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日蓮は・なかねども・なみだ ひまなし - I, Nichiren, do not cry, but my tears flow ceaselessly.

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本文 鳥と虫とは なけども なみだ をちず、日蓮は・なかねども・なみだ ひまなし、此のなみだ 世間の事には非ず 但 偏に法華経の故なり とりと むしとは なけども なみだ おちず、にちれんは・なかねども・なみだ ひまなし、この なみだ せけん の こと には あらず ただ ひとえに ほけきょうの ゆえ なり TORI TO MUSHI TOWAW NAKEDOMO NAMIDA OCHIZU, NICHIREN WA・NAKANEDOMO・NAMIDA HIMANASHI, KONO NAMIDA SEKEN NO KOTO NIWA ARAZU TADA HITOE NI HOKEKYO NO YUE NARI 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう SHOHO JISSO SHO (1361頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) 鳥と虫とは、泣くといっても涙を落とすことはない。日蓮は泣かないが涙がひまなく止まらないのである。しかしこの涙は世間の事を考えて流す涙ではない。ただ、ひとえに法華経を弘めゆく使命に目覚めたゆえの、歓喜の涙なのである。 英語で御書 Gosho in English Birds and crickets cry, but never shed tears. I, Nichiren, do not cry, but my tears flow ceaselessly. I shed my tears not for worldly affairs but solely for the sake of the Lotus Sutra. " The True Aspect of All Phenomena " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 386 in May, 1273. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nichiren's tears are for the pleasure and awakening to the hi

我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経と よびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり - The Buddha nature within us is summoned forth and manifested by our chanting of Nam-myoho-renge-kyo. This is what is meant by “Buddha.”

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本文 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて 我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、 譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し わが こしん の みょうほうれんげきょう を ほんぞん と あがめ たてまつりて わが こしんちゅう の ぶっしょう・なんみょうほうれんげきょう と よび よばれて あらわれ たもう ところを ほとけ とは いうなり、 たとえば かごの なかの とり なけば そら とぶ とりの よばれて あつまるが ごとし、そら とぶ とりの あつまれば かごの なかの とりも いでんと するが ごとし 法華初心成仏抄 ほっけしょしんじょうぶつしょう HOKKE SHOSIN JOBUTSU SHO (557頁) 建治3年3月 (1277年) 通解(意訳) 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、我が己心の中の仏性を南無妙法蓮華経と呼び呼ばれてあらわれるところを仏というのである。 たとえば、かごの中の鳥が鳴けば、空をとぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、かごの中の鳥も出ようとするようなものである。 英語で御書 Gosho in English When we revere Myoho-renge-kyo inherent in our own life as the object of devotion, the Buddha nature within us is summoned forth and manifested by our chanting of Nam-myoho-renge-kyo.  This is what is meant by “Buddha.” To illustrate, when a caged bird sings, birds who are flying in the sky are thereby summoned and gather around, and when the birds flying in the sky gather around, the bird in the cage st

国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし - As first one person, then two persons, then a thousand, ten thousand, a hundred thousand, and then all the people throughout the country come to chant the daimoku, before you know it, their blessings will accrue to you.

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本文 便宜ごとの青鳧五連の御志は 日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、  国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し べんぎごと の せいふ ごれん の おんこころざし は にほんこく の ほけきょう の だいもく を ひろめ させ たもう ひと に あたれり、 くにじゅう の ひとびと・ひとり・ふたり・ないし いっせんまんおく の ひと・だいもく を となうる ならば ぞんがい に くどく みに あつまらせ たもうべし、 その くどく は たいかい の つゆ を あつめ しゅみせん の みじん を つむ が ごとし BENGI GOTO NO SEIFU GOREN NO ON KOKOROZASHI WA NIHONKOKU NO HOKEKYO NO DAIMOKU WO HIROME SASE TAMOU HITONI ATARERI, KUNIJU NO HITOBITO・HITORI・FUTARI・NAISHI ISSENMAN-OKU NO HITO・DAIMOKU WO TONAURU NARABA ZONGAI NI KUDOKU MI NI ATSUMARASE TAMOUBESHI, SONO KUDOKU WA TAIKAI NO TSUYU WO ATSUME SHUMISEN NO MIJIN WO TSUMU GA GOTOSHI 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく MYOMITSU SHONIN GOSHOSOKU [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう HOKEKYO KUDOKU SHO (1234頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) あなたが便りごとに送ってくださる青鳧(せいふ:当時の通貨=金銭)五連の御供養の志は、日本国に妙法の題目を弘められる人にあたるのである。 国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、知らず知らずのうちに、功徳があなたの身に集まるであろう。 その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山が塵を積んで大きくなっていくようのものである。 英語で御

法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し - Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.

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本文 法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、 法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり ほけきょう の ぎょうじゃ の すみか なれば・いかでか りょうぜん じょうど に おとる べき、 ほう みょう なる が ゆえに ひと とうとし・ひと とうとき が ゆえに ところ とうとし と もうす は これ なり HOKEKYO NO GYOUJA NO SUMIKA NAREBA・IKADEKA RYOZEN JOUDO NI OTORU BEKI, HOU MYO NARU GA YUE NI HITO TOUTOSHI・HITO TOUTOKI GA YUE NI TOKORO TOUTOSHI TO MOUSU WA KORE NARI 南条殿御返事 なんじょうどのごへんじ NANJO DONO GOHENJI [法妙人貴事] ほうみょうにんきのこと HO-MYO NINKI NO KOTO (1578頁) 弘安4年9月 (1281年) 通解(意訳) 法華経の行者が住んでいる処であれば、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。 法華文句に「法が妙であるゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人の居る場所も尊い」と申してあるのは、このことである。 英語で御書 Gosho in English This mountain is where this wondrous votary of the Lotus Sutra dwells, how can it be any less sacred than the pure land of Eagle Peak? This is what [The Words and Phrases of the Lotus Sutra means when] it says, “Since the Law is wonderful, the person is worthy of respect; since the person is worthy of respect, the land is sacred.” " The Person and the Law "

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す - Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo.

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本文 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う しゃくそんの いんぎょうかとく の にほうは みょうほうれんげきょうの ごじ に ぐそくす われら この ごじを じゅじすれば じねんに かの いんがの くどくを ゆずりあたえ たもう SHAKUSON NO INGYOKATOKU NO NIHOU WA MYOHO-RENGE-KYO NO GOJI NI GUSOKU SU WARERA KNO GOJI WO JUJI SUREBA JINEN NI KA NO INGA NO KUDOKU WO YUZURI ATAE TAMOU 観心本尊抄 かんじんのほんぞんしょう KANJIN NO HONZON SHO [如来滅後五五百歳始観心本尊抄] にょらいめつご ご ごひゃくさい に はじむ かんじん の ほんぞんしょう NYORAIMETSUGO GO GOHYAKUSAI NI HAJIMU KANJIN NO HONZON SHO [法本尊開顕の書] ほうほんぞんかいけんのしょ HO-HONZON KAIKEN NO SHO (246頁) 文永10年4月 (1272年) 通解(意訳) 釈尊が久遠より積み重ねた、成仏の原因である修行(因行)と、その結果として得た福徳(果徳)の二法は、全て妙法蓮華経の五字に具足している。 私たちは、 この妙法蓮華経を受持して、自行化他の題目を唱え実践していくならば、自然に必ず、成仏の原因も結果も私達に譲り与えられるのである。 英語で御書 Gosho in English Shakyamuni’s practices and the virtues he consequently attained are all contained within the five characters of Myoho-renge-kyo. If we believe in these five characters, we will naturally be granted the same benefits as he was. "  The

一生はゆめの上・明日をごせず - This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず ISSHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ SHIJO KINGO DONO GOHENJI [不可惜所領事] ふかしゃくしょしょりょうのこと FUKSHAKU SHO-SHORYO NO KOTO (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生はゆめの上・明日をごせず・ ISSHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・ いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おんみやづかいをほけきょうとおぼしめせ、 「いっさいせけんのちせいさんぎょうはみなじっそうとあいいはいせず」とはこれなり ON MIYAZUKAI WO HOKEKYO TO OBOSHIMESE, "IS'SAI SEKEN NO CHISEI SANGYO HA MINA JISSOU TO AIIHAISEZU" TOWA KORE NARI 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ DAN-OTSUBO GOHENJI (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。 英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior o

妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし HOKEKYO NO KANJIN・JOBUSU NO GANMOKU TARU MYOHO-RENGE-KYO NO GO JI・MAPPO NO HAJIME NI ICHI EN-BUDAI NI HIROMARASE TAMOU BEKI ZUISOU NI NICHIREN SAKIGAKE SHI TARI, WATOU DOMO NI-JIN SAN-JIN TUZUKITE KASHO・ANAN NIMO SUGURE TENDAI・DENGYO NIMO KOE YOKASHI 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ SHUJU O-FURUMAI GOSHO (910~911頁)  建治2年2月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and th

法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即ち仏なり - With regard to the Lotus Sutra, when one’s hand takes it up, that hand immediately attains Buddhahood, and when one’s mouth chants it, that mouth is itself a Buddha, as

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本文 法華経と申すは 手に取れば其の手 やがて仏に成り・口に唱ふれば 其の口 即ち 仏なり、 譬えば天月の東の山の端に出ずれば 其の時 即 水に影の浮かぶが如く・音と ひびき との同時なるが如し ほけきょう と もうすは てに とれば そのて やがて ほとけ に なり・くち に となうれば そのくち すなわち ほとけ なり、 たとえば てんげつ の ひがし の やま の は に いずれば そのとき すなわち みずに かげ の うかぶ が ごとく・おと と ひびき との どうじ なる が ごとし HOKEKYO TO MOUSU WA TE NI TOREBA SONO TE YAGATE HOTOKE NI NARI・KUCHI NI TONAUREBA SONO KUCHI SUNAWATI HOTOKE NARI, TATOEBA TENGETSU NO HIGASHI NO YAMA NO HA NI IZUREBA SONO TOKI SUNAWACHI MIZUNI KAGE NO UKABU GA GOTOKU・OTO TO HIBIKI TONO DOUJI NARU GA GOTOSHI 上野尼御前御返事 うえのどのあまごぜんごへんじ UENODONO AMA GOZEN GOHENJI [鳥竜遺竜事] おりょうおりょうのこと ORYO IRYO NO KOTO (1580頁) 弘安4年11月 (1281年) 通解(意訳) 日蓮仏法というものは、手に取って行ずれば、その行いがそのまま仏の手となり、口に題目を唱え、信心の体験を語れば、その口がそのまま仏の口になって、自身がありのままの姿で、即座に仏の境涯を開くことができるのである。 例えば、月が東の山に出れば、それと同時に水面に月が映るように、また大きな音が鳴ると、周囲に音が響くのが同時であるようなものである。 英語で御書 Gosho in English With regard to the Lotus Sutra, when one’s hand takes it up, that hand immediately attains Buddhahood, and when one’s mouth c

設いこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず - Even if in the future other men and women become my believers, they will not replace you in my heart.

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本文 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし、 中にも日蓮が法門は古へこそ信じかたかりしが 今は前前いひをきし事既にあひぬれば よしなく謗ぜし人人も悔ゆる心あるべし、 設いこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず たとい・いかなる・わずらわしきこと ありとも ゆめに なして ただ ほけきょう の こと のみ さわぐらせ たもうべし、 なかにも にちれんが ほうもんは いにしえ こそ しんじ かたかりしが いまは さきざき いいおきしこと すでに あいぬれば よしなく ぼうぜし ひとびとも くゆる こころ あるべし、 たとい これより のちに しんずる なんにょ ありとも おのおのには かえ おもう べからず TATOI・IKANARU・WAZURAWASHIKI KOTO ARITOMO YUMENI NASHITE TADA HOKEKYO NO KOTO NOMI SAWAGURASE TAMOUBESHI, NAKANIMO NICHIREN GA HOUMON WA INISHIE KOSO SHINJIKATAKARISHIGA IMA WA SAKIZAKI IIOKISHI KOTO SUDE NI AINUREBA YOSHINAKU BOUZESHI HITOBITO MO KUYURU KOKORO ARUBESHI, TATOI KOREYORI NOCHI NI SHINZURU NAN'NYO ARITOMO ONO-ONO NIWA KAE OMOU BEKARAZU 兄弟抄 きょうだいしょう KYODAISHO (1080頁) 文永12年4月 (1275年) 通解(意訳) たとえ、心を煩わせるような悩みや苦難があったとしても、これを夢と思って、ただ法華経の修行のことだけを思索し、専念していきなさい。 なかでも、日蓮の法門は、以前には信じ難かったが、今は前々から言っておいたことが的中したので、理由もなく誹謗した人々も、悔いる心が起きているであろう。たとえ、これより後に法華経を信ずる男女があっても、あなた方に替えて思うことはできない。 英語で御書 Gosho in English Whate

魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ- Though devils and demons may come to tempt you, you must not allow yourself to be distracted.

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本文 人の心は水の器に したがふが如く 物の性は月の波に動くに似たり、故に汝 当座は信ずと いふとも 後日は必ず翻へさん 魔来り 鬼来るとも 騒乱する事なかれ ひと の こころ は みず の うつわ に したがう が ごとく もの の しょう は つき の なみ に うごく に にたり、ゆえ に なんじ とうざ は しんず と いうとも ごじつ は かならず ひるがえさん ま きたり おに きたる とも そうらん する こと なかれ HITO NO KOKORO WA MIZU NO UTSUWA NI SHITAGAU GA GOTOKU MONO NO SHOU WA TSUKI NO NAMI NI UGOKU NI NITAR, YUE NI NANJI TOUZA WA SHINZU TO IUTOMO GOJITSU WA KANARAZU HIRUGAESAN MA KITARI ONI KITARU TOMO SOURAN SURU KOTO NAKARE 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ SHOGU MONDO SHO ・GE (500頁)   文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 人の心は、水の形が器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は、水上に映っている月影が、波の動きに合わせて揺らめくのに似ている。 同じように、人の心も移ろいやすいものであるから、今、法門を聞いたばかりのあなたは、しばらくは法華経を信ずると言っても、後日になってから必ず心が揺り動くであろう。 しかし、それは信心をやめさせようとする魔の仕業であるから、日々の信心にこの事を覚悟しておいて、魔が来ても鬼が来ても、その時になって騒ぎ立てるようであってはならない。 英語で御書 Gosho in English The human heart is like water that assumes the shape of whatever vessel it occupies, and the nature of beings is like the reflection of the moon undulating on the waves. Now you

師弟相違せばなに事も成べからず - If teacher and disciple are of different minds, they will never accomplish anything.

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本文 よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、 師弟相違せばなに事も成べからず よき でし を もつ とき んば してい・ぶっか に いたり・あしき でし を たくわい ぬれば してい・じごく に おつ と いえり、 してい そうい せば なにごと も なす べからず YOKI DESHI WO MOTSU TOKINBA SHITEI・BUKKA NI ITARI・ASHIKI DESHI WO TAKUWAI NUREBA SHITEI・JIGOKU NI OTSU TO IERI, SHITEI SOUI SEBA NANIGOTO MO NASU BEKARAZU 華果成就御書 けかじょうじゅごしょ KEKA JOJU GOSHO (900頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) 師匠がよい弟子を持つのであれば、師弟は共に成仏を成し遂げることができるが、悪い弟子を養うのであれば、師弟ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできないのである。 英語で御書 Gosho in English If a teacher has a good disciple, both will gain the fruit of Buddhahood, but if a teacher fosters a bad disciple, both will fall into hell. If teacher and disciple are of different minds, they will never accomplish anything. " Flowering and Bearing Grain " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 909 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese よき 弟子 を もつ ときんば 師弟・仏果 に いたり・あしき 弟子 を たくはひ ぬれば

日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし - If Nichiren's compassion is truly great and encompassing, Nam-myoho-renge-kyo will spread for ten thousand years and more, for all eternity

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本文 日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、 此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり 極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、 是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳 にちれん が じひ こうだい ならば なんみょうほうれんげきょう は まんねん の ほか・みらい までも ながるべし、 にほんこく の いっさいしゅじょう の もうもく を ひらける くどく あり、むげんじごく の みち を ふさぎぬ、 この くどく は でんきょう・てんだい にも こえ りゅうじゅ・かしょう にも すぐれたり ごくらく ひゃくねん の しゅぎょう は えど の いちにち の くどく に およばず、しょうぞう にせんねん は まっぽう の いちじ に おとるか、 これ ひとえ に にちれん が ち の かしこき には・あらず とき の しからしむる のみ NICHIREN GA JIHI KOUDAI NARABA NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA MAN-NEN NO HOKA・MIRAI MADE MO NAGARU BESHI, NIHONKOKU NO ISSAI-SHUJO NO MOUMOKU WO HIRAKERU KUDKU ARI, MUGEN-JIGOKU NO MICHI WO FUSAGINU, KONO KUDOKU WA DENKYO, TENDAI NIMO KO-E RYUJU・KASHO NIMO SUGURETARI GOKURAKU HYAKUNEN NO SHUGYO WA EDO NO ICHINICHI NO KUDOKU NI OYOBAZU, SHOUZOU NISENNEN WA MAPPO NO ICHIJI NI OTORUKA, KORE HITOE NI NICHIREN GA CHI NO KASHIKOKI NIWA・ARAZU TOKI NO SHIKARASIMURU NOMI 報恩抄 ほうおんしょう HO ON SHO (329頁)  建治2年7月