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魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば 悦ぶ事に候 - It is the way of the devil to delight in obstructing good and in causing the production of evil.

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本文 法華経の行者をば 第六天の魔王の必ず障うべきにて候、十境の中の魔境 此れなり 魔の習いは 善を障えて悪を造らしむるをば 悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば 力 及ばずして 善を造らしむ 又 二乗の行をなす物をば・あながちに怨をなして善をすすむるなり、 又 菩薩の行をなす物をば 遮つて 二乗の行をすすむ 是 後に 純円の行を一向になす者をば 兼別等に堕すなり ほけきょうの ぎょうじゃをば だいろくてんの まおう かならず ささう べきにて そうろう、 じっきょうの なかの まきょう これなり まの ならいは ぜんを ささえて あくを つくらしむるをば よろこぶことに そうろう、しいて あくをつくらざる ものをば ちから およばずして ぜんを つくらしむ また にじょうの ぎょうを なすものをば・あながちに あだを なして ぜんを すすむるなり、また ぼさつの ぎょうを なすものをば さえぎって にじょうの ぎょうをすすむ この のちに じゅんえんの ぎょうを いっこうに なすものをば けんべつとうに おとすなり 常忍抄 じょうにんしょう [稟権出界抄] ほんごんしゅっかいしょう (981頁) 建治3年10月 (1277年) 通解(意訳) 法華経の行者のことを、第六天の魔王が必ず妨げるのである。 天台大師が顕した「摩訶止観」にある、魔事境がこれにあたり、仏道修行の障げとなる種々の現象が起こるのである。 魔の習癖は、善い行い(善行)をしようとする者を妨げて、悪事をさせるのを悦ぶことにある。どうしても悪事を行わない者には、力が及ばずに善行をさせるが、天界・人界の六道(十界のうち、地獄界・餓鬼界・修羅界・人界・天界)に留まった善行をさせ、仏法と縁させないよう邪魔するのである。 また、法華経以外の小乗仏教(自分だけの悟りを得ようとする、声聞・縁覚界の仏教)の修行をする者には、ひたすら恨んで、仏法にまで及ばない天界・人界の善行をさせ、大乗仏教(他人にも悟りを得させようとする、菩薩界の仏道修行)をする者には、それを邪魔して、より劣った二乗仏教の修行をすすめる。 そして最後に、一切衆生に皆等しく仏性があると説いている、真の仏法である法華経を、説法通りに修行をする者には、法華経に別の教えや我見の解釈を加えたり、法華経の解釈を誤ったりした大謗法...

道理証文よりも現証にはすぎず - even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact.

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本文 日蓮 仏法をこころみるに 道理と証文とには すぎず、 又 道理 証文よりも現証にはすぎず にちれん ぶっぽう を こころみる に どうり と しょうもん と には すぎず、 また どうり しょうもん よりも げんしょう には すぎず 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 日蓮が様々な宗教の優劣・正邪を判断する際、その宗教の教義や主張に、道徳や人道といった道理にかなっており、普遍妥当性(ふへん だとうせい、条件や時間などにとらわれず、どのような場合にも常に当てはまる性質)があるかを問う「理証」と、 記録または文書などの証拠があり、どの経典や文献を根本としているかを問う「文証」で判断をする以上の方法はない。 さらに、その宗教の正しさが、現実社会や実生活で証明されて、現実を変える力を持っているかを問う「現証」に勝るものない。 英語で御書 Gosho in English In judging the relative merit of Buddhist doctrines, I, Nichiren, believe that the best standards are those of reason and documentary proof. And even more valuable than reason and documentary proof is the proof of actual fact. " Three Tripitaka Masters Pray for Rain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598  in June, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  When Nichiren Buddhism judges the superiority or evilness of various religions, the doctrines and insistences of the religions c...

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」と とかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。   英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhah...

深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし - Arouse deep faith, and diligently polish your mirror day and night.

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本文 衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し 迷う時は衆生と名付け悟る時をば仏と名けたり、 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是を磨くとは云うなり しゅじょうと いうも ほとけと いうも また かくの ごとし まよう ときは しゅじょうと なづけ さとる ときをば ほとけと なづけたり、 たとえば あんきょうも みがき ぬれば たまと みゆるが ごとし、 ただいまも いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 衆生といっても仏といっても、また同様に2つの隔てがあるわけではない。迷う時は衆生と名付け、悟った時には仏と名付けるのである。 たとえば、曇っている鏡であっても、磨けば玉のように見えるようなものである。 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English It is the same with a Buddha and an ordinary being. When deluded, one is called an ordinary being, but when enlightened, one is called a Buddha. This is similar to...

大地の底にかくしをきたる真の弟子あり - The Buddha declared: My true disciples I have kept hidden in the depths of the earth

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本文 我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり・此れにゆづるべしとて、 上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、 あなかしこ・あなかしこ・我が滅度の後・正法一千年・像法一千年に弘通すべからず、 われ ごひゃく じんてんこう より だいち の そこ に かくし おきたる しん の でし あり・これ に ゆずる べし とて、 じょうぎょうぼさつ ら を ゆしゅつぼん に めし ださせ たまいて、ほけきょう の ほんもん の かんじん たる みょうほうれんげきょう の ごじ を ゆずらせ たまいて、 あなかしこ・あなかしこ・わが めつど の のち・しょうほう いっせんねん・ぞうほう いっせんねん に ぐつう す べからず、 末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、 大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、 一閻浮提の人人・各各・甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、 諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、 まっぽう の はじめ に ほうぼう の ほうし いち えんぶだい に じゅうまん して しょてん いかり を なし すいせい は いってん に わたらせ だいち は おおなみ の ごとく おどらん、 だいかんばつ・たいか・たいすい・たいふう・だいえきびょう・だいききん・だいひょうらん とう の むりょうの だいさいなん ならび おこり、 いち えんぶだい の ひとびと・おのおの・かっちゅう を きて ゆみつえ を て に にぎらん とき、 しょぶつ・しょ ぼさつ・しょ だいぜんじん とう の おんちから の およばせ たまわざらん とき、 諸人皆死して無間地獄に堕ること雨のごとく・しげからん時・ 此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難をのがれん、乃至後生の大火炎を脱るべしと仏・記しをかせ給いぬ しょにん みな し して むげんじごく に おちる こと あめ の ごとく・しげ からん とき・ この ご じ の だい まんだら を み に たい し こころ に ぞん ぜば しょおう は くに を たすけ ばんにん は なん を のがれん、ないし ご...

此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へまいりあわせ給うなり - Persons who uphold this sutra, though they may be strangers to one another, will meet on Eagle Peak.

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本文 此の経を持つ人人は 他人なれども同じ霊山へ まいりあわせ給うなり、 いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし この きょう を たもつ ひとびと は たにん なれども おなじ りょうぜん へ まいり あわせ たもう なり、 いか に いわんや こ しょうりょう も との も おなじく ほけきょう を しんじさせ たまえば・おなじ ところ に うまれ させ たもうべし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [土餅供養御書] つちもちくようごしょ (1508~1509頁) 文永11年11月 (1274年) 通解(意訳) この経を受持する人々は、他人であっても同じ霊山へ参ってまた会うことができるのである。ましてや、故聖霊(南条時光の父・故南条兵衛七郎)も、殿(時光)も同じく法華経を信仰されているのだから、必ず同じ所にお生まれになるであろう。 英語で御書 Gosho in English Persons who uphold this sutra, though they may be strangers to one another, will meet on Eagle Peak. And how much more certain is it that you and your late father, because you both have faith in the Lotus Sutra, will be reborn there together! " On the Offering of a Mud Pie "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 500 in November, 1274. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You: Tokimitsu Nanjō who Famous youth leaders. Gosho in Japanese 此の 経 を 持つ 人人 は 他人 なれども 同じ 霊山 へ まいり あわせ 給う なり、 いか...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

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本文 始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ  五百品 ごひゃっぽん (788頁) 通解(意訳) 信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。 英語で御書 Gosho in English Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys. ==================================== The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra - 8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 211 to 212 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓...