投稿

3月, 2016の投稿を表示しています

自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賎する者有らん - they are practicing the true way, despising and looking down on all humankind.

イメージ
本文   法華経に云く「悪世の中の比丘は 邪智にして 心 諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心 充満せん、或は  阿練若に納衣にして空閑に在り 自ら真の道を行ず と謂いて 人間を軽賎する者有らん、利養に貪著するが故に白衣 の与めに法を説いて 世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん、乃至常に大衆の中に在つて我等を毀らんと 欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び 余の 比丘衆に向つて誹謗して 我が悪を説いて 是れ邪見の人・外道の論議 を説く と 謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼 其の身に入つて 我を罵詈し毀辱せん、濁世の悪比丘 は仏の方便・随宜所説の法を知らず悪口して顰蹙し数数・擯出せられん」   立正安国論(21頁) 文応元年(1260年)7月 通解(意訳)   (末法においては悪知識が充満し、法華経の行者を迫害すると説いてある文証について)  法華経には「末法悪世の中の僧侶は、間違った法が正しいという邪義の知識しか知らず、心がひねくれていて 、未だに「成仏とは仏の境涯を成く(ひらく)」という理解も得ていないのに、「自分は仏に成れる(なれる) ための悟りを得ている」と思い、わがままな 心が充満している。あるいは人里から離れた静かな山寺な どに袈裟・衣を著けて閑静な座にいて、自分は仏法の真の道を行じていると思いこんで、一般世間の生活を営んでいる人間を軽んじ、賤しむであろう。  彼等は、自らの私腹を肥やすために、立派な衣の権威を借りて、在家の人たちのために説法して、世間の人からはまるで六神通を得た羅漢の如く尊敬されている。そして常に大衆の中心にいて、我々正法をたもつ者をそしるために、国王や大臣・権威者や諸々の僧侶等に、正法の行者を誹謗し、悪い点を作り上げて『この人は邪な思想を持っており外道の論議を説いている」というであろう』と言いくるめるのである。濁った悪世の末法においては、様々な恐怖がある。邪宗邪義がこれらの国王・大臣の身に入いて、正法の行者をののしったり、謗り、はずかしめたりするであろう。末法にこれらの悪比丘たちは方便・権教が仏の機根に随って説いたものであることを知らないでこれに執着し、かえって正法たる法華経の行者の悪口をいい、ひんしゅくし、たびたび正法の行者を追い出すであろう」とある。 比丘(び

しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし - Though we may suffer for a while, ultimately delight awaits us.

イメージ
本文   しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・お ぼしめし候へ   上野殿御返事 [ 熱原外護事] (1565頁) 弘安3年(1279年)7月 通解(意訳)   しばらく苦しいことがあっても、先では必ず楽しみとなるのである。たとえば国王の一人息子である太子が、必ず国王の位を継ぐように、我等もどうして成仏できないことがあろうかと思って、信心を根本に耐えなさい。     English Translations " Protecting the Atsuhara Believers "    Though we may suffer for a while, ultimately delight awaits us. It is like the case of a crown prince, the only son of the king. Consider this: How can he possibly fail to ascend the throne?   [ in the same way, you should hold belief back in foundation: " How can we possibly fail to attain to the Buddhahood? "  ]  April, 1279 "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 882 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vo

かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく - As you crave food when hungry, seek water when thirsty,

イメージ
本文   かつへて(飢えて)食をねがひ(願い)・渇して(かつして)水をしたう(慕う)がごとく・恋いて(こいて)人を見たきがごとく・ 病(やまい)に くすりを たのむがごとく、みめかたち(見目 形)よき人・べに(紅)しろいものを つくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ   上野殿御返事 [ 刀杖難事] ( 1573 頁) 弘安2年4月 通解(意訳)   飢えた時に食べ物を求めて、のどが渇いた時に水を欲しがるように、恋しい人を見たいように、病気になって薬を頼りにするように、美しい人が紅や白粉(おしろい)をつけるのと同じように、法華経には信心をしていきなさい。     English Translations " Persecution by Sword and Staff "   As you crave food when hungry, seek water when thirsty, long to see a lover, beg for medicine when ill, or as a beautiful woman desires powder and rouge, so should you put your faith in the Lotus Sutra. If you do not, you will regret it later.   April, 1279 "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 962 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)   As you crave food when hungry, seek water when thirsty, long to see a lover, beg for medicine when ill, or as a beautiful woman desires powder and rouge, so should you put your faith in the Lotus Sutra. Rather, it is

今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし - Now, in the Latter Day of the Law, neither the Lotus Sutra nor the other sutras lead to enlightenment.

イメージ
本文   今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし   上野殿御返事[末法要法御書](1545頁) 弘安元年(1278年)4月 通解(意訳)   今、 末法に入ったなら、釈尊の説いた法華経以前の法門(余経)は当然ながら、唯一の正法である法華経の経典でさえも無益である。ただ、法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」だけが成仏への直道なのである。     English Translations " The Teaching for the Latter Day "   Now, in the Latter Day of the Law, neither the Lotus Sutra nor the other sutras lead to enlightenment.  Only Nam-myoho-renge-kyo  [; the heart of the Lotus Sutra, ] can do so. April, 1278 "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 903 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり - The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind.

イメージ
本文   法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり、されば経に云く「此の 経は則ち為 閻浮提の人の病の良薬なり 若し 人 病有らんに 是の経を聞くことを得 ば病即消滅して不老不死ならん」 等云云   太田左衛門尉御返事[方便寿量肝心事](1015頁) 弘安元年4月 通解(意訳)   法華経という御経は身心の諸々の病の良薬である。だから、法華経の薬王品第23に「この経はすなわちこれ、閻浮提(えんぶだい=全世界)の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞き、発心して信心に励むことができれば、病はすぐに治って不老不死となるであろう」等とある。     English Translations " On the Importance of the “Expedient Means” and “Life Span” Chapters "    The sutra known as the Lotus Sutra is good medicine for the various ills of body and mind.  Thus it states: “This sutra provides good medicine for the ills of the people of Jambudvīpa. If a person who has an illness is able to hear* this sutra, then his illness will be wiped out and he will know neither old age nor death.” *[" When you can hear this sutra, make up your mind and apply yourself to faith"  ] April, 1278 "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 747 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography :

地獄の苦み ぱっときへて - the sufferings of hell will vanish instantly.

イメージ
本文   涅槃経に 転重軽受 と申す法門あり、先業の 重き 今生につきずして 未来に地獄の苦を受くべきが 今生にかかる重苦に値い候へば 地獄の苦み ぱっときへて 死に候へば 人天・三乗・一乗の益を うる事の候     転重軽受法門 (1000頁) 文永8年(1271年)10月 通解(意訳)   涅槃経に「転重軽受(てんじゅうきょうじゅ、重きを転じて軽く受く)」という教えがある。過去世で犯してきた罪や宿業が重くて今世だけでは消えず、来世でも地獄の苦しみを受けるべきだったところが、法華経の行者となった事で、その罪業が軽くなって今世に出てきたのである。これを信心で乗り越えることで、地獄の苦しみは ぱっと消えて、今世で全ての罪業を消し去ることができるのである。さらに、信心を持って死んだなら、様々な妙法の利益を受けることができるのである。   「転重軽受」の法門とは、どんな苦難に出会ったとしても「もっと重い苦難があったかもしれないが、これだけで済んだ」と前向きに捉える考え方である。苦難に真っ向から向き合い、宿命を自分の使命に変え、自身の生きていく意味を見出すことができるのが、日蓮仏法であり、妙法に縁したことで功徳を受けることができるのである。     English Translations " Lessening One’s Karmic Retribution "    The Nirvana Sutra teaches the principle of lessening one’s karmic retribution. If one’s heavy karma from the past is not expiated within this lifetime, one must undergo the sufferings of hell in the future, but if one experiences extreme hardship in this life [because of the Lotus Sutra], the sufferings of hell will vanish instantly.  And when one dies, one will obtain

教主釈尊とは我等衆生の事なり - Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, who said numberless major world system dust particle kalpas ago, “I am the only person [who can rescue and protect others],” refers to living beings like ourselves.

イメージ
本文   法華経の行者となりて無始色心・本是理性・ 妙境妙智・金剛不滅の仏身とならん事 あに かの仏にかわるべきや、過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教 主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり   船守弥三郎許御書  [ 伊豆流罪事 ] (1446頁) 弘長元年(1261年)6月 通解(意訳)     法華経の行者になったなら、 永遠に生死を繰り返してきた凡夫の生命に本来備わっている、 無限の可能性を秘めた 仏の境涯 を開く事ができる。妙法の当体である御本尊は自分自身の胸中に存在している仏性である事を自覚し、 信心を深く奮い起こしていくことで、何ものにも破壊されることない「絶対的な幸福境涯」を確立できるのである。  この仏の境涯は、一切衆生 に等しく備わっているのだから、どうして 釈尊の仏の境涯と異なることがあろうか。  過去久遠五百塵点、 唯我一人の 教主釈尊とは、末法に涌現する地涌の菩薩の上首・上行菩薩の日蓮大聖人であり、日蓮門下である我ら地涌の菩薩なのである。 我ら凡夫の生命の変化の内に仏界が備わっているという「一念三千の法理」の生命哲学を、一切衆生に常に説いていく事が地涌の菩薩の使命であり、広宣流布の振舞いなのである。 -本文の読み方- 無 の 始 めから生死を繰り返してきた 身心 、 是 れには元( 本 ) から、仏 性 が内在しているという 理 り(ことわり=法理) が備わっている。 (無始色心・ 本是理性、 むし しきしん・ ほん ぜ りしょう)   妙 法で仏の 境 涯を開き、 妙 法とは自身に備わっている仏性である事を 智 覚し(妙境・ 妙智 、 みょうきょう・みょうち)、金剛不滅(こんごうふめつ)の仏性を開いた身心が、 どうして、かの釈迦仏の仏性と異なることがあろうか。  過去 久遠五百塵点の 当初 (くおん ごひゃく じんてん の  そのかみ )、唯我一人(ゆいが いちにん)の教主釈尊とは、我々衆生のことである。これが法華経の一念三千の法門であり、我々、地涌の菩薩が仏の境涯を開いて、 此 の地に 常住 し、成仏するための正 法 を 説 いていく(常住此説法・じょうじゅう し せっぽう)、広宣流布という振舞いに当たるのである。     Englis