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仏になりやすき事は別のやう候はず - The way to become a Buddha easily is nothing special.

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本文 仏にやすやすとなる事の候ぞ・をしへ まいらせ候はん、 人の ものを をしふる と 申すは 車のおもけれども 油を ぬりてまわり・ふねを水にうかべて ゆき やすき やうに をしへ候なり、 仏になりやすき事は 別のやう候はず、 旱魃に かわけるものに 水をあたへ・寒冰に こごへたるものに 火を あたふる が ごとし ほとけ に やすやす と なる こと の そうろう ぞ・おしえ まいらせ そうらわん、 ひと の もの を おしうる と もうす は くるま の おもけれども あぶら を ぬりて まわり・ふね を みず に うかべて ゆきやすき ように おしえ そうろう なり、 ほとけ に なりやすき こと は べつ の よう そうらわず、 かんばつ に かわける もの に みず を あたえ・かんひょう に こごえたる もの に ひ を あたうる が ごとし 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [須達長者御書] すだつちょうじゃごしょ (1574頁) 弘安3年12月 ( 1280年) 通解(意訳) 仏に安々と成れる方法を、教えて差し上げよう。 人がものを教えるというのは、車が重かったとしても、油を塗って車輪の回りをよくし、船を水に浮かべて、岸辺に行きやすくなるように教えるようなものである。 仏に成りやすい方法というのは、特別なことではない。干ばつの時、喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。 英語で御書 Gosho in English I will teach you how to become a Buddha easily. Teaching another something is the same as oiling the wheels of a cart so that they turn even though it is heavy, or as floating a boat on water so that it moves ahead easily. The way to become a Buddha easily is nothing special. It is the same as giving water to a thirsty person in a

法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし - The Lotus Sutra surpasses all the other sacred teachings of the Buddha’s lifetime because of the “Life Span” chapter

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本文 命と申す物は一身第一の珍宝なり 一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、 法華経の一代の聖教に超過して いみじきと申すは寿量品のゆへぞかし いのち と もうす もの は いっしん いちだい の ちんぽう なり いちにち なり とも・これを のぶる ならば せんまんりょう の こがね にも すぎたり、 ほけきょう の いちだい の せいきょう に ちょうか して いみじき と もうす は じゅりょうほん の ゆえ ぞかし 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (986頁) 弘安2年(1279年) 1月~2月の説有り 通解(意訳) 命というものは人間が持っている第一の珍しい宝である。一日でも寿命を延ばすならば、千万両の金にもまさる。法華経が釈尊の説いた説法の中で最も優れている理由は、「あらゆる生命の中に仏性が存在する」ということが、法華経の如来寿量品第十六に説かれているからであり、その生命を一日でも長く寿命を延ばす事ができるからである。 *私達が日々実践している勤行の「妙法蓮華経如来寿量品第十六(みょうほうれんげきょう にょうらいじゅりょうほん だい16」は、この「法華経如来寿量品第十六」から抜粋したものです。 英語で御書 Gosho in English Life is the most precious of all treasures. Even one extra day of life is worth more than ten million ryō of gold. The Lotus Sutra surpasses all the other sacred teachings of the Buddha’s lifetime because of the “Life Span” chapter. " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 There is opinion of February from January, 1279. [ --- ] is liberal tran

身の賎をもつて其の法を軽んずる事なかれ - Do not make light of a teaching just because the person who preaches it is of humble station.

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本文 仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず 只 経文を先きとすべし 身の賎をもつて其の法を軽んずる事なかれ ぶっぽうは あながち に ひと の きせん には よるべからず ただ きょうもん を さき と すべし み の せん を もって その ほう を かろんずる こと なかれ 聖愚問答抄・上 しょう ぐ もんどう しょう・じょう (481頁) 文永2年又は文永5年 (1265年、1268年) 通解(意訳) 相手の信仰している仏法(宗教)が正しいかどうかは、みだりに世間上の身分の上下や外見によって判断してはならない。ただ経文に照らし合わせて判断すべきである。 身分や外見が卑しいからといって、その法を軽んじてはならない。 英語で御書 Gosho in English In matters of Buddhist doctrines one cannot jump to conclusions simply on the basis of the eminence of the person involved. The words of the sutras are what must come first. Do not make light of a teaching just because the person who preaches it is of humble station. " Conversation between a Sage and an Unenlightened Man "  Part One.  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 109 in 1265, or 1277 to 1268 [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仏法 は 強ち に 人 の 貴賎 には 依る べからず 只 経文 を 先き と すべし 身 の 賎 を もつて 其の 法 を 軽んずる 事 なかれ BUP'PO HA ANAGACHI NI HITO NO KISEN NIWA YORU BEKARAZU TADA KYOMON WO SAKI

妙とは蘇生の義なり - Myō means to revive

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本文 妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すは蘇る義なり みょう とは そせい の ぎ なり そせい と もうす は よみがえる ぎ なり 法華経題目抄 ほけきょうだいもくしょう (947頁) 文永3年1月6日 (1266年) 通解(意訳) (南無妙法蓮華経の)妙とは蘇生の意味である。 蘇生とは、悩んで苦しんでいる心や生命が蘇るということである。 英語で御書 Gosho in English Myō means to revive, that is, to return to life. " The Daimoku of the Lotus Sutra "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 149 in January, 1266. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Resuscitation means that the troubled and suffering body and mind is revive. "Myō : 妙" , This is the character of the Nam-Myoho-Renge-Kyo. Gosho in Japanese 妙 とは 蘇生 の 義 なり 蘇生 と 申す は 蘇る 義 なり MYO TOWA SOSEI NO GI NARI SOSEI TO MŌSU WA YOMIGAERU GI NARI 法華経 題目 抄 HOKEKYO DAIMOKU SHŌ 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず - Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong

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本文 夫れ 木をうえ候には 大風吹き候へども つよき すけを かひぬれば・たうれず、本より生いて候 木なれども 根の弱きは・たうれぬ、 甲斐無き者なれども・たすくる者強ければ たうれず、すこし健の者も 独なれば悪しき みちには・たうれぬ それ き を うえ そうろう には おおかぜ ふき そうらえども つよき すけ を かい ぬれば・たうれず、もと より おいて そうろう き なれども ね の よわき は・たうれぬ、 かい なき もの なれども・たすくる もの つよければ たうれず、すこし けなげ の もの も ひとり なれば あしき みち には・たうれぬ 三三蔵祈雨事 さんさんぞうきうのこと (1468頁) 建治元年6月 (1275年) 通解(意訳) そもそも、木を植えた場合、大風が吹いたとしても、強い支柱で支えてあれば倒れない。元々生えていた木であっても、根が弱ければ倒れてしまう。 弱くて不甲斐ない者であっても、助けるものが強ければ倒れない。すこし強くで頑強な者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまうのである。 善き友 『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄り添って、その苦しい『心音』に耳を傾けてあげなければ。  そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English When a tree has been transplanted,though fierce winds may blow, it will not topple if it has a firm stake to hold it up. but even a tree that has grown up in place may fall over if its roots are weak. Even a feeble person will not stumble if those supporting him are strong, but a person of considerable strength, when alone, may fall down on an

南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ - Chant Nam-myoho-renge-kyo with the prayer that your faith will be steadfast and correct at the moment of death.

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本文 相構え相構えて 強盛の大信力を致して 南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、 生死一大事の血脈 此れより外に 全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、 信心の血脈なくんば 法華経を持つとも無益なり あい かまえ あい かまえて ごうじょう の だいしんりき を いたして なんみょうほうれんげきょう・りんじゅうしょうねん と きねん し たまえ、 しょうじいちだいじ の けつみゃく これ より ほか に まったく もとむる こと なかれ、ぼんのう そく ぼだい・しょうじ そく ねはん とは これ なり、 しんじん の けつみゃく なくんば ほけきょう を たもつ とも むやく なり 生死一大事血脈抄 しょうじいちだいじけつみゃくしょう (1337頁) 文永9年2月 (1272年) 通解(意訳) よくよく心して強盛の大信力を起こして、今死んでも悔いはないという覚悟(臨終正念)で、南無妙法蓮華経と祈念しなさい。 生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とはこのことである。信心の血脈がなければ、法華経を持っても無益である。 「師弟不二」の闘争に「信心の血脈」 私は、この絶対勝利の信心を戸田先生から教わりました。戸田先生は、牧口先生から教わりました。牧口先生は、御本尊から、大聖人から、教わりました。ここに創価の師弟の血脈があります。   - 池田大作 英語で御書 Gosho in English Be resolved to summon forth the great power of faith, and chant Nam-myoho-renge-kyo with the prayer that your faith will be steadfast and correct at the moment of death. Never seek any other way to inherit the ultimate Law of life and death, and manifest it in your life. Only then will you realize that earthly desires are enlightenment, and

一念無明の迷信は磨かざる鏡なるべし - A mind now clouded by the illusions of the innate darkness of life is like a tarnished mirror

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本文 一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし 何様にしてか磨くべき 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是を磨くとは云うなり いっしんむみょうの めいしんは みがかざる かがみなり これを みがかば かならず ほっしょうしんにょの みょうきょうと なるべし、 ふかく しんじんを おこして にちやちょうぼに また おこたらず みがくべし いかようにしてか みがくべき ただ なんみょうほうれんげきょうと となえたてまつるを これを みがくとは いうなり 一生成仏抄 いっしょうじょうぶつしょう IS'SHŌ JŌBUTSU SHŌ (384頁) 建長7年 (1255年) 御書 ごしょ [***抄] ***しょう (0頁)  年x月   (12xx年) 通解(意訳) 一念無明の迷信とは、今の悩みや苦しみ等によって迷っている心の状態であり、まだ磨いていない鏡のようなものである。この鏡を磨けば、必ず仏性という本来生命に備わっている仏の生命(法性真如:仏界)を開き、明るく輝く鏡となるのである。 深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠らずに磨いていきなさい。 では、どのように磨けばよいのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これを(生命という鏡を)磨くというのである。 英語で御書 Gosho in English A mind now clouded by the illusions of the innate darkness of life is like a tarnished mirror, but when polished, it is sure to become like a clear mirror, reflecting the essential nature of phenomena and the true aspect of reality. Arouse deep faith, and diligently polish your mirror day and night. How should you polish it? Only by chanting Nam-myoho-renge-kyo. &qu

三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く - the three obstacles and four devils will invariably appear, and the wise will rejoice while the foolish will retreat.

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本文 しをの ひると・みつと 月の出づると・いると・夏と秋と冬と春との さかひには 必ず相違する事あり 凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば  賢者はよろこび愚者は退くこれなり しおのひると・みつとつきのいづると・いると・なつとあきとふゆとはるのさかいにはかならずそういすることあり、 ぼんぷのほとけになるまたかくのごとし、かならずさんしょうしまともうすさわりいできたればけんじゃはよろこびぐしゃはしりぞくこれなり 兵衛志殿御返事 ひょうえのさかんどのごへんじ [三障四魔事] さんしょうしまのこと (1091頁) 建治元年11月 (1275年) 通解(意訳) 潮が干く時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏と秋と冬と春との季節の境目には、必ずそれまでと違う変化が起きる。 凡夫が仏になる時もまたそれらと同じであり、必ず三障四魔という信心を妨げる変化が現れる。その時、信心で乗り越えようとする賢い者はこれを喜び、恐れて信心を捨てようとする愚か者は退いていくのである。 英語で御書 Gosho in English There is definitely something extraordinary in the ebb and flow of the tide, the rising and setting of the moon, and the way in which summer, autumn, winter, and spring give way to each other. Something uncommon also occurs when an ordinary person attains Buddahood. At such a time, the three obstacles and four devils will invariably appear, and the wise will rejoice while the foolish will retreat. " The Three Obstacles and Four Devils " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p

釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へ - Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and take possession of your body to assist you

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本文 釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へ と 観念せさせ給うべし しゃか・たほう・じっぽうのほとけ・らいしゅうしてわがみにいりかわりわれをたすけたまえとかんねんさせたもうべし 弥三郎殿御返事 やさぶろうどのごへんじ (1451頁) 建治3年8月 (1277年) 通解(意訳) 釈迦仏・多宝仏・十方の仏が集い来て我が身に入りかわり、我を助けたまえと、諸天善神や教主釈尊をも揺り動かすような題目を唱え、御祈念していきなさい。 英語で御書 Gosho in English You should pray intently that Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and take possession of your body to assist you. " Reply to Yasaburō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 829 in August, 1277. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  You should chanting the DAIMOKU with momentum that shakes the Buddhas. Gosho in Japanese 釈迦・多宝・十方 の 仏・来集 して 我が 身 に 入りかはり 我 を 助け 給へ と 観念 せさせ 給う べし SHAKA・TAHŌ・JIPPŌ NO HOTOKE・RAISHŪ SHITE WAGA MI NI IRI-KAWARI WARE WO TASUKE TAMAE TO KAN-NEN SASE TAMOU BESHI 弥三郎 殿 御返事 YASABURŌ DONO GOHENJI 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichi

水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり - To have faith like water means to believe continuously without ever regressing.

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本文 法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、 水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり ほけきょう を しんずる ひと あり・あるいは ひ の ごとく しんずる ひと も あり・あるいは みず の ごとく しんずる ひと も あり、 ちょうもん する とき は・もえたつ ばかり おもえども・とおざかり ぬれば・すつる こころ あり、 みず の ごとく と もうす は・いつも・たいせず しんずる なり 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [水火二信抄] すいかにしんしょう (1544頁) 建治4年2月 (1279年) 通解(意訳) 法華経を信ずる人がいる。あるいは火のように信ずる人もあり、あるいは水の流れるように信ずる人もいる。 火のように信ずる人というのは、法華経の法門を聴いたその時は、燃え立つような信心が沸き起こるように思うけれども、時が経つにつれて遠ざかると、その発心した心を忘れてしまうのである。  水のように信ずる人というのは、常に後退せずに信ずる人をいうのである。  英語で御書 Gosho in English Today there are people who have faith in the Lotus Sutra. The belief of some is like fire while that of others is like water. When the former listen to the teachings, their passion flares up like fire, but as time goes on, they tend to discard their faith. To have faith like water means to believe continuously without ever regressing. " The Two Kinds of Faith " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 899 in February,

蒼蝿驥尾に附して万里を渡り - A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles

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本文 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り 碧蘿松頭に懸りて 千尋を延ぶ、 弟子一仏の子と生れて諸経の王に事う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや そうよう きび に ふ して ばんり を わたり へきら しょうとう に かかりて せんじん を のぶ、 でし いちぶつ の こ として うまれて しょきょう の おう に つかう、なんぞ ぶっぽう の すいび を みて しんじょう の あいせき を おこさざらんや SŌYŌ KIBI NI FU SHITE BANRI WO WATARI HEKIRA SHŌTŌ NI KAKARITE SENJEN WO NOBU, DESHI ITIBUTSU NO KO TO SHITE UMARETE SHOKYO NO Ō NI TSUKAU, NANZO BUP'PO NO SUIBI WO MITE SINJŌ NO AISEKI WO OKOSAZARAN YA. 立正安国論 りっしょうあんこくろん RIS'SHŌ ANKOKU RON (17頁) 文応元年7月 (1260年) 御書 ごしょ [***抄] ***しょう (0頁)  年x月   (12xx年) 通解(意訳) 小さな青バエも、駿馬の尾につかまれば万里を渡ることができ、みどりのツル草は大きな松の枝先に寄り掛かれば、千尋も高く延びることができる、というたとえもある。 たとえ器は小さくとも、仏弟子である私は、第一の仏である釈尊の子と生まれて、あらゆる宗教の王である法華経に仕え信じている。 どうして仏法が衰弱していくのをみて、哀れ惜しむ心情を起こさないでいられようか  英語で御書 Gosho in English A blue fly, if it clings to the tail of a thoroughbred horse, can travel ten thousand miles, and the green ivy that twines around the tall pine can grow to a thousand feet. I was born as the son of the one Buddha, Shakyamuni, and I serve the

願くは我が弟子等・大願ををこせ - My wish is that all my disciples make a great vow.

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本文 願くは我が弟子等・大願を をこせ、去年 去去年(こぞ おととし)の やくびやうに 死にし 人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしとも みへず、 とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、 をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海に あつらへ・ちりを大地に うづむと をもへ ねがわくは わが でし ら・だいがん を おこせ、こぞ おととし の やくびょう に しに し ひとびと の・かず にも いらず、また とうじ・もうこ の せめ に・まぬかるべし とも みえず、 とにかく に し は いちじょう なり、そのときの なげき は とうじ の ごとし、 おなじく は・かり にも ほけきょう の ゆえ に いのち を すてよ、つゆ を たいかい に あつらえ・ちり を だいち に うずむ と おもえ 上野殿御返事 うえのどのごへんじ [竜門御書] りゅうもんごしょ 1561頁 弘安2年11月 (1279年) 通解(意訳) 願わくは、我が弟子たちは広宣流布という大願を起こしなさい。 去年や一作年に起こった疫病で死んだ人々の数には入らなかったにしても、現在、蒙古(モンゴル帝国)が攻めてきた時に、死を免れることができるとは思えない。 とにかく、どんな形であれ、人の死というものは、いずれ皆に平等に訪れるものであり、决定した(けつじょう した、決まった)事である。その時の嘆きや苦しみは、死の間際では全く同じ苦しみなのである。 同じ死を迎える事が決定しているのであれば、「もしかしたら、自分の命は明日には無いかもしれない」と思い切って、法華経のために命を捨てなさい。 これこそ、露のような小さな生命を、法華経という大海に入れるように、また塵が妙法という大地に埋める事だと思いなさい。 法華経のために命を捨てるということは、今世においては、最高に幸福な人生を送ることができ、最期にはまた、法華経の行者として誉れ高い死を迎えることができる。そして来世に於いてもまた法華経に縁して、法華経の行者として生まれてくることができるのである。 *創価学会 創立90周年記念、おめでとうございます!* 2019年11月18日 英語で御書 Gosho in English My wish is that a

南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしや - You asked whether one can attain Buddhahood only by chanting Nam-myoho-renge-kyo

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本文 南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、 南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。 人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、 又日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、 其のごとく南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 なんみょうほうれんげきょうと もうす は これ いちぐ いっけ にて そうろう、しかれども おなじ いっく の なか にも かんじん にて そうろう、 なんみょうほうれんげきょう と となうる ばかり にて ほとけ に なるべしや と、この ごふしん しょせん に そうろう・いちぶ の かんよう はちじく の こつずい にて そうろう。 ひと の みの ごしゃく・ろくしゃく の たましい も いっしゃく の おもて に あらわれ・いっしゃく の かお の たましい も いっすん の め の うち に おさまり そうろう、 また にほん と もうす に の もじ に ろくじゅう ろく か こく の じんちく・た はた・じょうげ・きせん・しちちん まんぽう・ひとつ も かくる こと そうらわず おさめて そうろう、 その ごとく なんみょうほうれんげきょう の だいもく の うち には いちぶ はちかん・にじゅう はちほん・ろくまん きゅうせん さんびゃく はちじゅう よん の もじ・いちじ も もれず・かけず おさめて そうろう 妙法尼御前御返事 みょうほうあまごぜんごへんじ [一句肝心事] いっくかんじんのこと (1402頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。 南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。 人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の表面に

諸河の水入る事なくば大海あるべからず - Were it not for the flowing rivers, there would be no sea.

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本文 大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、 法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、 諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ たいかい へ しゅうる いる・されども たいかい は かわ の みず を かえす こと ありや、 ほっけ たいかい の ぎょうじゃ に しょが の みず は だいなん の ごとく いれども・かえすこと とがむる こと なし、 しょが の みず いること なくば たいかい ある べからず、だいなん なくば ほけきょう の ぎょうじゃ には あらじ 椎地四郎殿御書 しいじしろうどのごしょ [如度得船御書] にょととくせんごしょ [身軽法重死身弘法御書] しんきょうほうじゅうししんぐほうごしょ (1448頁) 弘長元年4月 (1261年) 通解(意訳) 大海には様々な河水が流れこむ。けれども、大海は河水を押し返すようなことがあるだろうか。 法華経という大海の行者には、様々な河水のように大難として流れ込むが、大難を押し返すことも、とがめたりすることもない。 河水が入ることがなければ、大海ではないからである。大難がなければ法華経の行者ではないのである。 英語で御書 Gosho in English All rivers flow into the sea, but does the sea turn back their waters? The currents of hardship pour into the sea of the Lotus Sutra and rush against its votary. The river is not rejected by the ocean; nor does the votary reject suffering. Were it not for the flowing rivers, there would be no sea. Likewise, without tribulation there would be no votary of the Lotus Sutra. " A Ship to Cross the Sea of Suffering "

いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず - However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.

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本文 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも 法華経に きずをつけ給うべからず いっしょう は ゆめ の うえ・あす を ご せず・いかなる こつじき には・なるとも ほけきょう に きず を つけ たもう べからず 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [不可惜所領事] ふかしゃくしょりょうのこと (1163頁) 建治3年7月 (1277年) 通解(意訳) 一生は夢の上の出来事のように、はかないものであり、明日の命があるか分からない。 たとえどのような乞食になったとしても、あなた自身の信心に傷をつけてはならない。 英語で御書 Gosho in English This life is like a dream. One cannot be sure that one will live until tomorrow. However wretched a beggar you might become, never disgrace the Lotus Sutra.  " A Warning against Begrudging One’s Fief " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 824 in July, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 一生 は ゆめ の 上・明日 を ごせず・いかなる 乞食 には・なるとも 法華経 に きず を つけ 給う べからず IS'SHO WA YUME NO UE・ASU WO GO SEZU・IKANARU KOTSUJIKI NIWA・NARUTOMO HOKEKYO NI KIZU WO TSUKE TAMOU BEKARAZU 四条 金吾 殿 御返事 SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI [不可惜 所領事] FUKASHAKU SHORYŌ-NO-KOTO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Da

此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし - Believe in this mandala with all your heart.

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本文 此の 曼荼羅 能く能く 信ぜさせ 給うべし、 南無妙法蓮華経 は 師子吼 の 如し・いかなる 病 さはり を なすべきや この まんだら よくよく しんぜ させ たもうべし、なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なすべきや、 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 曼荼羅をよくよく信じていきなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病気も、仏界を涌現させる障害になることができようか。 「必ず病気を克服する」と、師子吼のような題目をあげて、強く祈っていきなさい。 英語で御書 Gosho in English Believe in this mandala with all your heart. Nam-myoho-renge-kyo is like the roar of a lion. What sickness can therefore be an obstacle? " Reply to Kyō’ō " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 412 in August, 1273 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Nam-Myoho-Renge-Kyo is like a roar of the lion. Any kind of hardships or diseases never be obstacles to attaining to the Buddhahood. You should be prayer strongly and chanting the DAIMOKU like the roar of the lion, "The disease certainly be cured". Gosho in Japanese 此の 曼荼羅 能く能く 信ぜさせ 給うべし、 南無妙法蓮華経 は 師子吼 の 如し・いかなる 病 さはり を

法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる The more one praises the blessings of the Lotus Sutra, the more one’s own blessings will increase.

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本文 金は やけば 弥 色まさり 剣は とげば 弥 利くなる・ 法華経の功徳は ほむれば 弥 功徳まさる、 二十八品は 正き事は わずかなり 讃むる言 こそ多く候へ と 思食す べし こがね は やけば いよいよ いろ まさり つるぎ は とげば いよいよ とく なる・ほけきょう の くどく は ほむれば いよいよ くどく まさる、 にじゅうはっぽん は まさしき こと は わずか なり ほむる ことば こそ おおく そうらえ と おぼしめすべし 妙密上人御消息 みょうみつしょうにんごしょうそく [法華経功徳抄] ほけきょうくどくしょう (1241~1242頁)  建治2年潤3月 (1276年) 通解(意訳) 金は、焼いて精錬すれば、いよいよ色がよくなり、剣は、研げばいよいよ良く切れるようになる。 同じように、法華経の功徳を褒め称えるならば、ますます功徳が勝るのである。 法華経二十八品は、正しい法理を説いたところはわずかではあるが、讃めた言葉こそ多くあるのだ、ということを心得てきなさい。 英語で御書 Gosho in English The more gold is heated in the flames, the brighter will be its color; the more a sword is whetted, the sharper it will become. And the more one praises the blessings of the Lotus Sutra, the more one’s own blessings will increase. Bear in mind that the twenty-eight chapters of the Lotus Sutra contain only a few passages elucidating the truth, but a great many words of praise. " The Blessings of the Lotus Sutra " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 673 in March, 1276.