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南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり - There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo.

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本文 一切衆生 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや いっさいしゅじょう なんみょうほうれんげきょう と となうる より ほか の ゆうらく なきなり きょう に いわく「しゅじょうしょゆうらく」うんぬん、この ぶん あに じじゅほうらく に あらずや 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [衆生所遊楽御書] しゅじょうしょゆうらくごしょ (1143頁) 建治2年6月 (1276年) 通解(意訳) 一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外の遊楽はないのである。法華経如来受量品第十六にある「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」との、この一文は「自受法楽」のことではないか。 人生の途上において起こる様々な苦難を自ら受け止め、自身の胸中に厳然と存在する妙法の力を、南無妙法蓮華経の題目で自由自在に発揮し、悠々と、「絶対的幸福」の境涯で、今世の人生を楽しく乗り越えていく生き方である。  英語で御書 Gosho in English There is no true happiness for human beings other than chanting Nam-myoho-renge-kyo. The sutra reads, “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” How could this passage mean anything but the boundless joy of the Law? " Happiness in This World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 in June, 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  “. . . where living beings enjoy themselves at ease.” Please accept from yourself various pains that occur in

毒薬変じて薬となり - As poison turns into medicine

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本文 毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す どくやくへんじてくすりとなりしゅじょうへんじてほとけとなるゆえにみょうほうともうす 新池殿御消息 にいけどのごしょうそく [法華経随自意事] ほけきょうずいじいのこと (1437頁) 弘安2年5月2日  (1279年) 通解(意訳) 毒薬が変じて薬となり、衆生が変じて仏となる。ゆえに妙法というのである。 英語で御書 Gosho in English Just as poison turns into medicine, so do ordinary individuals change into Buddhas. Accordingly we call it the wonderful Law. " The Teaching That Accords with the Buddha’s Mind " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 969 in May 2, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す DOKUYAKU HENJITE KUSURI TO NARI SHUJŌ HENJITE HOTOKE TO NARU YUE NI MYOHO TO MŌSU 新池殿御消息 NIIKE-DONO GOSHŌSOKU [法華経随自意事] HOKEKYO ZUI-JII-NO-KOTO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる - winter always turns to spring

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本文 法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる、 いまだ昔より きかず・みず 冬の秋と かへれる事を、いまだきかず 法華経を信ずる人の凡夫となる事を、 経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候 ほけきょう を しんずる ひと は ふゆ の ごとし ふゆ は かならず はる と なる、 いまだ むかし より きかず・みず ふゆ の あき と かえれる ことを、いまだ きかず ほけきょう を しんずる ひと の ぼんぷ と なる ことを、 きょうもん には「にゃく う もん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ」と とかれて そうろう 妙一尼御前御消息 みょういちあまごぜんごへんじ [冬必為春事] ふゆはかならずはるとなるのこと (1253頁) 建治元年5月 (1275年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人は、極寒の冬の辛い時期を耐える人のようなものである。 しかし、辛い冬も永遠に続くことはなく、信心根本に耐え貫いていけば、必ず春のような幸福が訪れるのである。 未だかつて、冬が春とならずに秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともない。同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が、仏に成らず凡夫のままである、ということも聞いたことがない。 経文には「もしこの法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない」と説かれている。  英語で御書 Gosho in English Those who believe in the Lotus Sutra are as if in winter, but winter always turns to spring. Never, from ancient times on, has anyone heard or seen of winter turning back to autumn. Nor have we ever heard of a believer in the Lotus Sutra who turned into an ordinary person. The sutra reads, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”

南浮の空・皆明かなり - All the skies over the great continent of Jambudvīpa in the south will be illuminated

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本文 日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり 大光を備へ給へる故なり、蛍火は未だ国土を照さず 宝珠は懐中に持ぬれば 万物 皆ふらさずと云う事なし、瓦石は財をふらさず にちりん・とうほうの そらに いでさせ たまえば なんぶ の そら・みな あきらかなり たいこうを そなえ たまえる ゆえなり、ほたるびは いまだ こくどを てらさず ほうしゅは かいちゅうに もちぬれば ばんぶつ みな ふらさずと ゆうこと なし、がしゃくは たからを ふらさず 善無畏三蔵抄 ぜんむいさんぞうしょう (883~884頁) 文永7年 (1270年)   通解(意訳) 太陽が東方の空に昇ったならば、南閻浮提(世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大いなる光を備えているからである。螢の灯火は一つの国土でさえ照らすことができない。 また、宝珠を懐の中に持っていれば、ありとあらゆるものを降らすことができるが、瓦や石は財宝を降らすことはできない。 英語で御書 Gosho in English When the sun rises in the eastern sector of the sky, then all the skies over the great continent of Jambudvīpa in the south will be illuminated because of the vast light that the sun possesses. But the feeble glow of the firefly can never shed light on a whole nation. One who carries in one’s robe a wish-granting jewel can have any desire fulfilled, but mere shards and stones can confer no treasures. " The Tripitaka Master Shan-wu-wei " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 169 to 170 in 1270. [ --- ]

百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る - without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas

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本文 経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、 文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり きょう に いわく「もし ほう を きく こと あらん もの は ひとり と して じょうぶつ せざる こと なし」うんぬん、 もん の こころ は この きょう を たもつ ひと は ひゃくにん は ひゃくにん ながら・せんにん は せんにん ながら・ひとり も かけず ほとけ に なる と もうす もんなり 上野尼御前御返事 うえのどのごへんじ [鳥竜遺竜事] おりょういりょうのこと (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 法華経には「もし法華経を聞く事が有る者は、一人として成仏しないことはない」(若有聞法者無一不成仏、にゃくうもん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ)と書かれている。 この文章の意味は、法華経を受持する人は、誰もが自身の無限の可能性を開き、幸福な境涯をつかむことができるという文なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.” This passage means that, if there are a hundred or a thousand people who uphold this sutra, without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas.  " Wu-lung and I-lung " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099 in November, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 経 に 云く「若し 法 を 聞く こと 有らん 者 は 一 と して 成仏 せ

南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至り - Chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering

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本文 日蓮等の類い 聖霊を訪う時 法華経を読誦し 南無妙法蓮華経と唱え奉る時 題目の光 無間に至りて 即身成仏せしむ、廻向の文 此れより 事 起るなり、 法華不信の人は 堕在無間なれども、題目の光を以て 孝子 法華の行者として訪わんに 豈 此の義に 替わる可しや にちれんとうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょう を どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるとき だいもくの ひかり むげんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ、えこうの もん これより こと おこるなり、 ほっけ ふしんの ひとは だざいむげん なれども、だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや 御義口伝 おんぎくでん 序品七箇の大事 じょほんななかのだいじ 第五・下至阿鼻地獄の事 だいご・げしあびじごくのこと (712頁) 通解(意訳) 日蓮とその門下が、聖霊を弔う際に、法華経を誦読し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光は無間地獄まで至って、即身成仏させることができるのである。回向の勤行・唱題も、生前と同じように聖霊も「仏の生命を成く(ひらく)=成仏する」という、宇宙に厳然と備わっている生命の原理から起きたものである。 また、法華経に不信を持ち退転したり、謗法を犯したりした人は、無間地獄におちて苦しまなければならないが、孝行しようとする遺族の方が法華経の行者となり、南無妙法蓮華経と唱え、題目の光で追善供養して差し上げれば、どうしてこの成仏の原理という義に変わる事があるだろうか。 英語で御書 Gosho in English Now when Nichiren and his followers perform ceremonies for the deceased, reciting the Lotus Sutra and chanting Nam-myoho-renge-kyo, the ray of light from the daimoku reaches all the way to the hell of incessant suffering and makes it possible for them to attain Budd

湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり - praying as earnestly as though to produce fire from damp wood, or to obtain water from parched ground.

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本文 何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと 湿れる木より火を出し 乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり いかなる よ の みだれ にも おのおの おば ほけきょう・じゅうらせつ・たすけたまえ と しめれる き より ひ を いだし かわける つち よち みず を もうけん が ごとく ごうじょう に もうす なり 呵責謗法滅罪抄 かしゃくほうぼうめつざいしょう (1132頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) どのような世の乱れが起きても、あなた方お一人お一人の弟子達の事を、「法華経・十羅刹女(あらゆる諸天善神)よ、彼らを守護し、助けたまえ」と、湿っている木に火を出し、乾いた土から水を出すような思いで、強盛に祈っている。 ☆メリー・クリスマス☆ 英語で御書 Gosho in English I am praying that, no matter how troubled the times may become, the Lotus Sutra and the ten demon daughters will protect all of you, praying as earnestly as though to produce fire from damp wood, or to obtain water from parched ground. " On Rebuking Slander of the Law and Eradicating Sins " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 435 in 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The Ten Demon Daughters : The Goodness Gods, protection to The Believer of The Lotus Sutra. ☆Merry Xmas !☆ Gosho in Japanese 何なる 世 の 乱れ にも各各 をば 法華経・十羅刹・助け 給へ と 湿れる

鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ - be spoken of by all the people of Kamakura, both high and low, or by all the people of Japan

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本文 貴辺 又 日蓮にしたがひて 法華経の行者として 諸人にかたり給ふ 是れ 豈 流通にあらずや、 法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば 火をえず、 強盛の大信力をいだして 法華宗の四条金吾・四条金吾と 鎌倉中の上下万人 乃至 日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ きへん また にちれん に したがいて ほけきょう の ぎょうじゃ として しょにん に かたりたもう これ あに るつう に あらずや、 ほけきょう の しんじん を・とおしたまえ・ひ を きる に・やすみぬれば ひ を えず、 ごうじょう の だいしんりき を いだして ほっけしゅう の しじょうきんご・しじょうきんご と かまくらじゅう の じょうげばんにん ないし にほんごく の いっさいしゅじょう の くち に うたわれたまえ 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [煩悩即菩提御書] ぼんのうそくぼだいごしょ (1117~1118頁) 文永9年5月 (1272年) 通解(意訳) あなた(四条金吾)もまた、日蓮に従って、法華経の行者として信心の素晴らしさを様々な人に語られている。これこそまさに広宣流布ではないか。 法華経の信心を貫き通しなさい。火を起こすのに、その作業を途中で休んでしまえば火は得られない。強盛な信心を取り出して、法華宗(日蓮仏教)の四条金吾・四条金吾と、鎌倉中の上下万人、そして日本国の全ての人々が口にするようになっていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Following me, you, as a votary of the Lotus Sutra, have told others of this Law. What else could this be but the transmission of the Law? Carry through with your faith in the Lotus Sutra. You cannot strike fire from flint if you stop halfway. Bring forth the great power of faith, and be spoken of by all the people of Kamaku

経の一字は一代に勝る - This single character kyō of Myoho-renge-kyo is the supreme achievement of the Buddha’s lifetime of teaching

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本文 経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり、 譬えば如意宝珠の一切の財を納め虚空の万象を含めるが如し、 経の一字は一代に勝る故に妙法蓮華の四字も又八万法蔵に超過するなり きょう の いちじ の なかに じっぽうほうかい の いっさいきょう を おさめたり、 たとえば にょいほうしゅ の いっさい の たから を おさめ こくう の ばんしょう を ふくめる が ごとし、 きょう の いちじ は いちだい に まさる ゆえ に みょうほうれんげ の よじ も また はちまんほうぞう に ちょうか するなり KYO NO ICHIJI NO NAKA NI JIP'PO HŌKAI NO IS'SAI-KYO WO OSAMETARI, TATOEBA NYOI-H ŌSHU NO IS'SAI NO TAKARA WO OSAME KOKŪ NO BANSHŌ WO FUKUMERU GA GOTOSHI, KYO NO ICHIJI WA ICHIDAI NI MASARU YUE NI MYO-HO-RENGE NO YOJI MO MATA HACHIMAN-HŌZŌ NI CHŌKA SURU NARI 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう HOKEKYO DAIMOKU SH Ō (947頁) 文永3年1月6日 (1266年) 通解(意訳) 法華経の経の一字に、法華経を含め全ての経が納まっているのである。 譬えば、如意宝珠があらゆる財宝を納め、宇宙が全ての物や現象を含んでいるようなものである。 妙法蓮華経の経の一字が釈尊の説いた諸教のなかで最も勝れている。故に妙法蓮華の四字の功徳も、また一切経を超えて勝れているのである。 英語で御書 Gosho in English Within this single character kyō are contained all the sutras in the worlds throughout the ten directions. It is like the wish-granting jewel that contains within it all manner of treasures, or the vastness of spa

桜梅桃李 - The cherry, the plum, the peach, the damson

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本文 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり おうばいとうり の ここ の とうたい を あらためず して むささんじん と かいけん すれば これ すなわち りょう の ぎ なり 御義口伝 おんぎくでん 無量義経六箇の大事 むりょうぎきょうろっかのだいじ 第二 量の字の事 だいにりょうのじのこと (784頁) 通解(意訳) 桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、自分らしく、ありのままで、自己に秘められた仏性を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。 「無量義」の大意 あらゆる仏法の最高峰である御本尊を根本とし、南無妙法蓮華経の題目で、宇宙の法則を自分の身心と一致させて、仏性という無限の可能性を開き出す。この妙法の力で、信心、生活、社会など、すべての場面で、自分の能力を最も自分らしく発揮していくこと。  ありのままの自分で輝く 私どもは『ありのまま』でいいのです。 凡夫そのままの『無作』でいくのです。 久遠の凡夫のまま『つくろわず、もとのまま』で、 自体顕照(じたいけんしょう・ありのままの姿を顕し照らしていくこと)していけばよい -池田大作 英語で御書 Gosho in English The cherry, the plum, the peach, the damson—in its own entity, without undergoing any change, possesses the eternally endowed three bodies. ==================================== The Immeasurable Meanings Sutra Six important points, Point Two, concerning the character ryō. " The Record of The Orally Transmitted Teachings "  Part 2, P 200 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal transl

一眼のかめの浮木の穴に入り - the one-eyed turtle finding a suitable hollow in a floating sandalwood log

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本文 南無妙法蓮華経と唱えさせ給いける事は・一眼の かめ の浮木の穴に入り・天より下 いと の 地の はりの 穴に入るがごとし なんみょうほうれんげきょう と となえさせ たまいける こと は・いちげん の かめ の うきぎ の あな に いり・てん より くだす いと の ち の はり の あな に はいる が ごとし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [末法要法御書] まっぽうようほうごしょ (1545頁)  弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経と唱えられたということは、千年に一度しか浮かび上がってこない伝説の一眼の亀が、海に浮いていた浮木にたまたま出会って、浮き木の穴に入ることができたようなものであり、天から下した糸が、大地に立ててある針の穴に通ったようなものである。 このように、南無妙法蓮華経と唱える事自体が大変まれな事であり、素晴らしい事なのである。   英語で御書 Gosho in English This is as rare as the one-eyed turtle finding a suitable hollow in a floating sandalwood log, or a thread lowered from the heavens passing through the eye of a needle on earth.  " The Teaching for the Latter Day "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 903 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This is as rare...; Chanting the Nam-Myoho-Renge-Kyo. The One-eyed turtle; Legendary turtle that come up to surface on the sea at the only once in a thousand years. As in these ex

南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし - Nam-myoho-renge-kyo will spread for ten thousand years and more, for all eternity

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本文 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。 日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。 この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。  英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-m

此の法門を申すには必ず魔出来すべし - If you propagate it, devils will arise without fail.

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本文 此の法門を申すには必ず魔出来すべし 魔競わずは正法と知るべからず、 第五の巻に云く「行解 既に勤めぬれば 三障四魔 紛然として競い起る 乃至 随う可らず 畏る可らず 之に随えば 将に人をして 悪道に向わしむ 之を畏れば 正法を修することを妨ぐ」 等云云、 此の釈は 日蓮が身に当るのみならず 門家の明鏡なり 謹んで習い伝えて 未来の資糧とせよ この ほうもんを もうす には かならず ま しゅったい すべし ま きそわずは しょうほうと しる べからず、 だいごの まきに いわく「ぎょうげ すでに つとめぬれば さんしょうしま ふんぜんとして きそいおこる ないし したがう べからず おそる べからず これに したがえば まさに ひとをして あくどうに むかわしむ これを おそれば しょうほうを しゅうすることを さまたぐ」とう うんぬん この しゃくは にちれんが みに あたる のみならず もんけの めいきょうなり つつしんで ならい つたえて みらいの しりょうとせよ 兄弟抄 きょうだいしょう KYŌDAI SHŌ (1087頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) この法門を説けば、必ず魔が現れる。魔が競い起こらなければ、正法とは言えないのである。 天台大師の摩訶止観・第五巻には、「仏法の修行と理解が進んでくると、三障四魔が紛然として競い起こる。(乃至=中略の意味)しかし、決してしたがってはならない。おそれてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。 摩訶止観のこの内容は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、我が日蓮仏法の門家一同にも明鏡のように当てはまるものである。これをわきまえて、謹んで習い、次の世代に伝えて、未来の法華経の行者にとっての、修行の資料・糧としなさい。 英語で御書 Gosho in English If you propagate it, devils will arise without fail. If they did not, there would be no way of knowing that this is the correct teaching. One passage from th

相構えて父母の恩を報ずべし - You must bear in mind these debts you owe to your father and mother.

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本文 父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・ははの恩の深き事大海還って浅し、 相構えて父母の恩を報ずべし ちちの おんの たかきこと・しゅみせん なお ひきし・ははの おんの ふかきこと たいかい かえって あさし、あいかまえて ぶもの  おんを ほうずべし 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ (1527頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 父の恩の高いことは須弥山さえもなお低いほどであり、母の恩の深いことは大海もかえって低いほどである。 心して父母の恩を報ずべきである。   英語で御書 Gosho in English Mount Sumeru is paltry in comparison to the towering debt you owe your father; the great ocean is shallow compared to the profoundness of the debt you owe your mother. You must bear in mind these debts you owe to your father and mother. " Four Virtues and Four Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 638 1275. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・ははの恩の深き事大海還って浅し、 相構えて父母の恩を報ずべし CHICHI NO ON NO TAKAKI KOTO・SHUMISEN NAO HIKISHI・HAHA NO ON NO FUKAKI KOTO TAIKAI KAET'TE ASASHI, AI-KAMAETE BUMO NO ON WO HOUZUBESHI 上野殿御消息 UENO DONO GOSHŌSOKU [四徳四恩御書] SHITOKU SHION GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で

信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし - Faith that is weak is like muddy water, while faith that is brave is like clear water.

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本文 其の上は 私に計り申すに及ばず候 叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず、 水すめば 月うつる 風ふけば 木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし 信の よはきは にごるがごとし、信心の・いさぎよきは すめるがごとし 木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ そのうえ は わたし に ばかり もうす に およばず そうろう かない かなわぬ は ごしんじん に より そうろう べし まったく にちれん が とが に あらず、 みず すめば つき うつる かぜ ふけば き ゆるぐ ごとく・みな の みこころ は みず の ごとし しん の よわき は にごる が ごとし、しんじん の・いさぎ よき は すめる が ごとし きは どうりの ごとし・かぜの ゆるがすは きょうもんを よむが ごとしと・おぼしめせ 日厳尼御前御返事 にちごんあまごぜんごへんじ (1262頁) 弘安3年10月 (1280年) 通解(意訳) 信心の功徳について、これを自分勝手の解釈で御本尊の功徳を推し量ってはならない。 日蓮が、あなたの願いをいくら祈ったところで、願いが叶うか叶わないかは、結局は全てあなたの御信心によるものであり、全く日蓮のせいではない。 例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れるように、人の心は水のようなものである。 信人が弱いのは、水が濁っているようなものであり、信心が強く潔いのは、水が澄んでいるようなものである。 木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすことは、朝夕の勤行・唱題を怠らず、信心を深めていく努力と、現実と向き合って、願いが成就するよう努力をする事である。 「題目をあげていればなんとかなる」と、自分が努力する事を怠れば、せっかく諸天が動いたとしても、願いは成就しない。 自分の信心を深め、行学を実践していきなさい。 仏法の道理である「南無妙法蓮華経」の御本尊を揺り動かすような実践の信心と同時に、現実を変えようとする努力をするところに、御本尊の功徳が顕れるのだと、しっかり心得ていきなさい。  英語で御書 Gosho in English Now there is no need to attempt to surmise yourself how

冰は水より出でたれども水よりもすさまじ - Ice is made of water, but it is colder than water.

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本文 いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、 同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり いよいよ ごうじょう の おんこころざし あるべし、こおり は みず より いでたれども みず よりも すさまじ、あおき ことは あい より いでたれども・かさぬれば あい よりも いろ まさる、 おなじ ほけきょう にては・おわすれども こころざし を かさぬれば・たにん よりも いろ まさり りしょう も あるべきなり 乙御前御消息 おとごぜんごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう (1221頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) いよいよ強盛な信心を起こしていきなさい。氷は水からできるが、水よりも冷たい。 青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、もとの藍の葉よりも色が鮮やかになる。 同じ法華経ではあっても、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益もあらわれてくるのである。 英語で御書 Gosho in English Strengthen your resolve more than ever. Ice is made of water, but it is colder than water. Blue dye comes from indigo, but when something is repeatedly dyed in it, the color is better than that of the indigo plant. The Lotus Sutra remains the same, but if you repeatedly strengthen your resolve, your color will be better than that of others, and you will receive more blessings than they do. " The Supremacy of the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin&quo

法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき - where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak?

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、 法 妙なるが故に 人 貴し・人 貴きが故に 所 尊し と申すは是なり ほけきょう の ぎょうじゃ の すみか なれば・いかでか りょうぜん じょうど に おとる べき、 ほう みょう なる が ゆえに ひと とうとし・ひと とうとき が ゆえに ところ とうとし と もうす は これ なり 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ [法妙人貴事] ほうみょうにんきのこと (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。 法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 英語で御書 Gosho in English This mountain is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1097 in September, 1281. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  This mountain: Nichiren Daishonin lived place where he lived about late, it is