投稿

友にあふて礼あれ - Treating one’s friends with courtesy

イメージ
本文 友にあふて礼あれ とは 友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて 礼儀いささか・をろかに思うべからず とも に おうて れい あれ とは ともだち の いちにち に じゅうど・にじゅうど きたれる ひと なり とも せんり・にせんり きたれる ひと の ごとく おもうて れいぎ いささか・おろか に おもう べからず 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ (1528頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 友に会ったら礼儀正しくあれ、というのは、友達で一日に10回、20回と訪ねてくる人であっても、千里・二千里の遠くから訪ねてきた人のように思って、少しも礼儀をおろそかにしてはならない。 英語で御書 Gosho in English Treating one’s friends with courtesy means that, although one may encounter them ten or twenty times in the course of a single day, one greets them courteously as though they had traveled a thousand or two thousand miles to see one, never showing them indifference. " Four Virtues and Four Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 636 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 友 に あふて 礼 あれ とは 友達 の 一日 に 十度・二十度 来れる 人 なりとも 千里・二千里・来れる 人 の 如く 思ふて 礼儀 いささか・をろか に 思う べからず TOMO NI OUTE REI ARE TOWA TOMODACHI NO ICHINITI NI JŪ-DO・NI-JŪ-DO KITARERU HITO NARI TOMO SEN-RI...

心の師とはなるとも心を師とすべからず - one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself.

イメージ
本文 相構へ相構へて 心の師とはなるとも 心を師とすべからず と 仏は記し給ひしなり、 法華経の御為に 身をも捨て 命をも惜まざれ と 強盛に申せしは 是なり あいかまえ あいかまえて こころ の し とは なる とも こころ を し と すべからず と ほとけ は しるし たまいし なり、 ほけきょう の おん ために み をも すて いのち をも おしまざれ と ごうじょう に もうせし はこれなり 義浄房御書 ぎじょうぼうごしょ [己心仏界抄] こしんぶっかいしょう (892頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) よくよく心して、揺らぎやすい自身の心を、師匠の教え通りに自身の心とはしても、自分のわがままな心や臆病な心など、自分の心を師匠としてはならない、と釈尊は経文に記されている。 「法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないように」と強盛に教えてきたのは、このことである。 この師匠の教えの通りに実践するのが本当の弟子であり、本当の師弟である。 英語で御書 Gosho in English The Buddha wrote that one should become the master of one’s mind rather than let one’s mind master oneself. This is what I mean when I emphatically urge you to give up even your body, and never begrudge even your life for the sake of the Lotus Sutra. " Letter to Gijō-bō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 390 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 相構へ 相構へて 心 の 師 とは なるとも 心 を 師 と すべからず と 仏 は 記し 給ひし なり、 法華経 の 御為 に 身 をも 捨て 命 をも 惜まざれ と 強盛 に 申せし は 是 なり AI KAMAE  AI K...

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも... - Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky...

イメージ
本文 大地は ささば はづるるとも 虚空を つなぐ者は ありとも・潮の みちひぬ事は ありとも日は西より出づるとも・ 法華経の行者の祈りの かなはぬ事は あるべからず だいち は ささば はずるる とも おおぞら を つなぐ もの は ありとも・しお の みちいぬ こと は ありとも ひ は にし より いづる とも・ ほけきょう の ぎょうじゃ の いのり の かなわぬ こと は ある べからず 祈祷抄 きとうしょう (1352頁) 文永9年 (1272年) 通解(意訳) 大地を刺して外れる事があっても、大空をつなぎ合わせる者があっても、 潮の満ち干きがなくなることがあっても、太陽が西の空から昇るようなことがあっても、 法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。 英語で御書 Gosho in English Though one might point at the earth and miss it, though one might bind up the sky, though the tides might cease to ebb and flow and the sun rise in the west, it could never come about that the prayers of the practitioner of the Lotus Sutra would go unanswered. " On Player "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 345 in 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 大地は ささば はづるる とも 虚空 を つなぐ 者 は あり とも・潮 の みちひぬ 事 は あり とも 日 は 西 より 出づる とも・ 法華経 の 行者 の 祈り の かなはぬ 事 は ある べからず DAICHI WA SASABA HAZURURU TOMO ŌZORA WO TSUNAGU MONO WA ARI TOMO・SHIO  NO MICHI-INU KOTO WA ARI TOMO HI WA NISHI ...

湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり - praying as earnestly as though to produce fire from damp wood, or to obtain water from parched ground.

イメージ
本文 何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと 湿れる木より火を出し 乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり いかなる よ の みだれ にも おのおの おば ほけきょう・じゅうらせつ・たすけたまえ と しめれる き より ひ を いだし かわける つち よち みず を もうけん が ごとく ごうじょう に もうす なり 呵責謗法滅罪抄 かしゃくほうぼうめつざいしょう (1132頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) どのような世の乱れが起きても、あなた方お一人お一人の弟子達の事を、「法華経・十羅刹女(あらゆる諸天善神)よ、彼らを守護し、助けたまえ」と、湿っている木に火を出し、乾いた土から水を出すような思いで、強盛に祈っている。 英語で御書 Gosho in English I am praying that, no matter how troubled the times may become, the Lotus Sutra and the ten demon daughters will protect all of you, praying as earnestly as though to produce fire from damp wood, or to obtain water from parched ground. " On Rebuking Slander of the Law and Eradicating Sins " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 435 in 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The Ten Demon Daughters: The Goodness Gods, protection to The Believer of The Lotus Sutra. Gosho in Japanese 何なる 世 の 乱れ にも各各 をば 法華経・十羅刹・助け 給へ と 湿れる 木 より 火 を 出し 乾ける 土 より 水 を 儲けんが 如く 強盛...

我等程の小力の者・須弥山はなぐとも... - Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about...

イメージ
本文 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも 我等程の無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも 我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 われら ほど の しょうりき の もの しゅみせん は なぐ とも われら ほど の むつう の もの かれくさ を おうて ごうか には やけず とも  われら ほど の むち の もの ごうしゃ の きょうぎょう をば よみ おぼう とも ほけきょう は いっく いちげ も まつだい に たもち がたし と とかるる は これ なる べし、 こんど・ごうじょう の ぼだいしん を・おこして たいてん せじ と がんしぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) われらほどの小力の者が、須弥山のごとき大山を投げるとも、 われらほどの神通のない者が、燃えやすい乾草を背負って劫火のなかをくぐり、しかも焼けないことがあろうとも、 われらほどの無智の者が、数え切れない多数の経々を読みおぼえることができるとしても、 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。 英語で御書 Gosho in English Persons like myself who are of paltry strength might still be able to lift Mount Sumeru and toss it about; persons like myself who are lacking in supernatural powers might still shoulder a load of dry grass and yet remain unburned in the fire at the end of the kalpa of decline; and persons like m...

十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へ - and the Buddhas of the ten directions will all gather ​and take possession of your body to assist you

イメージ
本文 釈迦・多宝・十方の仏・来集して 我が身に入りかはり 我を助け給へと 観念せさせ給うべし しゃか・たほう・じっぽうのほとけ・らいしゅうして わがみにいりかわり われをたすけたまえと かんねんさせたもうべし 弥三郎殿御返事 やさぶろうどのごへんじ (1451頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) 釈迦仏・多宝仏・十方の仏が集い来て我が身に入りかわり、我を助けたまえと、諸天善神や教主釈尊をも揺り動かすような題目を唱え、御祈念していきなさい。 英語で御書 Gosho in English You should pray intently that Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and take possession of your body to assist you. " Reply to Yasaburō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 829 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 釈迦・多宝・十方 の 仏・来集 して 我が 身 に 入りかはり 我 を 助け 給へ と 観念 せさせ 給う べし SHAKA・TAHŌ・JIPPŌ NO HOTOKE・RAISHŪ SHITE WAGA MI NI IRI-KAWARI WARE WO TASUKE TAMAE TO KAN-NEN SASE TAMOU BESHI 弥三郎 殿 御返事 YASABURŌ DONO GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし - The soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo.

イメージ
本文 日蓮がたましひを すみにそめながして・かきて候ぞ 信じさせ給へ、 仏の御心は法華経なり 日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるは なし にちれん が たましい を すみ に そめながして・かきて そうろう ぞ しんじ させ たまえ ほとけ の みこころ は ほけきょう なり にちれん が・たましい は なんみょうほうれんげきょう に・すぎたる は なし 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮が顕した御本尊は、日蓮の生命を削ってでも、すべての人々を救いたいという魂を墨に染め流して書き認めたものである。しっかりと信じ抜き、受持していきなさい。 釈尊が説いた真の法門は法華経であるが、諸法が乱立している末法においては、南無妙法蓮華経が真の法門であり、日蓮仏法の南無妙法蓮華経以外にはない。 英語で御書 Gosho in English I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart. The Buddha’s will is the Lotus Sutra, but the soul of Nichiren is nothing other than Nam-myoho-renge-kyo. " Reply to Kyō’ō " " Reply to Kyo'o " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren wrote the GOHONZON with the soul that I want to save everyone even if I lose my life. Believe this GOHONZON firmly and keeping on it. Sakyamuni Buddha pre...