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情無き 草木すら 友の喜び 友の歎き 一つなり - Even insentient plants and trees share as one a friend’s joys and sorrows.

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本文 松 栄れば 柏 悦ぶ 芝 かるれば 蘭 なく 情無き 草木すら 友の喜び 友の歎き 一つなり まつ さかえば かしわ よろこぶ しば かるれば らん なく じょう なき そうもく すら とも の よろこび とも の なげき ひとつ なり 光日上人御返事 こうにちしょうにんごへんじ (934頁) 弘安4年8月   (1281年) 通解(意訳) 松が栄えれば柏が悦ぶ、芝が枯れれば蘭は泣くといわれる。 非情の草木ですら、友の喜び、友の歎きは一体なのである。 英語で御書 Gosho in English When the pine flourishes, the cypress is overjoyed; when grasses wither, orchids weep. Even insentient plants and trees share as one a friend’s joys and sorrows.  " Reply to the Honorable Kōnichi " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 964 in August, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 松 栄れば 柏 悦ぶ 芝 かるれば 蘭 なく 情 無き 草木すら 友の 喜び 友の 歎き 一つ なり MATSU SAKAEBA KASHIWA YOROKOBU SHIBA KARUREBA RAN NAKU JŌ NAKI SŌ-MOKU SURA TOMO NO YOROKOBI TOMO NO NAGEKI HITOTSU NARI 光日 上人 御返事 KŌNICHI SHŌNIN GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

題目の光無間に至りて... - The ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering...

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや NICHREN TOU NO TAGUI SHOURYOU WO TOBURAU TOKI HOKEKYO WO DOKUJU SHI NAM-MYOHO-RENGE-KYO TO TONAE TATEMATSURU TOKI DAIMOKU NO HIKARI MUGEN NI ITARITE SOKUSHIN-JOBUTSU SESHIMU, EKOU NO MON KORE YORI KOTO OKORU NARI, HOKKE FUSHIN NO HITO WA DAZAI-MUGEN NAREDOMO, DAIMOKU NO HIKARI WO MOTTE KOUSI HOKKE NO GYOUJA TO SHITE TOBURAWAN NI ANI KONO GI NI KAWARU BESHIYA 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が...

日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり - Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo..

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本文 一閻浮提に 人ごとに有智無智を きらはず 一同に他事をすてて 南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず 一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間 一人も唱えず 日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり いちえんぶだいにひとごとにうちむちをきらわずいちどうにたじをすててなんみょうほうれんげきょうととなうべし、 このこといまだ・ひろまらずいちえんぶだいのうちにぶつめつご・2225ねんがあいだひとりもとなえずにちれんひとり・なんみょうほうれんげきょう・なんみょうほうれんげきょうとこえをおしまずとなうるなり 報恩抄 ほうおんしょう (328~329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 全世界の人々が、仏法の知識のある者と、知恵のない者の区別なく、皆が一同に他の経を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。この事は未だに弘まっておらず、全世界において、釈尊滅後2225年の間、一人として唱えなかった。日蓮が初めて、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声を惜しまず唱えているのである。 英語で御書 Gosho in English Every person, regardless of whether wise or ignorant, will set aside other practices and join in the chanting of Nam-myoho-renge-kyo. This teaching has never been taught before. Here in the entire land of Jambudvīpa, in all the 2,225 years since the passing of the Buddha, not a single person chanted it. Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daisho...

強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ - I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts.

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本文 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提心を・をこして 退転せじと願しぬ。 ほけきょうは いっく いちげ も まつだいに たもちがたし と とかるるは これ なるべし、 こんど・ごうじょうの ぼだいしんを・おこして たいてん せじと がん しぬ。 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経は一句一偈ですら、末法に持つことは困難であると説かれているのは、宝塔品にある六難九易の事なのである。 この事に気づいたので、今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなる大難に遭っても、絶対に退転しないと誓願したのである。  英語で御書 Gosho in English The difficulty of embracing even one phrase or verse of the Lotus Sutra in the Latter Day of the Law.  Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts. " The Opening of the Eyes " Part I " The Writings of Nichiren Daishonin ", Vol.1, p.240 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  These guidance is the teachings of the “Treasure Tower” chapter on the six difficult and nine easy acts. Gosho in Japanese 法華経は 一句一偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、 今度・強盛の菩提...

秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし - even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it.

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本文 能く能く信心あるべく候、 たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれども・わるびれたる人のためには何かせん よくよくしんじんあるべくそうろう、 たとえばひやくなりともどくをいれぬればくすりのようすくなし、つるぎなれども・わるびれたるひとのためにはなにかせん 四条金吾女房御書 しじょうきんごにょうぼうごしょ [安産福子御書] あんざんふくしごしょ (1109頁) 文永8年5月 (1271年) 通解(意訳) さらに信心を強くするべきである。 たとえば、どんな秘薬であっても、毒を入れたならば薬の効果は少ないし、また、いかなる剣であっても、臆病な人にとってはなんの役にもたたない。 英語で御書 Gosho in English You must be careful to have firm faith. For example, even the most excellent medicine will have little effect if poison is added to it. Even a sword will be of no use to a coward. " Easy Delivery of a Fortune Child " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 186 in May, 1271. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 能く 能く 信心 あるべく 候、 たとへば 秘薬 なり とも 毒 を 入れぬれば 薬 の 用 すくなし、 つるぎ なれども・わるびれたる 人 の ため には 何かせん YOKU YOKU SHINJIN ARUBEKU SŌRŌ,  TATOEBA HIYAKU NARI TOMO DOKU WO IRENUREBA KUSURI NO YŌ SUKUNASHI,  TSURUGI NAREDOMO・WARUBIRETARU HITO NO TAME NIWA NANIKASEN 四条金吾 女房 御書 SHIJŌ-KINGO DONO GOSHO [安産 福子 御書] ANZAN FUKU...

若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや - If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters.

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本文 地涌の菩薩のさきがけ 日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや 入りなまし、 若し日蓮 地涌の菩薩の数に入らば 豈に 日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや じゆの ぼさつの さきがけ にちれん いちにん なり、じゆの ぼさつの かずにもや いりなまし、 もし にちれん じゆの ぼさつの かずにいらば あに にちれんが でしだんな・じゆの るうりに あらずや 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1359頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 地涌の菩薩の先駆けは、日蓮一人である。もしくは地涌の菩薩の数にも入っているのであろうか。 もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているのであれば、日蓮の弟子檀那達もまた地涌の菩薩であり、仲間ということになろう。 英語で御書 Gosho in English Nichiren alone took the lead in carrying out the task of the Bodhisattvas of the Earth. He may even be one of them. If Nichiren is to be counted among the Bodhisattvas of the Earth, then so must his disciples and lay supporters. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 385 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 地涌 の 菩薩 の さきがけ 日蓮 一人 なり、地涌 の 菩薩 の 数 にもや 入りなまし、 若し 日蓮 地涌 の 菩薩 の 数 に 入らば 豈に 日蓮 が 弟子 檀那・地涌 の 流類 に 非ずや JIYU NO BOSATSU NO SAKIGAKE NICHIREN ICHININ NARI, JIYU NO BOSATSU NO KAZU NIMOYA IRINAMASHI, MOSHI NICHIREN JIYU NO BOSATSU...

南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし - those who so much as one time pronounce the words Nam-myoho-renge-kyo, not one will fail to become a Buddha.

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本文 無量劫が間・一度も そら事なくして其の功に依りて仏となり給いて候が・無一不成仏と申して 南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるは なしと・とかせ給いて候 釈迦一仏の仰せなりとも 疑うべきにあらざるに・十方の仏の御前にて・なにのゆへにか・そら事 をばせさせ給うべき むりょうこうが あいだ・いちども そらごと なくして その こうに よりて ほとけと なり たまいて そうろうが・むいちふじょうぶつと もうして なんみょうほうれんげきょうを だ いちど もうせし ひと・ひとりとして ほとけに ならざるは なしと・とかせ たまいて そうろう しゃか いちぶつの おおせなり とも うたがうべきに あらざるに・じっぽうの ほとけの ごぜんにて・なにの ゆえにか・そらごと をば せさせ たもうべき 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [百箇日御書] ひゃっかにちごしょ (1573頁) 弘安3年~弘安4年 (1280年~1281年) 通解(意訳) 釈尊は、無量劫(遥か昔の過去世)の修行の間、一度も虚言(うそ)をつくことはなかった。その功徳によって仏となられた方が「無一不成仏(むいちふじょうぶつ・一人として仏にならないものはない)」と言われて、南無妙法蓮華経とただ一度でも唱えた人は、一人として仏の生命を成かない者はない、と説かれているのである。 虚言を言わなかった釈迦仏がこう仰せになっているだけでも疑う余地はなく、さらに十方の諸仏(諸天善神)も、この事が真実であることを証明したのである。 これ以上、何を理由にしても虚言ではなく、「必ず功徳が顕れる」と、南無妙法蓮華経を深く信受し、題目を唱えていくべきである。 英語で御書 Gosho in English [ Shakyamuni Buddha was ] During those countless kalpas, not once did he tell a lie. And when, as a result of the merit he had gained, he became a Buddha, he declared that "not a one will fail to attain Buddhahood." That is, h...