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南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現わ...

先臨終の事を習うて後に他事を習うべし - [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.

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本文 先 臨終の事を習うて 後に他事を習うべし まず りんじゅうの ことを なろうて のちに たじを なろうべし 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [臨終一大事] りんじゅういちだいじ (1404頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 先に自分の臨終の時の事を習って、後でその他の事を習うべきである。 仏法においての三世永遠の生命観とは、今世の人生の終わりは、新たな人生の始まりを迎えようとする時であり、来世への旅路の始まりでもある。 その今世の総仕上げの最期、臨終の時に「自分の人生に悔いはない」と思えるには、人生をどう生きていくかを習ってから、その他の事を習うべきである。 英語で御書 Gosho in English [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.  " The Importance of the Moment of Death " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 759 July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The eternal view of life of the third generation in Buddhism is that the end of life in this world is about to reach the beginning of a new life, and it is also the beginning of a journey to the afterlife. In order to feel "I have no regrets in my life" at the end of the final stage of this world, I should learn how to live my life at first, and then learn other things. ...

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現われ、一尺の顔に現われ...

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現われ、一尺の顔に現われ...

百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - Alantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years.

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor studies the sutra, chanting the title alone is the source of tremendous good fortune. The sutra teaches that women, evil men, and those in the realms of animals and hell—in fact, all the beings of the Ten Worlds—can attain Buddhahood in their present form. [This is an incomparably greater wonder than] fire being produced by a stone taken from the bottom of a river, or a lantern lighting up a plac...

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現われ、一尺の顔に現われ...

百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - Alantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years.

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor studies the sutra, chanting the title alone is the source of tremendous good fortune. The sutra teaches that women, evil men, and those in the realms of animals and hell—in fact, all the beings of the Ten Worlds—can attain Buddhahood in their present form. [This is an incomparably greater wonder than] fire being produced by a stone taken from the bottom of a river, or a lantern lighting up a plac...

法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候 - For you to inquire about the Lotus Sutra and ask its meaning is a rare source of good fortune.

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本文 法華経につけて御不審をたてて 其 趣を御尋ね候事 ありがたき大善根にて候 ほけきょう に つけて ごふしん を たてて その しゅ を おたずね そうろう こと ありがたき だい ぜんこん にて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経について疑問を立てて、その趣旨をおたずねされている事は、(六難九易:法華経の修行の6つの難しい事と、9つの簡単な事。その六難のうちの「意義を問う」にあたる、)大変貴重な大善根なのである。 なんでも話し合える事が広宣流布に繋がる -ある児童が質問したところ、「まだ、こんなことが分からないのか。バカだな」と叱った先生がいた。 しかし生徒は、答えが知りたいから質問したのであって、自分の能力を判定してほしい、と言った訳ではない。 これは、認識と評価を誤っているのである。認識と評価を混同してしまったところに、現代の思想の混乱がある- -牧口常三郎 なんでも話せる。なんでも聞ける。 にぎやかに語り合う雰囲気があるところは、明るいし、楽しい。進歩がある。 それが、広宣流布のリズムなのです。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English For you to inquire about the Lotus Sutra and ask its meaning is a rare source of good fortune. " The One Essential Phrase "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 922 in July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Asking a question about the Lotus Sutra is among the important principle of the six difficult and nine easy acts. Being able to discuss anything leads...

百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - Alantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years.

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor studies the sutra, chanting the title alone is the source of tremendous good fortune. The sutra teaches that women, evil men, and those in the realms of animals and hell—in fact, all the beings of the Ten Worlds—can attain Buddhahood in their present form. [This is an incomparably greater wonder than] fire being produced by a stone taken from the bottom of a river, or a lantern lighting up a plac...

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現われ、一尺の顔に現われている魂も、...

10周年:百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - The 8th anniversary :A lantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years..

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 謝辞 ~ 日替わり御書 10周年記念 日替わり御書 DAILY-GOSHO を読んで頂き、本当にありがとうございます。 2015年3月16日から始めた「日替わり御書 - Daily Gosho」が、今年でついに10周年を迎えることができました。 一人でもいいから、御書に触れていただくお手伝いができればいいな、という思いから始めた日替わり御書ですが、おかげさまで、DAILY-GOSHOは140万アクセスを達成しました。 今後とも、「日替わり御書 - Daily Gosho」をよろしくお願いします。 2025年3月16日 日替わり御書  twitter @daily-gosho 追伸: 引き続き、北極圏と南極大陸からのアクセスをお待ちしております! 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor studies the sutra, chanting the title alone is the source of tremend...

人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ - The spirit within one's body of five or six feet may appear in just one's face

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂...

先臨終の事を習うて後に他事を習うべし - [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.

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本文 先 臨終の事を習うて 後に他事を習うべし まず りんじゅうの ことを なろうて のちに たじを なろうべし 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [臨終一大事] りんじゅういちだいじ (1404頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 先に自分の臨終の時の事を習って、後でその他の事を習うべきである。 仏法においての三世永遠の生命観とは、今世の人生の終わりは、新たな人生の始まりを迎えようとする時であり、来世への旅路の始まりでもある。 その今世の総仕上げの最期、臨終の時に「自分の人生に悔いはない」と思えるには、人生をどう生きていくかを習ってから、その他の事を習うべきである。 英語で御書 Gosho in English [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.  " The Importance of the Moment of Death " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 759 July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The eternal view of life of the third generation in Buddhism is that the end of life in this world is about to reach the beginning of a new life, and it is also the beginning of a journey to the afterlife. In order to feel "I have no regrets in my life" at the end of the final stage of this world, I should learn how to live my life at first, and then learn other thin...

法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候 - For you to inquire about the Lotus Sutra and ask its meaning is a rare source of good fortune.

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本文 法華経につけて御不審をたてて 其 趣を御尋ね候事 ありがたき大善根にて候 ほけきょう に つけて ごふしん を たてて その しゅ を おたずね そうろう こと ありがたき だい ぜんこん にて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経について疑問を立てて、その趣旨をおたずねされている事は、(六難九易:法華経の修行の6つの難しい事と、9つの簡単な事。その六難のうちの「意義を問う」にあたる、)大変貴重な大善根なのである。 なんでも話し合える事が広宣流布に繋がる -ある児童が質問したところ、「まだ、こんなことが分からないのか。バカだな」と叱った先生がいた。 しかし生徒は、答えが知りたいから質問したのであって、自分の能力を判定してほしい、と言った訳ではない。 これは、認識と評価を誤っているのである。認識と評価を混同してしまったところに、現代の思想の混乱がある- -牧口常三郎 なんでも話せる。なんでも聞ける。 にぎやかに語り合う雰囲気があるところは、明るいし、楽しい。進歩がある。 それが、広宣流布のリズムなのです。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English For you to inquire about the Lotus Sutra and ask its meaning is a rare source of good fortune. " The One Essential Phrase "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 922 in July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Asking a question about the Lotus Sutra is among the important principle of the six difficult and nine easy acts. Being able to discuss anyt...

六難九易と申して大事の法門候 - The important principle of the six difficult and nine easy acts.

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本文 法華経の 一句一偈の いはれをも 尋ね問う人はありがたし、 此の趣を釈し給いて 人の御不審をはらさすべき僧も ありがたかるべし と、 法華経の四の巻・宝塔品と申す処に 六難九易と申して 大事の法門 候 今此の御不審は六の難き事の内なり、爰に知んぬ若し御持ちあらば即身成仏の人なるべし ほけきょうの いっくいちげの いわれも たずね とう ひとは ありがたし、この おもむきを しゃくしたまいて ひとの ごふしんを はらさすべき そうも ありがたかるべしと、 ほけきょうの よんのまき・ほうとうほんと もうす ところに ろくなんくい と もうして だいじの ほうもん そうろう いま この ごふしんは ろくの かたきことの うちなり、ここに しらんぬ もし おんたもちあらば そくしんじょうぶつ の ひと なるべし 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) (末法において) 法華経の一句一偈(一区切り、一部分)の意義を尋ね問う人は稀である。 またこの趣旨を説き聞かせて、人の疑問を晴らすことのできる僧侶も稀であると、 法華経の第四の巻・宝塔品という箇所に、六難九易(ろく なん く い)といって大事の法門が説かれている。 今、この疑問を尋ねられたことは、六つの難しいことのなかの一つである。それゆえ、もし法華経を持っていくならば、その人は即身成仏することができる人なのである。 英語で御書 Gosho in English In this age of the Latter Day of the Law, those who ask about the meaning of even one phrase or verse of the Lotus Sutra are far fewer than those who can hurl Mount Sumeru to another land like a stone, or those who can kick the major world system away like a ball. They are even fewer than those who can embrace...