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智者とは世間の法より外に仏法を行ず - A person of wisdom is not one who practices Buddhism apart from worldly affairs

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本文 智者とは 世間の法より外に仏法を行ず、世間の 治世の法を 能く能く 心へて候を 智者とは申すなり ちしゃ とは せけん の ほう より ほか に ぶっぽう を おこなわず、せけん の ちせい の ほうを よく よく こころえて そうろう を ちしゃ とは もうす なり 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1466頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 智者とは、世間の法(現実社会の道理)から離れて仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。 社会を離れて仏法はない 生活上の事象一つ一つが、そのまま仏法そのものです。仏法の智慧の光は、苦悩渦巻く現実の社会の中でこそ輝き、希望となり、勇気となり、安心となります。(中略) 社会を離れて仏法はありません。仏法の慈悲と智慧の力で、社会に貢献し、社会を正しく導いていてこそ真の「智者」です。そして、仏法の英知が発揮された社会は、必ず栄えていくのです。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English A person of wisdom is not one who practices Buddhism apart from worldly affairs but, rather, one who thoroughly understands the principles by which the world is governed. " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1121 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  There is no Nichiren Buddhism apart from society. Every single event on life is Nichiren Buddhism itself.The light of the Wisdom of Nichiren Buddhism is shi

軍には大将軍を魂とす - In battles soldiers regard the general as their soul.

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本文 軍には大将軍を魂とす 大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり いくさには だいしょうぐんを たましいとす だいしょうぐん おくしぬれば ほへい おくびょうなり 乙御前御消息 おと ごぜん ごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう  (1219頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) 戦の際、軍には大将軍を魂として、将軍の采配次第で勝負が決まる。その大将軍が臆病になってしまえば、その部下の兵達も同じように、ことごとく臆病になってしまう。 広宣流布の戦い 広宣流布の戦いにおいては、リーダーが生命力豊かに、自ら率先して戦いに挑み、 また個人も自らがリーダーの気概を以って、心を合わせて戦っていかなければならない。 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English In battles soldiers regard the general as their soul. If the general were to lose heart, his soldiers would become cowards.  " The Supremacy of the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 613 in August, 1275 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  In the  Battle of KOSEN-RUFU. In the Battle of Kosen-Rufu, the leaders need to take the initiative in fighting with full of vitality. And, each individuals also need to fight together with the leaderships. - Daisaku Ikeda Gosho in Japanese 軍 には 大将軍 を 魂 とす 大将軍 をくし ぬれば 歩兵 臆病 なり IKUSA NIWA DAI-SHŌGUN WO TAMASHII

名を揚るか名をくだすか - This will determine whether you win honor or disgrace your name.

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本文 但 偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ 若干の人の死ぬるに 今まで生きて有りつるは 此の事に あはん為なりけり、 此れこそ 宇治川を渡せし所よ・是こそ 勢多を渡せし所よ・名を揚るか 名をくだすか なり、 人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり ただ ひとえ に おもいきる べし、ことし の せけん を かがみ と せよ そこばく の ひと の しぬる に いままで いきて ありつる は この こと に あわん ため なりけり、 これこそ うじがわ を わたせし ところよ・これこそ せた を わたせし ところよ・な を あぐるか な を くだすか なり、 じんしん は うけがたく ほけきょう は しんじ がたし とは これなり 弥三郎殿御返事 やさぶろうどのごへんじ (1451頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) (この度の試練に臨むにあたっては、)ただひとえに思い切りなさい。 今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が疫病や餓死、内乱などで死んだのに、あなたが今まで生き永らえてきたのは、この試練に遭う為なのである。あなたがこの法華経によって試練を乗り越えることで、法華経の実証を証明するという使命があるからである。 これこそ、戦いの要諦であり数々の名将達が勝ち超えた難関である、宇治川を渡るというところであり、これこそ勢多川を渡るというところである。勝って名をあげるか名をくだすか、人生を決める大きな境目である。 人間として生まれることは難しく、法華経は信じ難いとはこのことである。 英語で御書 Gosho in English You must simply make up your mind. Look at the world this year as a mirror. The reason that you have survived until now when so many have died was so that you would meet with this affair. This is where you will cross the Uji River. This is where you will ford the Seta. This will determine wheth

日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり - Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 一閻浮提に 人ごとに有智無智を きらはず 一同に他事をすてて 南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず 一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間 一人も唱えず 日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり いちえんぶだいにひとごとにうちむちをきらわずいちどうにたじをすててなんみょうほうれんげきょうととなうべし、   このこといまだ・ひろまらずいちえんぶだいのうちにぶつめつご・2225ねんがあいだひとりもとなえずにちれんひとり・なんみょうほうれんげきょう・なんみょうほうれんげきょうとこえをおしまずとなうるなり 報恩抄 ほうおんしょう (328~329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 全世界の人々が、仏法の知識のある者と、知恵のない者の区別なく、皆が一同に他の経を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。 この事は未だに弘まっておらず、全世界において、釈尊滅後2225年の間、一人として唱えなかった。日蓮が初めて、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声を惜しまず唱えているのである。 英語で御書 Gosho in English All the other countries of Jambudvīpa,  Every person, regardless of whether wise or ignorant, will set aside other practices and join in the chanting of Nam-myoho-renge-kyo.  This teaching has never been taught before.  Here in the entire land of Jambudvīpa, in all the 2,225 years since the passing of the Buddha, not a single person chanted it. Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo. " On Repaying Debts of Gratitude

隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し - a poor man who spends night and day counting his neighbor’s wealth but gains not even half a coin.

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本文 一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、 然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、 若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し いちだい はちまん の しょうぎょう・さんぜじっぽう の しょ ぶつ ぼさつ も わが こころ の ほか に あり とは・ゆめゆめ おもう べからず、しかれば ぶっきょう を ならう と いえども しんしょう を かんぜ ざれば まったく しょうじ を はなるる こと なきなり、 もし しんげ に みち を もとめて まんぎょう まんぜん を しゅうせん は たとえば びんぐ の ひと にちや に となり の たから を かぞえ たれども はんせん の とくぶん も なき が ごとし 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう (383頁) 建長7年 (1255年) 通解(意訳) 釈尊一代の八万の聖教、三世十方の諸仏・菩薩も、我が心の外にあるとは、ゆめゆめ思ってはならない。 したがって仏教を習学するといっても、心性を観じなければ、全く生死の苦しみから離れ、成仏への直道を得ることはできないのである。 もし自身の心の外に成仏への直道を求めて、万行万善を修行しようとするのは、例えば貧しい状況にいる人が、貧しさのあまり、日夜にわたって隣の人の財金を数えたとしても、その半分の銭も得られないようなものである。 英語で御書 Gosho in English You must never think that any of the eighty thousand sacred teachings of Shakyamuni Buddha’s lifetime or any of the Buddhas and bodhisattvas of the ten directions and three existences are outside yourself. Your practice of the Buddhist teachings will not relieve you of the sufferings of birth and death in the least un

志有らん人人は互に之を語れ - Those who are serious in their resolve should discuss it with one another.

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本文 当に知るべし 三人に日蓮を入れ 四人と為して 法華経の行者 末法に有るか、喜い哉 況滅度後 の 記文に当れり 悲い哉 国中の諸人 阿鼻獄に入らんこと (中略) 一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ まさに しるべし さんにんに にちれんを いれ よにんと なして ほけきょうの ぎょうじゃ まっぽうに あるか、 うれしいかな きょうめつどごの きぶんに あたれり かなしいかな くにじゅうの しょにん あびごくに はいらんこと (ちゅうりゃく) いっさいの しょにん これを けんぶんし こころざし あらん ひとびとは たがいに これを かたれ 法華行者逢難事 ほっけぎょうじゃほうなんじ (967頁) 文永11年1月 (1274年) 通解(意訳) (日本のあらゆる衆生は、)今まさに知るべきである。教主釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師の三人の法華経の行者に日蓮を入れて四人として、日蓮こそ末法に出現した法華経の行者であることを。なんと喜ばしいことだろう、「況や滅度の後をや」の経文に我が身が当たっているのである。なんと悲しいことだろう、国中の人々が無間地獄に入るであろうことは。 (中略) 全ての日蓮門下の人々は、この書をよく見聞きして、日蓮の弟子たる志ざしのある人々は、互いにこの手紙の内容について語りあいなさい。 *況滅度後: 「悠多怨嫉・況滅度後」の一部。「釈尊が生きている時代であっても、怨み嫉む者が多かった」「釈尊の滅後は言うまでもなく、さらに法華経の行者は怨み、妬まれる」の意。 英語で御書 Gosho in English Truly you should know that, adding Nichiren to the other three, there is now a fourth votary of the Lotus Sutra who has appeared in the Latter Day of the Law.  How glad I am to fulfill the words of prophecy from the sutra: “How much more will this be so after his passing?” How sad I feel that all t

教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき - if one can move Shakyamuni Buddha...can the grass and trees fail to respond, can the waters remain calm?

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本文 頭をふれば かみ ゆるぐ 心 はたらけば 身うごく、大風吹けば 草木しづかならず・大地 うごけば 大海さはがし、 教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき こうべ を ふれば かみ ゆるぐ こころ はたらけば み うごく、おおかぜ ふけば そうもく しずか ならず・だいち うごけば たいかい さわがし、 きょうしゅ しゃくそん を うごかし たてまつれば・ゆるがぬ そうもく や あるべき・さわがぬ みず や あるべき 日眼女造立釈迦仏供養事 にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと (1182頁) 弘安2年2月 (1279年) 通解(意訳) 頭を振れば髪が揺れる、心が働けば身体もそれに従う。大風吹けば草木は静かではいられず、大地が動けば大海も荒れる。 同じように、教主釈尊(=御本尊、自身に内在している仏性)を揺り動かすような、強盛な信心で題目をあげていくならば、揺れない草木や、さわがない水(立ちふさがって動かない苦境)があるだろうか。 御本尊を揺り動かす題目 「『私が必ず、広宣流布をいたします』『阿修羅のごとく戦わせてください』と、御本尊に誓願の題目を唱えていけば、力が出ないわけがない。勝利できないわけがない。  たとえ今、どんな苦境にあろうとも『広宣流布のため』と本気で立ち上がった人を、諸天善神が護らないわけがない。」 - 池田大作  英語で御書 Gosho in English When you shake your head, your hair sways; when your mind begins to work, your body moves. When a strong wind blows, the grass and trees can no longer remain still; when the earth shakes, the seas are atremble. Thus if one can move Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, can the grass and trees fail to respond, can the waters remain calm? " Concerni

仏の種は 法華経より外になきなり - the seeds of Buddhahood exist nowhere apart from the Lotus Sutra.

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本文 とてもかくても 法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし 謗ぜん者は 毒鼓の縁となって仏になるべきなり、 何にとしても  仏の種は 法華経より外になきなり とてもかくても ほけきょう を しいて とき きかす べし、しんぜん ひと は ほとけ に なるべし ぼうぜん もの は どっく の えん と なって ほとけ に なるべき なり、 いかにとしても ほとけ の たね は ほけきょう より ほか に なきなり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (552頁) 建治3年3月 (1277年) 通解(意訳) とにもかくにも、法華経を強いて 説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る(そしる)者は 、涅槃経にある毒鼓の縁(どっく の えん、毒を塗った太鼓を叩くと、聞く人も聞こうとしない人も、その音を聞いた者は皆死ぬ=煩悩を滅し、法華経への道を得る)、逆縁となって仏になるのである。 どちらにしても仏の種は、法華経よりほかにはないのである。 相手が聞くか聞かないかはともかく、「自分の勇気を強く奮い立たせて、誠実に粘り強く」あえて信心の事を語り、信心の種を相手に植え付ける(下種していく)べきである。すぐにその種が芽生える人(発心下種・ほっしんげしゅ)もいれば、すぐには芽生えない人(聞法下種・もんぽうげしゅ)もいる。 どちらにしても、種はまいているのだから、必ず相手が信心をする時がくる。折伏の結果は相手ではなく、自分の一念次第なのである。 英語で御書 Gosho in English One should by all means persist in preaching the Lotus Sutra and causing them to hear it. Those who put their faith in it will surely attain Buddhahood, while those who slander it will establish a “poison-drum relationship” with it and will likewise attain Buddhahood. In any event, the seeds of Buddhahood exist now

三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く - The three obstacles and four devils will invariably appear, and the wise will rejoice while the foolish will retreat.

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本文 しをの ひると・みつと 月の出づると・いると・夏と秋と冬と春との さかひには 必ず相違する事あり  凡夫の仏になる又かくのごとし、 必ず三障四魔と申す障いできたれば  賢者はよろこび愚者は退くこれなり しおのひると・みつとつきのいづると・いると・なつとあきとふゆとはるのさかいにはかならずそういすることあり、 ぼんぷのほとけになるまたかくのごとし、かならずさんしょうしまともうすさわりいできたればけんじゃはよろこびぐしゃはしりぞくこれなり 兵衛志殿御返事 ひょうえのさかんどのごへんじ [三障四魔事] さんしょうしまのこと (1091頁) 建治元年11月 (1275年) 通解(意訳) 潮が干く時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏と秋と冬と春との季節の境目には、必ずそれまでと違う変化が起きる。 凡夫が仏になる時もまたそれらと同じであり、 必ず三障四魔という信心を妨げる変化が現れる。その時、信心で乗り越えようとする賢い者はこれを喜び、恐れて信心を捨てようとする愚か者は退いていくのである。 英語で御書 Gosho in English There is definitely something extraordinary in the ebb and flow of the tide, the rising and setting of the moon, and the way in which summer, autumn, winter, and spring give way to each other. Something uncommon also occurs when an ordinary person attains Buddahood. At such a time, the three obstacles and four devils will invariably appear, and the wise will rejoice while the foolish will retreat. " The Three Obstacles and Four Devils " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p

仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず -In all the 2,225 years since the passing of the Buddha, not a single person chanted it.

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本文 一閻浮提に 人ごとに有智無智を きらはず 一同に他事をすてて 南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず 一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間 一人も唱えず 日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と 声も をしまず 唱うるなり いちえんぶだいにひとごとにうちむちをきらわずいちどうにたじをすててなんみょうほうれんげきょうととなうべし、 このこといまだ・ひろまらずいちえんぶだいのうちにぶつめつご・2225ねんがあいだひとりもとなえずにちれんひとり・なんみょうほうれんげきょう・なんみょうほうれんげきょうとこえをおしまずとなうるなり 報恩抄 ほうおんしょう (328~329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 全世界の人々が、仏法の知識のある者と、知恵のない者の区別なく、皆が一同に他の経を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。この事は未だに弘まっておらず、全世界において、釈尊滅後2225年の間、一人として唱えなかった。日蓮が初めて、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と声を惜しまず唱えているのである。 英語で御書 Gosho in English Every person, regardless of whether wise or ignorant, will set aside other practices and join in the chanting of Nam-myoho-renge-kyo. This teaching has never been taught before. Here in the entire land of Jambudvīpa, in all the 2,225 years since the passing of the Buddha, not a single person chanted it. Nichiren alone, without sparing his voice, now chants Nam-myoho-renge-kyo, Nam-myoho-renge-kyo. " On Repaying Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daisho

月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし - Strengthen your faith day by day and month after month. Should you slacken in your resolve even a bit, devils will take advantage.

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本文 設い大鬼神の つける人なりとも 日蓮をば 梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給う ゆへに ばつしがたかるべし と 存じ給うべし、 月月・日日につより給へ・すこしも たゆむ心あらば 魔 たよりを うべし。 我等 凡夫の つたなさは 経論に有る事と 遠き事は おそるる心なし たとい だいきじん の つける ひと なりとも にちれん をば ぼんしゃく・にちがつ・してんとう・てんしょうだいじん・はちまん の しゅご し たもう ゆへに ばっし がた かるべし とぞんじ たもうべし、 つきづき・ひび に つより たまへ・すこし も たゆむ こころ あらば ま たより を うべし、 われら ぼんぷ の つたなさ は きょうろん に ある こと と とおき こと は おそるる こころ なし 聖人御難事 しょうにんごなんじ (1190頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) たとえ大鬼神が取りついている人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王、天照太神・八幡大菩薩等、あらゆる諸天善神が守護されているゆえに、誰にも罰することはできないのだと確信していきなさい。 同じように、自分にも諸天の守護があるのだと確信して、月々日々に、常に信心を奮い起していきなさい。少しでも信心にゆるむ心が出てくれば、三障四魔がその心の隙をたよりにして、紛れて襲ってくるであろう。 我々凡夫の拙なさとして、経文に難が競うと説かれている事を常に教えているが、自分に大難が襲ってくる事などという事は、自分には縁遠い他人事として、大難を恐れる心がない。 これが信心の心が緩む一例であり、いざ自分に難が襲った時には、退転する原因となってしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Not even a person possessed by a powerful demon, can harm Nichiren, because Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, the Sun Goddess, and Hachiman are safeguarding him. Strengthen your faith day by d

難来るを以て安楽と意得可きなり - Difficulties will arise, and these are to be looked on as “peaceful” practices.

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本文 末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり まっぽうに おいて いま にちれんらの たぐいの しゅぎょうは みょうほうれんげきょうを しゅぎょうするに なん きたるを もって あんらくと こころうべきなり 御義口伝 おんぎくでん  安楽行品 五箇の大事 あんらくぎょうぼん ごかのだいじ 第一 安楽行品の事 だいいち あんらくぎょうぼんのこと (750頁) 通解(意訳) 末法において、日蓮とその門下の修行とは、南無妙法蓮華経の題目を自分も唱え、他人にも妙法の素晴らしさを語り、題目を勧めていく「折伏行」であり、仏法対話である。 この折伏行の時に、様々な難が競い起きてくることで、自己の境涯を高めるための試練であり、これを乗り越える事で自己が鍛えられ、何事にも動じない「安楽な境涯を得る事ができる」と心得るべきである。  英語で御書 Gosho in English Concerning the “peaceful” practices of the Lotus Sutra of the Wonderful Law and the practices carried out by Nichiren and his followers now in the Latter Day of the Law, you should understand that, when one practices the Lotus Sutra under such circumstances, difficulties will arise, and these are to be looked on as “peaceful” practices. ==================================== Peaceful Practices Five important points Point One, concerning the “Peaceful Practices” chapter. "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 1, 115 ========================

未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ - If you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present.

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本文 過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ かこ の いん を しらん と ほっせば その げんざい の か を みよ みらい の か を しらん と ほっせば その げんざい の いん を みよ 開目抄・下 かいもくしょう・げ (231頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去に自分がどのような要因(要素や原因)を作ってきたかは、現在の自分の結果(状況や状態)を見なさい。同様に、未来の自分がどんな結果になっているかを知ろうとするなら、現在の要因を見なさい。 そして、理想の自分になれるような要因を、今作っていきなさい。  英語で御書 Gosho in English If you want to understand the causes that existed in the past, look at the results as they are manifested in the present. And if you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present. " The Opening of the Eyes " Part Two "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 279 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You should have create factors that you will make ideal yourself at now. Gosho in Japanese 過去 の 因 を 知らん と 欲せば 其の 現在 の 果 を 見よ 未来 の 果 を 知らん と 欲せば 其の 現在 の 因 を 見よ KAKO NO IN WO SHIRAN TO HOS'SEBA SONO GENZAI

多くの火あつまれども一水にはきゑぬ - Many raging fires are quenched by a single shower of rain.

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本文 日本国の 人人は 多人 なれども 体同異心 なれば 諸事 成ぜん事 かたし、 日蓮が 一類は 異体同心 なれば 人人すくなく 候へども 大事を 成じて・一定 法華経 ひろまりなんと 覚へ候、 悪は 多けれども 一善に かつ事なし、譬へば 多くの火 あつまれども 一水には きゑぬ、此の一門も 又 かくのごとし にほんこくのひとびとはたにんなれどもたいどういしんなればしょじじょうぜんことかたし、 にちれんがいちるいはいたいどうしんなればひとびとすくなくそうらえどもだいじをじょうじて・いちじょうほけきょうひろまりなんとおぼえそうろう、 あくはおおけれどもいちぜんにかつことなし、たとえばおおくのひあつまれどもいっすいにはきえぬ、このいちもんもまたかくのごとし 異体同心事 いたいどうしんじ (1463頁) 年不明、8月11日 文永末、建治、弘安説あり (1274、1275、1279年) 通解(意訳) 今の日本の人々は大人数ではあっても、体同異心(たいどういしん・人数は多いが心が一つになっていない)、何事も成し遂げる事が難しい。 日蓮の一門は異体同心(いたいどうしん・人数は少ないが心は一つである)であるから、人数は少ないけれども大事(だいじ)を成し遂げ、必ず法華経は広まるであろうと思うのである。 悪は多くても一善に勝つことはない。例えば、多くの火が集まっても、たった一水(一度の雨)で消えてしまう。この日蓮の一門もまた同様である。 英語で御書 Gosho in English Though numerous, the Japanese will find it difficult to accomplish anything, because they are divided in spirit. In contrast, although Nichiren and his followers are few, because they are different in body, but united in mind, they will definitely accomplish their great mission of widely propagating the Lotus Sutra. Though evils may

賢聖は罵詈して試みるなるべし - Worthies and sages are tested by abuse.

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本文 鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし、 我今度の御勘気は世間の失一分もなし 偏に先業の重罪を今生に消して 後生の三悪を脱れんずるなるべし くろがね は きたい うてば つるぎ と なる けんしょう は めり して こころみる なる べし われ こんど の ごかんき は せけん の とが いちぶん も なし ひとえ に せんごう の じゅうざい を こんじょう に けして ごしょう の さんあく を まぬがれんずる なるべし 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (956頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 鉄は炎に入れて、熱して鍛え打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。 日蓮が今回受けた佐渡流罪の罪については、世間(今世)での罪は少しもない。 ただ、過去世の重罪を今生に消滅して、来世に三悪に堕すことを脱れることになるのであろう。 仏法者として生きていく上で、様々な困難に直面し、戦い抜いていくことで、自身の過去世からの宿業が、今世において表面に現れる。 この宿業を取り除くために、「今こそ自分の信心が試されている時だ」と決意し、強い信心で乗り越えることで、自身の宿命転換を成し遂げることができる。 苦難に直面した時こそ、強靭な信心を確立し、強い自分に変わるチャンスなのである。 英語で御書 Gosho in English Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword. Worthies and sages are tested by abuse. My present exile is not because of any secular crime.  It is solely so that I may expiate in this lifetime my past grave offenses and be freed in the next from the three evil paths. " Letter from Sado "  "The Writings of Nichiren Daishonin",

法華経と申すは星の中の月ぞかし - Among the heavenly bodies [at night], the Lotus Sutra is comparable to the moon

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本文 法華経と申すは星の中の月ぞかし 人の中の王ぞかし 山の中の須弥山・水の中の大海の如し、是れ程いみじき御経に 女人 仏になると説かれぬれば 一切経に嫌はれたるに・なにか・くるしかるべき、 譬えば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体にきらはれたらんと 国の大王に讃られたらんと 何れかうれしかるべき。 ほけきょう と もうす は ほし の なか の つき ぞかし ひと の なか の おう ぞかし やま の なか の しゅみせん・みず の なか の たいかい の ごとし、 これほど いみじき おきょう に にょにん ほとけ に なる と とかれぬれば いっさいきょう に きらわれたる に・なにか・くるしかる べき、 たとえば ぬすっと・ようち・ごうとう・こつじき・かったい に きらわれ たらん と くに の だいおう に たたえられ たらん と いずれか うれしかるべき。  日眼女造立釈迦仏供養事 にちげんにょぞうりゅうしゃかぶつくようのこと (1188頁) 弘安2年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経という法門は、星の中の月なのである。人の中の王なのである。山の中の須弥山、水の中の大海のようなものであり、諸経の中の王なのである。それほど尊い御経に女性が成仏すると説かれているのだから、法華経以外の経典では、女性は成仏できないと嫌われていても、何も悲観することはない。 たとえば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体などの卑しい者に嫌われているのと、一国の王から讃られているのとでは、どちらが嬉しいことか。 英語で御書 Gosho in English Among the heavenly bodies [at night], the Lotus Sutra is comparable to the moon; among persons it is comparable to the king. Among mountains it is Mount Sumeru, among waters, the great ocean. And if so wonderful a sutra as this declares that women may attain Buddhahood, then what does it matter whet

生死ともに仏なり - He is a Buddha in both life and death.

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本文 いきて をはしき時は 生の仏・今は 死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門 これなり いきて おわし とき には せい の ほとけ・いま は し の ほとけ・しょうじ とも に ほとけ なり、そくしんじょうぶつ と もうす だいじ の ほうもん これ なり 上野殿後家尼御返事 うえのどのごけあまごへんじ [地獄即寂光御書] じごくそくじゃっこうごしょ (1504頁) (1274年) 通解(意訳) 信心を受持して亡くなられた方は、生きておられた時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なのである。即身成仏という大事の法門は、このことである。 英語で御書 Gosho in English When he was alive, he was a Buddha in life, and now he is a Buddha in death. He is a Buddha in both life and death. This is what is meant by that most important doctrine called attaining Buddhahood in one’s present form. " Hell Is the Land of Tranquil Light " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 456 July, 1274 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  He;Husband of Lay Num Ueno. Gosho in Japanese いきて をはしき時は 生の仏・今は 死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門 これなり IKITE OWASHI TOKI NIWA SEI NO HOTOKE・IMA WA SHI NO HOTOKE・SHŌJI TOMO NI HOTOKE NARI, SOKUSHIN JŌBUTSU TO MŌSU DAIJI NO HŌMON KORE NARI 上野 殿 後家 尼 御返事 UENO DONO G