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先ず四表の静謐を祷らん者か - You should first of all pray for order and tranquillity throughout the four quarters of the land, should you not?

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本文 汝須く一身の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷らん者か なんじ すべからく いっしんの あんどを おもわば まず しひょうの せいひつを いのらんものか 立正安国論 りっしょうあんこくろん (31頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) あなたが自身の安遠・平穏である事を願うならば、まず、自分の周囲を取り囲んでいる社会全体の静穏・平和を祈るべきである。 英語で御書 Gosho in English If you care anything about your personal security, you should first of all pray for order and tranquillity throughout the four quarters of the land, should you not? " On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 24 in July, 1260. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  If you wish for your own peace and tranquility, you should first pray for the peace and tranquility of the entire society that surrounds you. Gosho in Japanese 汝須く一身の安堵を思わば 先ず四表の静謐を祷らん者か NANJI SUBEKARAKU IS’SHIN NO ANDO WO OMOWABA MAZU SHIHYO NO SEIHITSU WO INORAN MONO KA 立正 安国 論 RIS'SHŌ ANKOKU RON 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The

御面を見ては なにかせん心こそ大切に候へ - Merely seeing each other’s face would in itself be insignificant. It is the heart that is important.

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本文 天月は 四万由旬なれども 大地の池には 須臾に 影 浮び 雷門の鼓は 千万里 遠けれども 打ちては 須臾に聞ゆ、 御身は 佐渡の国に をはせども 心は 此の国に 来れり、 仏に成る道も 此くの如し、我等は 穢土に候へども 心は霊山に住べし、 御面を見ては なにかせん 心こそ大切に候へ てんげつ は よんまん ゆじゅん なれども だいち の いけ には しゅゆ に かげ うかび らいもん の つづみ は せんまん り とおけれども うち ては しゅゆ に きこゆ、 おんみ は さど の くに に おわせども こころ は この くに に きたれり、 ほとけ に なる みち も かく の ごとし、われら は えど に そうらえども こころ は りょうぜん に すむ べし、 おかお を みては なにかせん こころ こそ たいせつ に そうらえ 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [雷門鼓御書] らいもんのつづみごしょ (1316頁) 弘安元年10月 (1278年) 通解(意訳) 天の月ははるか遠くに離れているけれども、月が上れば大地の池にはすぐに影が浮かび、雷門の鼓は万里の遠くにあっても打てばすぐに聞こえる。あなたの身体は佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来られている。 仏に成る道もこのような事である。我等は穢土に住んではいるが、心は霊山浄土に住んでいる。お顔だけを拝見したからといって、なんになるだろう。 遠く離れていても、求道心あふれる心こそ大切なのである。 英語で御書 Gosho in English Though the moon is forty thousand yojanas [ feet ] high in the heavens, its reflection appears instantly in a pond on earth; and the sound of the drum at the Gate of Thunder is immediately heard a thousand, ten thousand ri [ miles ] in the distance. Though you remain in Sado, your heart has come to thi

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。  英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”

是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん - Able to hear this sutra, then his illness will be wiped out and he will know neither old age nor death.

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本文 法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、されば経に云く「此の経は則ち為 閻浮提の人の病の良薬なり 若し人 病有らんに 是の経を聞くことを得ば 病 即消滅して不老不死ならん」等云云 ほけきょう と もうす おきょう は しんしん の しょびょう の りょうやく なり、されば きょう に いわく「この きょう は すなわち これ えんぶだい の ひと の やまい の りょうやく なり もし ひと やまい あらん に この きょう を きく こと を えば びょうそく しょうめつ して ふろう ふし ならん」とう うんぬん 太田左衛門尉御返事 おおたさえもんのじょうごへんじ [方便寿量肝心事] ほうべんじゅりょうかんじんじ (1015頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 法華経という御経は身心の諸々の病の良薬である。 そうであるから、法華経薬王品第23に「この経はすなわちこれ、閻浮提(えんぶだい=全世界)の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞くことができれば、病はすぐに治って、不老不死となるであろう」等とある。 法華経は、体や心の全ての病の良薬である。 毎朝夕の勤行で法華経の方便品第二、如来寿量品第十六を読み、法華経の主題である「南無妙法蓮華経」と題目を深く信じていきなさい。 自分自身も題目を唱え、病人にも題目や日蓮仏法の素晴らしさを勧め聞かせていけば、必ず病は治り、老いや死への恐怖をも希望へと変革できるであろう、と説かれている。 英語で御書 Gosho in English The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind. Thus it states: “This sutra provides good medicine for the ills of the people of Jambudvīpa. If a person who has an illness is able to hear this sutra, then his illness will be wiped out and he will know neither old age nor

日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか - If you are of the same mind as Nichiren, you must be a Bodhisattva of the Earth.

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本文 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にてとをり、日蓮が一門と なりとをし給うべし、 日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、 経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり いかにも こんど・しんじん を いたして ほけきょう の ぎょうじゃ にて とおり、にちれん が いちもん と なりとおし たもうべし、にちれん と どうい ならば じゆ の ぼさつ たらんか、じゆ の ぼさつ に さだまりなば しゃくそん くおん の でし たる こと あに うたがわんや、 きょう に いわく「われ くおん より この かた これら の しゅ を きょうけ す」とは これ なり、 まっぽう に して みょうほうれんげきょう の ごじ を ひろめん もの は なんにょ は きらう べからず、みな じゆ の ぼさつ の しゅつげん に あらずんば となえがたき だいもく なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) どんなことがあっても、今世で信心を起こしたなら、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり、師弟の道を貫き通しなさい。 日蓮と同じ志しならば、地涌の菩薩(じゆ の ぼさつ)であろうか。地涌の菩薩であると定まっているのであれば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。 法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのは、このことである。 末法において、妙法蓮華経の五字を弘める者は、老若男女問わず、分け隔てをしてはならない。皆それぞれの使命を持って、地涌の菩薩として出現した人々でなければ、唱えることのできない題目だからである。   英語で御書 Gosho in English Now, no matter what, strive in faith and be known as a votary of the Lotus Sutra, and remain my disciple for the rest of yo

仏法の中に内薫外護と申す大なる大事あり - Buddhism teaches that, when the Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without.

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本文 仏法の中に 内薫外護(ないくん げご)と申す 大なる大事ありて 宗論にて候、 法華経には「我 深く汝等を敬う」 涅槃経には「一切衆生 悉く 仏性有り」 (中略) かくれたる事のあらはれたる 徳となり候なり ぶっぽう の なか に ないくん げご と もうす おおい なる だいじ ありて しゅうろん にて そうろう、 ほけきょう には「われ ふかく なんだち を うやまう」 ねはんぎょう には「いっさい しゅじょう ことごとく ぶっしょう あり」 (ちゅうりゃく) かくれ たる こと の あらわれ たる とく と なり そうろう なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1170~1171頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 仏法の中に「内薫外護」という大事な法門があり、これが仏教を説く上で大事となる原理である。 法華経の不軽品には、「私は深くあなた達のことを敬う」とあり、 涅槃経には「あらゆる人々の生命には、等しく仏性という無限の可能性が元来備わっている」とある。 「あらゆる人の生命に、もともと仏性が内在しており、布に染み込ませた香料が薫りを発するように、仏性が生命の内より薫発すること(内薫)によって、迷いの生命が消滅して、自己の仏性が身体や言動などの現証という、目に見える働きとなって顕れるのである。この時、仏性を涌現した自分と縁している周囲の人々の言動や様々な現証も、仏性という無限の可能性を大きく引き出す助けとなって、自分も、自分に縁した人々をも護る(外護)という働きが顕れる。」 これを内薫外護と呼ぶのである。 (中略) 人知れず、人のために動き働いた事実は、隠れてはいるが内薫として自己の生命を豊かにし、仏性を開き、振舞いや周囲の助けといった徳・外護となって顕れてくるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism teaches that, when the Buddha nature manifests itself from within, it will receive protection from without. This is one of its fundamental principles.  The Lotus

宝珠は懐中に持ぬれば万物皆ふらさずと云う事なし - One who carries in one’s robe a wish-granting jewel can have any desire fulfilled

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本文 日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり 大光を備へ給へる故なり、蛍火は未だ国土を照さず 宝珠は懐中に持ぬれば 万物 皆ふらさずと云う事なし、瓦石は財をふらさず にちりん・とうほうの そらに いでさせ たまえば なんぶ の そら・みな あきらかなり たいこうを そなえ たまえる ゆえなり、ほたるびは いまだ こくどを てらさず ほうしゅは かいちゅうに もちぬれば ばんぶつ みな ふらさずと ゆうこと なし、がしゃくは たからを ふらさず 善無畏三蔵抄 ぜんむいさんぞうしょう (883~884頁) 文永7年 (1270年) 通解(意訳) 太陽が東方の空に昇ったならば、南閻浮提(世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大いなる光を備えているからである。螢の灯火は一つの国土でさえ照らすことができない。 また、宝珠を懐の中に持っていれば、ありとあらゆるものを降らすことができるが、瓦や石は財宝を降らすことはできない。 ☆メリー・クリスマス☆ 英語で御書 Gosho in English When the sun rises in the eastern sector of the sky, then all the skies over the great continent of Jambudvīpa in the south will be illuminated because of the vast light that the sun possesses. But the feeble glow of the firefly can never shed light on a whole nation. One who carries in one’s robe a wish-granting jewel can have any desire fulfilled, but mere shards and stones can confer no treasures. " The Tripitaka Master Shan-wu-wei " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 169 to 170 in 1270

しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし - Though we may suffer for a while, ultimately delight awaits us.

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本文 しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、 国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ しばらく の く こそ そうらえとも・つい には・たのし かるべし、 こくおう ひとり の たいし の ごとし・いかでか くらい に つざらん と・おぼしめし そうらえ 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [熱原外護事] あつはらげごじ (1565頁) 弘安3年7月 (1279年) 通解(意訳) しばらく苦しいことがあっても、先では必ず楽しみとなるのである。 たとえば国王の一人息子である太子が、必ず国王の位を継ぐように、我等もどうして成仏できないことがあろうかと思って、信心を根本に耐えなさい。 英語で御書 Gosho in English Though we may suffer for a while, ultimately delight awaits us. It is like the case of a crown prince, the only son of the king. Consider this: How can he possibly fail to ascend the throne? " Protecting the Atsuhara Believers " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 882 in April, 1279 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  In this way, you should through the difficulties, with believe fundamental of the faith; "There is no reason why we cannot become attaining to the Buddhahood." Gosho in Japanese しばらく の 苦 こそ 候とも・つい には・たのしかる べし、 国王 一人 の 太子 の ごとし・いかでか 位 に つかざら

名聞名利は今生のかざり - Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence

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本文 只須く 汝 仏にならんと思はば 慢の はたほこを たをし 忿りの 杖を すてて 偏に 一乗に 帰すべし、 名聞名利は 今生のかざり 我慢 偏執は 後生のほだしなり ただ すべからく なんじ ほとけ に ならん と おもわば まん の はたほこ を たおし いかり の つえ を すてて ひとえ に いちじょう に き すべし、 みょうもん みょうり は こんじょう の かざり がまん へんしゅう は ごしょう の ほだし なり 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどしょう (463頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) あなたがただ仏になろうと思うならば、傲慢な心という旗鉾(はたほこ)を倒し、怒りという杖を捨てて、ただひとえに、仏に成る事ができる唯一の法(一乗)である法華経に帰依すべきである。 世間の評判や名誉(名聞名利)は今生だけの飾りであり、それらに自惚れ、固執(我慢偏執)していても、来世には何の役にも立たず、ただ成仏への足かせにしかならないのである。 英語で御書 Gosho in English Now, if you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger, and devote yourself exclusively to the one vehicle of the Lotus Sutra. Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence, and arrogance and prejudice are ties that will fetter you in the next one. " Questions and Answers about Embracing the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 58 to 59 in 1263. [ --- ] is liberal translati

火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや - Doesn’t a fire burn more briskly when logs are added?

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本文 末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心 弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんに さかんなる事なかるべしや まっぽう には ほけきょう の ぎょうじゃ かならず しゅったい すべし、ただし だいなん きたり なば ごうじょう の しんじん いよいよ よろこび を なすべし、ひ に まき を くわえん に さかん なること なかるべしや 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 末法には法華経の行者が必ず出現する。 ただし、大難が来たならば、さらに強盛に信心に励むことができると、これを喜びなさい。例えば、火に薪を加えれば、その火が増々さかんに燃え上がらない事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English In the Latter Day of the Law, the votary of the Lotus Sutra will appear without fail.  The greater the hardships befalling him, the greater the delight he feels,  because of his strong faith. Doesn’t a fire burn more briskly when logs are added? " A Ship to Cross the Sea of Suffering " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 33 in April, 1261. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 末法 には 法華経 の 行者 必ず 出来 すべし、 但し 大難 来りなば 強盛 の 信心 弥弥 悦び を なすべし、 火 に 薪 を くわへん に さかん なる 事 なかる べしや MAP'PO NIWA HOKEKYO NO GYŌJA KANARAZU SHUT'T

一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (910~911頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even  Mahākāshyapa, Ānanda, Ashvaghosha, Nāgārjuna, Nan-yüeh, T’ien-t’ai, Miao-lo, or Dengyō has propagated them. My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa or Ānanda

雨の猛きを見て竜の大なるを知り - By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it

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本文 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、 妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。 てんだい いわく、「あめ の たけき を みて りゅう の だい なる を しり はな の さかん なる を みて いけ の ふかき こと を しる」とう うんぬん、みょうらく いわく、「ちじん は き を しり へび は みずから へび を しる」とう うんぬん、 てん はれぬれば ち あきらか なり ほっけ を しる もの は せほう を う べきか。 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 天台大師は「雨が猛々しく降る現証を見て、雨を降らせる言われている、竜の力の偉大なることを知り、蓮華の花が大きく咲き盛なっている様子を見て、その池の深いことを知る」等と言い、妙楽大師は「智人は将来起こるべきことを知り、蛇は自ら蛇の本質を知っている」等と言っている。 天が晴れるならば、大地は明るくなる。太陽の光に従って大地が明るくなるように、法華経を識る者は、世の中の道理と仏法の法理がかけ離れていないこと(世法=仏法即社会)を、自ら明らかに知ることができて、自身の使命を果たし、実証を示すことに目覚めることができるであろう。 英語で御書 Gosho in English T’ien-t’ai states, “By observing the fury of the rain, we can tell the greatness of the dragon that caused it, and by observing the flourishing of the lotus flowers, we can tell the depth of the pond they grow in.” Miao-lo says, “Wise men can perceive the cause of things, as snakes know the way of snakes.” When the

いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも 法華経に きずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょりょうのこと (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生 は ゆめ の 上・明日 を ごせず・いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条 金吾 殿 御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [不可惜 所領事] FUKASHAKU SHORYŌ-NO-KOTO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daish

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。   英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEKY

仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや - Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.

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本文 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか ぶっきょうを ならわん もの ぶも・ししょう・こくおんを わするべしや、 この だいおんを ほうぜんには かならず ぶっぽうを ならい きわめ ちしゃと ならで たもうべきか 報恩抄 ほうおんしょう (293頁) 建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 仏法を習っている者が、父母の恩、師匠の恩、国(社会)の恩を忘れていいわけがあろうか。 この親・師匠・国主の大恩(主・師・親の三徳)に報恩(ほうおん・恩返し)するためには、必ず仏法の真髄を徹底して習い極め、智者へと成長する事で、報恩が叶うのである。 英語で御書 Gosho in English What can we say, then, of persons who are devoting themselves to Buddhism? Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country. But if one intends to repay these great debts of gratitude, one can hope to do so only if one learns and masters Buddhism, becoming a person of wisdom. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 690 in July, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏教を ならはん者 父母・師匠・国恩を わするべしや、 此の大恩を ほうぜんには 必ず仏法を ならひ きはめ 智者とならで叶うべきか BUK'KYO WO NARAWAN MONO BUMO・SHISHŌ・KOKUON WO

大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し - Will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.

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本文 国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば 存外に功徳 身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は 大海の露をあつめ 須弥山の微塵を つむが如し くにじゅう の ひとびと・ひとり・ふたり・ないし いっせんまんのく の ひと・だいもく を となうる ならば ぞんがい に くどく みに あつまらせ たもうべし、 その くどく は たいかい の つゆ を あつめ しゅみせん の みじん を つむ が ごとし 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう (1234頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、知らず知らずのうちに、功徳があなたの身に集まるであろう。 その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山が塵を積んで大きくなっていくようのものである。 英語で御書 Gosho in English As first one person, then two persons, then a thousand, ten thousand, a hundred thousand, and then all the people throughout the country come to chant the daimoku, before you know it, their blessings will accrue to you. Those blessings will be like the drops of dew that gather to form the great ocean, or the specks of dust that pile up to become Mount Sumeru.  " The Blessings of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 667 in March, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 国中 の 諸人・一人・二人・乃至 千

悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり - It also refers to the merit achieved by wiping out evil, while the element toku or doku refers to the virtue one acquires by bringing about good.

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本文 功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、 功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、 法華経の説文の如く修行するを六根清浄と意得可きなり く とは さち と いうこと なり または あく を めっする を く と いい ぜん を しょうずる をとく と いうなり、 くどく とは そくしんじょうぶつ なり また ろっこんしょうじょう なり、 ほけきょう の せつもん の ごとく しゅぎょう する を ろっこんしょうじょう と こころうべきべき なり 御義口伝 おんぎくでん 法師功徳品 四箇の大事 ほっしくどくほん よんかのだいじ 第一 法師功徳の事 だいいち ほっしくどくのこと (762頁) 通解(意訳) (功徳とは)揺るぎない幸福境涯の確立である。功とは悪を滅することであり、徳とは善を生ずることである。 功徳とは即身成仏であり、六根清浄である。 功徳とは、信心の実践に励むことによって、私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、智慧や安楽などの善を生み出すことであり、自身の宿命転換、人間革命で、絶対的な幸福境涯を確立すること、すなわち成仏が、最高・最大の功徳である。 六根清浄とは、目・耳・鼻・舌・身(皮膚)と意(心)という六つの感覚・認識器官、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮できることである。 法華経の経文の通りに修行することを、六根清浄と心得るべきである。 英語で御書 Gosho in English The element ku in the word kudoku*means good fortune or happiness. It also refers to the merit achieved by wiping out evil, while the element toku or doku refers to the virtue one acquires by bringing about good. Thus the word kudoku means to attain Buddhahood in one’s present form. It also means the purification of the six sense orga

法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法共に尊し - Law does not propagating naturally.The law is propagating by the Person.

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本文 法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法共に尊し ほう みずからひろまらず ひと・ほうをひろむる ゆえに にんぽうともにとうとし 百六箇抄 ひゃくろっかしょう [血脈抄] けつみゃくしょう (856頁) 弘安3年1月 (1280年) 通解(意訳) 法は自然に弘まるものではない。人が法を弘めるのであるからこそ、弘める人も、弘まる法も、共に尊いのである。 英語で御書 Gosho in English The Law does not propagating naturally, the law is propagating by the Person. Therefore both of propagating person and propagate law are precious. " One Hundred and Six Articles " Writing in The Japanese Gosho, " Hyaku-Rokka-Sho " p.85 in January, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法 自ら 弘まらず 人・法 を 弘むる 故 に人法 共 に 尊し HŌ MIZUKARA HIROMARAZU HITO・HŌ WO HIROMURU YUE NI NIN-PŌ TOMO NI TOUTOSHI 百六箇抄 HYAKU-ROK'KA SHŌ [血脈抄] KETSUMYAKU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"