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上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで... - The realm where there is neither thought nor no thought above the clouds down to the flames in the lowest depths of hell...

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本文 上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで 所有 一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、 されば一遍此の首題を唱へ奉れば 一切衆生の仏性が皆よばれて 爰に集まる時 我が身の法性の法 報 応の三身 ともに・ひかれて顕れ出ずる 是を成仏とは申すなり、 例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる 是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し かみ は ひそう の くも の うえ・しも は ならく の ほのお の そこ まで いわゆる いっさいしゅじょう の そなうる ところ の ぶっしょう を みょうほうれんげきょう とは なづくる なり、 されば いっぺん この しゅだい を となえ たてまつれば いっさいしゅじょう の ぶっしょう が みな よばれて ここ に あつまる とき わが み の ほっしょう の ほっぽうおう の さんじん とも に ひかれて あらわれ いずる これ を ぶっしょう とは もうす なり、 れいせば かご の うち に ある とり の なく とき・そら を とぶ しゅうちょう の どうじ に あつまる これ を みて かご の うち の とり も いでん と する が ごとし 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ (498頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 上は想像もつかない雲の上にいるような生命の状態の者から、下は地獄の炎の底にいるような生命の状態の者まで、あらゆる者の生命に本来備えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。 そうであるから、一遍でもこの妙法蓮華経と唱へたてまつれば、あらゆる者の仏性が皆呼ばれて、そこに集まる時、自己の生命の中の法・報・応の三身(仏の生命力)がともに引かれて顕れ出る。これを成仏というのであり、成仏とは、妙法蓮華経と唱えた瞬間に、即ぐに自己の仏の生命を成く(ひらく)という意味なのである。 たとえば籠の内いる鳥が鳴く時、その鳴き声を聞いて、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる、これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。 英語で御書 Gosho in English All living beings from the realm where there is neither thought nor no thou

弥はげませ給うべし 懈ることなかれ - Strive ever harder in faith, and never give in to negligence.

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本文 弥 はげませ給うべし 懈ることなかれ、 皆 人の此の経を信じ始むる時は 信心有る様に見え候が・中程は 信心も よはく 僧をも恭敬せず 供養をも なさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、 始より終りまで 弥 信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん いよいよ はげませ たもうべし おこたる こと なかれ、 みな ひとの この きょうを しんじはじむる ときは しんじん あるように みえ そうろうが・なかほどは しんじんも よわく そう をも きょうけいせず くようも なさず・じまんして あっけんを なす、これ おそるべし おそるべし、 はじまりより おわりまで いよいよ しんじんを いたすべし・さなくして こうかいや あらんずらん 新池御書 にいけごしょ (1440頁)  弘安3年2月 (1280年) 通解(意訳) さらに信心に励んでいき、怠ることがあってはならない。 皆、人がこの法華経を信じはじめる時は、信心がある様に見えるが、時が経って信心が深まる途中になると、信心も弱まり、僧侶(信心の先輩、同志)も敬うこともせず、御本尊へのご供養や、困った同志を助ける心も忘れ、慢心を起こして邪悪な考えを起こしてしまうものである。 これは大変に恐るべきことである。 始めから終りまで、いよいよ信心を深めて貫くべきである。そうでなければ後悔するであろう。 英語で御書 Gosho in English Strive ever harder in faith, and never give in to negligence. All the people appear to believe sincerely when they first embrace the Lotus Sutra, but as time passes, they tend to become less devout; they no longer revere or make offerings to the priest, giving themselves up to arrogance and forming distorted views.  This is most frightening. Be diligent in develop

喜とは自他共に喜ぶ事なり - “Joy” means that oneself and others together experience joy.

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本文 御義口伝に云く 随とは事理に随順するを云うなり 喜とは自他共に喜ぶ事なり おんぎくでんにいわく ずいとはじりにずいじゅんするをいうなりきとはじたともによろこぶことなり 御義口伝 おんぎくでん 随喜品二箇の大事 ずいきぼん にかのだいじ 第一 妙法蓮華経随喜功徳の事 だいいち みょうほうれんげきょうずいきくどくのこと (761頁) 通解(意訳) 御義口伝には、次のように仰せである。 随喜(ずいき)の随とは、「事理に随順すること」を随という。 「事理に随順する(じり に ずいじゅん する)」とは、法華経の法理で功徳を得る事(事理)に素直に従う(順して随う=随順する)、すなわち、法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」の法理を実直に信じて題目を唱えて、自分も実行し他人にも勧める「自行化他の信心」を実直に実践して、功徳を得る事を随というのである。 随喜の喜とは、「自他共に喜ぶこと」を喜という。 「自他ともに喜ぶ」とは、信心によって得られる功徳や幸福境涯を共に分かち合い、素直に喜ぶ事である。 随喜とは、素直に信心に励み、功徳で得られる幸福境涯を人にも勧め、歓喜を共に分かち合って喜ぶ事なのである。 英語で御書 Gosho in English The Record of the Orally Transmitted Teachings says: “Respond” means to respond to and comply with actuality and principle. “Joy” means that oneself and others together experience joy.  ==================================== Chapter Eighteen: The Benefits of Responding with Joy Two important points "The Record of The Orally Transmitted Teachings" Part 2, p. 146 ==================================== [ --- ] is liberal translation. Interpretation (libe

よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し - a good teacher, a good believer, and a good teaching—before prayers can be effective and disasters banished from the land.

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本文 よき火打と よき石のかどと・よきほくちと 此の三寄り合いて火を用ゆるなり、 祈も又是くの如し よき師と・よき檀那と・よき法と 此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり よき ひうち と よき いし の かど と・よき ほくち と この みつ よりあいて ひ を もちゆる なり、 いのり も また かく の ごとし よき し と・よき だんな と・よき ほう と この みつ よりあいて いのり を じょうじゅ し こくど の だいなん をも はらう べき もの なり 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう (550頁) 建治3年3月 (1277) 通解(意訳) よい火打ち金と、よい火打ち石の角と、よい火口と、この三つが寄り合って、火を得るために用いられるのである。 祈りもまた同じである。よい師と、よい弟子と、よい法と、この三つが寄り合って、祈りを成就し、国土の大難をも払うことができるのである。 師弟共戦こそ学会精神の真髄 牧口先生も、戸田先生も、それぞれの御書に線を引いて大切にされた、まさに師弟共戦の御金言です。 南無妙法蓮華経を弘められた大聖人こそ、末法の御本仏であり、「よき師」であられます。そして、大聖人のご遺命のままに、広宣流布のため、不惜身命で戦い抜かれた先師・牧口先生、恩師・戸田先生は私達にとって、広布と人生の「よき師」であります。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English To illustrate, in kindling a fire, three things are needed: a good piece of steel, a good flint, and good tinder. The same is true of prayer. Three things are required—a good teacher, a good believer, and a good teaching—before prayers can be effective and disasters banished from the land. " How Those Initially Aspiring to the W

今生人界の思出なるべき - that will remain as the only memory of your present life in this human world.

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本文 願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ 只 今生の 名聞・後世の弄引なるべけれ 須く 心を一にして 南無妙法蓮華経と 我も唱へ 他をも 勧んのみこそ 今生人界の 思出 なるべき ねがわく は「げんせ あんのん・ごしょう ぜんしょ」の みょうほうを たもつ のみ こそ ただ こんじょうの みょうもん・ごせ の ろういん なるべけれ すべからく こころ を いつ に して なんみょうほうれんげきょう と われも となえ た をも すすめん のみ こそ こんじょう にんかい の おもいで なるべき 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (467頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) 願くは「現世は安穏であり、後生は善処に生れる」と仰せの妙法を持つことのみが、ただ今世での真の名誉であり、未来世では成仏の手引きとなるのである。是非とも心を定めて、南無妙法蓮華経と真剣に祈り、勇気を持って他人にも勧めることが、人間として今生に生まれてきた思い出となるのである。 人生最高の思い出 「この世に生まれて、一体何人の人を幸福にしたか。 何人の人に『あなたのおかげで私は救われた』と言われる貢献ができたか。 人生、最期に残るのは、最期の生命を飾るのは、それではないだろうか。」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English I pray that you will embrace the Mystic Law, which guarantees that people “will enjoy peace and security in their present existence and good circumstances in future existences.” This is the only glory that you need seek in your present lifetime, and is the action that will draw you toward Buddhahood in your next existence. Single-mindedly chant Nam-myoho-renge-kyo and urge others to do the same; that will re

師子王は前三後一と申して - The lion king is said to advance three steps

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本文 師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、 日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり ししおう は ぜんさんごいち と もうして・あり の こ を とらん と する にも また たけき もの を とらん と する とき も・いきおい を だす こと は・ただ おなじ こと なり、 にちれん しゅご たる ところ の ごほんぞん を・したため まいらせ そうろう こと も ししおう に・おとる べからず、きょう に いわく「しし ふんじん の りき」とは これ なり 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 師子王は前三後一といって、蟻の子を捕ろうとする時にも、また猛々しいものを捕ろうとする時も、全力の勢いを出すことは全く同じである。 日蓮が、(経王御前を)お護りするための御本尊を書き認め差し上げるのも、この師子王の姿に劣るものではない。法華経湧出品第十五にある「師子奮迅の力」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English The lion king is said to advance three steps, then gather himself to spring, unleashing the same power whether he traps a tiny ant or attacks a fierce animal. In inscribing this Gohonzon for her protection, Nichiren was like the lion king. This is what the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.” " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 412 in August, 1273. [ --- ] is libe

不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし - If you lack faith, it will be like trying to set fire to wet tinder.

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本文 ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、 はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし ただこころこそたいせつなれ、いかににちれんいのりもうすともふしんならばぬれたる・ほくちに・ひをうちかくるが・ごとくなるべし、 はげみをなしてごうじょうにしんりこをいだしたもうべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ [剣形書] けんぎょうしょ KENGYŌ SHO (1192頁) 弘安2年10月 (1279年) 通解(意訳) 何事においても、根本は心こそ大切なのである。 いかに日蓮が、あなた(四条金吾=弟子)の事を祈ったとしても、あなた自身が信心に不信を起こしているなら、濡れている火口に火を着けるようなものである。 自身を励まして、強盛に信心を奮い起こしていきなさい。 英語で御書 Gosho in English It is the heart that is important. No matter how earnestly Nichiren prays for you, if you lack faith, it will be like trying to set fire to wet tinder. Spur yourself to muster the power of faith. " The Strategy of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1,  p. 1000 to 1001 in October, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese ただ 心 こそ 大切 なれ、いかに 日蓮 いのり 申す とも 不信 ならば ぬれたる・ほくち に・火 を うちかくる が・ごとく なるべし、 はげみ を なして 強盛 に 信力 を いだし 給うべし TADA KOKORO KOSO TAISETSU NARE, IKANI NICHIREN INORI MŌSU TOMO FUSHIN NARABA NU

名聞名利は今生のかざり - Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence

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本文 只須く 汝 仏にならんと思はば 慢の はたほこを たをし 忿りの 杖を すてて 偏に 一乗に 帰すべし、 名聞名利は 今生のかざり 我慢 偏執は 後生のほだしなり ただ すべからく なんじ ほとけ に ならん と おもわば まん の はたほこ を たおし いかり の つえ を すてて ひとえ に いちじょう に き すべし、 みょうもん みょうり は こんじょう の かざり がまん へんしゅう は ごしょう の ほだし なり 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどしょう (463頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) あなたがただ仏になろうと思うならば、傲慢な心という旗鉾(はたほこ)を倒し、怒りという杖を捨てて、ただひとえに、仏に成る事ができる唯一の法(一乗)である法華経に帰依すべきである。 世間の評判や名誉(名聞名利)は今生だけの飾りであり、それらに自惚れ、固執(我慢偏執)していても、来世には何の役にも立たず、ただ成仏への足かせにしかならないのである。 英語で御書 Gosho in English Now, if you wish to attain Buddhahood, you have only to lower the banner of your arrogance, cast aside the staff of your anger, and devote yourself exclusively to the one vehicle of the Lotus Sutra. Worldly fame and profit are mere baubles of your present existence, and arrogance and prejudice are ties that will fetter you in the next one. " Questions and Answers about Embracing the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 58 to 59 in 1263. [ --- ] is liberal translation. Gosho

日月は仏法をなめて威光勢力を増し給う - Gods of the sun and moon feed upon the Law of the Buddha and thereby increase your brilliance and power.

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本文 日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見へて候 にちがつは ぶっぽうをなめて いこうせいりょくをましたもうとみえてそうろう 妙一女御返事 みょういちあまごへんじ [即身成仏法門] そくしんじょうぶつほうもん (1259頁) 弘安3年7月 (1280年) 通解(意訳) 日月は、仏法の法味をなめて、威光勢力を増すと経文には説かれている。 日天・月天等の諸天善神(太陽や月等、全宇宙の法理)は、南無妙法蓮華経の題目の声を聞き、味わって、諸天善神としての力を増すのである。 英語で御書 Gosho in English It is written in the sutras that you gods of the sun and moon feed upon the Law of the Buddha and thereby increase your brilliance and power. " The Doctrine of Attaining Buddhahood in One’s Present Form " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1057 July, 1280. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  The heavenly gods such as the sun and the moon (:the doctrine of the whole universe such as the sun and the moon) listen to the voice of Nam-Myoho-Renge-Kyo:DAIMOKU and increase the power as the guardian of the Nichiren Buddhist. Gosho in Japanese 日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見へて候 NICHIGATSU WA BUP'PO WO NAMETE IKŌ-SEIRYOKU WO MASHITAMOU TO MIETE SŌRŌ 妙

法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候 - One who embraces the Lotus Sutra will realize that hell is itself the Land of Tranquil Light.

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本文 浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、 これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、 もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ じょうど と いう も じごく と いう も ほか には そうらわず・ただ われら が むね の あいだ に あり、 これ を さとる を ほとけ と いう・これ に まよう を ぼんぷ と いう、これ を さとる は ほけきょう なり、 もし しからば ほけきょう を たもち たてまつる ものは じごく そく じゃっこう と さとり そうろうぞ 上野殿後家尼御返事 うえのどのごけあまごへんじ [地獄即寂光御書] じごくそくじゃっこうごしょ (1504頁) 文永11年7月 (1274年) 通解(意訳) 浄土といっても地獄といっても、どこか別の場所にあるのではない。 ただ我等の胸の中に存在するのである。これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫というのである。これを悟ることができるのは法華経だけである。 したがって、法華経を受持し続ける者は、題目をあげて、自分の生命力を最大限に輝かせることで、地獄のような境涯も即ぐに光り輝く大地のような境涯(寂光土)に変える事ができる、と悟るのである。 英語で御書 Gosho in English Neither the pure land nor hell exists outside oneself; both lie only within one’s own heart. Awakened to this, one is called a Buddha; deluded about it, one is called an ordinary person. The Lotus Sutra reveals this truth, and one who embraces the Lotus Sutra will realize that hell is itself the Land of Tranquil Light.  " Hell Is the Land of Tranquil Light " "The Writings of Nichi

此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり - This is precisely what is meant by the statement that unseen virtue brings about visible reward.

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本文 度度の御所領をかへして 今又 所領給はらせ給う 云々、 此れ程の不思議は候はず 此れ偏に 陰徳あれば陽報あり とは 此れなり たびたびのごしょりょをかえしていままたしょりょうたまわらせたもううんぬん、 これほどのふしぎはそうらわずこれひとえにいんとくあればようほうありとはこれなり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [源遠長流御書] ごんおんちょうりゅうごしょ (1180頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) (あなた・四条金吾は讒言によって)主君から度々頂いた所領を返上し、今また新しい所領を賜ったというのは、これほどの不思議はない。 これひとえに「陰徳あれば陽報あり」とは、このことである。 英語で御書 Gosho in English Even though you have been forced to relinquish your fief time and again, in your letter you said that he has now conferred an estate upon you. This is indeed wondrous.  This is precisely what is meant by the statement that unseen virtue brings about visible reward.  " The Farther the Source, the Longer the Stream " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 942 in September, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 度度の御所領をかへして今又所領給はらせ給う云々、 此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり TABITABI NO GOSHORYŌ WO KAESHITE IMA MATA SHORYŌ TAMAWARASE TAMOU UN-NUN, KOREHODO NO FUSHIGI WA SŌRAWAZU KORE HITOE NI INTOKU A

鳩化して鷹と為り 雀変じて蛤と為る - The dove has changed into a hawk, the sparrow into a clam.

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本文 鳩 化して鷹と為り 雀 変じて蛤と為る、悦しきかな 汝 蘭室の友に交りて麻畝の性と成る はと け して たか と なり すずめ へんじて はまぐり と なる、よろこばしき かな なんじ らんしつ の とも に まじりて まほ の しょう と なる 立正安国論 りっしょうあんこくろん (31頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 古事に「鳩化して鷹となり、雀(福良雀という、雀(すずめ)の形のような貝)が変じて蛤(はまぐり)となる」とあるように、人は善き友(善知識)と交わることで、より善い人間になることができる。 悦ばしいことに、あなたは蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化されて、蓬(よもぎ)のように曲がりがちな性格が、真っ直ぐに育つ麻畑の中に蓬が交わって正されたように、素直で真っ直ぐな性格になれた。 蘭室の友 「対話は、慈悲の香りが相手を包み込むようでありたい。 弘教は押しつけでもなければ、組織のためでもない。 弘教は、相手の仏界をを礼拝することだから、最高に相手を尊敬する行為なのです。(中略) 相手を論破しようとしたり、こちらの勢力に取り込もうとするような対立的な心で弘教するのではないのです。 」 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English The dove has changed into a hawk, the sparrow into a clam. How gratifying! You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp. " On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 23 in July, 1260. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You were in

生身の釈迦如来に あひ進らせたりと・おぼしめすべし - You should consider that you are beholding the living body of the Thus Come One Shakyamuni.

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本文 釈迦仏と法華経の文字とは かはれども 心は一つなり、 然れば 法華経の文字を拝見せさせ給うは 生身の釈迦如来に あひ進らせたりと・おぼしめすべし しゃかぶつと ほけきょうの もじとは かわれども こころは ひとつなり、 しかれば ほけきょうの もじを はいけん せさせ たもうは なまみの しゃかにょらいに あい すすまらせたりと・おぼしめすべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [梵音声御書] ぼんのんじょうごしょ (1122頁) 文永9年9月 (1272年) 通解(意訳) 釈迦仏と法華経の文字とは、形は変わっていても、一切衆生を救いたいという心は一つである。 そうであるから、法華経の文字を拝見することは、生身の釈迦如来をあおいでいるのだと思いなさい。 英語で御書 Gosho in English Shakyamuni Buddha and the written words of the Lotus Sutra are two different things, but their heart is one. Therefore, when you cast your eyes upon the words of the Lotus Sutra, you should consider that you are beholding the living body of the Thus Come One Shakyamuni.   " The Pure and Far-Reaching Voice "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 333 November, 1272. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 釈迦仏と法華経の文字とは かはれども 心は一つなり、 然れば 法華経の文字を拝見せさせ給うは 生身の釈迦如来に あひ進らせたりと・おぼしめすべし SHAKABUTSU TO HOKEKYO NO MOJI TOWA KAWAREDOMO KOKORO WA HITOTSU NARI, SHIKAREBA HOKEKYO NO MOJI WO HAI

一切の女人の成仏の印文なり - the seal that guarantees the enlightenment of all women.

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本文 此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、 冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得道の導師なり この まんだら は もじ は ごじ しちじ にて そうらえども さんぜ の しょぶつ の おんし いっさい の にょにん の じょうぶつ の いんもん なり、 めいど には ともしび と なり しで の やま にては りょうめ と なり・てん には にちがつ の ごとし・ち には しゅみせん の ごとし・しょうじかい の ふね なり じょうぶつ とくどう の どうし なり 妙法曼陀羅供養事 みょうほうまんだらくようのこと (1305頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) この曼陀羅は、文字は五字・七字であるけれども、一念三千の法理を含んだ「南無妙法蓮華経」という法華経の肝心であるから、三世諸仏の御師であり、一切の女人成仏を約束する印文である。 冥途では灯火となり、その途中にある、死者が越えて行かなければならない死出の山という険しい山にては良き馬となる。天空にあっては、日月のようであり、大地にあっては須弥山のようなものである。生死の大海を渡る船である。成仏への道に導く師である。 英語で御書 Gosho in English I have offered prayers to the Gohonzon of Myoho-renge-kyo. Though this Mandala has but five or seven characters, it is the teacher of all Buddhas throughout the three existences and the seal that guarantees the enlightenment of all women. It will be a lamp in the darkness of the road to the next world and a fine horse to carry you over the mountains of death. It is like the sun and moon in t

人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ - The spirit within one's body of five or six feet may appear in just one's face

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂

貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし - I am sure that you, too, are one who assists Bodhisattva Superior Practices in his propagation efforts.

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本文 経に云く「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人 仏道に於て 決定して 疑 有ること無けん」云云、貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。 きょう に いわく「わが めつど の のち に おいて まさ に この きょう を じゅじ すべし この ひと ぶつどう に おいて けつじょう して うたがい ある こと なけん」うんぬん、 きへん も じょうぎょうぼさつ の けぎ を たすくる ひと なる べし。 右衛門太夫殿御返事 うえもんたいふどのごへんじ [斯人行世間事] しにんぎょうせけんのこと (1102頁) 弘安2年12月 (1279年) 通解(意訳) 法華経神力品にいわく「我(釈尊)が滅度の後、末法において、まさにこの経を受持すべきである。この人が成仏することは決定していて疑いない」と説かれている。あなたも、末法における上行菩薩(=日蓮大聖人)の正法弘通を助ける使命を持った人なのである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states, “After I have passed into extinction, [one] should accept and uphold this sutra. Such a person assuredly and without doubt will attain the Buddha way." I am sure that you, too, are one who assists Bodhisattva Superior Practices in his propagation efforts. " This Person Advances through the World " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1011 in December, 1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) Bodhisattva Superior Practices: Nichiren D

日蓮は今時を得たり - Nichiren has truly been given this time.

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本文 日蓮は今時を得たり豈此の所嘱の本門を弘めざらんや にちれん は いま とき を えたり あに この しょずい の ほんもん を ひろめ ざらんや 妙一女御返事 みょういちあまごへんじ [事理成仏抄] じりじょうぶつしょう (1261頁) 弘安3年7月 (1280年) 通解(意訳) 日蓮は、法華経に説かれている末法に生まれ、妙法流布の時を得たのである。どうして末法において地涌の菩薩に託された、法華経の肝心である本門・南無妙法蓮華経を弘めずにはおられようか。 英語で御書 Gosho in English Nichiren has truly been given this time. How could I possibly not spread the essential teaching, which perfectly suits the age? " The Attainment of Buddhahood in Principle and in Its Actual Aspect " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 892 in July, 1280. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 日蓮 は 今 時 を 得 たり 豈 此の 所嘱 の 本門 を 弘め ざらんや NICHIREN WA IMA TOKI WO E TARI ANI KO SHOZUI NO HŌNMON WO HIROMEZARAN YA 妙一女御返事 MY Ō- ICHI AMA GOHENJI [事理成仏抄] JI RI JŌBUTSU SHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

況滅度後の大難の三類甚しかるべし - The great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing.

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本文 されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし 況滅度後(きょう めつ ど ご)の大難の三類甚しかるべし されば この きょう を ちょうもん し はじめん ひ より おもい さだむ べし きょうめつ どご の だいなん の さんるい はなはだし かるべし 如説修行抄 にょせつしゅぎょうしょう (501頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 法華経の修行を真剣に始めようとするなら、この法華経を聞いたその日から、覚悟を定めなさい。 末法には、猶多怨嫉・況滅度後(ゆ た おん しつ・きょう めつ ど ご、釈尊在世の世でさえ猶(なお)、怨みや嫉妬が多い。況や滅度の後をや)と経文にある。 このように、釈尊在世以上に、在家の男女(俗衆増上慢)、出家の僧侶(道門増上慢)、世間的には聖人のように振る舞っているが、本心は名誉や財産に執着し、偽善を行っている僧侶(僭聖増上慢)の、三種類の強敵が、はなはだしく現われるのである  英語で御書 Gosho in English Therefore, from the very day you listen to [and take faith in] this sutra, you should be fully prepared to face the great persecutions of the three types of enemies that are certain to be more horrible now after the Buddha’s passing. " On Practicing the Buddha’s Teachings " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 391 May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Three types of enemies (1) “The arrogance and presumption of lay people” or arrogant lay people. (2) “The a

上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそ いで給いしか - When Bodhisattva Superior Practices emerged from the earth, did he not emerge dancing?

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本文 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、 すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、 上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそ いで給いしか だいじ には しょうずい なし、だいあく おこれば だいぜん きたる、すで に だいほうぼう・くに に あり だいしょうほう かならず ひろまる べし、おのおの なに をか なげかせ たもう べき、 かしょうそんじゃ に あらず とも・まい をも・まい ぬべし、しゃりほつ に あらねども・たって おどり ぬべし、じょうぎょうぼさつ の だいち より いで たまいし には・おどり て こそ いで たまいしか 大悪大善御書 だいあくだぜんごしょ (1300頁) 年月不明 (文永12年(1275年)2月の説有り) 通解(意訳) 大事の起こる前には小さな瑞相(ずいそう、前触れ)はない。大悪が起これば大善がくる。 既に、正法である法華経を謗る(そしる)という大悪(大謗法)が国に充満しているのであるから、大正法は必ず弘まるという大善もくるのである。各々(おのおの)何を嘆くことがあろうか。 迦葉尊者でなくても、舞いを舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。 上行菩薩ら、地涌の菩薩が大地から湧出したときには、舞い踊りながら出られたのである。 末法において、教主釈尊は大地から「地涌の菩薩」を呼び出し、妙法蓮華経を弘める事を託された。この「地涌の菩薩」のリーダーである「上行菩薩」は、大地から舞い踊りながら出現されたのである。 「上行菩薩」は日蓮大聖人の事であり、「地涌の菩薩」とは、末法における法華経の行者である、私達の事なのである。  我々は、姿は凡夫の姿であるが、その内証(内に秘められた無限の可能性の証である、仏性)は尊い使命を果たすために今世に出現した、尊い「地涌の菩薩」なのである。 英語で御書 Gosho in English Great events never have minor omens. When great evil occurs, great good follows. Since great slander alread