百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る - without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas
本文
経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、
文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり
きょう に いわく「もし ほう を きく こと あらん もの は ひとり と して じょうぶつ せざる こと なし」うんぬん、
もん の こころ は この きょう を たもつ ひと は ひゃくにん は ひゃくにん ながら・せんにん は せんにん ながら・ひとり も かけず ほとけ に なる と もうす もんなり
上野尼御前御返事
うえのどのごへんじ
[鳥竜遺竜事]
おりょういりょうのこと
(1580頁)
弘安4年11月
(1281年)
通解(意訳)
法華経には「もし法華経を聞く事が有る者は、一人として成仏しないことはない」(若有聞法者無一不成仏、にゃくうもん ぽう しゃ む いち ふ じょう ぶつ)と書かれている。
この文章の意味は、法華経を受持する人は、誰もが自身の無限の可能性を開き、幸福な境涯をつかむことができるという文なのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
The sutra states, “If there are those who hear the Law, then not a one will fail to attain Buddhahood.”
This passage means that, if there are a hundred or a thousand people who uphold this sutra, without a single exception all one hundred or one thousand of them will become Buddhas.
" Wu-lung and I-lung "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1099
in November, 1281.
[ --- ] is liberal translation.
Gosho in Japanese
経 に 云く「若し 法 を 聞く こと 有らん 者 は 一 と して 成仏 せざる こと 無し」云云、
文 の 心 は 此 の 経 を 持つ 人 は 百人 は 百人 ながら・千人 は 千人 ながら・一人 も かけず 仏 に 成る と 申す 文 なり
KYO NI IWAKU 「MOSHI HŌ WO KIKU KOTO ARAN MONO WA HITORI TO SHITE JŌBUTSU SEZARU KOTO NASHI」UN-NUN,
MON NO KOKORO WA KONO KYO WO TAMOTSU HITO WA HYAKU-NIN WA HYAKUNIN NAGARA・SEN-NIN WA SEN-NIN NAGARA・HITORI MO KAKEZU HOTOKE NI NARU TO MŌSU MON NARI
上野 尼 御前 御返事
UENO AMA GOZEN GOHENJI
[鳥竜遺竜事]
ORYO IRYO NO KOTO
コメント
コメントを投稿
誰でもコメントができるようになりました。
匿名コメントも可能ですので、気軽にコメントできます。