南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.
本文
始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり
はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり
御義口伝
おんぎくでん
廿八品に一文充の大事
にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ
五百品
ごひゃっぽん
(788頁)
通解(意訳)
信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.
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The Essential Passage in Each of
the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra
- 8. Prophecy of Enlightenment
for Five Hundred Disciples
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
Part 2, p. 211 to 212
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[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓喜 なり
HAJIMETE WAGA KOKORO HONRAI NO HOTOKE NARI TO SHIRU WO SUNAWACHI DAI-KANKI TO NAZUKU IWAYURU NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA KANKI NO NAKA NO DAI-KANKI NARI
御義口伝
ON-GI-KUDEN
廿八品に一文充の大事
NI-JŪ HAP'PON NI ICHI-MON ZUTSU NO DAIJI
五百品
GOHYAP'PON
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