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一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo

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本文 法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、 わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし ほけきょう の かんじん・しょぶつ の がんもく たる みょうほうれんげきょう の ごじ・まっぽう の はじめ に いち えんぶだい に ひろまらせ たもう べき ずいそう に にちれん さきがけ したり、 わとうども にじん さんじん つづきて かしょう・あなん にも すぐれ てんだい・でんぎょう にも こえよかし 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (910~911頁)  建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に広まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。  英語で御書 Gosho in English Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even  Mahākāshyapa, Ānanda, Ashvaghosha, Nāgārjuna, Nan-yüeh, T’ien-t’ai, Miao-lo, or Dengyō has propagated them. My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa or Ānand

さいわいは心よりいでて我をかざる - Fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect.

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本文 わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる わざわいは くちより いでで みを やぶる・ さいわいは こころより いでて われを かざる 十字御書 むしもちごしょ (1492頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 災事は口から出て、災難を呼び寄せて、自分自身の身を滅ぼす元となる。 幸福とは誠意と真心からの振舞いから、幸福を呼び寄せて、どのような宝石よりも自分自身を輝かせる事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English Misfortune comes from one’s mouth and ruins one, but fortune comes from one’s heart and makes one worthy of respect. " New Year’s Gosho "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1137 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese わざわいは口より出でて 身をやぶる・ さいわいは 心よりいでて我をかざる WAZAWAI WA KUCHI YORI IDETE MI WO YABURU・ SAIWAI WA KOKORO YORI IDETE WARE WO KAZARU 十字御書 MUSHIMOCHI GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

闇の中に影あり人此をみず - There are shadows in the darkness, but people cannot discern them.

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本文 闇の中に影あり 人 此をみず 虚空に鳥の飛跡あり 人 此をみず・大海に魚の道あり 人 これをみず 月の中に四天下の人物 一もかけず 人 此をみず、而りと いへども 天眼は此をみる。 日女御前の御身の内心に 宝塔品 まします 凡夫は見ずと いへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮 又 此を すいす・あら たうとし・たうとし やみの なかに かげあり ひと これを みず こくうに とりの とぶ あと あり ひと これをみず・たいかいに さなかの みち あり ひと これを みず つきの なかに してんげの じんぶつ ひとりも かけず ひと これを みず、しかりと いえども てんがんは これを みる。 にちにょ ごぜんの おんみの ないしんに ほうとうぼん まします ぼんぷは みずと いえども しゃか・たほう・じっぽうの しょぶつは ごらんあり、にちれん また これを すいす・あら とうとし・とうとし 日女御前御返事 にちにょごぜんごへんじ [嘱累品等大意] るいぞくほんとうたいい (1250頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 闇の中に影があっても、人はこれを見ることはできない。空には鳥の飛ぶ道があるが、人はこれを見ることはできない。大海に魚の泳ぐ道があるが、人はこれを見ることが出来ない。月の中に世界中の人々が一人もかけず映っているが、人はこれを見ることはできないのである。しかし天眼はこれを見ることができる。 日女御前の御身の内に、厳然と宝塔品(=仏界、仏の生命)は存在している。人の眼(凡夫の眼)には見えなくても、釈迦・多宝・十方の諸仏は御覧になっているのである。日蓮もまた、この事を推察するのである。尊い事である、尊い事である。  英語で御書 Gosho in English There are shadows in the darkness, but people cannot discern them. There are trails in the sky where birds fly, but people cannot recognize them. There are paths in the sea along which fish swim, but people cannot per

過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか - It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this.

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本文 過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、 「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ かこの しゅくえん おい きたって こんど にちれんが でしと なり たもうか・しゃか たほうこそ ごぞんじ そうらめ、 「ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう」よも そらごと そうらわじ 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1338頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去世からの宿縁に導かれて、今世に日蓮と同じ日本の国土に共に生まれ、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそご存知のことであろう。 法華経化城喩品第7に、「あらゆる場所の、あらゆる諸仏の国土に、常に師と同じ時・同じ場所に生まれる」(在在諸仏土常与師倶生、ざい ざい しょ ぶつ ど じょう よ し ぐ しょう)と書かれていることが、まさか嘘であるはずがない。 生死を貫く師弟の絆 「あなた(初代会長・牧口常三郎先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。  そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身でもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。 なんたるしあわせでございましょうか」 -戸田城聖 「この一言に私は感動した。 それと同じ心で私もまた戸田先生にお仕えしようと決めた。 師に捧げた、わが人生に一つの後悔もない」 -池田大作 英語で御書 Gosho in English It must be ties of karma from the distant past that have destined you to become my disciple at a time like this. Shakyamuni and Many Treasures certainly realized this truth. The sutra’s statement, “Those persons who had heard the Law dwelled here and there in various Buddha lands, constantly reborn in c

元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ - The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra

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本文 法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶 備われ 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ 元品の無明は第六天の魔王と顕われたり ほっけしゅう の こころ は いちねん さんぜん・しょうあく しょうぜん・みょうかく の くらい に なお そなわれ がんぽん の ほっしょう は ぼんてん・たいしゃく とう と あらわれ がんぽん の むみょう は だいろくてん の まおう と あらわれたり 治病大小権実違目 じびょうだいしょうごんじついもく (997頁) 弘安元年6月 (1278年) 通解(意訳) 日蓮仏教の根本である、一念三千の法門に人の心(境涯)の善悪を照らせば、善の心も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、心のあらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。  英語で御書 Gosho in English The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment. The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra, whereas the fundamental darkness manifests itself as the devil king of the sixth heaven. " The Treatment of Illness " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1113 [ --- ] is liberal tran

御みやづかいを法華経とをぼしめせ - Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra.

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本文 御みやづかいを法華経とをぼしめせ、 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり おん みやづかいを ほけきょうと おぼしめせ、 「いっさい せけんの ちせい さんぎょうは みな じっそうと あい いはい せず」とは これなり 檀越某御返事 だんおつぼうごへんじ (1295頁) 弘安元年4月 (1278年) 通解(意訳) あなたの仕事が、そのまま法華経の修行なのだと思いなさい。 法華経に「社会全般の政治・経済・産業・日常生活は皆、法華経と相反する事はない」と説かれているのは、このことである。 仕事も、日常生活も、すべてが法華経の教えの根本である「誠実な振る舞い」が基本となっているのである。    英語で御書 Gosho in English Regard your service to your lord as the practice of the Lotus Sutra. This is what is meant by “No worldly affairs of life or work are ever contrary to the true reality.” " Reply to a Believer " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 905 in April, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Regard your work as the practice of the Lotus Sutra. Because the work and everyday life are all based on "The Behavior of sincerely" which is the basis of the Lotus Sutra. Gosho in Japanese 御 みやづかい を 法華経 と をぼしめせ、 「一切 世間 の 治生 産業 は 皆 実相 と 相 違背 せず」とは 此れ なり ON MIYAZUKAI WO HOKEK

未来も又しかるべし、是 あに地涌の義に非ずや - Propagation will unfold this way in the future as well. Does this not signify “emerging from the earth”?

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本文 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、 未来も又しかるべし、是 あに地涌の義に非ずや、 剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし にちれん ひとり はじめ は なんみょうほうれんげきょう と となえしが、ににん・さんにん・ひゃくにん と しだい に となえ つたうる なり、 みらい も また しかるべし、 これ あに じゆ の ぎ に あらずや、 あまつさえ こうせんるふ の とき は にほん いちどう に なんみょうほうれんげきょうと となえん こと は だいち を まと と する なるべし 諸法実相抄 しょほうじっそうしょう (1360頁) 文永10年5月 (1273年) 通解(意訳) はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。 未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。 そればかりか広宣流布のときは、あらゆる人達が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。 英語で御書 Gosho in English At first only Nichiren chanted Nam-myoho-renge-kyo, but then two, three, and a hundred followed, chanting and teaching others. Propagation will unfold this way in the future as well. Does this not signify “emerging from the earth”? At the time when the Law has spread far and wide, the entire Japanese nation will chant Nam-myoho-renge-kyo, as surely as an arrow aimed at the earth cannot miss the target. " The True Aspect of All Phenomena "  "The Writings of Nich

きわめて・まけじたましの人 - A man who never gives in to defeat

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本文 きわめて・まけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり きわめて・まけじたましの ひとにて わが かたの こと をば だいじと もうす ひと なり 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) (四条金吾は) 極めて負けじ魂の人で、自分の味方の事を大切にする人である。  英語で御書 Gosho in English He is a man who never gives in to defeat and who greatly values his friends. [He: Shijō Kingo.] " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 There is an opinion of January or February, 1279. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese きわめて・まけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり KIWAMETE・MAKEJI-TAMASHI NO HITO NITE WAGA KATA NO KOTO WOBA DAIJI TO MŌSU HITO NARI 可延定業書 KA-EN-JŌ-GŌ-SHO [定業延命抄] JŌ-GŌ-ENMEI-SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし - While those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces

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本文 末代の法華経の行者を供養するは 十号を具足し まします 如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり、 又濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし まつだい の ほけきょう の ぎょうじゃ を くよう する は じゅうごう を ぐそく し まします にょらい を くよう し たてまつる にも その くどく すぎたり、 また じょくせ に ほけきょう の ぎょうじゃ あらん を るなん を なさん ひと は こうべ しちぶん に わる べし 国府尼御前御書 こうあまごぜんごしょ [佐渡給仕御書] さどきゅうじごしょ (1324頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) 末代の法華経の行者を供養することは、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているということである。 また五濁悪世(末法)に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭(心、精神)が七つに破れるということである。   英語で御書 Gosho in English The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age exceed even those from making offerings to a Thus Come One endowed with the ten honorable titles, while those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces. " Letter to the Lay Nun of Kō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 595 in July, 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Heads: Minds, or souls Gosho in Japane

持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし - If the Law that one embraces is supreme, then the person who embraces it must accordingly be foremost among all others.

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本文 一切の仏法も 又 人によりて弘まるべし 之に依つて天台は仏世すら 猶 人を以て法を顕はす  末代いづくんぞ 法は 貴けれども 人は 賎しと云はんやとこそ 釈して御坐候へ、 されば 持たるる法だに第一ならば 持つ人随つて第一なるべし いっさい の ぶっぽう も また ひと に よりて ひろまるべし これに よって てんだい は ぶっせ すら なお ひと を もって ほう を あらわす まつだい いずくんぞ ほう は たっとけれども ひと は いやし と いわんや と こそ しゃく して おわし そうらへ、 されば もたるる ほう だに だいいち ならば もつ ひと また したがって だいいち なるべし 持妙法華問答抄 じみょうほっけもんどうしょう (465~466頁) 弘長3年 (1263年) 通解(意訳) 一切の仏法もまた人によって弘まる。これに寄せて天台大師は「仏(釈尊)の在世でさえ、なお人によって法をあらわす。末代にあっても、どうして法は貴いけれども人は賎しいとはいえようか」と解釈されている。それゆえ、持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。  英語で御書 Gosho in English All the various teachings of the Buddha are spread by persons. As T'ien-t'ai said: “Even during the Buddha's lifetime, the Law was revealed by people. How, then, in the latter age, can one say that the Law is worthy of respect, but that the person who upholds it is to be despised?” Hence, if the Law that one embraces is supreme, then the person who embraces it must accordingly be foremost among all others. " Questions and Answers about Embrac

蒼蠅驥尾に附して万里を渡り - A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles

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本文 蒼蠅 驥尾に附して 万里を渡り 碧蘿 松頭に懸りて 千尋を延ぶ、 弟子 一仏の子と生れて 諸経の王に事う、何ぞ 仏法の衰微を見て 心情の哀惜を起さざらんや そうよう きび に ふ して ばんり を わたり へきら しょうとう に かかりて せんじん を のぶ、 でし いちぶつ の こ として うまれて しょきょう の おう に つかう、なんぞ ぶっぽう の すいび を みて しんじょう の あいせき を おこさざらんや 立正安国論 りっしょうあんこくろん (26頁) 文応元年7月 (1260年) 通解(意訳) 小さな青バエも、駿馬の尾につかまれば万里を渡ることができ、みどりのツル草は大きな松の枝先に寄り掛かれば、千尋も高く延びることができる、というたとえもある。 たとえ器は小さくとも、仏弟子である私は、第一の仏である釈尊の子と生まれて、あらゆる宗教の王である法華経に仕え信じている。 どうして仏法が衰弱していくのをみて、哀れ惜しむ心情を起こさないでいられようか   英語で御書 Gosho in English A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles, and the green ivy that twines around the tall pine can grow to a thousand feet. I was born as the son of the one Buddha, Shakyamuni, and I serve the king of scriptures, the Lotus Sutra. How could I observe the decline of the Buddhist Law and not be filled with emotions of pity and distress? " On Establishing the Correct Teaching  for the Peace of the Land " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol

籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる - When a caged bird sings, the many birds flying in the sky all gather around it at once

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本文 上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで 所有 一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、 されば一遍此の首題を唱へ奉れば 一切衆生の仏性が皆よばれて 爰に集まる時 我が身の法性の法 報 応の三身 ともに・ひかれて顕れ出ずる 是を成仏とは申すなり、 例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる 是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し かみ は ひそう の くも の うえ・しも は ならく の ほのお の そこ まで いわゆる いっさいしゅじょう の そなうる ところ の ぶっしょう を みょうほうれんげきょう とは なづくる なり、 されば いっぺん この しゅだい を となえ たてまつれば いっさいしゅじょう の ぶっしょう が みな よばれて ここ に あつまる とき わが み の ほっしょう の ほっぽうおう の さんじん とも に ひかれて あらわれ いずる これ を ぶっしょう とは もうす なり、 れいせば かご の うち に ある とり の なく とき・そら を とぶ しゅうちょう の どうじ に あつまる これ を みて かご の うち の とり も いでん と する が ごとし 聖愚問答抄・下  しょうぐもんどうしょう・げ (498頁)  文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 上は想像もつかない雲の上にいるような生命の状態の者から、下は地獄の炎の底にいるような生命の状態の者まで、あらゆる者の生命に本来備えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。 そうであるから、一遍でもこの妙法蓮華経と唱へたてまつれば、あらゆる者の仏性が皆呼ばれて、そこに集まる時、自己の生命の中の法・報・応の三身(仏の生命力)がともに引かれて顕れ出る。これを成仏というのであり、成仏とは、妙法蓮華経と唱えた瞬間に、即ぐに自己の仏の生命を成く(ひらく)という意味なのである。 たとえば籠の内いる鳥が鳴く時、その鳴き声を聞いて、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる、これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。 英語で御書 Gosho in English All living beings from the realm where there is neither thought nor

鉄は炎打てば剣となる - Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword

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本文 鉄は炎打てば剣となる 賢聖は罵詈して試みるなるべし、 我今度の御勘気は世間の失一分もなし 偏に先業の重罪を今生に消して 後生の三悪を脱れんずるなるべし くろがね は きたい うてば つるぎ と なる けんしょう は めり して こころみる なる べし われ こんど の ごかんき は せけん の とが いちぶん も なし ひとえ に せんごう の じゅうざい を こんじょう に けして ごしょう の さんあく を まぬがれんずる なるべし 佐渡御書 さどごしょ [富木殿等御返事] ときどのとうごへんじ (956頁) 文永9年3月 (1272年) 通解(意訳) 鉄は炎に入れて、熱して鍛え打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。 日蓮が今回受けた佐渡流罪の罪については、世間(今世)での罪は少しもない。 ただ、過去世の重罪を今生に消滅して、来世に三悪に堕すことを脱れることになるのであろう。 仏法者として生きていく上で、様々な困難に直面し、戦い抜いていくことで、自身の過去世からの宿業が、今世において表面に現れる。 この宿業を取り除くために、「今こそ自分の信心が試されている時だ」と決意し、強い信心で乗り越えることで、自身の宿命転換を成し遂げることができる。 苦難に直面した時こそ、強靭な信心を確立し、強い自分に変わるチャンスなのである。 英語で御書 Gosho in English Iron, when heated in the flames and pounded, becomes a fine sword. Worthies and sages are tested by abuse. My present exile is not because of any secular crime.  It is solely so that I may expiate in this lifetime my past grave offenses and be freed in the next from the three evil paths. " Letter from Sado "  "The Writings of Nichiren Daishonin",

一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか - If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet?

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本文 一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか いちじょうのほりを・こえぬものじゅうじょう・にじゅうじょうのほりを・こうべきか 種種御振舞御書 しゅじゅおふるまいごしょ [佐渡抄] さどしょう (912頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 一丈(約3m)の幅の堀を超えられない者が、十丈、二十丈の堀を超えることができようか。 何事も成し遂げるには、小さな挑戦とその勝利を繰り返していく事で、無理だと思われる困難を乗り越え、勝利をつかむ事ができるのである。  英語で御書 Gosho in English If a person cannot manage to cross a moat ten feet wide, how can he cross one that is a hundred or two hundred feet? " The Actions of the Votary of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 766 in February, 1272. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To accomplish anything, by repeating small challenges and their victories, you can overcome seemingly impossible difficulties and win. Gosho in Japanese 一丈 の ほり を・こへぬもの 十丈・二十丈 の ほり を・こう べき か ICHI-JŌ NO HORI WO・KORENU MONO JŪ-JŌ・NIJŪ-JŌ NO HORI WO・KOU BEKI KA 種種 御振舞 御書 SHUJU OFURUMAI GOSHO [佐渡 抄] SADO SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "Th

法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり - The heritage of the Lotus Sutra flows within the lives of those who never forsake it in any lifetime whatsoever

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本文 過去に法華経の結縁 強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事 疑 有るべからず、 過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり  かこに ほけきょうの けつえん ごうじょうなる ゆえに げんざいに この きょうを じゅじす、みらいに ぶっかを じょうじゅ せん こと うたがい ある べからず、 かこ の しょうじ・げんざい の しょうじ・みらい の しょうじ・さんぜ の しょうじ に ほけきょう を はなれ きれざる を ほっけ の けつみゃくそうじょう とは いうなり 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1337頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) 過去世において、強盛に法華経を信受してきたことが縁となって、現世でこの法華経を受持したのである。来世においても法華経と縁し、仏果を成就することは疑う余地がない。 過去、現在、未来と、三世の生死に渡って、法華経から離れず受持し続けることを、法華経の血脈相承というのである。 英語で御書 Gosho in English My followers are now able to accept and uphold the Lotus Sutra because of the strong ties they formed with it in their past existences. They are certain to obtain the fruit of Buddhahood in the future. The heritage of the Lotus Sutra flows within the lives of those who never forsake it in any lifetime whatsoever—whether in the past, the present, or the future. " The Heritage of the Ultimate Law of Life " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 216 Februar

鬼神めらめ 此の人を なやますは 剣を さかさまに・のむか - You demons, by making this man suffer, are you trying to swallow a sword point first

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本文 鬼神めらめ 此の人を なやますは 剣を さかさまに・のむか 又 大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、 あなかしこ・あなかしこ、此の人の やまいを忽に なをして・かへりて まほりと なりて 鬼道の大苦を ぬくべきか  きじん めらめ この ひと を なやます は つるぎ を さかさま に・のむ か また だいか を いだくか、さんぜ じっぽう の ほとけ の だいおんてき と なるか、 あなかしこ・あなかしこ、この ひと の やまい を たちまちに なおして・かえりて まもり と なりて きどう の だいく を ぬく べきか 法華証明抄 ほっけしょうめいしょう [死活抄] しかつしょう (1587頁) 弘安5年2月 (1282年) 通解(意訳) 鬼神達め、法華経の行者である人を病気で悩ますとは、剣を逆に飲むか、または大火を抱くか、さらには三世十方の仏の大怨敵となろうとするのか。 (あなかしこ=くれぐれも、の意味あり) これを恐ろしく思うのであれば、この人の病をたちまちに冶して、かえって守護の善神となって、鬼神らこそ餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。 英語で御書 Gosho in English You demons, by making this man suffer, are you trying to swallow a sword point first, or embrace a raging fire, or become the archenemy of the Buddhas of the ten directions in the three existences? How terrible this will be for you! Should you not cure this man’s illness immediately, act rather as his protectors, and escape from the grievous sufferings that are the lot of demons? " The Proof of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishon

善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり - One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha.

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本文 本末究竟と申すは 本とは 悪のね 善の根・末と申すは 悪の をわり 善の終り ぞかし、 善悪の根本 枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり ほんまつくきょう と もうすは ほん とは あく の ね ぜん の ね・まつ と もうすは あく の おわり ぜん の おわり ぞかし、 ぜん あく の こんぽん しよう を さとり きわめたるを ほとけ とは もうすなり 減劫御書 げんこうごしょ [智慧亡国書] ちえぼうこくしょ (1466頁) 建治2年以後 (1276年) 通解(意訳) 本末究竟(ほんまつくきょう、勤行・方便品第二の最後にある、『所為諸法。如是相。如是性。。。如是本末究竟等。』の、十如是の箇所)というのは、本とは悪の根本・善の根本であり、末というのは悪の終わり、善の終わりのことである。善悪の根本から枝葉までを悟り極めているのを仏というのである。 英語で御書 Gosho in English In the phrase “consistency from beginning to end,” “beginning” indicates the root of evil and the root of good, and “end” indicates the outcome of evil and the outcome of good. One who is thoroughly awakened to the nature of good and evil from their roots to their branches and leaves is called a Buddha. " The Kalpa of Decrease " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1120 After 1276. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  In the phrase : The Part of the Gongyo from "SHO-I-SHO-HO" to "NYO-

仏法は体のごとし 世間はかげのごとし - Buddhism is like the body, and society like the shadow.

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本文 仏法やうやく顛倒しければ 世間も又 濁乱せり、仏法は体のごとし 世間はかげのごとし 体曲れば影ななめ なり ぶっぽう ようやく てんとう し ければ せけんも また じょくらんせり、 ぶっぽうは からだの ごとし せけんは かげの ごとし からだ まがれば かげ ななめなり 諸経と法華経の難易の事 しょきょうとほけきょうのなんいのこと [難信難解法門] なんしんなんげほうもん (992頁) 弘安3年5月 (1280年) 通解(意訳) 仏法が年月が経つにつれて本末転倒し、曲がった解釈が広がってしまったので、世間もまた濁り乱れてしまった。 仏法は全宇宙の万理の法則の本体であり、世間の法はその影のようなものである。例えて言えば、体が曲がれば、影も斜めになる事と同じようなものである。 間違った法を用いて国を治めたなら、その国土は乱れて、民もまた乱れる。間違った法を信じれば、その者の性分も曲がり、乱れてしまうのである。 英語で御書 Gosho in English Buddhism has gradually been turned upside down, the secular world also has been plunged into corruption and chaos. Buddhism is like the body, and society like the shadow. When the body bends, so does the shadow. " A Comparison of the Lotus and Other Sutras " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1039 in May, 1280.  [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Buddhism is the body of a law in a metagalaxy. And a law in the world is the one like its shadow. If a country was ruled u