投稿

此の経を持つ人人は他人なれども同じ霊山へまいりあわせ給うなり - Persons who uphold this sutra, though they may be strangers to one another, will meet on Eagle Peak.

イメージ
本文 此の経を持つ人人は 他人なれども同じ霊山へ まいりあわせ給うなり、 いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし この きょう を たもつ ひとびと は たにん なれども おなじ りょうぜん へ まいり あわせ たもう なり、 いか に いわんや こ しょうりょう も との も おなじく ほけきょう を しんじさせ たまえば・おなじ ところ に うまれ させ たもうべし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [土餅供養御書] つちもちくようごしょ (1508~1509頁) 文永11年11月 (1274年) 通解(意訳) この経を受持する人々は、他人であっても同じ霊山へ参ってまた会うことができるのである。ましてや、故聖霊(南条時光の父・故南条兵衛七郎)も、殿(時光)も同じく法華経を信仰されているのだから、必ず同じ所にお生まれになるであろう。 英語で御書 Gosho in English Persons who uphold this sutra, though they may be strangers to one another, will meet on Eagle Peak. And how much more certain is it that you and your late father, because you both have faith in the Lotus Sutra, will be reborn there together! " On the Offering of a Mud Pie "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 500 in November, 1274. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You: Tokimitsu Nanjō who Famous youth leaders. Gosho in Japanese 此の 経 を 持つ 人人 は 他人 なれども 同じ 霊山 へ まいり あわせ 給う なり、 いか...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

イメージ
本文 始めて我 心 本来の仏なりと知るを 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜の中の大歓喜なり はじめて わが こころ ほんらい の ほとけ なり と しる を すなわち だいかんき と なづく いわゆる なんみょうほうれんげきょう は かんき の なか の だいかんき なり 御義口伝 おんぎくでん 廿八品に一文充の大事 にじゅうはっぽんにいちもんずつのだいじ  五百品 ごひゃっぽん (788頁) 通解(意訳) 信心に懸命に励んでいき、我が生命に大きな歓喜が沸き起こった時、初めて自分自身が本来の仏なのだと知ることを、すなわち大歓喜というのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自分自身の仏の境涯を開いていける、歓喜の中の大歓喜なのである。 英語で御書 Gosho in English Summary: This passage refers to the great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys. ==================================== The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra - 8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 211 to 212 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 始めて 我 心 本来 の 仏 なりと 知る を 即ち 大歓喜 と 名く 所謂 南無妙法蓮華経 は 歓喜 の中 の 大歓...

信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし - Faith that is weak is like muddy water, while faith that is brave is like clear water.

イメージ
本文 其の上は 私に計り申すに及ばず候 叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず、 水すめば 月うつる 風ふけば 木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし 信の よはきは にごるがごとし、信心の・いさぎよきは すめるがごとし 木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ そのうえ は わたし に ばかり もうす に およばず そうろう かない かなわぬ は ごしんじん に より そうろう べし まったく にちれん が とが に あらず、 みず すめば つき うつる かぜ ふけば き ゆるぐ ごとく・みな の みこころ は みず の ごとし しん の よわき は にごる が ごとし、しんじん の・いさぎ よき は すめる が ごとし きは どうりの ごとし・かぜの ゆるがすは きょうもんを よむが ごとしと・おぼしめせ 日厳尼御前御返事 にちごんあまごぜんごへんじ (1262頁) 弘安3年10月 (1280年) 通解(意訳) 信心の功徳について、これを自分勝手の解釈で御本尊の功徳を推し量ってはならない。 日蓮が、あなたの願いをいくら祈ったところで、願いが叶うか叶わないかは、結局は全てあなたの御信心によるものであり、全く日蓮のせいではない。 例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れるように、人の心は水のようなものである。 信人が弱いのは、水が濁っているようなものであり、信心が強く潔いのは、水が澄んでいるようなものである。 木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすことは、朝夕の勤行・唱題を怠らず、信心を深めていく努力と、現実と向き合って、願いが成就するよう努力をする事である。 「題目をあげていればなんとかなる」と、自分が努力する事を怠れば、せっかく諸天が動いたとしても、願いは成就しない。 自分の信心を深め、行学を実践していきなさい。 仏法の道理である「南無妙法蓮華経」の御本尊を揺り動かすような実践の信心と同時に、現実を変えようとする努力をするところに、御本尊の功徳が顕れるのだと、しっかり心得ていきなさい。  英語で御書 Gosho in English Now there is no need to attempt to surmise yourself ...

「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」 - “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”

イメージ
本文 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、 文の心は 此の経を持つ人は 百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり きょう に いわく「もし ほう を きく こと あらん もの は ひとり と して じょうぶつ せざる こと なし」うんぬん、 もん の こころ は この きょう を たもつ ひと は ひゃくにん は ひゃくにん ながら・せんにん は せんにん ながら・ひとり も かけず ほとけ に なる と もうす もんなり 上野尼御前御返事 うえのあまごぜんごへんじ [鳥竜遺竜事] おりょういりょうのこと (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 法華経には「もし法華経を聞く事が有る者は、一人として成仏しないことはない」(若有聞法者無一不成仏:にゃくうもん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ)と書かれている。 この文章の意味は、法華経を受持する人は、誰もが自身の無限の可能性を開き、幸福な境涯をつかむことができるという文なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” This passage means that, if there are a hundred or a thousand people who uphold this sutra, without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas.  " Wu-lung and I-lung " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099 November, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 経 に 云く「若し 法 を 聞く こと 有らん 者 は 一 と して 成仏...

行学の二道をはげみ候べし- Exert yourself in the two ways of practice and study.

イメージ
本文 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、 我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし ぎょうがく の にどう を はげみ そうろう べし、ぎょうがく たえなば ぶっぽう は ある べからず、 われ も いたし ひと をも きょうけ そうらえ、ぎょうがく は しんじん より おこる べく そうろう、ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経(広宣流布)のために行動し、法華経のことを学んでいきなさい。行学が途絶えてしまえば、仏法はないのである。 自分も行い、人にも教えて導いていきなさい。行学は信心から起こるものである。 力があれば、行学で学んだことや体験などを、一文一句でも人に語っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Exert yourself in the two ways of practice and study. Without practice and study, there can be no Buddhism. You must not only persevere yourself; you must also teach others. Both practice and study arise from faith. Teach others to the best of your ability, even if it is only a single sentence or phrase.  " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 386 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Jambudvīpa: All of the World. Gosho in Japa...

日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし - If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-myoho-renge-kyo will spread for ten thousand years and more, for all eternity

イメージ
本文 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。  日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。 この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-m...

いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ - If I speak out, I am fully aware that I will have to contend with the three obstacles and four devils.

イメージ
本文 法華経・涅槃経等に 此の二辺を合せ見るに・ いはずば 今生は事なくとも 後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、 王難等・出来の時は 退転すべくは 一度に思ひ止るべしと 且くやすらいし程に 宝塔品の六難九易これなり ほけきょう ねはんぎょう に この にへん を あわせみる に いわずば こんじょう は こと なくとも ごしょう は かならず むけんじごく に おつ べし、いう ならば さんしょうしま かならず きそい おこる べし と・しりぬ、にへん の うち には・いう べし、 おうなん とう・しゅったい の とき は たいてん すべく は いちど に おもい とどまるべし と しばらく やすらいし ほど に ほうとうほん の ろくなんくい これ なり 開目抄・上 かいもくしょう・じょう [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (200頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 法華経・涅槃経等の文に、法華経を説くと様々な困難が競い起こる事について、言うか言わないのかの二辺を合わせ見るに、 言わないならば、今生には事がないけれども後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。 言うならば、三障四魔が競い起こってこれを妨げるのであるということがわかった。 この二辺の中には言うべきである。 しかし王難等の大迫害が起きたなら、一度に思いとどまるであろうと、しばらく考えつつある時に、思い当たったのが宝塔品の六難九易である。 英語で御書 Gosho in English I have considered which course to take in the light of the teachings of the Lotus and Nirvana sutras. If I remain silent, I may escape persecutions in this lifetime, but in my next life I will most certainly fall into the hell of incessant suffering. If I speak out, I am fully aware that I w...