南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるはなし - those who so much as one time pronounce the words Nam-myoho-renge-kyo, not one will fail to become a Buddha.
本文
無量劫が間・一度も そら事なくして其の功に依りて仏となり給いて候が・無一不成仏と申して 南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人として仏にならざるは なしと・とかせ給いて候
釈迦一仏の仰せなりとも 疑うべきにあらざるに・十方の仏の御前にて・なにのゆへにか・そら事 をばせさせ給うべき
むりょうこうが あいだ・いちども そらごと なくして その こうに よりて ほとけと なり たまいて そうろうが・むいちふじょうぶつと もうして なんみょうほうれんげきょうを だ いちど もうせし ひと・ひとりとして ほとけに ならざるは なしと・とかせ たまいて そうろう
しゃか いちぶつの おおせなり とも うたがうべきに あらざるに・じっぽうの ほとけの ごぜんにて・なにの ゆえにか・そらごと をば せさせ たもうべき
南条殿御返事
なんじょうどのごへんじ
[百箇日御書]
ひゃっかにちごしょ
(1573頁)
弘安3年~弘安4年
(1280年~1281年)
通解(意訳)
釈尊は、無量劫(遥か昔の過去世)の修行の間、一度も虚言(うそ)をつくことはなかった。その功徳によって仏となられた方が「無一不成仏(むいちふじょうぶつ・一人として仏にならないものはない)」と言われて、南無妙法蓮華経とただ一度でも唱えた人は、一人として仏の生命を成かない者はない、と説かれているのである。
虚言を言わなかった釈迦仏がこう仰せになっているだけでも疑う余地はなく、さらに十方の諸仏(諸天善神)も、この事が真実であることを証明したのである。
これ以上、何を理由にしても虚言ではなく、「必ず功徳が顕れる」と、南無妙法蓮華経を深く信受し、題目を唱えていくべきである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
[ Shakyamuni Buddha was ] During those countless kalpas, not once did he tell a lie. And when, as a result of the merit he had gained, he became a Buddha, he declared that "not a one will fail to attain Buddhahood."
That is, he taught that of those who so much as one time pronounce the words Nam-myoho-renge-kyo, not one will fail to become a Buddha.
The pronouncement was made by Shakyamuni Buddha alone, but there can surely be no doubt about it—how could he have lied in the presence of the Buddhas of the ten directions?
" Not a One Will Fail to Attain Buddhahood "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 1081
in 1280 to 1281.
[ --- ] is liberal translation.You should believe that you will necessarily receive the benefits and be able to attaining to the Buddhahood by chanting the Nam-myoho-renge-kyo.
Gosho in Japanese
無量劫 が 間・一度 も そら事 なくして 其の 功 に 依りて 仏 と なり 給いて 候 が・無一不成仏 と 申して 南無妙法蓮華経 を 只 一度 申せる 人・一人 として 仏 に ならざる は なし と・とかせ 給いて候
釈迦一仏 の 仰せ なりとも 疑う べき に あらざる に・十方 の 仏 の 御前 にて・なにの ゆへ にか・そら事 をば せさせ 給うべき
MURY0-KŌ GA AIDA・ICHIDO MO SORAGOTO NAKUSHITE SONO KOU NI YORITE HOTOKE TO NARI TAMAITE SŌRŌ GA・MUICHI-FUJŌBUTSU TO MŌSHITE NAM-MYOHO-RENGE-KYO WO TADA ICHIDO MOUSESHI HITO・HITORI TO SHITE HOTOKE NI NARAZARU WA NASHI TO・TOKASE TAMAITE SŌRŌ
SHAKA-ICHIBUTSU NO OOSE NARITOMO UTAGAU BEKI NI ARAZARU NI・JIP'PO NO HOTOKE NO GOZEN NITE・NANI NO YUE NIKA・SORAGOTO WOBA SASE TAMOUBEKI
南条殿御返事
NANJŌ DONO GOHENJI
[百箇日 御書]
HYAK'KA-NICHI GOSHO
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