冬は必ず春となる - Winter always turns to spring.
本文
法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、
いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、
経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候
ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、
いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、
きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう
妙一尼御前御消息
みょういちあまごぜんごへんじ
[冬必為春事]
ふゆはかならずはるとなるのこと
(1253頁)
建治元年5月
(1275年)
通解(意訳)
法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。
しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。
未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。
経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring.
Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person.
The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”
" Winter Always Turns to Spring "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 536
in May, 1275.
[ --- ] is liberal translation.
Gosho in Japanese
法華経 を 信ずる 人 は 冬 の ごとし 冬 は 必ず 春 と なる、
いまだ 昔 より きかず・みず 冬 の 秋 と かへれる 事 を、いまだ きかず 法華経 を 信ずる 人 の 凡夫 と なる 事 を、
経文 には「若 有 聞法者 無一 不成仏」と とかれて 候
HOKEKYO WO SHINZURU HITO WA FUYU NO GOTOSHI FUYU WA KANARAZU HARU TO NARU,
IMADA MUKASHI YORI KIKAZU・MIZU FUYU NO AKI TO KAERERU KOTO WO,
IMADA KIKAZU HOKEKYO WO SHINZURU HITO NO BONPU TO NARU KOTOWO,
KYŌ MON NIWA 「NYAKU U MONPŌ-SHA MU-ICHI FU-JŌBUTSU」TO TOKARETE SŌRŌ
妙一 尼 御前 御消息
MYŌICHI AMA GOZEN GOSHŌSOKU
[冬必為春事]
FUYU-WA-KANARAZU-HARU-TO-NARU-NO-KOTO
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