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末代の法華経の行者を供養するは... - The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age...

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本文 末代の法華経の行者を供養するは 十号を具足しまします如来を 供養したてまつるにも 其の功徳すぎたり、 又 濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし まつだい の ほけきょう の ぎょうじゃ を くよう する は じゅうごう を ぐそく し まします にょらい を くよう し たてまつる にも その くどく すぎたり、 また じょくせ に ほけきょう の ぎょうじゃ あらん を るなん を なさん ひと は こうべ しちぶん に わる べし 国府尼御前御書 こうあまごぜんごしょ [佐渡給仕御書] さどきゅうじごしょ (1324頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 末代の法華経の行者を供養することは、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているということである。 また五濁悪世(末法)に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭(心、精神)が七つに破れるということである。  英語で御書 Gosho in English The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age exceed even those from making offerings to a Thus Come One endowed with the ten honorable titles, while those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces. " Letter to the Lay Nun of Kō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 595 in July, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  ... their heads split into seven pieces  : Break Minds,...

煩悩即菩提 生死即涅槃 を説かれたり - States that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana.

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本文 この文は 煩悩即菩提 生死即涅槃を 説かれたり、 法華の行者は 貪欲は貪欲のまま 瞋恚は瞋恚のまま 愚癡は愚癡のまま 普賢菩薩の行法なりと 心得可きなり この もん は ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん を とかれたり、 ほっけ の ぎょうじゃ は とんよく は とんよく の まま しんに は しんに の まま ぐち は ぐち の まま ふげんぼさつ の ぎょうほう なり と こころうべき なり 御義口伝 おんぎくでん 普賢経五箇の大事 ふげんきょうごかのだいじ 第二 不断煩悩不離五欲の事 だいに ふだんぼんのうふりごよくのこと (785頁) 通解(意訳) この文(法華経の結経である普賢経の「普段煩悩不離五欲」)は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。 法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、愚癡は愚癡のままで、「普賢菩薩の行法」と自覚していくべきである。 見栄や体裁などにとらわれず、自分らしく、ありのままに御本尊に祈っていく事が大切なのである。 英語で御書 Gosho in English This passage states that earthly desires are enlightenment, and that the sufferings of birth and death are nirvana. For the votaries of the Lotus Sutra, greed is greed and remains just as it is; anger is anger and remains just as it is; foolishness is foolishness and remains just as it is. And yet they are carrying out Bodhisattva Universal Worthy’s practice of the Law. One should understand this clearly. ==================================== The Universal Worthy Sutra Five important points Point Two, regardi...

妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ - Hasten to the summit of perfect enlightenment, and look around you in all directions.

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本文 日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、 妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、 法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、 天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、 法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候 にち や ちょう せき・なんみょうほうれんげきょう と となえ そうらえて さいご りんじゅう の とき を みさせ たまえ、 みょうかく の やま に はしり のぼり しほう を ごらんぜよ、 ほうかい は じゃっこうど に して るり を もって ち とし・こがねなわ を もって やっつ の みち を さかい、 てん より ししゅ の はな ふり こくう に おんがく きこえ、しょぶつ・ぼさつ は みな じょうらくがじょう の かぜ に そよめき たまえば・われら も かならず その かず に つらならん ほけきょう は かかる・いみじき おきょう にて・おわし まいらせ そうろう 松野殿御返事 まつのどのごへんじ (1388頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 日夜、朝夕に、南無妙法蓮華経と真剣に唱えて、法華経を受持しきったあなたの最期・臨終の時を考えてみなさい。 妙覚の山に走り登って、頂上から東西南北の四方を御覧なさい。 法界は寂光土であり、七宝の一つである瑠璃(るり・インド古代の七宝の一つであるラピスラズリ)を大地とし、黄金の繩で成仏にいたる八つの道を境とし、 天からは曼荼羅華等の四種類の花が降り注ぎ、空には音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆、常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも必ず、その仏・菩薩の数の内に列なるのである。 法華経はこのようにすぐれた経なのである。 英語で御書 Gosho in English You should just single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo morning and evening, day and night, and observe what happens at the last moments of your life. At that time, hasten to the summit of perfect...

夫れ仏法と申すは勝負をさきとし - Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat

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本文 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、 故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり それ ぶっぽう と もうす は しょうぶ を さき とし、おうほう と もうす は しょうばつ を もと と せり、 ゆえ に ほとけ をば せおう と ごう し おう をば じざい と なづけたり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [世雄御書] せおうごしょ (1165頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) そもそも仏法というものは勝負を第一とし、王法というものは賞罰を根本としている。 故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism primarily concerns itself with victory or defeat, while secular authority is based on the principle of reward and punishment. For this reason, a Buddha is looked up to as the Hero of the World, while a king is called the one who rules at his will.  " The Hero of the World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 835 in 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、 故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり SORE BUP'PŌ TO MŌSU WA SHŌBU WO SAKI TOSHI, Ō-HŌ TO MŌSU WA SHŌ-BATSU WO MOTO TO SERI, YUE NI HOTOKE WOBA SEŌ TO GOU SHI Ō WOBA JIZAI TO NAZUKETARI 四条金吾殿御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [世雄御書] SE-Ō GOSHO 参...

幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已 - How fortunate, how joyful! In this impure land, I alone enjoy happiness and delight.

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本文 幸なるかな 楽しいかな 穢土に於て 喜楽を受くるは 但 日蓮一人なる而已 さいわいなるかな たのしいかな えどにおいて きらくをうくるのは ただ にちれんいちにん なるのみ 聖人知三世事 しょうにんちさんぜじ (975頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) なんと幸せなことか。なんと楽しいことか。穢土(悩み苦しみに満ちた汚れた土地:現実世界)にあって、南無妙法蓮華経という生命の真理を悟り、即身成仏の喜びを受ける事ができるのは、全世界において唯一、日蓮一人のみである。 英語で御書 Gosho in English How fortunate, how joyful! In this impure land, I alone enjoy happiness and delight. " A Sage Perceives the Three Existences of Life " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.975 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren realized truth of the life called Nam-myoho-renge-kyo. It is only Nichiren alone in the whole world to know the joy of attaining to the Buddhahood as a living body. Gosho in Japanese 幸なるかな 楽しいかな 穢土 に 於て 喜楽 を 受くる は 但 日蓮 一人 なる 而已 SAIWAI-NARUKANA TANOSHĪ-KANA EDO NI OITE KIRAKU WO UKURU WA TADA NICHIREN ICHININ NARUNOMI 聖人 知三世事 SHŌNIN CHISANZE JI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "Th...

生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず - Only the ship of Myoho-renge-kyo enables one to cross the sea of the sufferings of birth and death.

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本文 此の経を 一文一句なりとも聴聞して 神にそめん人は 生死の大海を渡るべき船なるべし、 妙楽大師云く「一句も神に染ぬれば 咸く彼岸を資く、思惟・修習 永く舟航に用たり」と云云、 生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず この きょう を いちもん いっく なり とも ちょうもん して たましい に そめん ひと は しょうじ の たいかい を わたるべき ふね なるべし、 みょうらく たいし いわく「いっく も たましい に そめ ぬれば ことごとく ひがん を たすく、しゆい・しゅう しゅう ながらく しゅうこう に ゆうたり」と うんぬん、 しょうじ の たいかい を わたらん こと は みょうほうれんげきょう の ふね に あらずんば・かなう べからず 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) この経(法華経)を、一文一句でも聴聞して心に染める人は生死の大海を渡ることのできる船のようなものである。 妙楽大師が「誰でも一句なりとも、心身に染めるならば、彼岸(悟りの世界である涅槃の岸)に到る助けとなる。更にそれを思惟し修習するならば、以て生死の大海を舟で渡るのに永く支えとなるであろう」等と言っている。 生死の大海を渡るのは妙法蓮華経の船でなくては叶わないのである。 妙法蓮華経の船に乗れば、いかなる人生の荒波があろうと、苦悩渦巻く大海を渡り切って、成仏の境涯という「勝利の彼岸」「幸福の彼岸」に至ることができるのである。 英語で御書 Gosho in English One who listens to even a sentence or phrase of the sutra and cherishes it deep in one’s heart may be likened to a ship that crosses the sea of the sufferings of birth and death. The Great Teacher Miao-lo stated, “Even a single phrase cherished deep...

法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり - I was the first to reveal as the banner of propagation of the Lotus Sutra

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本文 爰に日蓮 いかなる不思議にてや候らん 竜樹 天親等・天台 妙楽等だにも 顕し給はざる大曼荼羅を・末法 二百余年の比 はじめて法華弘通のはたじるしとして 顕し奉るなり、 是 全く日蓮が自作にあらず 多宝塔中の大牟尼世尊 分身の諸仏 すりかたぎたる 本尊なり ここ に にちれん いかなる ふしぎ にてや そうらん りゅうじゅ てん しん とう・てんだい みょうらく とう だにも あらわし たまわざる だいまんだら を・まっぽう にひゃくよねん の ころ はじめて ほっけぐつう の はたじるし と して あらわし たてまつる なり、 これ まったく にちれん が じさ に あらず たほうとうちゅう の だい むに せそん ぶんしん の しょぶつ すり かたぎたる ほんぞん なり 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [御本尊相貌抄] ごほんぞんしょうみょうそう (1243頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) ここに、日蓮はどういう不思議であろうか、正法時代の竜樹・天親等・像法時代の天台・妙楽等でさえ、顕わす(あらわす)ことのなかった大曼荼羅を、末法にはいって二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのである。 この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではなく、法華経に出現した多宝塔の中の釈迦牟尼仏、ならびに十方(全宇宙)の分身の諸仏のありさまを、まさに板木ですりあらわした御本尊なのである。 英語で御書 Gosho in English How wondrous it is that, around two hundred years and more into the Latter Day of the Law, I was the first to reveal as the banner of propagation of the Lotus Sutra this great mandala that even those such as Nāgārjuna and Vasubandhu, T’ien-t’ai and Miao-lo were unable to express. This mandala is in no way my invention. It is the object of ...