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題目の光無間に至りて... - the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が法華経の行者となり、南無妙法蓮華経と唱え、題目の光で追善供養して差し上げれば、どうしてこの成仏の原理という義に変わる事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English Now when Nichiren and his followers perform ceremonies for the deceased, reciting the Lotus Sutra and chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering and makes it possible for them to attain Buddhahood the...

声仏事を為す - The voice carries out the work of the Buddha

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本文 経とは 一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く 声仏事を為す 之を名けて経と為すと きょう とは いっさいしゅじょう の ごんご おんじょう を きょう と いう なり、しゃく に いわく こえ ぶつじ を なす これ を なづけて きょう と なす と 御義口伝 おんぎくでん 南無妙法蓮華経 なんみょうほうれんげきょう (708頁) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の) 経とは、一切衆生の言葉や発する音、声をいうのである。章安大師は、「声が仏の振る舞い等の働きをする。これを名付けて経という」といっている。 このように、南無妙法蓮華経こそ最高の法であり、最高の音声(おんじょう)なのである。 英語で御書 Gosho in English Kyō [of the Nam-myoho-renge-kyo] represents the words and voices of all living beings. A commentary [On “The Profound Meaning,” volume one] says, “The voice carries out the work of the Buddha, and this is called kyō, or sutra.” ==================================== Nam-myoho-renge-kyo " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part One, P 4 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The voice is work like a Buddha's behavior. thus, Nam-Myoho-Renge-Kyo is a greatest law and a greatest voice.  Gosho in Japanese 経とは 一切衆生 の 言語音声 を 経 と 云う なり、釈 に 云く 声 仏事 を 為す 之 を 名けて...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

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本文 始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ  五百品 ごひゃっぽん (788頁) 通解(意訳) 信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。 英語で御書 Gosho in English Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys. ==================================== The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra - 8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 211 to 212 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓...

声仏事を為す - The voice carries out the work of the Buddha

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本文 経とは 一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く 声仏事を為す 之を名けて経と為すと きょう とは いっさいしゅじょう の ごんご おんじょう を きょう と いう なり、しゃく に いわく こえ ぶつじ を なす これ を なづけて きょう と なす と 御義口伝 おんぎくでん 南無妙法蓮華経 なんみょうほうれんげきょう (708頁) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の) 経とは、一切衆生の言葉や発する音、声をいうのである。章安大師は、「声が仏の振る舞い等の働きをする。これを名付けて経という」といっている。 このように、南無妙法蓮華経こそ最高の法であり、最高の音声(おんじょう)なのである。 英語で御書 Gosho in English Kyō [of the Nam-myoho-renge-kyo] represents the words and voices of all living beings. A commentary [On “The Profound Meaning,” volume one] says, “The voice carries out the work of the Buddha, and this is called kyō, or sutra.” ==================================== Nam-myoho-renge-kyo " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part One, P 4 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The voice is work like a Buddha's behavior. thus, Nam-Myoho-Renge-Kyo is a greatest law and a greatest voice.  Gosho in Japanese 経とは 一切衆生 の 言語音声 を 経 と 云う なり、釈 に 云く 声 仏事 を ...

題目の光無間に至りて... - The ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや NICHREN TOU NO TAGUI SHOURYOU WO TOBURAU TOKI HOKEKYO WO DOKUJU SHI NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAE TATEMATSURU TOKI DAIMOKU NO HIKARI MUGEN NI ITARITE SOKUSHIN-JOBUTSU SESHIMU, EKOU NO MON KORE YORI KOTO OKORU NARI, HOKKE FUSHIN NO HITO WA DAZAI-MUGEN NAREDOMO, DAIMOKU NO HIKARI WO MOTTE KOUSI HOKKE NO GYOUJA TO SHITE TOBURAWAN NI ANI KONO GI NI KAWARU BESHIYA 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が...

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal transl...

合掌とは法華経の異名なり - Gasshō, or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra

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本文 合掌とは法華経の異名なり 向仏(こうぶつ)とは法華経に値い奉ると云うなり 合掌は色法なり 向仏は心法なり、 色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍(かんぎ ゆやく)と説くなり がっしょうとはほけきょうのいみょうなりこうぶつとはほけきょうにあいたてまつるというなり がっしょうはしきほうなりこうぶつはしんぽうなり、 しきしんのにほうをみょうほうとかいごするをかんぎゆやくととくなり 御義口伝 おんぎくでん 譬喩品九箇の大事 ひゆぼんきゅうかのだいじ 第二 即起合掌の事  だいに そっきがっしょうのこと (722頁) 通解(意訳) 「合掌」とは法華経の異名である。「向仏」とは、妙法蓮華経にあいたてまつるということである。 合掌は色法(肉体・身心の変化の法)の姿であり、向仏とは信心であり、心法(心や精神の変化の法)である。 色心の二法を妙法蓮華経であると悟る事を、譬喩品の中で、釈尊の弟子である舎利弗が、喜びのあまり踊り出したと説くのである。 歓喜踊躍(歓喜のあまり身体は踊りだし、心はいきいきとしていて、その人の身心の生命が躍動する姿)とは、色法と心法がかけ離れたものではなく一体の姿(色心不二)なのであり、歓喜踊躍と説くのであり、この歓喜こそ法華経の真髄の妙法蓮華経と説くのである。 英語で御書 Gosho in English Gasshō [;合掌] , or “pressing the palms together,” is another name for the Lotus Sutra.  Kōbutsu [;向仏] , or “turning to face the Buddha,” means that one encounters and pays respect to the Lotus Sutra. Pressing the palms together is an element of the body. Turning to face the Buddha is an element of the mind. The passage describes how one dances with joy when one comes to the realization that the ele...

喜とは自他共に喜ぶ事なり - “Joy” means that oneself and others together experience joy.

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本文 御義口伝に云く 随とは事理に随順するを云うなり 喜とは自他共に喜ぶ事なり おんぎくでんにいわく ずいとはじりにずいじゅんするをいうなりきとはじたともによろこぶことなり 御義口伝 おんぎくでん 随喜品二箇の大事 ずいきぼん にかのだいじ 第一 妙法蓮華経随喜功徳の事 だいいち みょうほうれんげきょうずいきくどくのこと (761頁) 通解(意訳) 御義口伝には、次のように仰せである。 随喜(ずいき)の随とは、「事理に随順すること」を随という。 「事理に随順する(じり に ずいじゅん する)」とは、法華経の法理で功徳を得る事(事理)に素直に従う(順して随う=随順する)、すなわち、法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」の法理を実直に信じて題目を唱えて、自分も実行し他人にも勧める「自行化他の信心」を実直に実践して、功徳を得る事を随というのである。 随喜の喜とは、「自他共に喜ぶこと」を喜という。 「自他ともに喜ぶ」とは、信心によって得られる功徳や幸福境涯を共に分かち合い、素直に喜ぶ事である。 随喜とは、素直に信心に励み、功徳で得られる幸福境涯を人にも勧め、歓喜を共に分かち合って喜ぶ事なのである。 英語で御書 Gosho in English The Record of the Orally Transmitted Teachings says: “Respond” means to respond to and comply with actuality and principle. “Joy” means that oneself and others together experience joy.  ==================================== Chapter Eighteen: The Benefits of Responding with Joy Two important points "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 146 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpreta...

煩悩即菩提 生死即涅槃 を説かれたり - States that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana.

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本文 この文は 煩悩即菩提 生死即涅槃を 説かれたり、 法華の行者は 貪欲は貪欲のまま 瞋恚は瞋恚のまま 愚癡は愚癡のまま 普賢菩薩の行法なりと 心得可きなり この もん は ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん を とかれたり、 ほっけ の ぎょうじゃ は とんよく は とんよく の まま しんに は しんに の まま ぐち は ぐち の まま ふげんぼさつ の ぎょうほう なり と こころうべき なり 御義口伝 おんぎくでん 普賢経五箇の大事 ふげんきょうごかのだいじ 第二 不断煩悩不離五欲の事 だいに ふだんぼんのうふりごよくのこと (785頁) 通解(意訳) この文(法華経の結経である普賢経の「普段煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。 法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」と自覚していくべきである。 見栄や体裁などにとらわれず、自分らしく、ありのままに御本尊に祈っていく事が大切なのである。 英語で御書 Gosho in English This passage states that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana. For the votaries of the Lotus Sutra, greed is greed and remains just as it is; anger is anger and remains just as it is; foolishness is foolishness and remains just as it is. And yet they are carrying out Bodhisattva Universal Worthy’s practice of the Law. One should understand this clearly. ==================================== The Universal Worthy Sutra Five important points Point Two, regardi...

師子吼とは 仏の説なり - The lion’s roar (shishi ku) is the preaching of the Buddha.

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本文 師子吼とは 仏の説なり 説法とは法華 別にしては南無妙法蓮華経なり、 師とは師匠授くる所の妙法、子とは弟子受くるところの妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり ししく とは ほとけ の せつ なり せっぽう とは ほっけ べつに して は なんみょうほうれんげきょう なり、 し とは ししょう さずくる ところ の みょうほう、し とは でし うくる ところ の みょうほう・く とは してい ともに となうる ところ の おんじょう なり 御義口伝 勧持品十三箇の大事 第五 作師子吼の事 おんぎくでん かんじぼんじゅうさんこのだいじ だいご さししくのこと (748頁) 通解(意訳) 師子吼(しし く)とは、仏の説法である。説法とは法華経の事であり、つまり「南無妙法蓮華経を説く事」である。 師子吼の「師(し)」とは、師匠である仏が弟子に授ける(教える)妙法であり、「子(し)」とは、弟子が受ける(習う)妙法であり、「吼(く、ほえるの意味)」とは、師匠と弟子(師弟)が、南無妙法蓮華経と共に唱える、題目の音声の事という意味である。 「師子吼」とは、厳しい現実社会のうえで、弟子が師匠の教えの通りに実践し、師匠と共に「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、百獣の王であるライオン(獅子:師子)のように堂々と正義を吼えて、弟子が自ら「師匠のため、広宣流布のために」と立ち上がり、戦い抜いていく事である。 英語で御書 Gosho in English The lion’s roar ( shishi ku ) is the preaching of the Buddha. The preaching of the Law means the preaching of the Lotus Sutra, or the preaching of Nam-myoho-renge-kyo in particular. The first shi of the word shishi , or “lion” [which means “teacher”], is the Wonderful Law that is passed on by the teacher. The second shi [which means “child”] is the Wonderful...

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)...

題目の光無間に至りて... - The ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が法華経の行者となり、南無妙法蓮華経と唱え、題目の光で追善供養して差し上げれば、どうしてこの成仏の原理という義に変わる事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English Now when Nichiren and his followers perform ceremonies for the deceased, reciting the Lotus Sutra and chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering and makes it possible for them to attain Budd...

師子吼とは仏の説なり - The lion’s roar (shishi ku) is the preaching of the Buddha.

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本文 師子吼とは 仏の説なり 説法とは法華 別にしては南無妙法蓮華経なり、 師とは師匠授くる所の妙法、子とは弟子受くるところの妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり ししく とは ほとけ の せつ なり せっぽう とは ほっけ べつに して は なんみょうほうれんげきょう なり、 し とは ししょう さずくる ところ の みょうほう、し とは でし うくる ところ の みょうほう・く とは してい ともに となうる ところ の おんじょう なり 御義口伝 勧持品十三箇の大事 第五 作師子吼の事 おんぎくでん かんじぼんじゅうさんこのだいじ だいご さししくのこと ONGIKUDEN KANJIBON JU-SAN-KO NO DAIJI DAI-GO SASHISHIKU NO KOTO (748頁) 通解(意訳) 師子吼(しし く)とは、仏の説法である。説法とは法華経の事であり、つまり「南無妙法蓮華経を説く事」である。 師子吼の「師(し)」とは、師匠である仏が弟子に授ける(教える)妙法であり、「子(し)」とは、弟子が受ける(習う)妙法であり、「吼(く、ほえるの意味)」とは、師匠と弟子(師弟)が、南無妙法蓮華経と共に唱える、題目の音声の事という意味である。 「師子吼」とは、厳しい現実社会のうえで、弟子が師匠の教えの通りに実践し、師匠と共に「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、百獣の王であるライオン(獅子:師子)のように堂々と正義を吼えて、弟子が自ら「師匠のため、広宣流布のために」と立ち上がり、戦い抜いていく事である。 英語で御書 Gosho in English The lion’s roar (shishi ku) is the preaching of the Buddha. The preaching of the Law means the preaching of the Lotus Sutra, or the preaching of Nam-myoho-renge-kyo in particular. The first shi of the word shishi, or “lion” [which means “teacher”], is the Wonderful Law that is passed on by the tea...

師子吼とは仏の説なり - The lion’s roar (shishi ku) is the preaching of the Buddha.

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本文 師子吼とは 仏の説なり 説法とは法華 別にしては南無妙法蓮華経なり、 師とは師匠授くる所の妙法、子とは弟子受くるところの妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり ししく とは ほとけ の せつ なり せっぽう とは ほっけ べつに して は なんみょうほうれんげきょう なり、 し とは ししょう さずくる ところ の みょうほう、し とは でし うくる ところ の みょうほう・く とは してい ともに となうる ところ の おんじょう なり 御義口伝 勧持品十三箇の大事 第五 作師子吼の事 おんぎくでん かんじぼんじゅうさんこのだいじ だいご さししくのこと ONGIKUDEN KANJIBON JU-SAN-KO NO DAIJI DAI-GO SASHISHIKU NO KOTO (748頁) 通解(意訳) 師子吼(しし く)とは、仏の説法である。説法とは法華経の事であり、つまり「南無妙法蓮華経を説く事」である。 師子吼の「師(し)」とは、師匠である仏が弟子に授ける(教える)妙法であり、「子(し)」とは、弟子が受ける(習う)妙法であり、「吼(く、ほえるの意味)」とは、師匠と弟子(師弟)が、南無妙法蓮華経と共に唱える、題目の音声の事という意味である。 「師子吼」とは、厳しい現実社会のうえで、弟子が師匠の教えの通りに実践し、師匠と共に「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、百獣の王であるライオン(獅子:師子)のように堂々と正義を吼えて、弟子が自ら「師匠のため、広宣流布のために」と立ち上がり、戦い抜いていく事である。 英語で御書 Gosho in English The lion’s roar (shishi ku) is the preaching of the Buddha. The preaching of the Law means the preaching of the Lotus Sutra, or the preaching of Nam-myoho-renge-kyo in particular. The first shi of the word shishi, or “lion” [which means “teacher”], is the Wonderful Law that is passed on by the tea...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

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本文 始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ  五百品 ごひゃっぽん (788頁) 通解(意訳) 信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。 英語で御書 Gosho in English Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys. ==================================== The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra - 8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 211 to 212 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓喜 なり HAJIM...

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)...

所謂南無妙法蓮華経は精進行なり - Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice.

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本文 一念に 億劫の辛労を尽せば 本来 無作の三身 念念に起るなり 所謂 南無妙法蓮華経は 精進行なり いちねんに おくごうの しんろうを つくせば ほんらい むさのさんじん ねんねんに おこるなり いわゆる なんみょうほうれんげきょうは しょうじんぎょうなり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 湧出品 にじゅうはっぽんにいちぶんずつのだいじ ゆしゅつぼん (790頁) 通解(意訳) 一念に億劫(おくごう;仏教における時間の最長単位である「劫(こう・ごう)」の一億倍、永劫、永遠)にも匹敵する努力を尽くして仏道修行に励んでいけば、本来、自分自身に具わっている仏の生命(無作の三身。無作:むさ;本来の意、三身:さんじん;仏の三種類の特性)が、瞬間瞬間に起こってくるのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、精進行である。 英語で御書 Gosho in English If in a single moment of life we exhaust the pains and trials of millions of kalpas, then instant after instant there will arise in us the three Buddha bodies with which we are eternally endowed. Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice. ==================================== Separate Transmission The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters  of the Lotus Sutra 15. Emerging from the Earth "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, 214 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一念に 億劫の辛労を尽せば 本...

煩悩即菩提 生死即涅槃 を説かれたり - States that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana.

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本文 この文は 煩悩即菩提 生死即涅槃を 説かれたり、 法華の行者は 貪欲は貪欲のまま 瞋恚は瞋恚のまま 愚癡は愚癡のまま 普賢菩薩の行法なりと 心得可きなり この もん は ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん を とかれたり、 ほっけ の ぎょうじゃ は とんよく は とんよく の まま しんに は しんに の まま ぐち は ぐち の まま ふげんぼさつ の ぎょうほう なり と こころうべき なり 御義口伝 おんぎくでん 普賢経五箇の大事 ふげんきょうごかのだいじ 第二 不断煩悩不離五欲の事 だいに ふだんぼんのうふりごよくのこと (785頁) 通解(意訳) この文(法華経の結経である普賢経の「普段煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。 法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」と自覚していくべきである。 見栄や体裁などにとらわれず、自分らしく、ありのままに御本尊に祈っていく事が大切なのである。 英語で御書 Gosho in English This passage states that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana. For the votaries of the Lotus Sutra, greed is greed and remains just as it is; anger is anger and remains just as it is; foolishness is foolishness and remains just as it is. And yet they are carrying out Bodhisattva Universal Worthy’s practice of the Law. One should understand this clearly. ==================================== The Universal Worthy Sutra Five important points Point Two, regarding the...