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南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき - If only you chant Nam-myoho-renge-kyo, then what offense could fail to be eradicated? What blessing could fail to come?

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本文 只 南無妙法蓮華経と だにも唱へ奉らば 滅せぬ罪やあるべき 来らぬ福や有るべき、 真実なり 甚深なり 是を信受すべし ただなんみょうほうれんげきょうとだにもとなえたつまつらばめっせぬつみやあるべききたらぬふくやあるべき、 しんじつなりじんじんなりこれをしんじゅすべし TADA TADA NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO DANIMO TONAE TATEMATSURABA MES'SENU TSUMI YA ARUBEKI KITARANU FUKU YA ARUBEKI, SHINJITSU NARI JINJIN NARI KORE WO SHINJU SUBESHI 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ SHŌGU MONDŌ SHŌ ・GE (497頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) ただ南無妙法蓮華経とだけでも唱えるならば、消滅しない罪があるはずはなく、訪れて来ない幸福があるはずもない。 法華経の題目のみが唯一、真実の法であり、極めて深い法であるから、この大法を信受するべきである。 英語で御書 Gosho in English If only you chant Nam-myoho-renge-kyo, then what offense could fail to be eradicated? What blessing could fail to come? This is the truth, and it is of great profundity. You should believe and accept it. " Conversation between a Sage and an Unenlightened Man " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 130 in 1265, or 1268. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 只 南無妙法蓮華経 と だにも 唱へ 奉らば 滅せぬ 罪 や あるべき

百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - Alantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years.

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる KONO KYO NO DAIMOKU WA NARAI YOMU KOTO NAKU SHITE DAI NARU ZENKON NITE SOUROU, AKUNIN MO NYONIN MO CHIKUSHO MO JIGOKU NO SHUJOU MO JIK'KAI TOMO NI SOKUSHIN JOUBUTSU TO TOKARETE SOUROU WA, MIZU NO SOKONARU ISHI NI HI NO ARU GA GOTOKU HYAKU-SEN-MAN-NEN KURAKI TOKORO NIMO TOMOSHIBI WO IRENUREBA AKAKU NARU 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ MYOHO AMA GOZEN GOHENJI [一句肝心事] いっくかんじんのこと IK'KU KANJI NO KOTO (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor

心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし - Never let your mind stray, be firm in faith at all times, and you will “enjoy peace and security in your present existence and good circumstances in future existences.”

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本文 釈迦・多宝等の十方 無量の仏・上行 地涌等の菩薩も(中略)日本国中の大小の諸神も・総じて 此の法華経を強く信じまいらせて 余念なく一筋に信仰する者をば 影の身にそふが如く 守らせ給ひ候なり、 相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし しゃか・たほう とう の じっぽう むりょう の ほとけ・じょうぎょう じゆう とう の ぼさつ も(ちゅうりゃく)にほんこくじゅう の だいしょう の しょじん も・そうじて この ほけきょう を つよく しんじ まいらせて よねん なく ひとすじ に しんこう する もの をば かげ の み に そう が ごとく まもらせ たまい そうろう なり、 あいかまえて あいかまえて こころ を ひるがえさず・ひとすじ に しんじ たもう ならば・げんせあんのん・ごしょうぜんしょ なるべし SHAKA・TAHŌ TOU NO JIP'PO MURYŌ NO HOTOKE・JŌGYŌ JIYŪ TOU NO BOSATSU MO (CHŪ-RYAKU) NIHONKOKU-JŪ NO SHOJIN MO・SOUJITE KONO HOKEKYO WO TSUYOKU SHINJI MAIRASETE YONEN NAKU HITOSUJI NI SHINKOU SURU MONO WOBA KAGE NO MI NI SOU GA GOTOKU MAMORASE TAMAI SOUROU NARI, AI KAMAETE AI KAMAETE KOKORO WO HIRUGAESAZU・HITOSUJI NI SHINJI TAMOU NARABA・GENSE-AN-NON・GOSHŌ-ZENSHO NARUBESHI 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく UENO DONO GOSHŌSOKU [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ SHITOKU SHION GOSHO (1527頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 釈迦仏をはじめとして、あらゆる経典に説かれている仏菩薩をはじめ日本の大小の神が、どのような困難に直面してもこの法華経を強盛に信じて、退転することなく、ただ一筋に信仰する者を、ちょうど影

ただ心こそ大切なれ - It is the heart that is important

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本文 ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、 はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし ただこころこそたいせつなれ、いかににちれんいのりもうすともふしんならばぬれたる・ほくちに・ひをうちかくるが・ごとくなるべし、 はげみをなしてごうじょうにしんりこをいだしたもうべし TADA KOKORO KOSO TAISETSU NARE, IKANI NICHIREN INORI MŌSU TOMO FUSHIN NARABA NURETARU・HOKUCHI NI・HI WO UCHIKAKURU GA・GOTOKU NARUBEHSI, HAGEMI WO NASHITE GŌJŌ NI SHINRIKI WO IDASHI TAMOUBESHI 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ HOKEKYO HEIHŌ JI [剣形書] けんぎょうしょ KENGYŌ SHO (1192頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 何事においても、根本は心こそ大切なのである。 いかに日蓮が、あなた(四条金吾=弟子)の事を祈ったとしても、あなた自身が信心に不信を起こしているなら、濡れている火口に火を着けるようなものである。 自身を励まして、強盛に信心を奮い起こしていきなさい。 英語で御書 Gosho in English It is the heart that is important. No matter how earnestly Nichiren prays for you,  if you lack faith, it will be like trying to set fire to wet tinder. Spur yourself to muster the power of faith. " The Strategy of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin"

あへて臆病にては叶うべからず候 - A coward cannot have any of his prayers answered.

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本文 なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、 兵法 剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 なに の へいほう より も ほけきょう の へいほう を もちい たもう べし、「しょよ おんてき・かいしつ さいめつ」の きんげん むなし かる べからず、 へいほう けんぎょう の だいじ も この みょうほう より いでたり,ふかく しんじん を とり たまえ、あえて おくびょう にて は かなう べからず そうろう NANI NO HEIHŌ YORIMO HOKEKYO NO HEIHŌ WO MICHII TAMOUBESHI, "SHOYO-ONTEKI・KAISHITSU-SAIMETSU" NO KINGEN MUNASHIKARU BEKARAZU, HEIHŌ KENGYŌ NO DAIJI MO KONO MYOHO YORI IDETARI, FUKAKU SHINJIN WO TORI TAMAE, AETE OKUBYŌ NITEWA KANAU BEKARAZU SŌRŌ 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ HOKEKYO HEIHŌ JI [剣形書] けんぎょうしょ KENGYŌ SHO (1193頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) どのような策や方法よりも、信心によって智慧を引き出す「法華経の兵法」を用いていきなさい。 法華経を信受している者の成仏を妨げようとする、あらゆる魔の働きは、すべて信心の功徳で滅ぼすことができるのである(諸余怨敵・皆悉摧滅 しょ よ おん てき ・かい しつ さい めつ)。 教主釈尊の御金言が決して空しいはずがない。信心によって乗り越えられない苦難はないのである。 すべての世法も技術も、「心こそ大切なれ」という妙法の思想から生まれ出たものである。 いかなる逆境にあっても、題目を唱えて智慧を頂き、その智慧と御本尊の妙法の力を信じ抜いて、努力を惜しまず、前進する勇気をもって

命と申す物は一身第一の珍宝なり - Life is the most precious of all treasures.

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本文 命と申す物は一身第一の珍宝なり 一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、 法華経の一代の聖教に超過して いみじきと申すは寿量品のゆへぞかし いのち と もうす もの は いっしん いちだい の ちんぽう なり いちにち なり とも・これを のぶる ならば せんまんりょう の こがね にも すぎたり、 ほけきょう の いちだい の せいきょう に ちょうか して いみじき と もうす は じゅりょうほん の ゆえ ぞかし INOCHI TO MOUSU MONO WA IS'SHIN ICHIDAI NO CHINPŌ NARI ICHINICNI NARI TOMO・KORE WO NOBURU NARABA SENMAN RYŌ NO KOGANE NIMO SUGITARI, HOKEKYO NO ICHIDAI NO SEIKYŌ NI CHŌKA SHITE IMIJIKI TO MOUSU WA JURYŌ-HON NO YUE ZOKASHI 可延定業書 かえんじょうごうしょ KA-EN-JŌ-GŌ-SHO [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう JŌ-GŌ-ENMEI-SHŌ (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) 命というものは人間が持っている第一の珍しい宝である。一日でも寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさる。法華経が釈尊の説いた説法の中で最も優れている理由は、「あらゆる生命の中に仏性が存在する」ということが、法華経の如来寿量品第十六に説かれているからであり、その生命を一日でも長く寿命を延ばす事ができるからである。 *私達が日々実践している勤行の「妙法蓮華経如来寿量品第十六(みょうほうれんげきょう にょうらいじゅりょうほん だい16」は、この「法華経如来寿量品第十六」から抜粋したものです。 英語で御書 Gosho in English Life is the most precious of all treasures. Even one extra day of life is worth more than ten million ryō [;the currency uni

地獄の苦み ぱっときへて - the sufferings of hell will vanish instantly.

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本文 涅槃経に 転重軽受 と申す法門あり、 先業の 重き 今生につきずして 未来に地獄の苦を受くべきが 今生にかかる重苦に値い候へば 地獄の苦み ぱっときへて 死に候へば 人天・三乗・一乗の益を うる事の候 ねはんぎょう に てんじゅうきょうじゅ と もうす ほうもん あり、 せんごう の おもき こんじょう に つきず して みらい に じごく の く を うく べき が こんじょう に かかる じゅうく に あい そうらえば じごく の くるしみ ぱっ と きえて しに そうらえば にんてん・さんじょう・いちじょう の やく を うる こと の そうろう NEHAN-GYO NI TENJŪ-KYŌJŪ TO MOUSU HŌMON ARI, SENGŌ NO OMOKI KONJŌ NI TSUKIZU SHITE MIRAI NI JIGOKU NO KU WO UKU BEKI GA KONJŌ NI KAKARU JŪKU NI AI SOURAEBA JIGOKU NO KURUSHIMI PAT'TO KIETE SHINI SOURAEBA NIN-TEN・SANJŌ・ICHIJŌ NO YAKU WO URU KOTO NO SOUROU 転重軽受法門 てんじゅうきょうじゅほうもん TENJŪ-KYŌJU HŌMON (1000頁) 文永8年(1271年) 10月 通解(意訳) 涅槃経に「転重軽受(てんじゅうきょうじゅ、重きを転じて軽く受く)」という教えがある。 過去世で犯してきた罪や宿業が重くて今世だけでは消えず、来世でも地獄の苦しみを受けるべきだったところが、法華経の行者となった事で、その罪業が軽くなって今世に出てきたのである。 これを信心で乗り越えることで、地獄のような苦しみがぱっと消えて、今世で全ての罪業を消し去ることができるのである。 さらに、信心を持って死んだなら、様々な妙法の利益を受けることができるのである。 「転重軽受」の法門とは、どんな苦難に出会ったとしても「もっと重い苦難があったかもしれないが、これだけで済んだ」という、前向きな考え方である。苦難に真っ向から向き合い、宿命を自分の使命に変え、自身の生きていく意味を見出すこと

法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即ち仏なり - With regard to the Lotus Sutra, when one’s hand takes it up, that hand immediately attains Buddhahood, and when one’s mouth chants it, that mouth is itself a Buddha, as Buddha, as

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本文 法華経と申すは 手に取れば其の手 やがて仏に成り・口に唱ふれば 其の口 即ち 仏なり、 譬えば天月の東の山の端に出ずれば 其の時 即 水に影の浮かぶが如く・音と ひびき との同時なるが如し ほけきょう と もうすは てに とれば そのて やがて ほとけ に なり・くち に となうれば そのくち すなわち ほとけ なり、 たとえば てんげつ の ひがし の やま の は に いずれば そのとき すなわち みずに かげ の うかぶ が ごとく・おと と ひびき との どうじ なる が ごとし HOKEKYO TO MOUSU WA TE NI TOREBA SONO TE YAGATE HOTOKE NI NARI・KUCHI NI TONAUREBA SONO KUCHI SUNAWATI HOTOKE NARI, TATOEBA TENGETSU NO HIGASHI NO YAMA NO HA NI IZUREBA SONO TOKI SUNAWACHI MIZU NI KAGE NO UKABU GA GOTOKU・OTO TO HIBIKI TONO DOUJI NARU GA GOTOSHI 上野尼御前御返事 うえのどのあまごぜんごへんじ UENODONO AMA GOZEN GOHENJI [鳥竜遺竜事] おりょうおりょうのこと ORYŌ-IRYŌ-NO-KOTO (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 日蓮仏法というものは、手に取って行ずれば、その行いがそのまま仏の手となり、口に題目を唱え、信心の体験を語れば、その口がそのまま仏の口になって、自身がありのままの姿で、即座に仏の境涯を開くことができるのである。 例えば、月が東の山に出れば、それと同時に水面に月が映るように、また大きな音が鳴ると、周囲に音が響くのが同時であるようなものである。 英語で御書 Gosho in English With regard to the Lotus Sutra, when one’s hand takes it up, that hand immediately attains Buddhahood, and when one’s mouth

仏法の根本は信を以て源とす - To have faith is the basis of Buddhism.

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本文 如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、 穴賢・南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、 信心の厚薄によるべきなり 仏法の根本は信を以て源とす いかにも ごしょう を たしなみ たもうべし・たしなみ たもうべし、 あなかしこ・なんみょうほうれんげきょう と ばかり となえて ほとけ に なる べき こと もっとも たいせつ なり、 しんじん の こう はく に よる べき なり ぶっぽう の こんぽん は しん を もって みなもと と す IKANIMO GOSHŌ WO TASHINAMI TAMOU BESHI・TASHINAMI TAMOU BESHI, ANA KASHIKO・NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO BAKARI TONAETE HOTOKE NI NARU BEKI KOTO MOT'TOMO TAISETSU NARI, SHINJIN NO KOUHAKU NI YORU BEKI NARI BUPPŌ NO KONPON WA SHIN WO MOT'TE MINAMOTO TO SU 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ NICHINYŌ GOZEN GOHENJI [御本尊相貌抄] ごほんぞんそうみょうしょう GOHONZON SŌMYŌSH Ō (1244頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) なんとしても、来世の福運をも得るために、信心に励んでいきなさい。 「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、仏の境涯を成いていく事が最も大切である。 成仏を成し遂げる事ができるかどうかは、ひとえに信心の厚薄、信じる心が深いか浅いかによるのである。 仏法の根本は信心をもって源とするのである。 英語で御書 Gosho in English Make every possible effort for the sake of your next life. What is most important is that, by chanting Nam-myoho-renge-kyo alone, you can attain Buddhahood. It will no d

日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし - From the time that I was born until today, I have never known a moment’s ease

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本文 とにかくに 法華経に身をまかせ 信ぜさせ給へ、殿一人に かぎるべからず・信心をすすめ給いて 過去の父母等をすくわせ給へ。 日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり とにかくに ほけきょうに みを まかせ しんぜ させたまえ、とのいちにんにかぎらず・しんじんをすすめたまいてかこのぶもとうをすくわせたまえ。 にちれんうまれしときより・いまにいちにちかたときも・こころやすきことはなし、このほけきょうのだいもくをひろめんとおもうばかりなり TONIKAKU NI HOKEKYO NI MI WO MAKASE SHINZE SASE TAMAE, TONO ICHININ NI KAGIRAZU・SHINJIN WO SUSUME TAMAITE KAKO NO BUMO TOU WO SUKUWASE TAMAE. NICHIREN UMARESHI TOKI YORI・IMA NI ICHINICHI KATATOKI MO ・KOKORO YASUKI KOTOWA NASHI, KONO HOKEKYO NO DAIMOKU WO HIROMEN TO OMOU BAKARI NARI 上野殿御返事 うえのどのごへんじ UENO DONO GOHENJI [刀杖難事] とうじょうなんのこと TŌJŌ NAN-NO-KOTO (1557~1558頁) 弘安2年4月 (1272年) 通解(意訳) とにかく、法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、縁した人々に信心をすすめて、過去の父母等(=今世の人生で巡り合う無数の縁ある人々)を救っていきなさい。 日蓮は生まれたときから今日に至るまで、片時も心が休まることはない。ただただ、この法華経の題目である、南無妙法蓮華経を弘めようと思うばかりである。 英語で御書 Gosho in English Be that as it may, commit yourself to the Lotus Sutra and have faith in its teachings. You must not only believe in them

つよきすけをかひぬれば・たうれず - It will not topple if it has a firm stake to hold it up.

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本文 夫れ 木をうえ候には 大風吹き候へども つよき すけを かひぬれば・たうれず、本より生いて候 木なれども 根の弱きは・たうれぬ、 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず、すこし健の者も 独なれば悪しき みちには・たうれぬ それ き を うえ そうろう には おおかぜ ふき そうらえども つよき すけ を かい ぬれば・たうれず、もと より おいて そうろう き なれども ね の よわき は・たうれぬ、 かい なき もの なれども・たすくる もの つよければ たうれず、すこし けなげ の もの も ひとり なれば あしき みち には・たうれぬ SORE KI WO UE SOUROU NIWA OOKAZE FUKI SOURAEDOMO TSUYOKI SUKE WO KAINUREBA・TAUREZU, MOTO YORI OITE SOUROU KI NAREDOMO NE NO YOWAKI WA・TAURENU, KAI NAKI MONO NAREDOMO・TASUKURU MONO TSUYOKEREBA TAUREZU, SUKOSHI KENAGE NO MONO MO HITORI NAREBA ASHIKI MICHI NI WA・TAURENU 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと SAN-SAN-ZŌ-KI-U-NO-KOTO (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) そもそも、木を植えた場合、大風が吹いたとしても、強い支柱で支えてあれば倒れない。元々生えていた木であっても、根が弱ければ倒れてしまう。 弱くて不甲斐ない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。すこし強くで頑強な者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまうのである。 善き友 『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄り添って、その苦しい『心音』に耳を傾けてあげなければ。  そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English When a tree has been tra

経に云く「師子奮迅之力」とは是なり - the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.”

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本文 師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、 日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり ししおう は ぜんさんごいち と もうして・あり の こ を とらん と する にも また たけき もの を とらん と する とき も・いきおい を だす こと は・ただ おなじ こと なり、 にちれん しゅご たる ところ の ごほんぞん を・したため まいらせ そうろう こと も ししおう に・おとる べからず、きょう に いわく「しし ふんじん の りき」とは これ なり SHISHI-Ō WA SAN-ZEN-GO-ICHI TO MOUSHITE・ARI NO KO WO TORAN TO SURU NIMO MATA TAKEKI MONO WO TORAN TO SURU TOKI MO・IKIOI WO DASU KOTO WA ・TADA ONAJI KOTO NARI, NICHIREN SHUGO TARU TOKORO NO GOHONZON WO・SHITATAME MAIRASE SŌRŌ KOTO MO SHISHI-Ō NI・OTORU BEKARAZU, KYŌ NI IWAKU 「SHISHI-FUNJIN-NO-RIKI」TOWA KORE NARI 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ KYŌ-Ō DONO GOHENJI (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 師子王は前三後一といって、蟻の子を捕ろうとする時にも、また猛々しいものを捕ろうとする時も、全力の勢いを出すことは全く同じである。 日蓮が、御守り御本尊(という、小さい曼荼羅)を書き認め差し上げるのも、この師子王の姿に劣るものではない。法華経湧出品第十五にある「師子奮迅の力」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English  The lion king is said to advance three steps, then gather himself to spring, unleashing the sam