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我等程の小力の者・須弥山はなぐとも... - Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about...

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本文 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも 我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも 我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 われら ほど の しょうりき の もの しゅみせん は なぐ とも われら ほど の むつう の もの かれくさ を おうて ごうか には やけず とも  われら ほど の むち の もの ごうしゃ の きょうぎょう をば よみ おぼう とも ほけきょう は いっく いちげ も まつだい に たもち がたし と とかるる は これ なる べし、 こんど・ごうじょう の ぼだいしん を・おこして たいてん せじ と がんしぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) われらほどの小力の者が、須弥山のごとき大山を投げるとも、 われらほどの神通のない者が、燃えやすい乾草を背負って劫火のなかをくぐり、しかも焼けないことがあろうとも、 われらほどの無智の者が、数え切れない多数の経々を読みおぼえることができるとしても、 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。 英語で御書 Gosho in English Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about; persons like myself who are lacking in supernatural powers might still shoulder a load of dry grass and yet remain unburned in the fire at the end of the kalpa of decline; and persons like m...

十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へ - and the Buddhas of the ten directions will all gather ​and take possession of your body to assist you

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本文 釈迦・多宝・十方の仏・来集して 我が身に入りかはり 我を助け給へと 観念せさせ給うべし しゃか・たほう・じっぽうのほとけ・らいしゅうして わがみにいりかわり われをたすけたまえと かんねんさせたもうべし 弥三郎殿御返事 やさぶろうどのごへんじ (1451頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) 釈迦仏・多宝仏・十方の仏が集い来て我が身に入りかわり、我を助けたまえと、諸天善神や教主釈尊をも揺り動かすような題目を唱え、御祈念していきなさい。 英語で御書 Gosho in English You should pray intently that Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and take possession of your body to assist you. " Reply to Yasaburō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 829 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 釈迦・多宝・十方 の 仏・来集 して 我が 身 に 入りかはり 我 を 助け 給へ と 観念 せさせ 給う べし SHAKA・TAHŌ・JIPPŌ NO HOTOKE・RAISHŪ SHITE WAGA MI NI IRI-KAWARI WARE WO TASUKE TAMAE TO KAN-NEN SASE TAMOU BESHI 弥三郎 殿 御返事 YASABURŌ DONO GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし - The soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 日蓮がたましひを すみにそめながして・かきて候ぞ 信じさせ給へ、 仏の御心は法華経なり 日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるは なし にちれん が たましい を すみ に そめながして・かきて そうろう ぞ しんじ させ たまえ ほとけ の みこころ は ほけきょう なり にちれん が・たましい は なんみょうほうれんげきょう に・すぎたる は なし 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮が顕した御本尊は、日蓮の生命を削ってでも、すべての人々を救いたいという魂を墨に染め流して書き認めたものである。しっかりと信じ抜き、受持していきなさい。 釈尊が説いた真の法門は法華経であるが、諸法が乱立している末法においては、南無妙法蓮華経が真の法門であり、日蓮仏法の南無妙法蓮華経以外にはない。 英語で御書 Gosho in English I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart. The Buddha’s will is the Lotus Sutra, but the soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo. " Reply to Kyō’ō " " Reply to Kyo'o " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren wrote the GOHONZON with the soul that I want to save everyone even if I lose my life. Believe this GOHONZON firmly and keeping on it. Sakyamuni Buddha pre...

因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す - Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo.

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本文 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う しゃくそんの いんぎょうかとく の にほうは みょうほうれんげきょうの ごじ に ぐそくす われら この ごじを じゅじすれば じねんに かの いんがの くどくを ゆずりあたえ たもう 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 釈尊が久遠より積み重ねた、成仏の原因である修行(因行)と、その結果として得た福徳(果徳)の二法は、全て妙法蓮華経の五字に具足している。 私たちは、この妙法蓮華経を受持して、自行化他の題目を唱え実践していくならば、自然に必ず、成仏の原因も結果も私達に譲り与えられるのである。 英語で御書 Gosho in English Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo. If we believe in these five characters, we will naturally be granted the same benefits as he was. " The Object of Devotion for Observing the Mind " " The Object of Devotion for Observing the Mind Established  in the Fifth Five-Hundred-Year Period  after the Thus Come One’s Passing " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 365 in April, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho ...

唯ひとへに末法の令法久住の故なり - What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day.

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本文 ともかくも法華経に名をたて 身をまかせ給うべし、 釈迦仏 多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして 二仏 うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、 唯 ひとへに末法の 令法久住の故なり ともかくも ほけきょうに なを たて みを まかせ たもうべし、 しゃかぶつ たほうぶつ・じっぽう の しょぶつ・ぼさつ・こくう に して にぶつ うなずきあい、さだめさせ たまいしは べつのこと には あらず、 ただ ひとえに まっぽうの りょうほうくじゅう の ゆえ なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) なんとしても、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。 釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・菩薩等、あらゆる仏菩薩達が集まり、虚空会の儀式において、釈迦仏と多宝仏の二人の仏がうなずきあい、その時に定められた(決めた)ことは、(一切衆生を仏にする事以外の)別のことではない。 ただひとえに、末法において、法華経の肝心である南無妙法蓮華経という、万人成仏のための立派な法(令法・りょうほう)を、釈尊滅度より久しく末法の世に住在させる(久住・くじゅう、令法久住・りょうほう くじゅう)のためであり、地涌の菩薩にその使命を託されたのである。 英語で御書 Gosho in English Now you must build your reputation on the Lotus Sutra and give yourself up to it. At the Ceremony in the Air, when the Buddhas and bodhisattvas of the ten directions gathered together, the two Buddhas, Shakyamuni and Many Treasures, nodded in agreement. What they decided on was nothing other than the perpetuation of the Law throughout the Latter Day. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writing...

冬は必ず春となる - Winter always turns to spring.

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。  英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” " Wi...

南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや - Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle?

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本文 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なす べきや、 きしぼじん・じゅうらせつにょ・ほけきょう の だいもく を たもつ もの を しゅご すべし と みえたり 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、成仏への障りをなすことができようか。 鬼女母神や十羅刹女などの諸天善神が、法華経の題目を持つ者を守護すると、経文には書かれているのである 英語で御書 Gosho in English Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle? It is written that those who embrace the daimoku of the Lotus Sutra will be protected by the Mother of Demon Children and by the ten demon daughters.  " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1273 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 南無妙法蓮華経 は 師子吼 の 如し・いかなる 病 さはり を なすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経 の 題目 を 持つ もの を 守護 すべし と 見えたり NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA SHISHI-KU NO GOTOSHI・IKANARU YAMAI SAWARI WO NASUBEKIYA, KISHIBOJIN・JŪRASETSUNYO・HOKEKYO NO DAIMOKU WO TAMOTU MONO WO SHUGO SUBESHI TO MIETA...