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人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ - So long as one maintains firm faith, one is certain to receive the great protection of the gods.

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本文 されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、 人の心かたければ 神のまほり必ずつよしとこそ候へ、 是は御ために申すぞ 古への御心ざし申す計りなし・其よりも 今 一重強盛に御志あるべし されば みょうらくたいし のたまわく 「かならず こころ の かたき に よりて かみ の まもり すなわち つよし」とう うんぬん、 ひと の こころ かたければ かみ の まほり かならず つよし と こそ そうらえ、 これ は おん ため に もうす ぞ いにしえ の おん こころざし もうす ばかり なし・それよりも いま いちじゅう ごうじょう に おん こころざし あるべし 乙御前御消息 おと ごぜん ごしょうそく [身軽法重抄] しんきょうほうじゅうしょう  (1220頁) 建治元年8月 (1275年) 通解(意訳) (諸天善神が法華経を信ずる人を守護することは間違いないとの道理と先例を挙げて) それゆえに、妙楽大師は「心が堅固であれば、必ず神の守りも強いのである」と言われている。 その人の信心が固ければ、諸天善神の守りは必ず強い、ということである。 これは、あなたのために申し上げるのである。これまでのあなたの信心の深さは、言い表すことができない。しかし、それよりもなお一層、強盛に信心をしていきなさい。 英語で御書 Gosho in English That is why the Great Teacher Miao-lo stated, “The stronger one’s faith, the greater the protection of the gods.” So long as one maintains firm faith, one is certain to receive the great protection of the gods. I say this for your sake. I know your faith has always been admirable, but now you must strengthen it more than ever.  " The Supremacy of the Law " "The W

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり - Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds

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本文 賢人は 八風と申して 八のかぜに をかされぬ を 賢人と申すなり、 利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、 をを心は 利あるに・よろこばず・をとろうるに なげかず等の事なり、 此の 八風に をかされぬ人をば 必ず天はまほらせ給うなり けんじんは はっぷう と もうして はち の かぜ に おかされぬ を けんじん と もうすなり、 り・すい・き・よ・そう・しき・く・らくなり、 おおこころ は り ある に・よろこばず・おとろうる に なげかず とう の こと なり、 この はっぷう に おかされぬ ひと をば かならず てん は まもらせ たもう なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [八風抄] はっぷうしょう (1151頁) 建治3年 (1277年) 通解(意訳) 賢人とは八風といって、八種の風に犯されないのを賢人というのである。八風とは利(利益を得る)・衰(衰える/損をする)・毀(非難される)・誉(誉められる)・称(讃えられる)・譏(謗られる)・苦(苦しむ)・楽(楽しむ)である。 大まかな意味は、世間的な利益を得たり、楽しい事が起きても喜ばず、逆に損をしたり、苦しい事が起きた事を嘆かない、ということである。この八風に犯されない人を、諸天善神は守られるのである。 多少の事で一喜一憂せず、何があっても動じない事が大切である。  英語で御書 Gosho in English Worthy persons deserve to be called so because they are not carried away by the eight winds: prosperity, decline, disgrace, honor, praise, censure, suffering, and pleasure. They are neither elated by prosperity nor grieved by decline. The heavenly gods will surely protect one who is unbending before the eight winds.  " The Eight Winds " "The Writings of Ni

南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなし - It could never happen that a woman who chants Nam-myoho-renge-kyo would fail to be reunited with her beloved child.

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本文 大地はささば・はづるとも・日月は地に堕ち給うとも・しをはみちひぬ世はありとも・花はなつにならずとも・南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなしととかれて候ぞ だいち は ささば・はずる とも・にち がつ は ち に おち たもう とも、しを は みちいぬ よ は ありとも・はな は なつ に ならず とも・なんみょうほうれんげきょう と もうす にょにん の・おもう こ に・あわず と いう こと は なし と とかれて そうろうぞ 上野尼御前御返事 うえのあまごぜんごへんじ [聖人御書] しょうにんごしょ (1576頁) 弘安4年1月 (1281年) 通解(意訳) 大地をさして外れることがあっても、日や月が地に落ちても、潮の満ち干がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても、南無妙法蓮華経と唱える女性が愛しく思う子に会えないということはない。 悩みに寄り添い希望の光を 友の声に深く耳を傾け、一緒に悩み祈る。この誠実な対話から希望の光を広げゆくのだ。 - 池田大作 英語で御書 Gosho in English Even if one were to point at the earth and miss it, even if the sun and moon should fall to the ground, even if an age should come when the tides cease to ebb and flow, or even if flowers should not turn to fruit in summer, it could never happen that a woman who chants Nam-myoho-renge-kyo would fail to be reunited with her beloved child. " The Gift of Clear Sake "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1092 in January, 1281. [ --- ] is liberal translation. Interpret

宝珠は懐中に持ぬれば万物皆ふらさずと云う事なし - One who carries in one’s robe a wish-granting jewel can have any desire fulfilled

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本文 日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり 大光を備へ給へる故なり、蛍火は未だ国土を照さず 宝珠は懐中に持ぬれば 万物 皆ふらさずと云う事なし、瓦石は財をふらさず にちりん・とうほうの そらに いでさせ たまえば なんぶ の そら・みな あきらかなり たいこうを そなえ たまえる ゆえなり、ほたるびは いまだ こくどを てらさず ほうしゅは かいちゅうに もちぬれば ばんぶつ みな ふらさずと ゆうこと なし、がしゃくは たからを ふらさず 善無畏三蔵抄 ぜんむいさんぞうしょう (883~884頁) 文永7年 (1270年)   通解(意訳) 太陽が東方の空に昇ったならば、南閻浮提(世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大いなる光を備えているからである。螢の灯火は一つの国土でさえ照らすことができない。 また、宝珠を懐の中に持っていれば、ありとあらゆるものを降らすことができるが、瓦や石は財宝を降らすことはできない。 英語で御書 Gosho in English When the sun rises in the eastern sector of the sky, then all the skies over the great continent of Jambudvīpa in the south will be illuminated because of the vast light that the sun possesses. But the feeble glow of the firefly can never shed light on a whole nation. One who carries in one’s robe a wish-granting jewel can have any desire fulfilled, but mere shards and stones can confer no treasures. " The Tripitaka Master Shan-wu-wei " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 169 to 170 in 1270. [ --- ]

御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ - Merely seeing each other’s face would in itself be insignificant. It is the heart that is important.

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本文 御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、 仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、 御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ おんみ は さど の くに に おわせども こころ は この くに に きたれり、 ほとけ に なる みち も かく の ごとし、われら は えど に そうらえども こころ は りょうぜん に すむ べし、 おかお を みては なにかせん こころ こそ たいせつ に そうらえ 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [雷門鼓御書] らいもんのつづみごしょ (1316頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) 天の月ははるか遠くに離れているけれども、月が上れば大地の池にはすぐに影が浮かび、雷門の鼓は万里の遠くにあっても打てばすぐに聞こえる。あなたの身体は佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来られている。 仏に成る道もこのような事である。我等は穢土に住んではいるが、心は霊山浄土に住んでいる。お顔だけを拝見したからといって、なんになるだろう。 遠く離れていても、求道心あふれる心こそ大切なのである。 英語で御書 Gosho in English Though you remain in Sado, your heart has come to this province. The way of attaining Buddhahood is just like this. Though we live in the impure land, our hearts reside in the pure land of Eagle Peak. Merely seeing each other’s face would in itself be insignificant. It is the heart that is important. " The Drum at the Gate of Thunder " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 949 in July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho

偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず - I say all this solely for the sake of the nation, for the sake of the Law, for the sake of others, not for my own sake.

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本文 但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず ただ ひとえ に くに の ため ほう の ため ひと の ため に して み の ため に これ を もうさず 安国論御勘由来 あんこくろんごかんゆらい [立正安国論] りっしょうあんこくろん (35頁) 文永5年4月   (1268年) 通解(意訳) (立正安国論を書き、国家に提出したことは) ただ、国のため、正法のため、民衆救済のためであって、自身の名声や利益のためにいうのではない 英語で御書 Gosho in English I say all this solely for the sake of the nation, for the sake of the Law, for the sake of others, not for my own sake. " The Rationale for Writing  “On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land” "  "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 164 in April, 1268. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  To submit to the government "On Establishing the Correct Teaching for the Peace of the Land" is only for the nation, for the law of justice, for the salvation of the people. It is not for my own fame or profit. Gosho in Japanese 但 偏に 国 の 為 法 の 為 人 の 為 に して 身 の 為 に 之 を 申さず TADA HITOE NI KUNI NO TAME HŌ NO TAME HITO NO TAME NI SHITE MI N

祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有り - Concerning prayer, there are conspicuous prayer and conspicuous response, conspicuous prayer and inconspicuous response, inconspicuous prayer and inconspicuous response, and inconspicuous prayer and conspicuous response.

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本文 祈祷に於ては 顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷 有りと雖も 只 肝要は此の経の信心を致し給い候はば 現当の所願満足 有る可く候 きとう に おいては けんき けんのう・けんき みょうおう・みょうき みょうおう・みょう きけんのう の きとう あり と いえども ただ かんよう は この きょう の しんじん を いたし たまい そうらわば げんとう の しょがん まんぞく ある べく そうろう 道妙禅門御書 どうみょうぜんもんごしょ [四種祈禱御書] ししゅきとうごしょ (1242頁) 建治2年8月 (1276年) 通解(意訳) 祈祷(祈り、信心)には、 顕祈顕応(けんき けんのう:目に見える信心と、何らかの形で見える功徳)、 顕祈冥応(けんき みょうおう:目に見える信心と、目に見えず、未知の間に出ている功徳)、 冥祈冥応(みょうき みょうおう:目には見えない信心と、目には見えない功徳)、 冥祈顕応(みょうき けんのう:目には見えない信心と、目に見える功徳)、 この4種類の信心と功徳の顕れがあると言えども、ただ肝心なことは、妙法の功徳は必ず顕れる事を信じ抜いて、この法華経を信心されるならば、現在及び未来の所願が満足されるであろう。 英語で御書 Gosho in English Concerning prayer, there are conspicuous prayer and conspicuous response, conspicuous prayer and inconspicuous response, inconspicuous prayer and inconspicuous response, and inconspicuous prayer and conspicuous response.  But the only essential point is that, if you believe in this sutra, all your desires will be fulfilled in both the present and the future. " Letter to the Lay Priest Dōmyō " "The Writin

根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長し - The deeper the roots, the more luxuriant the branches.The farther the source, the longer the stream.

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本文 根ふかければ 枝さかへ 源 遠ければ流長しと 申して 一切の経は根あさく流ちかく 法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべし ね ふかければ えだ さかえ みなもと とおければ ながれ ながし と もうして いっさい の きょう は ね あさく ながれ ちかく ほけきょう は ね ふかく みなもと とおし、まつだい・あくせ までも・つきず・さかうべし 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [源遠長流御書] ごんおんちょうりゅうごしょ (1180頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) 木の根が深ければその枝は栄え、水源が遠ければ川の流れは長いと言われるように、 法華経以外の諸教は根が浅く流れは近く、反対に法華経は根が深くその源は遠い。 信心強盛な者がいるからこそ、法華経は末法、悪世までも尽きることなく栄え、流布していくのである。 英語で御書 Gosho in English The deeper the roots, the more luxuriant the branches. The farther the source, the longer the stream. All sutras other than the Lotus Sutra have shallow roots and short streams, while the Lotus Sutra has deep roots and a distant source. " The Farther the Source, the Longer the Stream " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 940 in September, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 根 ふかければ 枝 さかへ 源 遠ければ 流 長し と 申して 一切 の 経 は 根 あさく 流 ちかく 法華経 は 根 ふかく 源 とをし、末代・悪世 までも・つきず・さかうべし NE FUKAKEREBA EDA SAKAE MINAMOTO TŌKEREBA

悲母の恩を報ぜんために - In order to repay my debt to my mother

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本文 但法華経計りこそ 女人成仏・悲母の恩を 報ずる 実の報恩経にて候へと 見候いしかば・悲母の恩を 報ぜんために 此の経の題目を 一切の女人に唱えさせん と 願す ただほけきょう ばかり こそ にょにん じょうぶつ・ひも の おん を ほうずる まこと の ほうおんきょう にて そうらえ と み そうらい しかば・ひも の おん を ほうぜん ために この きょう の だいもく を いっさい の にょにん に となえ させん と がんす 千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ [真実報恩経事] しんじつほうおんきょうじ (1311~1312頁) 弘安元年7月 (1278年) 通解(意訳) ただ、法華経だけが、あらゆる仏典の中で唯一女性が成仏できる事を明かした経文である。 慈父・悲母(父母の慈悲)への報恩(ほうおん・恩返し)、特に悲母への報恩のための、真実の報恩経であると考えたので、悲母の恩を報ずるために、法華経の題目をすべての女性に唱えさせようと、願いを立てたのである。 英語で御書 Gosho in English Since I have realized that only the Lotus Sutra teaches the attainment of Buddhahood by women, and that only the Lotus is the sutra of true requital for repaying the kindness of our mother, in order to repay my debt to my mother, I have vowed to enable all women to chant the daimoku of this sutra. " The Sutra of True Requital " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 931 in July, 1278. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 但 法華経 計り こそ 女人 成仏・悲母 の 恩 を 報ずる 実 の 報恩経 に

人をたすくれば実語・軟語なるべし - If such words help the person to whom they are addressed, then they are worthy to be regarded as truthful words and gentle words.

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本文 仮令 強言なれども 人をたすくれば実語・軟語なるべし、 設ひ 軟語なれども 人を損ずるは妄語・強言なり たとい ごうげん なれども ひと を たすくれば じつご・なんご なるべし、 たとい なんご なれども ひと を そんずる は もうご・ごうげん なるべし 善無畏三蔵抄 ぜんむいさんぞうしょう (890頁) 文永7年 (1270年) 通解(意訳) たとえ、強い口調て荒い言葉であっても、相手のことを心から思って言った言葉で、その人を助ければ、それは真実の言葉(実語)であり、柔らく優しい言葉(軟語)である。 逆にたとえ柔らかい口調で優しい言葉であっても、相手を悪い道へ落とし込み、道を間違わせてしまえば、それは偽りの言葉(妄語)であり、強く荒い言葉(強言)である。 英語で御書 Gosho in English Even though one may resort to harsh words, if such words help the person to whom they are addressed, then they are worthy to be regarded as truthful words and gentle words. Similarly, though one may use gentle words, if they harm the person to whom they are addressed, they are in fact deceptive words, harsh words. " The Tripitaka Master Shan-wu-wei " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 178 in 1270. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 仮令 強言なれども 人をたすくれば実語・軟語なるべし、 設ひ 軟語なれども 人を損ずるは妄語・強言なり たとい ごうげん なれども ひと を たすくれば じつご・なんご なるべし、 たとい なんご なれども ひと を そんずる は もうご・ごうげん なるべし T

日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり - When I prayed for my mother, not only was her illness cured, but her life was prolonged by four years.

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本文 日蓮 悲母をいのりて候しかば 現身に病をいやすのみならず 四箇年の寿命をのべたり、 今女人の御身として病を身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし にちれん はは を いのりて そうらい しかば げんしん に やまい を いやす のみ ならず しかねん の じゅみょう を のべたり、 いま にょにん の おんみ と して やまい を み に うけさせ たもう・こころみ に ほけきょう の しんじん を たてて ごらん あるべし 可延定業書 かえんじょうごうしょ [定業延命抄] じょうごうえんめいしょう (985頁) 弘安2年1月~2月 (1279年) 通解(意訳) 日蓮が、自分の母の重病を祈ったところ、現実の身体の病を治しただけでなく、四年の寿命を延ばし、病気という宿業を打開したのである。 今、あなた(富木尼御前)は、女性の身として病気になられた。試しに、女人成仏を唯一説いている法華経の信心を発して、修行してごらんなさい。 英語で御書 Gosho in English When I prayed for my mother, not only was her illness cured, but her life was prolonged by four years. Now you too have fallen ill, and as a woman, it is all the more timely for you to establish steadfast faith in the Lotus Sutra and to see what it will do for you.  " On Prolonging One’s Life Span " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 955 in January to February ,1279. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  ・"When I prayed for my mother, not only was h

父母に孝あるべし - Filial piety toward one’s father and mother

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本文 四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり しとく とは・いち には ふぼ に こう ある べし・に には あるじ に ちゅう ある べし・さん には とも に おうて れい ある べし・よん には おとれる に おうて じひ あれ と なり 上野殿御消息 うえのどのごしょうそく [四徳四恩御書] しとくしおんごしょ (1526~1527頁) 建治元年 (1275年) 通解(意訳) 四徳とは、一には父母に孝行であれ、二には仕えている主に忠義であれ、三には友人に会っては礼義正しくあれ、四には自分より弱い者に会ったならば慈悲深くあれ、ということである。 「誠実な人」が「信頼の人」と輝く 身近な人が大切である。その人を宝のごとく大事にすることである。そして、誰に対しても誠実に、礼節をわきまえて接することである。  誠実ほど強いものはない。(中略)  誠実で築いた友情は、壊れない。策でつくった友情は、やがて崩れる。 -池田大作 英語で御書 Gosho in English The four virtues are  (1) filial piety toward one’s father and mother; (2) loyalty to one’s lord; (3) courtesy toward one’s friends; and  (4) pity and kindness toward those less fortunate than oneself.   " Four Virtues and Four Debts of Gratitude " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 636 in 1275. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  "Sincere person" is shines with "person of trust" Close people are important.

大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ - Even a grave offense can be eradicated if one repents of it sincerely.

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本文 小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ しょうざい なれども ざんげ せざれば あくどう を まぬがれず、だいぎゃく なれども ざんげ すれば つみ きえぬ 光日房御書 こうにちぼうごしょ (930頁) 建治2年3月 (1276年) 通解(意訳) 小罪であっても懺悔しなければ、悪道を免れることはできない。しかし、大逆罪であっても、誠意を持って正法で懺悔すれば、その罪は消えるのである。 英語で御書 Gosho in English Even a small error will destine one to the evil paths if one does not repent of it. Yet even a grave offense can be eradicated if one repents of it sincerely.  " Letter to Kōnichi-bō " "The Writings of Nichiren Daishonin",Vol.1, p. 662 - 663 in March, 1276. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 小罪 なれども 懺悔 せざれば 悪道 を まぬがれず、大逆 なれども 懺悔 すれば 罪 きへぬ SHŌZAI NAREDOMO ZANGE SEZAREBA AKUDŌ WO MANUGAREZU, DAIGYAKU NAREDOMO ZANGE SUREBA TSUMI KIENU 光日房御書 K ŌNICHIBŌ GOSHO 参考文献: 「日蓮大聖人御書全集」 「御書をひもとく」 「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 - Have profound faith. A coward cannot have any of his prayers answered.

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本文 なにの兵法よりも 法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、 兵法 剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候 なに の へいほう より も ほけきょう の へいほう を もちい たもう べし、「しょよ おんてき・かいしつ さいめつ」の きんげん むなし かる べからず、 へいほう けんぎょう の だいじ も この みょうほう より いでたり,ふかく しんじん を とり たまえ、あえて おくびょう にて は かなう べからず そうろう 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [法華経兵法事] ほけきょうへいほうじ [剣形書]  けんぎょうしょ (1193頁)  弘安2年10月  (1279年)  通解(意訳) どのような策や方法よりも、信心によって智慧を引き出す「法華経の兵法」を用いていきなさい。 法華経を信受している者の成仏を妨げようとする、あらゆる魔の働きは、すべて信心の功徳で滅ぼすことができるのである(諸余怨敵・皆悉摧滅 しょ よ おん てき ・かい しつ さい めつ)。 教主釈尊の御金言が決して空しいはずがない。信心によって乗り越えられない苦難はないのである。 すべての世法も技術も、「心こそ大切なれ」という妙法の思想から生まれ出たものである。 いかなる逆境にあっても、題目を唱えて智慧を頂き、その智慧と御本尊の妙法の力を信じ抜いて、努力を惜しまず、前進する勇気をもって行動していきなさい。 信心も行動も、臆病であっては何事も成就することはできないのである。 英語で御書 Gosho in English Employ the strategy of the Lotus Sutra before any other. “All others who bear you enmity or malice will likewise be wiped out.” These golden words will never prove false.  The heart of strategy and swordsmanship derives from the Mystic Law. Have profound faith. A cowa

人身は持ちがたし草の上の露 - Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass.

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本文 人身は受けがたし 爪の上の土・人身は持ちがたし 草の上の露、 百二十まで持ちて 名を・くたして死せんよりは 生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ じんしん は うけがたし つめ の うえ の つち・じんしん は もちがたし くさ の うえ の つゆ、 ひゃく にじゅう まで もちて な を くたして し せん より は いきて いちにち なりとも な を あげん こと こそ たいせつ なれ 崇峻天皇御書 すしゅんてんのうごしょ [三種財宝御書] さんしゅざいほうごしょ (1173頁) 建治3年9月 (1277年) 通解(意訳) 人間として生まれてくることは難しいことであって、爪の上に乗っているわずかな土のようにまれである。また、人間として生まれたとしてもその身を持つことは難しく、草の上に乗っている朝露がすぐに蒸発してしまうようにはかない。 たとえ120歳まで身を持ったとしても、悪い評判を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。 英語で御書 Gosho in English It is rare to be born a human being. The number of those endowed with human life is as small as the amount of earth one can place on a fingernail. Life as a human being is hard to sustain—as hard as it is for the dew to remain on the grass. But it is better to live a single day with honor than to live to 120 and die in disgrace. " The Three Kinds of Treasure " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 850 in November, 1277. [ --- ] is liberal translation. Gosho in Japanese 人身 は 受けがたし 爪

病あれば死ぬべしといふ事不定なり - It is not certain that, because one is ill, one will die.

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本文 病あれば死ぬべしといふ事 不定なり、 又このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、 病によりて道心はをこり候なり やまい あれば しぬ べし と いう こと ふじょう なり、 また この やまい は ほとけ の おん はからい か・その ゆえ は じょうみょうきょう・ねはんぎょう には やまい ある ひと ほとけ に なるべき よし とかれて そうろう、 やまい に よりて どうしん は おこり そうろう なり 妙心尼御前御返事 みょうしんあまごぜんごへんじ [病之良薬御書] びょうしりょうやくごしょ (1480頁) 弘安元年8月 (1278年) 通解(意訳) 「病気にかかったら必ず死ぬ」という事はない。 (あなたが今回かかった)この病は、仏の御はからいであろうか。 その理由は浄名経・涅槃経には病がある人は仏になる、と説かれている。 病気にかかって初めて生命の大切さが分かり、「人間の生死とは何か」という、仏道を求める心が起こるのである。 英語で御書 Gosho in English It is not certain that, because one is ill, one will die. And could not this illness of your husband’s be the Buddha’s design, because the Vimalakīrti and Nirvana sutras both teach that sick people will surely attain Buddhahood? Illness gives rise to the resolve to attain the way. " The Good Medicine for All Ills " "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 937 in August, 1278. [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)  Because of your illnes

経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」 - The sutra states that one who “can preach this sutra” or who “can uphold this sutra” is “the envoy of the Thus Come One.”

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本文 経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」 八巻・一巻・一品・一偈の人 乃至 題目を唱うる人・如来の使なり、 始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり きょう に いわく「のうせつ のうきょう・のうじ のうきょう の ひと・すなわち にょらい の つかい なり」 はっかん・いっかん・いっぽん・いちげ の ひと ないし だいもく を となうる ひと・にょらい の つかい なり、 し ちゅう じゅう すてず して だいなん を・とおす ひと・にょらい の つかい なり 四条金吾殿御返事 しじょうきんごどのごへんじ [源遠長流御書] ごんおんちょうりゅうごしょ (1181~1182頁) 弘安元年9月 (1278年) 通解(意訳) 法華経法師品第十に「能く此の経を説き、能く此の経を受持する人は仏の使いである」と説かれている。 法華経の全八巻、一巻、一品、一偈でも読み上げる人(現代での勤行)から、南無妙法蓮華経の題目を唱え、法華経を受持している人は如来の使いである。 さらに信心を始めた時、それからの人生の途中、そして臨終の最期まで、生涯、妙法を捨てずに、どのような大難を受けても信心を貫き通す人は如来の使いである。 英語で御書 Gosho in English The sutra states that one who “can preach this sutra” or who “can uphold this sutra” is “the envoy of the Thus Come One.” In other words, one who embraces the eight volumes, or a single volume, chapter, or verse, of the Lotus Sutra, or who chants the daimoku, is the Thus Come One’s emissary. Also, one who perseveres through great persecutions and embraces the sutra from beginning to end is the Thus Come One’s emissary. " The F

日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず - In inscribing this Gohonzon for her protection, Nichiren was like the lion king.

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本文 日蓮 守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も 師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、 又此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、 鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、さいはひは愛染の如く福は毘沙門の如くなるべし にちれん しゅご たる ところ の ごほんぞん を・したため まいらせ そうろう こと も ししおう に・おとる べからず、きょう に いわく「しし ふんじん し りき」とは これ なり、 また この まんだら よくよく しんじ させ たもうべし、なんみょうほうれんげきょう は ししく の ごとし・いかなる やまい さわり を なすべきや、 きしぼじん・じゅうらせつにょ・ほけきょう の だいもく を たもつ もの を しゅご すべし と みえたり、さいわい は あいぜん の ごとく ふく は びしゃもん の ごとく なるべし 経王殿御返事 きょうおうどのごへんじ (1124頁) 文永10年8月 (1273年) 通解(意訳) 日蓮が守護の御本尊を書き認めるにあたっても、師子王に劣らぬ姿勢によって書き顕したものである。法華経湧出品にある「師子奮迅の力」とは、このような姿勢を意味するのである。 また、この曼荼羅をよくよく信じていきなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病気も、仏界を涌現させる障害になることができようか。「必ず病気は治る」と、師子吼のような題目をあげて、強く祈っていきなさい。 鬼女母神や十羅刹女(諸天善神)が、法華経の題目を持つ者を守護すると見える。幸いは愛染明王のようであり、福運は毘沙門天のように、必ず病を克服し、福運を授かるであろう。 英語で御書 Gosho in English In inscribing this Gohonzon for her protection, Nichiren was like the lion king. This is what the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.” Believe in this mandala