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一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (910~911頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even  Mahākāshyapa, Ānanda, Ashvaghosha, Nāgārjuna, Nan-yüeh, T’ien-t’ai, Miao-lo, or Dengyō has propagated them. My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa ...

石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる - Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold.

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本文 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪を せめいだし給いて候、 たとへば くろがねを よくよく きたへば きずの あらわるる が ごとし、石は やけば はいとなる 金は・やけば真金となる、 此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて 法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ おのおの・ずいぶん に ほけきょう を じんぜられつる・ゆえ に かこ の じゅうざい を せめ いだし たまいて そうろう、 たとえば くろがね を よくよく きたえば きず の あらわるる が ごとし、 いし は やけば はい と なる 金 は やけば しんきん と なる、 この たび こそ・まこと の ごしんよう は・あらわれて ほけきょう の じゅうらせつ も しゅご せ させ たもうべき にて そうらめ 兄弟抄 きょうだいしょう (1083頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) あなた達はそれぞれに、これまで随分と法華経を信じられてきた。それゆえ、過去世で犯した重罪への重い償いを、軽くして今世に責め出しているのである。 これは、たとえば鉄を鍛錬するためにしっかりと鍛え打てば、内部に隠れていた傷が表面にあらわれて、本物の鋼へと鍛えられるようなものである。また、石は焼けば灰になるが、金は焼いて精錬すれば純金へと変わる。 今回の困難こそ、あなた方の信心が本物かどうかが試される「試練」として現れたのだろう。法華経の十羅刹女(諸天善神)もあなたがたを必ず守護するにちがいない。 英語で御書 Gosho in English Both of you have continued believing in the Lotus Sutra; thus you are now ridding yourselves of your grave offenses from the past. For example, the flaws in iron come to the surface when it is forged. Put into flames, a rock simply turns to ashes, but gold becomes pure gold. This trial, more than anythin...

月月・日日につより給へ - Strengthen your faith day by day and month after month.

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本文 設い大鬼神の つける人なりとも 日蓮をば 梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給う ゆへに ばつしがたかるべし と 存じ給うべし、 月月・日日につより給へ・すこしも たゆむ心あらば 魔 たよりを うべし。 我等 凡夫の つたなさは 経論に有る事と 遠き事は おそるる心なし たとい だいきじん の つける ひと なりとも にちれん をば ぼんしゃく・にちがつ・してんとう・てんしょうだいじん・はちまん の しゅご し たもう ゆへに ばっし がた かるべし とぞんじ たもうべし、 つきづき・ひび に つより たまへ・すこし も たゆむ こころ あらば ま たより を うべし、 われら ぼんぷ の つたなさ は きょうろん に ある こと と とおき こと は おそるる こころ なし 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) たとえ大鬼神が取りついている人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王、天照太神・八幡大菩薩等、あらゆる諸天善神が守護されているゆえに、誰にも罰することはできないのだと確信していきなさい。 同じように、自分にも諸天の守護があるのだと確信して、月々日々に、常に信心を奮い起していきなさい。少しでも信心にゆるむ心が出てくれば、三障四魔がその心の隙をたよりにして、紛れて襲ってくるであろう。 我々凡夫の拙なさとして、経文に難が競うと説かれている事を常に教えているが、自分に大難が襲ってくる事などという事は、自分には縁遠い他人事として、大難を恐れる心がない。 これが信心の心が緩む一例であり、いざ自分に難が襲った時には、退転する原因となってしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Not even a person possessed by a powerful demon, can harm Nichiren, because Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, the Sun Goddess, and Hachiman are safeguarding him. Strengthen your faith day by d...

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に現わ...

我が一念を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり - You must summon up deep faith that Myoho-renge-kyo is your life itself.

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本文 妙法と唱へ 蓮華と読まん時は 我が一念を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり みょうほうを となえ れんげと よまん ときは わが いちねんを さして みょうほうれんげきょうと なづくるぞと ふかく しんじんを ほっすべきなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (383頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 妙法と唱え、蓮華と読誦する時は、自分自身の一念の事を指して、妙法蓮華経と名づけるのである、と深く信心を発すべきである。 英語で御書 Gosho in English When you chant myōhō and recite renge, you must summon up deep faith that Myoho-renge-kyo is your life itself. " On Attaining Buddhahood in This lifetime "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 3 in 1255. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 妙法と唱へ 蓮華と読まん時は 我が一念を指して 妙法蓮華経と名くるぞと 深く信心を発すべきなり MYOHO WO TONAE RENGE TO YOMAN TOKI WA WAGA ICHINEN WO SASHITE MYOHO-RENGE-KYO TO NAZUKURUZO TO FUKAKU SHINJIN WO HOS'SU BEKI NARI 一生成仏抄 IS'SHO JŌBUTSU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

説の如く修行せんに豈仏果を得ざらんや - Practices it in accordance with the Buddha’s teaching, cannot fail to gain the fruit of Buddhahood.

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本文 今 末法当世の有智・無智・在家・出家・上下・万人 此の妙法蓮華経を持つて 説の如く修行せんに 豈 仏果を得ざらんや いま まっぽうとうじの うち・むち・ざいけ・しゅっけ・じょうげ・ばんにん このみょうほうれんげきょうをたもって せつのごとくしゅぎょうせんに あに ぶっかをえざらんや 教行証御書 きょうぎょうしょうごしょ (1282頁) 文永12年3月 (1275年) 通解(意訳) 末法の今の世において、どんな人であろうとも、この妙法蓮華経を受持して、法華経の説法のままに修行するならば、どうして仏果(功徳)を得ないことがあろうか。   英語で御書 Gosho in English Now in the Latter Day of the Law, any person—whether wise or ignorant, priest or lay believer, or of high or low position—who embraces Myoho-renge-kyo and practices it in accordance with the Buddha’s teaching, cannot fail to gain the fruit of Buddhahood. " The Teaching, Practice, and Proof " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 482 March, 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 今 末法当世の有智・無智・在家・出家・上下・万人 此の妙法蓮華経を持つて 説の如く修行せんに 豈 仏果を得ざらんや いま まっぽうとうじの うち・むち・ざいけ・しゅっけ・じょうげ・ばんにん このみょうほうれんげきょうをたもって せつのごとくしゅぎょうせんに あに ぶっかをえざらんや IMA MAP'PŌ TOUJI NO UCHI・MUCHI・ZAIKE・JŌGE・BAN-NIN KONO MYOHO-RENGE-KYO WO TAMOT'TE SETSU NO GOTOKU SHU...

蔵の財よりも身の財すぐれたり - More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body

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本文 中務三郎左衛門尉は 主の御ためにも 仏法の御ためにも 世間の心ねも よかりけり・よかりけりと 鎌倉の人人の口に うたはれ給へ、 穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり なかつかささぶろうさえもんのじょう は しゅ の おんため にも ぶっぽう の おんため にも せけん の こころね も よかりけり・よかりけり と かまくら の ひとびと の くち に うたわれ たまえ、 あなかしこ・あなかしこ・くら の たから より み の たから すぐれたり み の たから より こころ の たから だいいち なり 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法においての心がけも、世間に対する心がけについても、人間として立派な人であった、立派であったと、鎌倉の人々にいわれるようになりなさい。 おそれ多くも、蔵におさめている財産よりも、健康、技能や才能などの自分の身の財産が優れている。その身の財よりも、誠実な振舞や感謝の念などの、心の財が第一なのである。 英語で御書 Gosho in English Live so that all the people of Kamakura will say in your praise that Nakatsukasa Saburō Saemon-no-jō is diligent in the service of his lord, in the service of Buddhism, and in his concern for other people. More valuable than treasure in at storehouse are the treasures of the body,and the treasure of the heart are the most valuable of all. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, ...