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強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ - I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts.

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本文 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 ほけきょうは いっく いちげ も まつだいに たもちがたし と とかるるは これ なるべし、 こんど・ごうじょうの ぼだいしんを・おこして たいてん せじと がん しぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。  英語で御書 Gosho in English The difficulty of embracing even one phrase or verse of the Lotus Sutra in the Latter Day of the Law.  Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts. " The Opening of the Eyes " Part I " The Writings of Nichiren Daishonin ", Vol.1, p.240 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  These guidance is the teachings of the “Treasure Tower” chapter on the six difficult and nine easy acts. Gosho in Japanese 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提...

秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし - even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it.

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本文 能く能く信心あるべく候、 たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん よくよくしんじんあるべくそうろう、 たとえばひやくなりともどくをいれぬればくすりのようすくなし、つるぎなれども・わるびれたるひとのためにはなにかせん 四条金吾女房御書 しじょうきんごにょうぼうごしょ [安産福子御書] あんざんふくしごしょ (1109頁) 文永8年5月 (1271年) 通解(意訳) さらに信心を強くするべきである。 たとえば、どんな秘薬であっても、毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にとってはなんの役にもたたない。 英語で御書 Gosho in English You must be careful to have firm faith. For example, even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it. Even a sword will be of no use to a coward. " Easy Delivery of a Fortune Child " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 186 in May, 1271. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 能く 能く 信心 あるべく 候、 たとへば 秘薬 なり とも 毒 を 入れぬれば 薬 の 用 すくなし、 つるぎ なれども・わるびれたる 人 の ため には 何かせん YOKU YOKU SHINJIN ARUBEKU SŌRŌ,  TATOEBA HIYAKU NARI TOMO DOKU WO IRENUREBA KUSURI NO YŌ SUKUNASHI,  TSURUGI NAREDOMO・WARUBIRETARU HITO NO TAME NIWA NANIKASEN 四条金吾 女房 御書 SHIJŌ-KINGO DONO GOSHO [安産 福子 御書] ANZAN FUKU...

若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや - If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters.

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本文 地涌の菩薩のさきがけ 日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや 入りなまし、 若し日蓮 地涌の菩薩の数に入らば 豈に 日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや じゆの ぼさつの さきがけ にちれん いちにん なり、じゆの ぼさつの かずにもや いりなまし、 もし にちれん じゆの ぼさつの かずにいらば あに にちれんが でしだんな・じゆの るうりに あらずや 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 地涌の菩薩の先駆けは、日蓮一人である。もしくは地涌の菩薩の数にも入っているのであろうか。 もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているのであれば、日蓮の弟子檀那達もまた地涌の菩薩であり、仲間ということになろう。 英語で御書 Gosho in English Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth. He may even be one of them. If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 385 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 地涌 の 菩薩 の さきがけ 日蓮 一人 なり、地涌 の 菩薩 の 数 にもや 入りなまし、 若し 日蓮 地涌 の 菩薩 の 数 に 入らば 豈に 日蓮 が 弟子 檀那・地涌 の 流類 に 非ずや JIYU NO BOSATSU NO SAKIGAKE NICHIREN ICHININ NARI, JIYU NO BOSATSU NO KAZU NIMOYA IRINAMASHI, MOSHI NICHIREN JIYU NO BOSATSU...

南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし - those who so much as one time pronounce the words Nam-myoho-renge-kyo, not one will fail to become a Buddha.

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本文 無量劫が間・一度も そら事なくして其の功に依りて仏となり給いて候が・無一不成仏と申して 南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるは なしと・とかせ給いて候 釈迦一仏の仰せなりとも 疑うべきにあらざるに・十方の仏の御前にて・なにのゆへにか・そら事 をばせさせ給うべき むりょうこうが あいだ・いちども そらごと なくして その こうに よりて ほとけと なり たまいて そうろうが・むいちふじょうぶつと もうして なんみょうほうれんげきょうを だ いちど もうせし ひと・ひとりとして ほとけに ならざるは なしと・とかせ たまいて そうろう しゃか いちぶつの おおせなり とも うたがうべきに あらざるに・じっぽうの ほとけの ごぜんにて・なにの ゆえにか・そらごと をば せさせ たもうべき 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [百箇日御書] ひゃっかにちごしょ (1573頁) 弘安3年~弘安4年 (1280年~1281年) 通解(意訳) 釈尊は、無量劫(遥か昔の過去世)の修行の間、一度も虚言(うそ)をつくことはなかった。その功徳によって仏となられた方が「無一不成仏(むいちふじょうぶつ・一人として仏にならないものはない)」と言われて、南無妙法蓮華経とただ一度でも唱えた人は、一人として仏の生命を成かない者はない、と説かれているのである。 虚言を言わなかった釈迦仏がこう仰せになっているだけでも疑う余地はなく、さらに十方の諸仏(諸天善神)も、この事が真実であることを証明したのである。 これ以上、何を理由にしても虚言ではなく、「必ず功徳が顕れる」と、南無妙法蓮華経を深く信受し、題目を唱えていくべきである。 英語で御書 Gosho in English [ Shakyamuni Buddha was ] During those countless kalpas, not once did he tell a lie. And when, as a result of the merit he had gained, he became a Buddha, he declared that "not a one will fail to attain Buddhahood." That is, h...

さいわいは心よりいでて我をかざる - Fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect.

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本文 わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる わざわいは くちより いでで みを やぶる・ さいわいは こころより いでて われを かざる 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 災事は口から出て、災難を呼び寄せて、自分自身の身を滅ぼす元となる。 幸福とは誠意と真心からの振舞いから、幸福を呼び寄せて、どのような宝石よりも自分自身を輝かせる事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English Misfortune comes from one’s mouth and ruins one, but fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる WAZAWAI WA KUCHI YORI IDETE MI WO YABURU・ SAIWAI WA KOKORO YORI IDETE WARE WO KAZARU 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

磁石の鉄を吸うがごとく月の水に遷るがごとく - Like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water

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本文 諸天は法華経の行者 出来せば 磁石の鉄を吸うがごとく 月の水に遷るがごとく 須臾に来つて行者に代り 仏前の御誓を はたさせ給べし しょてんは ほけきょうのぎょうじゃ しゅったいせば じしゃくの てつをすうがごとく つきの みずにうつるがごとく しゅゆにきたって ぎょうじゃにかわり ぶつぜんの おんちかいを はたさせたもうべし 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (217頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 諸天善神は、法華経の行者が出来したならば、磁石が鉄を吸うように、月の影がそのまま水に映るように、 ただちに来って、かたく法華経の行者を守護し、行者に代わって難を受けもって、仏前の誓いを果たすべきである。 英語で御書 Gosho in English If a votary of the Lotus Sutra should appear, then, like iron drawn to a magnet or the reflection of the moon appearing in the water, they will instantly come forth to take on his sufferings for him and thereby fulfill the vow that they made in the presence of the Buddha. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 261 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 諸天 は 法華経 の 行者 出来せば 磁石 の 鉄 を 吸う が ごとく 月 の 水 に 遷る が ごとく 須臾 に 来つて 行者 に 代り 仏前 の 御誓 を はたさせ 給べし SHOTEN WA HOKEKYO NO GYŌJA SHUT'TAI SEBA JISHAKU NO TETSU WO...

元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - The fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven.

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 in June, 1278.  [ --- ] ...