「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」 - One who “can preach this sutra” or who “can uphold this sutra” is “the envoy of the Thus Come One.”
本文
経に云く「能説此経・能持此経の人・則如来の使なり」
八巻・一巻・一品・一偈の人 乃至 題目を唱うる人・如来の使なり、
始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり
きょう に いわく「のうせつ のうきょう・のうじ のうきょう の ひと・すなわち にょらい の つかい なり」
はっかん・いっかん・いっぽん・いちげ の ひと ないし だいもく を となうる ひと・にょらい の つかい なり、
し ちゅう じゅう すてず して だいなん を・とおす ひと・にょらい の つかい なり
四条金吾殿御返事
しじょうきんごどのごへんじ
[源遠長流御書]
ごんおんちょうりゅうごしょ
(1181~1182頁)
弘安元年9月
(1278年)
通解(意訳)
法華経法師品第十に「能く此の経を説き、能く此の経を受持する人は仏の使いである」と説かれている。
法華経の全八巻、一巻、一品、一偈でも読み上げる人(現代での勤行)から、南無妙法蓮華経の題目を唱え、法華経を受持している人は如来の使いである。
さらに信心を始めた時、それからの人生の途中、そして臨終の最期まで、生涯、妙法を捨てずに、どのような大難を受けても信心を貫き通す人は如来の使いである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
The sutra states that one who “can preach this sutra” or who “can uphold this sutra” is “the envoy of the Thus Come One.”
In other words, one who embraces the eight volumes, or a single volume, chapter, or verse, of the Lotus Sutra, or who chants the daimoku, is the Thus Come One’s emissary.
Also, one who perseveres through great persecutions and embraces the sutra from beginning to end is the Thus Come One’s emissary.
" The Farther the Source, the Longer the Stream "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 942
in September, 1278.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
経 に 云く「能説 此経・能持 此経 の 人・則 如来 の 使 なり」
八巻・一巻・一品・一偈 の 人 乃至 題目 を 唱うる 人・如来 の 使 なり、
始中終 すてず して 大難 を・とをす 人・如来 の 使 なり
KYŌ NI IWAKU 「NŌ-SETSU NŌ-KYŌ・NŌ-JI NŌ-KYŌ NO HITO・SUNAWACHI NYORAI NO TSUKAI NARI」
HAK'KAN・IK'KAN・IP'PON・ICHI-GE NO HITO NAISHI DAIMOKU WO TONAURU HITO・NYORAI NO TSUKAI NARI,
SHI-CHŪ-JŪ SUTEZU SHITE DAINAI WO・TŌSU HITO・NYORAI NO TSUKAI NARI
四条 金吾 殿 御返事
SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI
[源遠長流 御書]
GON-ON-CHŌ-RYŪ GOSHO
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