御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ - Merely seeing each other’s face would in itself be insignificant. It is the heart that is important.
本文
御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、
仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、
御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ
おんみ は さど の くに に おわせども こころ は この くに に きたれり、
ほとけ に なる みち も かく の ごとし、われら は えど に そうらえども こころ は りょうぜん に すむ べし、
おかお を みては なにかせん こころ こそ たいせつ に そうらえ
千日尼御前御返事
せんにちあまごぜんごへんじ
[雷門鼓御書]
らいもんのつづみごしょ
(1316頁)
弘安元年7月
(1278年)
通解(意訳)
天の月ははるか遠くに離れているけれども、月が上れば大地の池にはすぐに影が浮かび、雷門の鼓は万里の遠くにあっても打てばすぐに聞こえる。あなたの身体は佐渡の国にいらっしゃるけれども、心はこの国に来られている。
仏に成る道もこのような事である。我等は穢土に住んではいるが、心は霊山浄土に住んでいる。お顔だけを拝見したからといって、なんになるだろう。
遠く離れていても、求道心あふれる心こそ大切なのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Though you remain in Sado, your heart has come to this province.
The way of attaining Buddhahood is just like this. Though we live in the impure land, our hearts reside in the pure land of Eagle Peak.
Merely seeing each other’s face would in itself be insignificant. It is the heart that is important.
" The Drum at the Gate of Thunder "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 949
in July, 1278.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
御身 は 佐渡 の 国 に をはせども 心 は 此の 国に 来れり、
仏 に 成る 道 も 此く の 如し、我等 は 穢土 に 候へども 心 は 霊山 に 住 べし、
御面 を 見ては なにかせん 心 こそ 大切 に 候へ
ON MI WA SADO NO KUNI NI OWASEDOMO KOKORO WA KONO KUNI NI KITARERI,
HOTOKE NI NARU MICHI MO MATA KAKU NO GOTOSHI, WARERA WA EDO NI SŌRAEDOMO KOKORO WA RYŌZEN NI SUMU BESHI,
OKAO WO MITEWA NANIKASEN KOKORO KOSO TAISETSU NI SŌRAE
千日尼 御前 御返事
SEN-NICHI AMA GOZEN GOHENJI
[雷門鼓 御書]
RAIMON-NO-TSUZUMI GOSHO
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