投稿

妙法蓮華経とは其の体何物ぞや - What is the entity of Myoho-renge-kyo?

イメージ
本文 問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、 答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、 問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、 答う勿論なり経に云く「所謂諸法・乃至・本末究竟等」云云 とう みょうほうれんげきょう とは その たい なにもの ぞや、 こたう じっかい の えしょう すなわち みょうほうれんげ の とうたい なり、 とう もし しかれば われら が ごとき いっさいしゅじょう も みょうほう の ぜんたい なり と いわる べき か、 こたう もちろん なり きょう に いわく「しょいしょほう・ないし・ほんまつくきょうとう」うんぬん 当体義抄 とうたいぎしょう (510頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) 問う、妙法蓮華経とは、その当体は、どのようなものであろうか。 答う、心の状態を顕した十界の依報と正報とのすべてが、妙法蓮華経の当体である。 問う、もしそうであるならば、我々のような凡夫をはじめ、一切衆生も妙法の全体であるといえるのであろうか。 答う、もちろんそうである。その証文としては、方便品第二に「所謂諸法・乃至・本末究竟して等しい」とあるとおりである。 妙法蓮華経とは、その人の身心の事であり、身心の状態がそのまま妙法の当体なのである。 英語で御書 Gosho in English QUESTION: What is the entity of Myoho-renge-kyo? Answer: All beings and their environments in any of the Ten Worlds are themselves entities of Myoho-renge-kyo. Question: If so, then is it possible to say that all living beings, such as ourselves, are entities of the Mystic Law in its entirety? Answer: Of course. The sutra says, “This reality [the true aspect of all phenomena] consists of the appearance...

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

イメージ
本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。  英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKE...

一閻浮提うちみだすならば... - If all of Jambudvīpa were to be thrown into chaos...

イメージ
本文 大悪は 大善の来るべき瑞相なり、 一閻浮提 うちみだすならば 閻浮提内 広令流布は よも疑い候はじ だいあくは だいぜんの きたるべき ずいそうなり、 いちえんぶだい うちみだす ならば えんぶだい ない こうりょうるふ は よも うたがい そうらわじ 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1467頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 大悪は大善が来る前兆である。 全世界の世相が打ち乱れるならば、「一閻浮提の内に広く流布せしめる」(全世界に民衆救済のための法華経が広く流布する)の経文の通りになることは、よもや疑うことではないのである。 英語で御書 Gosho in English Great evil portends the arrival of great good. If all of Jambudvīpa were to be thrown into chaos, there could be no doubt that [this sutra would] “be widely propagated throughout Jambudvīpa.” " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1121 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Jambudvīpa: All of the World Gosho in Japanese 大悪 は 大善 の 来るべき 瑞相 なり、 一 閻浮提 うちみだす ならば 閻浮提内 広令流布 は よも 疑い 候はじ。 DAIAKU WA DAIZEN NO KITARUBEKI ZUISŌ NARI, ICHI-ENBUDAI UCHIMIDASU NARABA ENBUDAI-NAI K ŌRYO-RUFU WA YOMO UTAGAI SŌRAWAJI 減劫 御書 GENKŌ GOSHO [智慧 亡国 書] CHI-E BŌKOKU SHO ...

なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし - Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other.

イメージ
本文 なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、 兵法 剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 なに の へいほう より も ほけきょう の へいほう を もちい たもう べし、「しょよ おんてき・かいしつ さいめつ」の きんげん むなし かる べからず、 へいほう けんぎょう の だいじ も この みょうほう より いでたり,ふかく しんじん を とり たまえ、あえて おくびょう にて は かなう べからず そうろう 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ [剣形書]   けんぎょうしょ (1193頁)  弘安2年10月  (1279年)  通解(意訳) どのような策や方法よりも、信心によって智慧を引き出す「法華経の兵法」を用いていきなさい。 法華経を信受している者の成仏を妨げようとする、あらゆる魔の働きは、すべて信心の功徳で滅ぼすことができるのである(諸余怨敵・皆悉摧滅 しょ よ おん てき ・かい しつ さい めつ)。 教主釈尊の御金言が決して空しいはずがない。信心によって乗り越えられない苦難はないのである。 すべての世法も技術も、「心こそ大切なれ」という妙法の思想から生まれ出たものである。 いかなる逆境にあっても、題目を唱えて智慧を頂き、その智慧と御本尊の妙法の力を信じ抜いて、努力を惜しまず、前進する勇気をもって行動していきなさい。 信心も行動も、臆病であっては何事も成就することはできないのである。 英語で御書 Gosho in English Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other. “All others who bear you enmity or malice will likewise be wiped out.” These golden words will never prove false.  The heart of strategy and swordsmanship derives from the Mystic Law. Have ...

深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず - If you chant Myoho-renge-kyo with deep faith in this principle, you are certain to attain Buddhahood in this lifetime.

イメージ
本文 善悪に付いて 起り起る処の念心の当体を指して 是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば 成仏の直道とは云うなり、 この旨を深く信じて 妙法蓮華経と唱へば 一生成仏 更に疑あるべからず ぜんあくに ついて おこり おこる ところの ねんしんの とうたいを さして これ みょうほうの たい と ときのべたる きょうおうなれば じょうぶつの じきどうとは いうなり、 このむねを ふかくしんじて みょうほんれんげきょう と となえば いっしょうじょうぶつ さらに うたがい あるべからず 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (384頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 人の心の善悪は、一瞬一瞬に起こる心の状態の変化によるものである事を指して、凡夫の心そのものがそのまま妙法蓮華経の当体(本質)であると説いたのが、諸経の王である法華経である。だから、成仏の直道というのである。 この宇宙の法理である妙法を深く信じて、疑う事なく妙法蓮華経と唱えたなら、一生成仏は絶対に間違いないのである。  英語で御書 Gosho in English The entity of our life, which manifests either good or evil at each moment, is in fact the entity of the Mystic Law. If you chant Myoho-renge-kyo with deep faith in this principle, you are certain to attain Buddhahood in this lifetime. " On Attaining Buddhahood in This Lifetime " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 3 in 1255. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 善悪 に 付いて 起り 起る 処 の 念心 の 当体 を 指して 是れ 妙法 の 体 と 説き 宣べたる 経王 なれば 成仏 の 直道 とは 云う なり、 この 旨 を 深く 信じ...

諸河の水入る事なくば大海あるべからず - Were it not for the flowing rivers, there would be no sea.

イメージ
本文 大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、 法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、 諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ たいかい へ しゅうる いる・されども たいかい は かわ の みず を かえす こと ありや、 ほっけ たいかい の ぎょうじゃ に しょが の みず は だいなん の ごとく いれども・かえすこと とがむる こと なし、 しょが の みず いること なくば たいかい ある べからず、だいなん なくば ほけきょう の ぎょうじゃ には あらじ 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 大海には様々な河水が流れこむ。けれども、大海は河水を押し返すようなことがあるだろうか。 法華経という大海の行者には、様々な河水のように大難として流れ込むが、大難を押し返すことも、とがめたりすることもない。 河水が入ることがなければ、大海ではないからである。大難がなければ法華経の行者ではないのである。 英語で御書 Gosho in English All rivers flow into the sea, but does the sea turn back their waters? The currents of hardship pour into the sea of the Lotus Sutra and rush against its votary. The river is not rejected by the ocean; nor does the votary reject suffering. Were it not for the flowing rivers, there would be no sea. Likewise, without tribulation there would be no votary of the Lotus Sutra. " A Ship to Cross the Sea of Suffering ...

願くは我が弟子等・大願ををこせ - My wish is that all my disciples make a great vow.

イメージ
本文 願くは我が弟子等・大願を をこせ、去年 去去年(こぞ おととし)の やくびやうに 死にし 人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしとも みへず、 とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、 をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海に あつらへ・ちりを大地に うづむと をもへ ねがわくは わが でし ら・だいがん を おこせ、こぞ おととし の やくびょう に しに し ひとびと の・かず にも いらず、また とうじ・もうこ の せめ に・まぬかるべし とも みえず、 とにかく に し は いちじょう なり、そのときの なげき は とうじ の ごとし、 おなじく は・かり にも ほけきょう の ゆえ に いのち を すてよ、つゆ を たいかい に あつらえ・ちり を だいち に うずむ と おもえ 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [竜門御書] りゅうもんごしょ 1561頁 弘安2年11月 (1279年) 通解(意訳) 願わくは、我が弟子たちは広宣流布という大願を起こしなさい。 去年や一作年に起こった疫病で死んだ人々の数には入らなかったにしても、現在、蒙古(モンゴル帝国)が攻めてきた時に、死を免れることができるとは思えない。 とにかく、どんな形であれ、人の死というものは、いずれ皆に平等に訪れるものであり、决定した(けつじょう した、決まった)事である。その時の嘆きや苦しみは、死の間際では全く同じ苦しみなのである。 同じ死を迎える事が決定しているのであれば、「もしかしたら、自分の命は明日には無いかもしれない」と思い切って、法華経のために命を捨てなさい。 これこそ、露のような小さな生命を、法華経という大海に入れるように、また塵が妙法という大地に埋める事だと思いなさい。 法華経のために命を捨てるということは、今世においては、最高に幸福な人生を送ることができ、最期にはまた、法華経の行者として誉れ高い死を迎えることができる。そして来世に於いてもまた法華経に縁して、法華経の行者として生まれてくることができるのである。 英語で御書 Gosho in English My wish is that all my disciples make a great vow. We are...