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金珠女 - The Woman Who Gave a Piece of Gold

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本文 金珠女は金銭一文を木像の薄と為し 九十一劫金色の身と為りき 其の夫の金師は今の迦葉 未来の光明如来是なり こんじゅにょ は きんせん いちもん を もくぞう の はく と なし きゅうじゅういっこう こんじき の み と なりき その おとこ の こんし は いま の かしょう みらい の こうみょうにょらい これ なり 乗明聖人御返事 じょうみょうしょうにんごへんじ [金珠女御書] こんじゅにょごしょ (1012頁) 建治3年4月   (1277年) 通解(意訳) 金珠女は、金箔を施した木像の顔の一部が剥がれていたのを見て、貧相な身でありながら、物乞いをして集めた黄金の銭一文を供養し、錬金師であった夫は、その黄金を使って木造を修復した。この功徳によって、金珠女は91劫(1劫 =人間界での43億2千万年)の長い間、金色の身となった。その夫の鍛金師は釈尊在世の時代には迦葉尊者であり、未来の光明如来である。さらに、二人は生まれ変わっても常に夫婦として結ばれていたのである。 例えわずかであっても、心から法華経に供養すれば、莫大な功徳が必ず顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English Long ago, the so-called Woman Who Gave a Piece of Gold donated a gold coin to be used to gild a wooden statue [of a Buddha. Because of the benefits she received], for ninety-one long kalpas she was reborn with a golden body. The goldsmith at that time, who became her husband, was reborn as Mahākāshyapa, who in the future, the Buddha predicted, will become a Buddha named Light Bright Thus Come One. " The Woman Who Gave a Piece of Gold "  "The Writings of Nichire...

白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり - The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、 この声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし はくばの なくは われらが なんみょうほうれんげきょうの こえなり、 この こえを きかせたもう ぼんてん・たいしゃく・にちがつ・してんとう いかでか いろを まし ひかりを さかんに なし たまわざるべき、いかでか われらを しゅごし たまわざるべき と・つよづよと・おぼしめすべし 曾谷殿御返事 そやどのごへんじ [輪陀王御書] りんだおうごしょ (1065頁) 弘安2年8月 (1279年) 通解(意訳) 白馬がいななくのは、私達の南無妙法蓮華経の声である。 この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等など(諸天善神)が、どうして色つやを増し、威光を強くされないことがあろうか。どうして我等を守護しないわけがあろうかと、強く強く思っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English The neighing of the white horses is the sound of our voices chanting Nam-myoho-renge-kyo. When Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, and the others hear this sound, how could they fail to take on a healthy color and shine with a brilliant light? How could they fail to guard and protect us? We should be firmly convinced of this! " King Rinda " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 989 - 990 in August, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 白馬 の なく...

譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し - This is similar to a tarnished mirror that will shine like a jewel when polished.

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本文 衆生と云うも 仏と云うも 亦 此くの如し 迷う時は 衆生と名付け 悟る時をば 仏と名けたり、 譬えば 闇鏡も 磨きぬれば 玉と見ゆるが如し、 只今も 一念無明の迷心は 磨かざる鏡なり 是を磨かば 必ず 法性真如の明鏡と 成るべし、 深く信心を発して 日夜朝暮に 又 懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只 南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを 是を磨くとは云うなり しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし まよう ときは しゅじょうと なづけ さとる ときをば ほとけと なづけたり、 たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし、 ただいまも いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 衆生といっても仏といっても、また同様に2つの隔てがあるわけではない。迷う時は衆生と名付け、悟った時には仏と名付けるのである。 たとえば、曇っている鏡であっても、磨けば玉のように見えるようなものである。 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English It is the same with a Buddha and an ordinary being. When deluded, one is called an ordinary being, but when enlightened, one is called a Buddha. This is s...

「従藍而青」 - "From the indigo, an even deeper blue."

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本文 法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、 天台云く、「従藍而青」云云、此の釈の心は あい は葉のときよりも・なを そむれば・いよいよ あをし、 法華経は あい のごとし 修行のふかきは・いよいよ あをき が ごとし ほけきょうの ほうもんを きくに つけて・なお なお しんじんを はげむを・まことの どうしんしゃ とは もうすなり、 てんだい いわく、「じゅうらんにしょう」うんぬん、この しゃくの こころは あいは はの ときよりも・なお そむれば・いよいよ あおし、 ほけきょうは あいの ごとし しゅぎょうの ふかきは・いよいよ あおきが ごとし 上野殿後家尼御返事 うえのどのごけあまごへんじ [地獄即寂光御書] じごくそくじゃっこうごしょ (1505頁) 文永11年7月 (1274年) 通解(意訳) 法華経の教えを聞くごとにつけて、今よりさらに信心の修行に励むのを、真の信仰者というのである。 天台大師は「藍よりして而も青し(あい よりして しかも あおし)」といわれている。 この「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の意味は、藍は葉の時よりも、繰り返し染めれば染めるほど、いよいよ青さが増していく、という意味である。 法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍が染めるに従って、ますます青くなるようなものである。 英語で御書 Gosho in English On hearing the teachings of the Lotus Sutra, makes even greater effort in faith is a true seeker of the way.  T'ien-t'ai states,"From the indigo, an even deeper blue." This Passage means that, if one dyes something repeatedly in indigo, it becomes even bluer than the indigo leaves. The lotus Sutra is like the indigo, and the strength of one's practice is...

此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず 一切の男子に・こえたり - A woman who embraces this sutra not only excels all other women, but also surpasses all men.

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本文 此の法華経計りに 此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず 一切の男子に・こえたりと みえて候 このほけきょうばかりに このきょうをたもつにょにんは いっさいのにょにんに・すぎたるのみならず いっさいのだんしに・こえたりと みえてそうろう 四条金吾殿女房御返事 しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ [夫婦同心御書] ふうふどうしんごしょ (1135頁) 文永12年1月 (1275年) 通解(意訳) この法華経にのみ、「この経を受持する女性は、他の一切の女性に優れているだけでなく、一切の男性にも超えている」と、説かれているのである。 英語で御書 Gosho in English Only in the Lotus Sutra do we read that a woman who embraces this sutra not only excels all other women, but also surpasses all men. " The Unity of Husband and Wife " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 464 in January, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 此の 法華経 計り に 此の 経 を 持つ 女人 は 一切 の 女人 に・すぎたる のみ ならず 一切 の 男子 に・こえたり と みえて 候 KONO HOKEKYO BAKARI NI KONO KYO WO TAMOTSU NYONIN W IS'SAI NO NYONIN NI・SUGITARU NOMINARAZU IS'SAI NO DANSHI NI ・KOETARI TO MIETE SŌRŌ 四条金吾 殿 女房 御返事 SHIJŌ-KINGO DONO NYŌBŌ GOHENJI [夫婦 同心 御書] FŪFU DŌSHIN GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichir...

法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし - Those who now believe in the Lotus Sutra will gather fortune from ten thousand miles away.

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本文 法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし ほけきょう を しんずる ひと は・さいわい を ばんり の そと より あつむ べし 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 法華経を信じている人は、幸運を遠く離れた場所からでも集めることができるのである。 英語で御書 Gosho in English Those who now believe in the Lotus Sutra will gather fortune from ten thousand miles away. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし HOKEKYO WO SHINZURU HITO WA・SAIWAI WO BANRI NO SOTO YORI ATSUMU BESHI 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか - If you are of the same mind as Nichiren, you must be a Bodhisattva of the Earth.

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本文 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にて とをり、日蓮が一門と なりとをし給うべし、日蓮と同意ならば 地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩に さだまりなば 釈尊 久遠の弟子たる事 あに疑はんや、 経に云く「我 久遠より 来かた 是等の 衆を 教化す」とは是なり、 末法にして 妙法蓮華経の 五字を弘めん者は 男女は きらふべからず、皆 地涌の菩薩の出現に非ずんば 唱へがたき題目なり いかにも こんど・しんじん を いたして ほけきょう の ぎょうじゃ にて とおり、にちれん が いちもん と なりとおし たもうべし、にちれん と どうい ならば じゆ の ぼさつ たらんか、じゆ の ぼさつ に さだまりなば しゃくそん くおん の でし たる こと あに うたがわんや、 きょう に いわく「われ くおん より この かた これら の しゅ を きょうけ す」とは これ なり、 まっぽう に して みょうほうれんげきょう の ごじ を ひろめん もの は なんにょ は きらう べからず、みな じゆ の ぼさつ の しゅつげん に あらずんば となえがたき だいもく なり 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) どんなことがあっても、今世で信心を起こしたなら、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり、師弟の道を貫き通しなさい。日蓮と同じ志しならば、地涌の菩薩(じゆ の ぼさつ)であろうか。地涌の菩薩であると定まっているのであれば、釈尊の久遠の弟子であるということをどうして疑うことができようか。 法華経従地涌出品第十五に「これらの菩薩は、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのは、このことである。 末法において、妙法蓮華経の五字を弘める者は、老若男女問わず、分け隔てをしてはならない。皆それぞれの使命を持って、地涌の菩薩として出現した人々でなければ、唱えることのできない題目だからである。 英語で御書 Gosho in English Now, no matter what, strive in faith and be known as a votary of the Lotus Sutra, and remain my disciple for the rest of ...