いていきなさい。行学は信心から起こるものである。 力があれば、行学で学んだことや体験などを、一文一句でも人に語っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Exert yourself in the two ways of practice and study. Without practice and study, there can be no Buddhism. You must not only persevere yourself; you must also teach others. Both practice and study arise from faith. Teach others to the best of your ability, even if it is only a single sentence or phrase.  " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 386 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Jambudvīpa: All of the World. Gosho in Japa...

日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし - If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-myoho-renge-kyo will spread for ten thousand years and more, for all eternity

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本文 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。  日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。 この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-m...

いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ - If I speak out, I am fully aware that I will have to contend with the three obstacles and four devils.

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本文 法華経・涅槃経等に 此の二辺を合せ見るに・ いはずば 今生は事なくとも 後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、 王難等・出来の時は 退転すべくは 一度に思ひ止るべしと 且くやすらいし程に 宝塔品の六難九易これなり ほけきょう ねはんぎょう に この にへん を あわせみる に いわずば こんじょう は こと なくとも ごしょう は かならず むけんじごく に おつ べし、いう ならば さんしょうしま かならず きそい おこる べし と・しりぬ、にへん の うち には・いう べし、 おうなん とう・しゅったい の とき は たいてん すべく は いちど に おもい とどまるべし と しばらく やすらいし ほど に ほうとうほん の ろくなんくい これ なり 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経・涅槃経等の文に、法華経を説くと様々な困難が競い起こる事について、言うか言わないのかの二辺を合わせ見るに、 言わないならば、今生には事がないけれども後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。 言うならば、三障四魔が競い起こってこれを妨げるのであるということがわかった。 この二辺の中には言うべきである。 しかし王難等の大迫害が起きたなら、一度に思いとどまるであろうと、しばらく考えつつある時に、思い当たったのが宝塔品の六難九易である。 英語で御書 Gosho in English I have considered which course to take in the light of the teachings of the Lotus and Nirvana sutras. If I remain silent, I may escape persecutions in this lifetime, but in my next life I will most certainly fall into the hell of incessant suffering. If I speak out, I am fully aware that I w...

甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず - Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong

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本文 夫れ 木をうえ候には 大風吹き候へども つよき すけを かひぬれば・たうれず、本より生いて候 木なれども 根の弱きは・たうれぬ、 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず、すこし健の者も 独なれば悪しき みちには・たうれぬ それ き を うえ そうろう には おおかぜ ふき そうらえども つよき すけ を かい ぬれば・たうれず、もと より おいて そうろう き なれども ね の よわき は・たうれぬ、 かい なき もの なれども・たすくる もの つよければ たうれず、すこし けなげ の もの も ひとり なれば あしき みち には・たうれぬ 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) そもそも、木を植えた場合、大風が吹いたとしても、強い支柱で支えてあれば倒れない。元々生えていた木であっても、根が弱ければ倒れてしまう。 弱くて不甲斐ない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。すこし強くで頑強な者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまうのである。 善き友 『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄り添って、その苦しい『心音』に耳を傾けてあげなければ。  そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English When a tree has been transplanted,though fierce winds may blow, it will not topple if it has a firm stake to hold it up. but even a tree that has grown up in place may fall over if its roots are weak. Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong, but a person of considerable strength, when alone, may fall down...

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ] ...

大人には・いのりなしまいらせ候べし - Calmly continue to offer prayers.

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本文 此の法門の一行 いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、 大人には・いのりなしまいらせ候べし この ほうもん の いっこう いかなる ほんい なき こと ありとも・みず きかず・いわず して・むつばせ たまえ・だいにん には・いのり なし まいらせ そうろべし 陰徳陽報御書 いんとくようほうごしょ (1178頁)  弘安元年 (1278年) 通解(意訳) この法門の人々とは、たとえどんな不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。 おだやかにして、祈っていきなさい。 たがいに尊敬し仲良く前進 (リーダーの心がけとして)当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなければならない。 そのうえで、私的なことについては、いちいちこまかく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。 人それぞれに個性があり、生き方がある。 生活環境も違う。 たがいに尊重しあい、仲良くしていくことこそが大事である。(中略) たとえ不本意なことがあっても、広々とした心で、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信心に立てるよう激励していくことである。 また大きな立場から、成長を祈ってあげることである。 そうしていけば、本人の信心の深化とともに、しだいに人間的にも成長をめざしていくにちがいない。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you. Calmly continue to offer prayers.  " Unseen Virtue and Visible Reward "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.907 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal trans...