信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし - Faith that is weak is like muddy water, while faith that is brave is like clear water.
本文
其の上は 私に計り申すに及ばず候 叶ひ叶はぬは御信心により候べし 全く日蓮がとがにあらず、
水すめば 月うつる 風ふけば 木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし 信の よはきは にごるがごとし、信心の・いさぎよきは すめるがごとし
木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ
そのうえ は わたし に ばかり もうす に およばず そうろう かない かなわぬ は ごしんじん に より そうろう べし まったく にちれん が とが に あらず、
みず すめば つき うつる かぜ ふけば き ゆるぐ ごとく・みな の みこころ は みず の ごとし しん の よわき は にごる が ごとし、しんじん の・いさぎ よき は すめる が ごとし
きは どうりの ごとし・かぜの ゆるがすは きょうもんを よむが ごとしと・おぼしめせ
日厳尼御前御返事
にちごんあまごぜんごへんじ
(1262頁)
弘安3年10月
(1280年)
通解(意訳)
信心の功徳について、これを自分勝手の解釈で御本尊の功徳を推し量ってはならない。
日蓮が、あなたの願いをいくら祈ったところで、願いが叶うか叶わないかは、結局は全てあなたの御信心によるものであり、全く日蓮のせいではない。
例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れるように、人の心は水のようなものである。
信人が弱いのは、水が濁っているようなものであり、信心が強く潔いのは、水が澄んでいるようなものである。
木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすことは、朝夕の勤行・唱題を怠らず、信心を深めていく努力と、現実と向き合って、願いが成就するよう努力をする事である。
「題目をあげていればなんとかなる」と、自分が努力する事を怠れば、せっかく諸天が動いたとしても、願いは成就しない。
自分の信心を深め、行学を実践していきなさい。
仏法の道理である「南無妙法蓮華経」の御本尊を揺り動かすような実践の信心と同時に、現実を変えようとする努力をするところに、御本尊の功徳が顕れるのだと、しっかり心得ていきなさい。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Now there is no need to attempt to surmise yourself how things will go.
Whether or not your prayer is answered will depend on your faith ;[if it is not] I will in no way be to blame.
When water is clear, the moon is reflected. When the wind blows, the trees shake. Our minds are like the water. Faith that is weak is like muddy water, while faith that is brave is like clear water.
Understand that the trees are like principles, and the wind that shakes them is like the recitation of the sutra.
" Reply to the Lay Nun Nichigon "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 1079
in October, 1280.
[ --- ] is liberal translation."It will do something about it because I chanting the DAIMOKU."
If you think like that, and if you fail to do your best, your wish will not be fulfilled even if all the "SHOTEN";Goodness Gods has move for you.
Deepen your faith and practice your studies.
You should never forget that The benefit of the GOHONZON is appears in the effort to change reality at the same time as the devotion to practice GOHONZON in “Nam-Myoho-Renge-Kyo”, the foundation of Buddhist law.
Gosho in Japanese
其の 上 は 私 に 計り 申す に 及ばず 候 叶ひ 叶はぬ は 御信心 に より 候べし 全く 日蓮 が とが に あらず、
水 すめば 月 うつる 風 ふけば 木 ゆるぐ ごとく・みな の 御心 は 水 の ごとし 信 の よはき は にごる が ごとし、信心 の・いさぎよき は すめる が ごとし
木 は 道理 の ごとし・風 の ゆるがす は 経文 を よむ が ごとし と・をぼしめせ
SONO UE WA WATASHI NI BAKARI MŌSU NI OYOBAZU SŌRŌ KANAI KANAWANU WA GOSHINJIN NI YORI SŌRŌ BESHI MAT'TAKU NICHIREN GA TOGA NIWA ARAZU,
MIZU SUMEBA TSUKI UTSURU KAZE FUKEBA KI YURUGU GOTOKU・MINA NO MIKOKORO WA MIZU NO GOTOSHI SHIN NO YOWAKI WA NIGORU GA GOTOSHI, SHINJIN NO ISAGIYOKI WA SUMERU GA GOTOSHI
KI WA DŌRI NO GOTOSHI・KAZE NO YURUGASU WA KYOMON WO YOMU GA GOTOSHI TO・OBOSHIMESE
日厳尼御前御返事
NICHIGON AMA GOZEN GOHENJI
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