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蒼蠅驥尾に附して万里を渡り - A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles

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本文 蒼蠅 驥尾に附して 万里を渡り 碧蘿 松頭に懸りて 千尋を延ぶ、 弟子 一仏の子と生れて 諸経の王に事う、何ぞ 仏法の衰微を見て 心情の哀惜を起さざらんや そうよう きび に ふ して ばんり を わたり へきら しょうとう に かかりて せんじん を のぶ、 でし いちぶつ の こ として うまれて しょきょう の おう に つかう、なんぞ ぶっぽう の すいび を みて しんじょう の あいせき を おこさざらんや 立正安国論 りっしょうあんこくろん (26頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 小さな青バエも、駿馬の尾につかまれば万里を渡ることができ、みどりのツル草は大きな松の枝先に寄り掛かれば、千尋も高く延びることができる、というたとえもある。 たとえ器は小さくとも、仏弟子である私は、第一の仏である釈尊の子と生まれて、あらゆる宗教の王である法華経に仕え信じている。 どうして仏法が衰弱していくのをみて、哀れ惜しむ心情を起こさないでいられようか   英語で御書 Gosho in English A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles, and the green ivy that twines around the tall pine can grow to a thousand feet. I was born as the son of the one Buddha, Shakyamuni, and I serve the king of scriptures, the Lotus Sutra. How could I observe the decline of the Buddhist Law and not be filled with emotions of pity and distress? " On Establishing the Correct Teaching  for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 17

きわめて・まけじたましの人 - A man who never gives in to defeat

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本文 きわめて・まけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり きわめて・まけじたましの ひとにて わが かたの こと をば だいじと もうす ひと なり 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) (四条金吾は) 極めて負けじ魂の人で、自分の味方の事を大切にする人である。  英語で御書 Gosho in English He is a man who never gives in to defeat and who greatly values his friends. [He: Shijō Kingo.] " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 There is an opinion of January or February, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese きわめて・まけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり KIWAMETE・MAKEJI-TAMASHI NO HITO NITE WAGA KATA NO KOTO WOBA DAIJI TO MŌSU HITO NARI 可延定業書 KA-EN-JŌ-GŌ-SHO [定業延命抄] JŌ-GŌ-ENMEI-SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。    英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEKYO TO OBOS

さいわいは心よりいでて我をかざる - Fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect.

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本文 わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる わざわいは くちより いでで みを やぶる・ さいわいは こころより いでて われを かざる 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 災事は口から出て、災難を呼び寄せて、自分自身の身を滅ぼす元となる。 幸福とは誠意と真心からの振舞いから、幸福を呼び寄せて、どのような宝石よりも自分自身を輝かせる事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English Misfortune comes from one’s mouth and ruins one, but fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる WAZAWAI WA KUCHI YORI IDETE MI WO YABURU・ SAIWAI WA KOKORO YORI IDETE WARE WO KAZARU 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり -The belief of some is like fire while that of others is like water.

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本文 法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、 水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり ほけきょう を しんずる ひと あり・あるいは ひ の ごとく しんずる ひと も あり・あるいは みず の ごとく しんずる ひと も あり、 ちょうもん する とき は・もえたつ ばかり おもえども・とおざかり ぬれば・すつる こころ あり、 みず の ごとく と もうす は・いつも・たいせず しんずる なり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [水火二信抄] すいかにしんしょう (1544頁) 建治4年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人がいる。あるいは火のように信ずる人もあり、あるいは水の流れるように信ずる人もいる。 火のように信ずる人というのは、法華経の法門を聴いたその時は、燃え立つような信心が沸き起こるように思うけれども、時が経つにつれて遠ざかると、その発心した心を忘れてしまうのである。  水のように信ずる人というのは、常に後退せずに信ずる人をいうのである。   英語で御書 Gosho in English Today there are people who have faith in the Lotus Sutra. The belief of some is like fire while that of others is like water. When the former listen to the teachings, their passion flares up like fire, but as time goes on, they tend to discard their faith. To have faith like water means to believe continuously without ever regressing. " The Two Kinds of Faith " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 899 in February, 1279. [ -

譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し - This is similar to a tarnished mirror that will shine like a jewel when polished.

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本文 衆生と云うも 仏と云うも 亦 此くの如し 迷う時は 衆生と名付け 悟る時をば 仏と名けたり、 譬えば 闇鏡も 磨きぬれば 玉と見ゆるが如し、 只今も 一念無明の迷心は 磨かざる鏡なり 是を磨かば 必ず 法性真如の明鏡と 成るべし、 深く信心を発して 日夜朝暮に 又 懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只 南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを 是を磨くとは云うなり しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし まよう ときは しゅじょうと なづけ さとる ときをば ほとけと なづけたり、 たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし、 ただいまも いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 衆生といっても仏といっても、また同様に2つの隔てがあるわけではない。迷う時は衆生と名付け、悟った時には仏と名付けるのである。 たとえば、曇っている鏡であっても、磨けば玉のように見えるようなものである。 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English It is the same with a Buddha and an ordinary being. When deluded, one is called an ordinary being, but when enlightened, one is called a Buddha. This is s

所謂南無妙法蓮華経は精進行なり - Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice.

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本文 一念に 億劫の辛労を尽せば 本来 無作の三身 念念に起るなり 所謂 南無妙法蓮華経は 精進行なり いちねんに おくごうの しんろうを つくせば ほんらい むさのさんじん ねんねんに おこるなり いわゆる なんみょうほうれんげきょうは しょうじんぎょうなり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 湧出品 にじゅうはっぽんにいちぶんずつのだいじ ゆしゅつぼん (790頁) 通解(意訳) 一念に億劫(おくごう;仏教における時間の最長単位である「劫(こう・ごう)」の一億倍、永劫、永遠)にも匹敵する努力を尽くして仏道修行に励んでいけば、本来、自分自身に具わっている仏の生命(無作の三身。無作:むさ;本来の意、三身:さんじん;仏の三種類の特性)が、瞬間瞬間に起こってくるのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、精進行である。 英語で御書 Gosho in English If in a single moment of life we exhaust the pains and trials of millions of kalpas, then instant after instant there will arise in us the three Buddha bodies with which we are eternally endowed. Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice. ==================================== Separate Transmission The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters  of the Lotus Sutra 15. Emerging from the Earth "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, 214 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一念に 億劫の辛労を尽せば 本

水は一なれども果報に随つて別別なり - Though the water is the same, it appears differently according to one’s karmic reward from the past.

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本文 此の経の文字は 皆悉く 生身妙覚の御仏なり 然れども 我等は肉眼なれば文字と見るなり、 例せば 餓鬼は恒河を火と見る 人は水と見る 天人は甘露と見る 水は一なれども 果報に随つて別別なり この きょうの もじは みな ことごとく しょうじんみょうかくの みほとけ なり しかれども われらは にくがん なれば もじと みる なり、 れいせば がきは ごうかを ひ と みる ひとは みず と みる てんにん は かんろ と みる みず は いち なれども かほうに したがって べつべつ なり 曾谷入道殿御返事 そやにゅうどうどのごへんじ (1025頁) 文永12年3月 (1275) 通解(意訳) この法華経の文字は、一字一字のすべてがことごとく、生身の釈迦仏と同じであり、そのまま自身の仏性と同じなのである。しかしながら、我等は凡夫の肉眼なので、ただの文字だと見るのである。 例えば、餓鬼界の境涯の者は恒河(ガンジス河)を火と見て恐れる。人界の境涯の者は水と見る。天界の境涯の者は甘露と見る。 水は同じひとつのものであるけれども、見る者の境涯の違いによって、見え方は別々なのである 英語で御書 Gosho in English The characters of this Sutra are all without exception living Buddhas of perfect enlightenment. But because we have the eyes of ordinary people, we see them as characters. For instance, hungry spirits perceive the Ganges River as fire, human beings perceive it as water, and heavenly beings perceive it as amrita. Though the water is the same, it appears differently according to one’s karmic reward from the past.  " Reply to the Lay Priest Soya " "The

設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし - Whatever trouble occurs, regard it as no more than a dream, and think only of the Lotus Sutra.

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本文 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし、 中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが 今は前前いひをきし事既にあひぬれば よしなく謗ぜし人人も悔ゆる心あるべし、 設いこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず たとい・いかなる・わずらわしきこと ありとも ゆめに なして ただ ほけきょう の こと のみ さわぐらせ たもうべし、 なかにも にちれんが ほうもんは いにしえ こそ しんじ かたかりしが いまは さきざき いいおきしこと すでに あいぬれば よしなく ぼうぜし ひとびとも くゆる こころ あるべし、 たとい これより のちに しんずる なんにょ ありとも おのおのには かえ おもう べからず 兄弟抄 きょうだいしょう (1080頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) たとえ、心を煩わせるような悩みや苦難があったとしても、これを夢と思って、ただ法華経の修行のことだけを思索し、専念していきなさい。 なかでも、日蓮の法門は、以前には信じ難かったが、今は前々から言っておいたことが的中したので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているであろう。たとえ、これより後に法華経を信ずる男女があっても、あなた方に替えて思うことはできない。 英語で御書 Gosho in English Whatever trouble occurs, regard it as no more than a dream, and think only of the Lotus Sutra. Nichiren’s teaching was especially difficult to believe at first, but now that my prophecies have been fulfilled, those who slandered without reason have come to repent. Even if in the future other men and women become my believers, they will not replace you in my heart. " Letter to the Brothers &quo

仏の種は法華経より外になきなり - the seeds of Buddhahood exist nowhere apart from the Lotus Sutra.

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本文 とてもかくても 法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし 謗ぜん者は 毒鼓の縁となって仏になるべきなり、 何にとしても  仏の種は 法華経より外になきなり とてもかくても ほけきょう を しいて とき きかす べし、しんぜん ひと は ほとけ に なるべし ぼうぜん もの は どっく の えん と なって ほとけ に なるべき なり、 いかにとしても ほとけ の たね は ほけきょう より ほか に なきなり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (552頁) 建治3年3月 (1277年) 通解(意訳) とにもかくにも、法華経を強いて 説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る(そしる)者は 、涅槃経にある毒鼓の縁(どっく の えん、毒を塗った太鼓を叩くと、聞く人も聞こうとしない人も、その音を聞いた者は皆死ぬ=煩悩を滅し、法華経への道を得る)、逆縁となって仏になるのである。 どちらにしても仏の種は、法華経よりほかにはないのである。 相手が聞くか聞かないかはともかく、「自分の勇気を強く奮い立たせて、誠実に粘り強く」あえて信心の事を語り、信心の種を相手に植え付ける(下種していく)べきである。すぐにその種が芽生える人(発心下種・ほっしんげしゅ)もいれば、すぐには芽生えない人(聞法下種・もんぽうげしゅ)もいる。 どちらにしても、種はまいているのだから、必ず相手が信心をする時がくる。折伏の結果は相手ではなく、自分の一念次第なのである。 英語で御書 Gosho in English One should by all means persist in preaching the Lotus Sutra and causing them to hear it. Those who put their faith in it will surely attain Buddhahood, while those who slander it will establish a “poison-drum relationship” with it and will likewise attain Buddhahood. In any event, the seeds of Buddhahood exist nowhere apar

一切衆生の盲目をひらける功徳あり - It has the beneficial power to open the blind eyes of every living being

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日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。 日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。   この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-myoho-renge-ky

凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり - Ordinary people keep in mind the words “earnest resolve” and thereby become Buddhas.

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本文 仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり ほとけになりそうろうことはぼんぷはこころざしともうすもじをこころえてぼんぷになりそうろうなり 白米一俵御書 はくまいいっぴょうごしょ [事理供養御書] じりくようごしょ (1596頁)  年月不明 通解(意訳) 仏に成るということは、凡夫は「志」という文字を心得て仏に成るのである。 英語で御書 Gosho in English As for the matter of becoming a Buddha, ordinary people keep in mind the words “earnest resolve” and thereby become Buddhas. " The Gift of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1125 Unknown Year. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏 に なり 候 事 は 凡夫 は 志ざし と 申す 文字 を 心へて 仏 に なり 候なり HOTOKE NI NARI SŌRŌ KORO WA BONPU WA KOKOROZASHI TO MŌSU MOJI WO KOKOROETE HOTOKE NI NARI SŌRŌ NARI 白米 一俵 御書 HAKUMAI IP'PYO GOSHO [事 理 供養 御書] JI RI KUYŌ GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

妙とは蘇生の義なり - Myō means to revive

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本文 妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すは蘇る義なり みょう とは そせい の ぎ なり そせい と もうす は よみがえる ぎ なり 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう (947頁) 文永3年1月6日 (1266年) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の)妙とは蘇生の意味である。 蘇生とは、悩んで苦しんでいる心や生命が蘇るということである。 英語で御書 Gosho in English Myō means to revive, that is, to return to life. " The Daimoku of the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 149 in January, 1266. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Resuscitation means that the troubled and suffering body and mind is revive. "Myō : 妙" , This is the character of the Nam-Myoho-Renge-Kyo. Gosho in Japanese 妙 とは 蘇生 の 義 なり 蘇生 と 申す は 蘇る 義 なり MYO TOWA SOSEI NO GI NARI SOSEI TO MŌSU WA YOMIGAERU GI NARI 法華経 題目 抄 HOKEKYO DAIMOKU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

人身は持ちがたし草の上の露 - Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass.

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本文 人身は受けがたし 爪の上の土・人身は持ちがたし 草の上の露、 百二十まで持ちて 名を・くたして死せんよりは 生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ じんしん は うけがたし つめ の うえ の つち・じんしん は もちがたし くさ の うえ の つゆ、 ひゃく にじゅう まで もちて な を くたして し せん より は いきて いちにち なりとも な を あげん こと こそ たいせつ なれ 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 人間として生まれてくることは難しいことであって、爪の上に乗っているわずかな土のようにまれである。また、人間として生まれたとしてもその身を持つことは難しく、草の上に乗っている朝露がすぐに蒸発してしまうようにはかない。 たとえ120歳まで身を持ったとしても、悪い評判を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。 英語で御書 Gosho in English It is rare to be born a human being. The number of those endowed with human life is as small as the amount of earth one can place on a fingernail. Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass. But it is better to live a single day with honor than to live to 120 and die in disgrace. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 850 in November, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 人身 は 受けがたし 爪 の 上 の 土・人

後生のたのもしさ申すばかりなし - No words can express the promise of your next existence.

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本文 各各は二人は・すでにとこそ人は み しかども・かく いみじく みへさせ 給うは・ひとえに釈迦仏・法華経の御力なりと・をぼすらむ、 又 此れにも をもひ候、後生の たのもしさ 申すばかりなし、 此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし、設ひ命に及ぶとも すこしも・ひるむ事なかれ おのおの は ふたり は・すでに と こそ ひとは み しかども・かく いみじく みえさせ たもう は・ひとえ に しゃかぶつ・ほけきょう の おんちから なり と・おぼすらむ、 また これにも おもい そうろう、ごしょう の たのもしさ もうす ばかり なし、 これより のち も・いかなる こと ありとも・すこし も たゆむ こと なかれ、いよいよ・はりあげて せしむべし、たとい いのち に およぶ とも すこしも・ひるむ こと なかれ 兵衛志殿御返事 ひょうえのさかんどのごへんじ [鎌足造仏事] かまたりぞうぶつじ (1089頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) あなた方は、世間の人々から二人(池上兄弟)は、とっくに信心を捨てたと見ていたのに、このように立派に信心を全うしてこられたのは、ひとえに釈迦仏・法華経の御力であると思っておられることであろう。 日蓮もそう思っている。後世の頼もしさは言葉では言い表すことができない。 これからも、いかなる事があろうとも、少しも信心が弛んではならない。いよいよ声を張り上げて正義を語り、強く謗法を責めていきなさい。たとえ命に及ぶことがあっても、少しも怯んではならない。 英語で御書 Gosho in English People have regarded the two of you as surely having already yielded, but you have acted in an admirable manner. You probably think this is solely due to the power of Shakyamuni Buddha and the Lotus Sutra. I believe this also. No words can express the promise of your next existence.

仏種は縁に従つて起る - The seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions

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本文 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、 仏種は縁に従つて起る 是の故に 一乗を説くなるべし その くに の ぶっぽう は きへん に まかせ たてまつり そうろうぞ、 ぶっしゅ は えん に よって おこる その ゆえに いちじょう を とく なるべし 高橋殿御返事 たかはしどのごへんじ [米穀御書] べいこくごしょ (1445頁) 年月不明 (建治~弘安が有力) (1275~78年) 通解(意訳) その国の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種という、本来誰もが持っている仏の生命は、この妙法を誠実に語るという、妙法との縁によって起こるものである。この故に、”諸教で最も優れた法華経の法(一乗)”を説くのである。 友情と信頼の拡大 人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって大きく変わることができる。ありのままの人間として心を開き、声をかけていくのだ。  その瞬間から、お互いの生命が、より強く、より豊かに変わり始める。 -池田大作  英語で御書 Gosho in English I entrust you with the propagation of Buddhism in your province. It is stated that “the seeds of Buddhahood sprout as a result of conditions, and for this reason they preach the single vehicle.” " Properties of Rice " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1117 The main opinion is from 1275 to 1278. [ --- ] is liberal translation. Expanding friendship and trust People's minds be able to change greatly on the fellowship with others. Open your  heart as an natural person and call out to others.  From th

百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる - Alantern lighting up a place that has been dark for a hundred, a thousand, or ten thousand years.

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本文 この経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候、 悪人も女人も畜生も地獄の衆生も十界ともに即身成仏と説かれて候は、 水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる この きょうの だいもくは ならい よむ こと なくして だいなる ぜんこんにて そうろう、 あくにんも にょにんも ちくしょうも じごくのしゅじょうも じっかい ともに そくしんじょうぶつ と とかれて そうろうは、 みずの そこなる いしに ひの あるが ごとく ひゃくせんまんねん くらき ところにも ともしびを いれぬれば あかくなる 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1403頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 法華経の題目とは、内容を習い読み、理解して唱えるのではなくとも、大きな善根を積むことになるのである。 悪人も女人も、畜生界や地獄界の衆生も、一切衆生が等しく備えている十界と共に、題目を唱えた瞬間に即身成仏ができると説かれていることは、 水の底に沈んでいる石でも、こすれば火を発するように、また百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、燈火を入れれば明るくなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English Even though one neither reads nor studies the sutra, chanting the title alone is the source of tremendous good fortune. The sutra teaches that women, evil men, and those in the realms of animals and hell—in fact, all the beings of the Ten Worlds—can attain Buddhahood in their present form. [This is an incomparably greater wonder than] fire being produced by a stone taken from the bottom of a river, or a lantern lighting up a plac

持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし - If the Law that one embraces is supreme, then the person who embraces it must accordingly be foremost among all others.

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本文 一切の仏法も 又 人によりて弘まるべし 之に依つて天台は仏世すら 猶 人を以て法を顕はす  末代いづくんぞ 法は 貴けれども 人は 賎しと云はんやとこそ 釈して御坐候へ、 されば 持たるる法だに第一ならば 持つ人随つて第一なるべし いっさい の ぶっぽう も また ひと に よりて ひろまるべし これに よって てんだい は ぶっせ すら なお ひと を もって ほう を あらわす まつだい いずくんぞ ほう は たっとけれども ひと は いやし と いわんや と こそ しゃく して おわし そうらへ、 されば もたるる ほう だに だいいち ならば もつ ひと また したがって だいいち なるべし 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (465~466頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) 一切の仏法もまた人によって弘まる。これに寄せて天台大師は「仏(釈尊)の在世でさえ、なお人によって法をあらわす。末代にあっても、どうして法は貴いけれども人は賎しいとはいえようか」と解釈されている。それゆえ、持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。  英語で御書 Gosho in English All the various teachings of the Buddha are spread by persons. As T'ien-t'ai said: “Even during the Buddha's lifetime, the Law was revealed by people. How, then, in the latter age, can one say that the Law is worthy of respect, but that the person who upholds it is to be despised?” Hence, if the Law that one embraces is supreme, then the person who embraces it must accordingly be foremost among all others. " Questions and Answers about Embracing the Lo

一眼のかめの浮木の穴に入り - the one-eyed turtle finding a suitable hollow in a floating sandalwood log

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本文 南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は・一眼の かめ の浮木の穴に入り・天より下 いと の 地の はりの 穴に入るがごとし なんみょうほうれんげきょう と となえさせ たまいける こと は・いちげん の かめ の うきぎ の あな に いり・てん より くだす いと の ち の はり の あな に はいる が ごとし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [末法要法御書] まっぽうようほうごしょ (1545頁)  弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経と唱えられたということは、千年に一度しか浮かび上がってこない伝説の一眼の亀が、海に浮いていた浮木にたまたま出会って、浮き木の穴に入ることができたようなものであり、天から下した糸が、大地に立ててある針の穴に通ったようなものである。 このように、南無妙法蓮華経と唱える事自体が大変まれな事であり、素晴らしい事なのである。  英語で御書 Gosho in English This is as rare as the one-eyed turtle finding a suitable hollow in a floating sandalwood log, or a thread lowered from the heavens passing through the eye of a needle on earth.  " The Teaching for the Latter Day "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 903 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This is as rare...; Chanting the Nam-Myoho-Renge-Kyo. The One-eyed turtle; Legendary turtle that come up to surface on the sea at the only once in a thousand years. As in these examples, Chan

このおとこ娑婆最後のぜんちしきなりけり - It is this husband who was your last good friend in the sahā world.

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本文 過去遠遠より女の身となりしが・このおとこ娑婆最後のぜんちしきなりけり。 *      ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ・いかにこ人の・返らざるらむ。      こぞもうく・ことしもつらき・月日かな・おもひはいつも・はれぬものゆへ。 * 法華経の題目を・となへまいらせて・まいらせ候。 日 蓮 花 押 *から*は、大聖人の和歌。 かこおんのんよりおんなのみとなりしが・このおとこさいごのぜんちしきなりけり。 *      ちりしはな・をちしこのみの・さきむすぶ・いかにこひとの・かえらざるらむ。      こぞもうく・ことしもつらき・つきひかな・おもいはいつも・はれぬものゆえ * ほけきょうのだいもくを・となえまいらせて・まいらせそうろう。 にちれんおうか 妙心尼御前御返事 みょうしんあまごぜんごへんじ [相思樹御書] そうしじゅごしょ (1482~1483頁) 弘安2年11月 (1279) 通解(意訳) 過去遠遠劫より、あなたは女性として生れてきたが、(亡くなられた)今世の夫こそ、娑婆での最高の善知識(自分に良い影響を与えてくれる人)です。  散りし華・落ちし木の実も・咲き結ぶ・如何に故人の・返らざるらむ  こぞもうく・今年もつらき・月日かな・想いはいつも・晴れぬものゆえ (散った花、落ちた木の実も、再び花が咲き実を結ぶのに、どうして死んだ人は帰らないのだろう。  去年もそして今年も、辛い月日です。想いはいつも晴れないものだから。) 法華経の題目をお唱え申し上げました。 日 蓮 英語で御書 Gosho in English You have been born as a woman in countless existences since the far distant past, but it is this husband who was your last good friend in the sahā world. *      Scattered blossoms      and fallen fruit      bloom and form again.      Why must the deceased one      never return?      Last year you grieved      t