闇の中に影あり人此をみず - There are shadows in the darkness, but people cannot discern them.



本文
闇の中に影あり 人 此をみず 虚空に鳥の飛跡あり 人 此をみず・大海に魚の道あり 人 これをみず 月の中に四天下の人物 一もかけず 人 此をみず、而りと いへども 天眼は此をみる。
日女御前の御身の内心に 宝塔品 まします 凡夫は見ずと いへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮 又 此を すいす・あら たうとし・たうとし
やみの なかに かげあり ひと これを みず こくうに とりの とぶ あと あり ひと これをみず・たいかいに さなかの みち あり ひと これを みず つきの なかに してんげの じんぶつ ひとりも かけず ひと これを みず、しかりと いえども てんがんは これを みる。
にちにょ ごぜんの おんみの ないしんに ほうとうぼん まします ぼんぷは みずと いえども しゃか・たほう・じっぽうの しょぶつは ごらんあり、にちれん また これを すいす・あら とうとし・とうとし
日女御前御返事
にちにょごぜんごへんじ
[嘱累品等大意]
るいぞくほんとうたいい
(1250頁)
弘安元年6月
(1278年)

通解(意訳)
闇の中に影があっても、人はこれを見ることはできない。空には鳥の飛ぶ道があるが、人はこれを見ることはできない。大海に魚の泳ぐ道があるが、人はこれを見ることが出来ない。月の中に世界中の人々が一人もかけず映っているが、人はこれを見ることはできないのである。しかし天眼はこれを見ることができる。
日女御前の御身の内に、厳然と宝塔品(=仏界、仏の生命)は存在している。人の眼(凡夫の眼)には見えなくても、釈迦・多宝・十方の諸仏は御覧になっているのである。日蓮もまた、この事を推察するのである。尊い事である、尊い事である。 

英語で御書
Gosho in English
There are shadows in the darkness, but people cannot discern them. There are trails in the sky where birds fly, but people cannot recognize them. There are paths in the sea along which fish swim, but people cannot perceive them. All people and things of the four continents are reflected in the moon without a single exception, but people cannot see them. But they are visible to the heavenly eye.
In like manner, ordinary people cannot see that the “Treasure Tower” chapter exists within the body of Nichinyo, but Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions perceive it.
 I, Nichiren, also presume this to be the case. How praiseworthy! 
" An Outline of the “Entrustment” and Other Chapters "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 915 - 916.
in June, 1278.
in Month, 12xx.
[ --- ] is liberal translation.
Gosho in Japanese
闇 の 中 に 影 あり 人 此 を みず 虚空 に 鳥 の 飛 跡 あり 人 此 を みず・大海 に 魚 の 道 あり 人 これ を みず 月 の 中 に 四天下 の 人物 一 も かけず 人 此 を みず、而り と いへども 天眼 は 此 を みる。
日女 御前 の 御身 の 内心 に 宝塔品 まします 凡夫 は 見ず と いへども 釈迦・多宝・十方 の 諸仏 は 御らん あり、日蓮 又 此を すいす・あら たうとし・たうとし
YAMI NO NAKA NI KAGE ARI HITO KORE WO MIZU KOKŪ NI TORI NO TOBU ATO ARI HITO KORE WO MIZU・
TAIKAI NI SAKANA NO MICHI ARI HITO KORE WO MIZU TSUKI NO NAKA NI SHITENGE JINBUTSU HITORI MO KAKEZU HITO KORE MIZU, SHIKARI TO IEDOMO TENGAN WA KORE WO MIRU.
NICHINYO GOZEN NO ON-MI NO NAISHIN NI HŌTŌBON MASHIMASU
BONPU WA MIZU TO IEDOMO SHAKA・TAHOU・JIP'PO NO SHOBUTSU WA GORAN ARI, NICHIREN MATA KORE WO SUI-SU・ARA TOUTOSHI・ARA TOUTOSHI
日女御前御返事
NICHINYO GOZEN GOHENJI
[嘱累品等大意]
RUIZOKU-HON TOU TAII
参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」
「御書をひもとく」
「英語で学ぶ御書」
第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"

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