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詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん - This I will state. Let the gods forsake me. Let all persecutions assail me. Still I will give my life for the sake of the Law.

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本文 詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん せんずる ところ は てん も すて たまえ しょなん にも あえ しんみょう を ご と せん SEN ZURU TOKORO WA TEN MO SUTE TAMAE SHO-NAN NIMO AE SHINMYO WO GO TO SEN 開目抄・下 かいもくしょう・げ  KAIMOKUSHO GE [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ NIN HONZON KAIKEN NO SHO (232頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 諸天善神が日蓮を見捨てるなら、見捨てるがよい。様々な難にも遭おう。命を投げうって正法を弘める覚悟である。 英語で御書 Gosho in English This I will state. Let the gods forsake me. Let all persecutions assail me. Still I will give my life for the sake of the Law. " The Opening of the Eyes " Part two. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 280 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) Even if I'll also meet with various difficulties even if a goodness god of gods will abandon Nichiren, it's the resolution which throws away the life and propagates just law.  Gosho in Japanese 詮 ずる ところ は 天 も すて 給え 諸難 にも あえ 身命 を 期 と せん SEN ZURU TOKORO WA TEN MO SUTE

蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ - A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles, and the green ivy that twines around the tall pine can grow to a thousand feet.

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本文 予 少量為りと雖も 忝くも 大乗を学す 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り 碧蘿松頭に懸りて 千尋を延ぶ、 弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや よ しょうりょう なり と いえども かたじけなくも だいじょう を がく す そうよう きび に ふ して ばんり を わたり へきら しょうとう に かかりて せんじん を のぶ、 でし いちぶつ の こ として うまれて しょきょう の おう に つかう、なんぞ ぶっぽう の すいび を みて しんじょう の あいせき を おこさざらんや YO SHORYO NARI TO IEDOMO KATAJIKENAKUMO DAIJO WO GAKU SU SOYO KIBI NI FU SHITE BANRI WO WATARI HEKIRA SHOTO NI KAKARITE SENJEN WO NOBU, DESHI ITIBUTSU NO KO TO SHITE UMARETE SHOKYO NO O NI TSUKAU, NANZO BUPPO NO SUIBI WO MITE SINJO NO AISEKI WO OKOSAZARAN YA. 立正安国論 りっしょうあんこくろん RISSHO ANKOKU RON (17頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 私(日蓮)は器量も小さく取るに足らない人間ではあるとはいえ、かたじけなくも大乗仏教を学んでいる。 小さな青バエも、駿馬の尾につかまれば万里を渡ることができ、みどりのツル草は大きな松の枝先に寄り掛かれば、千尋も高く延びることができる、というたとえもある。 たとえ器は小さくとも、仏弟子である私は、第一の仏である釈尊の子と生まれて、あらゆる宗教の王である法華経に仕え信じている。 どうして仏法が衰弱していくのをみて、哀れ惜しむ心情を起こさないでいられようか。 英語で御書 Gosho in English Though I may be a person of little ability, I have reverently given myself to the study of the Mahayana. A

鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし - Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword. Worthies and sages are tested by abuse.

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本文 鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし、 我今度の御勘気は世間の失一分もなし 偏に先業の重罪を今生に消して 後生の三悪を脱れんずるなるべし くろがね は きたい うてば つるぎ と なる  けんしょう は めり して こころみる なる べし われ こんど の ごかんき は せけん の とが いちぶん も なし ひとえ に せんごう の じゅうざい を こんじょう に けして ごしょう の さんあく を まぬがれんずる なるべし KUROGANE HA KITAI UTEBA TSURUGI TO NARU  KENSHO WA MERI SHITE KOKORO MIRU NARU BESHI, WARE KONDO NO GOKANKI WA SEKEN NO TOGA ICHIBUN MO NASHI HITOE NI SENGOU NO JUZAI WO KONJOU NI KESHITE GOSHOU NO SAN-AKU WO MANUGAREN ZURU NARU BESHI 佐渡御書 さどごしょ SADO GOSHO [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ TOKI DONO TOU GOHENJI (956頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 鉄は炎に入れて、熱して鍛え打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。 日蓮が今回受けた佐渡流罪の罪については、世間(今世)での罪は少しもない。ただ、過去世の重罪を今生に消滅して、来世に三悪に堕すことを脱れることになるのであろう。 仏法者である私達も、 様々な困難に直面し、戦い抜いていくことで、自身の過去世からの宿業が、今世において表面に現れる。 この宿業を取り除くために、「今こそ自分の信心が試されている時だ」と決意し、強い信心で乗り越えることで、自身の宿命転換を成し遂げることができる。 苦難に直面した時こそ、強靭な信心を確立し、強い自分に変わるチャンスなのである。 英語で御書 Gosho in English Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword. Worthies and

命と申す物は一身第一の珍宝なり - Life is the most precious of all treasures.

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本文 命と申す物は一身第一の珍宝なり 一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、 法華経の一代の聖教に超過して いみじきと申すは寿量品のゆへぞかし いのち と もうす もの は いっしん いちだい の ちんぽう なり いちにち なり とも・これを のぶる ならば せんまんりょう の こがね にも すぎたり、 ほけきょう の いちだい の せいきょう に ちょうか して いみじき と もうす は じゅりょうほん の ゆえ ぞかし INOCHI TO MOUSU MONO WA ISSHIN ICHIDAI NO CHINPOU NARI ICHINICNI NARI TOMO・KORE WO NOBURU NARABA SENMAN RYO NO KOGANE NIMO SUGITARI, HOKEKYO NO ICHIDAI NO SEIKYO NI CHOUKA SHITE IMIJIKI TO MOUSU WA JURYO HON NO YUE ZOKASHI 可延定業書 かえんじょうごうしょ KA EN JOU GOU SHO [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう JOU GOU ENMEI SHOU (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) 命というものは人間が持っている第一の珍しい宝である。一日でも寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさる。法華経が釈尊の説いた説法の中で最も優れている理由は、「あらゆる生命の中に仏性が存在する」ということが、法華経の如来寿量品第十六に説かれているからであり、その生命を一日でも長く寿命を延ばす事ができるからである。 *私達が日々実践している勤行の「妙法蓮華経如来寿量品第十六(みょうほうれんげきょう にょうらいじゅりょうほん だい16」は、この「法華経如来寿量品第十六」から抜粋したものです。 英語で御書 Gosho in English Life is the most precious of all treasures. Even one extra day of life is worth more than ten million ryō [;the currency unit

湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり - praying as earnestly as though to produce fire from damp wood, or to obtain water from parched ground.

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本文 何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと 湿れる木より火を出し 乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり いかなる よ の みだれ にも おのおの おば ほけきょう・じゅうらせつ・たすけたまえ と しめれる き より ひ を いだし かわける つち よち みず を もうけん が ごとく ごうじょう に もうす なり IKANARU YO NO MIDARE NIMO ONO ONO WOBA HOKEKYO・JURASETSU・TASUKE TAMAE TO SHIMERERU KI YORI HI WO IDASHI KAWAKERU TUCHI YORI MIZU WO MOUKEN GA GOTOKU GOJO NI MOUSU NARI 呵責謗法滅罪抄 かしゃくほうぼうめつざいしょう KASHAKU HOBO METSUZAI SHO (1132頁) 文永10年 (1273年) 通解(意訳) どのような世の乱れが起きても、あなた方お一人お一人の弟子達の事を、「法華経・十羅刹女(あらゆる諸天善神)よ、彼らを守護し、助けたまえ」と、湿っている木に火を出し、乾いた土から水を出すような思いで、強盛に祈っている。 英語で御書 Gosho in English I am praying that, no matter how troubled the times may become, the Lotus Sutra and the ten demon daughters * will protect all of you, praying as earnestly as though to produce fire from damp wood, or to obtain water from parched ground. " On Rebuking Slander of the Law and Eradicating Sins " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 435 in 1273. [ --- ] is liberal transl

金珠女 - The Woman Who Gave a Piece of Gold

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本文 金珠女は金銭一文を木像の薄と為し 九十一劫金色の身と為りき 其の夫の金師は今の迦葉 未来の光明如来是なり こんじゅにょ は きんせん いちもん を もくぞう の はく と なし きゅうじゅういっこう こんじき の み と なりき その おとこ の こんし は いま の かしょう みらい の こうみょうにょらい これ なり 乗明聖人御返事 じょうみょうしょうにんごへんじ [金珠女御書] こんじゅにょごしょ (1012頁) 建治3年4月   (1277年) 通解(意訳) 金珠女は、金箔を施した木像の顔の一部が剥がれていたのを見て、貧相な身でありながら、物乞いをして集めた黄金の銭一文を供養し、錬金師であった夫は、その黄金を使って木造を修復した。この功徳によって、金珠女は91劫(1劫 =人間界での43億2千万年)の長い間、金色の身となった。その夫の鍛金師は釈尊在世の時代には迦葉尊者であり、未来の光明如来である。さらに、二人は生まれ変わっても常に夫婦として結ばれていたのである。 例えわずかであっても、心から法華経に供養すれば、莫大な功徳が必ず顕れるのである。 英語で御書 Gosho in English Long ago, the so-called Woman Who Gave a Piece of Gold donated a gold coin to be used to gild a wooden statue [of a Buddha. Because of the benefits she received], for ninety-one long kalpas she was reborn with a golden body. The goldsmith at that time, who became her husband, was reborn as Mahākāshyapa, who in the future, the Buddha predicted, will become a Buddha named Light Bright Thus Come One. " The Woman Who Gave a Piece of Gold "  "T

蘭室の友に交りて麻畝の性と成る - You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp.

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本文 鳩 化して鷹と為り 雀 変じて蛤と為る、悦しきかな 汝 蘭室の友に交りて麻畝の性と成る はと け して たか と なり すずめ へんじて はまぐり と なる、よろこばしき かな なんじ らんしつ の とも に まじりて まほ の しょう と なる 立正安国論 りっしょうあんこくろん (31頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 古事に「鳩化して鷹となり、雀(福良雀という、雀(すずめ)の形のような貝)が変じて蛤(はまぐり)となる」とあるように、人は善き友(善知識)と交わることで、より善い人間になることができる。 悦ばしいことに、あなたは蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化されて、蓬(よもぎ)のように曲がりがちな性格が、真っ直ぐに育つ麻畑の中に蓬が交わって正されたように、素直で真っ直ぐな性格になれた。 英語で御書 Gosho in English The dove has changed into a hawk, the sparrow into a clam. How gratifying! You have associated with a friend in the orchid room and have become as straight as mugwort growing among hemp. " On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 23 in July, 1260. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) You were inspired by crossing a friend in the Orchids breeding room (a person with high virtue like the scent of orchids). And as your charact

よりて法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか - That way my disciples can learn to instruct one another.

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本文 これより ぐ して・いたらん人には よりて法門 御聴聞 有るべし 互に師弟と為らんか これより ぐ して・いたらん ひと には よりて ほうもん ごちょうもん ある べし たがい に してい と ならんか 弁殿御消息 べんどのごしょうそく (1224頁) 文永9年7月 (1272年) 通解(意訳) 遠い本土から、わざわざ佐渡まで日蓮を訪ねてきた弟子が、法門を聞いて帰ってきたなら、自分の年齢や信心の長さ、深さに関係なく、直接日蓮から法門を聴くのだと心得て、よく法門を聴くようにしていきなさい。そうすれば、互いに師弟の関係となって、よき同志となっていくであろう。 英語で御書 Gosho in English As a rule, you should learn of such doctrinal matters from those who have received instruction in them directly from me. That way my disciples can learn to instruct one another. " Letter to Ben " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 440 July, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation) If one disciple who came to Nichiren from the distant mainland to Sado listens to the teachings of Hokke Sutra, and that disciple returns, should be think like that you will hear the teachings directly from Nichiren. Listen carefully to that disciples teachings from Nichiren, regardless of t

法華経を経のごとく説く人にあいがたし - It is extremely difficult to meet a person who expounds this sutra exactly as the sutra directs.

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本文 設い 一眼の亀の 浮木には値うとも・はちすの いとをもって須弥山をば 虚空に かくとも 法華経を 経のごとく説く人に あいがたし たとい いちげん の かめ の うきぎ には あう とも・はちす の いと を もって しゅみせん をば こくう に かく とも ほけきょう を きょう の ごとく とく ひと に あいがたし 兄弟抄 きょうだいしょう (1080頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) たとえ一眼の亀(いちげん の かめ)が浮き木に巡りあうことがあっても、蓮の糸で須弥山を大空に吊るすことができたとしても、法華経を経文の通りに説く人に巡りあうことは難しいのである。 英語で御書 Gosho in English It is extremely difficult to meet a person who expounds this sutra exactly as the sutra directs. It is even more difficult than for a one-eyed turtle to find a piece of floating sandalwood, or for someone to hang Mount Sumeru from the sky with the fiber from a lotus stem. " Letter to the Brothers "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 495 April, 1275. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

智者に我義やぶられずば用いじとなり - whatever obstacles I might encounter, so long as persons of wisdom do not prove my teachings to be false, I will never yield!

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本文 大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、 其の外の大難・風の前の塵なるべし、 我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。 だいがん を たてん にほんこく の くらい を ゆずらん、ほけきょう を すてて かんきょうとう に ついて ごしょう を ごせよ、ふぼ の くび を はねん ねんぶつ もうさずば、なんど の しゅじゅ の だいなん・しゅったい す とも ちしゃ に わが ぎ やぶられずば もちいじ と なり、 そのほか の だいなん・かぜ の まえ の ちり なるべし、 われ にほん の はしら と ならん、われ にほん の がんもく と ならん われ にほん の たいせん と ならん とう と ちかいし ねがい やぶる べからず 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (232頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) いまこそ大願を立てよう。法華経をすてて観経等の信仰に入り、後生の極楽往生を願うならば、日本国の位を譲ろうとの誘惑があろうとも、また念仏を申さないならば、父母の首を斬りはねるとの脅迫があろうとも、またその他の種々な大難が出来しようとも、智者に日蓮の教義が破られない限り、絶対に他の教義にはしたがうことはない。 この智者にわが義をやぶられる以外の大難は、風の前の塵のごとき問題にならない事件である。 日本国の一切衆生を救うために、われは日本の柱となろう、われは日本の眼目となろう、われは日本の大船となろう等と誓い願った事は、絶対に破ることがないのである。 英語で御書 Gosho in English Here I will make a great vow. Though I might be offered the rulership of Japan if I would only abandon the Lotus Sutra, accept the teachings of the Meditation

強言なれども人をたすくれば実語・軟語なるべし - Even though one may resort to harsh words, if such words help the person to whom they are addressed, then they are worthy to be regarded as truthful words and gentle words.

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本文 仮令 強言なれども 人をたすくれば実語・軟語なるべし、設ひ 軟語なれども 人を損ずるは妄語・強言なり たとい ごうげん なれども ひと を たすくれば じつご・なんご なるべし、たとい なんご なれども ひと を そんずる は もうご・ごうげん なるべし 善無畏三蔵抄 ぜんむいさんぞうしょう (890頁) 文永7年 (1270年) 通解(意訳) たとえ、強い口調て荒い言葉であっても、相手のことを心から思って言った言葉で、その人を助ければ、それは真実の言葉(実語)であり、柔らく優しい言葉(軟語)である。 逆にたとえ柔らかい口調で優しい言葉であっても、相手を悪い道へ落とし込み、道を間違わせてしまえば、それは偽りの言葉(妄語)であり、強く荒い言葉(強言)である。 英語で御書 Gosho in English Even though one may resort to harsh words, if such words help the person to whom they are addressed, then they are worthy to be regarded as truthful words and gentle words. Similarly, though one may use gentle words, if they harm the person to whom they are addressed, they are in fact deceptive words, harsh words. " The Tripitaka Master Shan-wu-wei " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 178 1270. [ --- ] is liberal translation. 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of

南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし - Nam-myoho-renge-kyo will spread for ten thousand years and more, for all eternity

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本文 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ 報恩抄 ほうおんしょう (329頁)  建治2年7月 (1276年) 通解(意訳) 「南無妙法蓮華経だけが、全世界のあらゆる人々を差別なく救い、自身の仏性に目覚め、自身の妙法の力で幸せをつかむことのできる、真実の法である。この妙法を一切衆生に弘めよう」 という、日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年という時をも越えて、未来永遠に流布するに違いない。  日本のあらゆる民衆の、暗く落ち込んでいる盲目の生命を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいで、あらゆる苦しみの根源を断ち切るのである。 この功徳は、過去に法華経の教えを説いた日本の伝教大師、中国の天台大師も超えて、さらにはインドの竜樹菩薩、釈迦の十大弟子の一人である、迦葉尊者よりも優れているのである。 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正像二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るのである。 これはひとえに日蓮の智慧がすぐれているからではない。弘めるべき時がきたのみである。 英語で御書 Gosho in English If Nichiren's compassion is truly g

達多の悪人成仏の時・慈父のじょうぶつも顕わる - when it was revealed that even an evil man such as Devadatta could attain Buddhahood, it became evident that Buddhahood was a possibility for all fathers.

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本文 今 法華経の時こそ女人成仏の時・悲母のじょうぶつも顕れ・達多の悪人成仏の時・慈父のじょうぶつも顕わるれ、此の経は内典の考経なり いま ほけきょう の とき こそ にょにん じょうぶつ の とき・ひも の じょうぶつ も あらわれ・だった の あくにん じょうぶつ の とき・じぶ の じょうぶつ も あらわるれ、この きょう は ないてん の こうきょう なり。 開目抄・下  かいもくしょう・げ [人本尊開顕書] [人本尊開顕の書] にんほんぞんかいけんのしょ (232頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 今、法華経の時こそ女人成仏の時であり、悲母のじょうぶつも顕れる。提婆達多の悪人成仏の時、慈父の成仏も顕れる。この法華経は内典の考経である。 妙法こそ、父母をはじめ全ての眷属(親類・友人・縁した人々)を成仏へと導ける究極の孝養の力なのである。 英語で御書 Gosho in English Only with the preaching of the Lotus Sutra, in which the dragon king’s daughter attained Buddhahood, did it become evident that the attainment of Buddhahood was a possibility for all mothers. And when it was revealed that even an evil man such as Devadatta could attain Buddhahood, it became evident that Buddhahood was a possibility for all fathers. The Lotus Sutra is The Classic of Filial Piety of Buddhism. " The Opening of the Eyes " Part two. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 269 February, 1272. [ --- ] is

いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ - You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you.

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本文 此の法門の一行いかなる本意なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、大人には・いのりなしまいらせ候べし この ほうもん の  いっこう  いかなる ほんい なき こと ありとも・みず きかず・いわず して・むつばせ たまえ・だいにん には・いのり なし まいらせ そうろべし 陰徳陽報御書 いんとくようほうごしょ (1178頁)  弘安元年 (1278年) 通解(意訳) この法門の人々とは、たとえどんな不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。おだやかにして、祈っていきなさい たがいに尊敬し仲良く前進 (リーダーの心がけとして)当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなければならない。 そのうえで、私的なことについては、いちいちこまかく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。 人それぞれに個性があり、生き方がある。 生活環境も違う。 たがいに尊重しあい、仲良くしていくことこそが大事である。(中略) たとえ不本意なことがあっても、広々とした心で、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信心に立てるよう激励していくことである。 また大きな立場から、成長を祈ってあげることである。 そうしていけば、本人の信心の深化とともに、しだいに人間的にも成長をめざしていくにちがいない。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English You must be on good terms with those who believe in this teaching, neither seeing, hearing, nor pointing out anything about them that may displease you. Calmly continue to offer prayers.  " Unseen Virtue and Visible Reward "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p.907 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. I

火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり - The belief of some is like fire while that of others is like water.

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本文 法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり ほけきょう を しんずる ひと あり・あるいは ひ の ごとく しんずる ひと も あり・あるいは みず の ごとく しんずる ひと も あり、ちょうもん する とき は・もえたつ ばかり おもえども・とおざかり ぬれば・すつる こころ あり、みず の ごとく と もうす は・いつも・たいせず しんずる なり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [水火二信抄] すいかにしんしょう (1544頁) 建治4年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人がいる。あるいは火のように信ずる人もあり、あるいは水の流れるように信ずる人もいる。 火のように信ずる人というのは、法華経の法門を聴いたその時は、燃え立つような信心が沸き起こるように思うけれども、時が経つにつれて遠ざかると、その発心した心を忘れてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Today there are people who have faith in the Lotus Sutra. The belief of some is like fire while that of others is like water. When the former listen to the teachings, their passion flares up like fire, but as time goes on, they tend to discard their faith. To have faith like water means to believe continuously without ever regressing. " The Two Kinds of Faith " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 899 February, 1279. [ --- ]