濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし - While those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces
本文
末代の法華経の行者を供養するは 十号を具足し まします 如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり、
又濁世に法華経の行者あらんを留難をなさん人は頭七分にわるべし
まつだい の ほけきょう の ぎょうじゃ を くよう する は じゅうごう を ぐそく し まします にょらい を くよう し たてまつる にも その くどく すぎたり、
また じょくせ に ほけきょう の ぎょうじゃ あらん を るなん を なさん ひと は こうべ しちぶん に わる べし
国府尼御前御書
こうあまごぜんごしょ
[佐渡給仕御書]
さどきゅうじごしょ
(1324頁)
建治元年6月
(1275年)
通解(意訳)
末代の法華経の行者を供養することは、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているということである。
また五濁悪世(末法)に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭(心、精神)が七つに破れるということである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
The blessings from making offerings to a votary of the Lotus Sutra in the latter age exceed even those from making offerings to a Thus Come One endowed with the ten honorable titles, while those who persecute a votary of the Lotus Sutra in the defiled age will have their heads split into seven pieces.
" Letter to the Lay Nun of Kō "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 595
in July, 1275.
[ --- ] is liberal translation.Heads: Minds, or souls
Gosho in Japanese
末代 の 法華経 の 行者 を 供養 する は 十号 を 具足 し まします 如来 を 供養 し たてまつる にも 其 の 功徳 すぎたり、
又 濁世 に 法華経 の 行者 あらん を 留難 を なさん 人 は 頭 七分 に わるべし
MATSUDAI HOKEKYO NO GYŌJA WO KUYOU SURU HITO WA JŪGŌ WO GUSOKU SHI MASHIMASU NYORAI WO KUYOU SHI TATEMATSURU NIMO SONO KUDOKU SUGITARI,
MATA JOKUSE NI HOKEKYO NO GYŌJA ARAN WO RUNAN WO NASAN HITO WA KOUBE SHITIBUN NI WARU BESHI
国府尼御前御書
KŌ AMA GOZEN GOSHO
[佐渡給仕御書]
SADO KYŪJI GOSHO
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