法華経の文に難信難解と説き給ふ - A passage from the Lotus Sutra reads that it is “the most difficult to believe and the most difficult to understand.”
本文
法華経の文に難信難解と説き給ふは是なり、
此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、
受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり
ほけきょうのもんになんしんなんげとときたもうはこれなり、
この きょう を きき うくる ひと は おおし、まこと に きき うくる ごとく に だいなん きたれども おくじふぼう の ひと は まれ なる なり、うくる は・やすく たもつ は かたし・さる あいだ・じょうぶつ は たもつ に あり、
この きょう を たもたん ひと は なん に あう べし と こころえて たもつ なり
四条金吾殿御返事
しじょうきんごどのごへんじ
[此経難持御書]
しきょうなんじごしょ
(1136頁)
文永12年3月
(1275年)
通解(意訳)
法華経法師品第10の文に「難信難解(法華経は信じることが難しく、理解することが難しい)」と説かれているのは、このこと(法華経に不審を抱いている心)のことである。
法華経を聞き受ける人は多い。だが、本当に聞き信受して、どんな大難がきても、この法華経を常に思い持って忘れない人はまれである。受けることはやさしいが、持つことは難しい。したがって、成仏は持ちつづけることにある。
この法華経を持つ人は必ず難に値うのだと心得て持つべきである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
A passage from the Lotus Sutra reads that it is “the most difficult to believe and the most difficult to understand.” Many hear about and accept this sutra, but when great obstacles arise, just as they were told would happen, few remember it and bear it firmly in mind.
To accept is easy; to continue is difficult. But Buddhahood lies in continuing faith. Those who uphold this sutra should be prepared to meet difficulties.
" The Difficulty of Sustaining Faith "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 471
in March, 1275.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
法華経の文に難信難解と説き給ふは是なり、
此の 経 を きき うくる 人 は 多し、まこと に 聞き 受くる 如く に 大難 来れども 憶持不忘 の 人 は 希 なるなり、
受くる は・やすく 持つ は かたし・さる 間・成仏 は 持つ に あり、
此 の 経 を 持たん 人 は 難 に 値う べし と 心得て 持つ なり
HOKEKYO NO MON NI NANSHIN-NANGE TO TOKI TAMOU WA KORENARI,
KONO KYŌ WO KIKI UKURU HITO WA ŌSHI, MAKOTO NI KIKI URKURU GOTOKU NI DAINAN KITAREDOMO OKUJI-FUBŌ NO HITO WA MARE NARUNARI,
UKURUWA・YASUKU TAMOTSU WA KATASHI・SARU AIDA・JŌBUTSU WA TAMOTSU NI ARI,
KONO KYŌ WO TAMOTAN HITO WA NAN NI AU BESHI TO KOKOROETE TAMOTSU NARI
四条金吾殿御返事
SHIJŌ KINGO DONO GOHENJI
[此経難持御書]
SHIKYŌ NANJI GOSHO
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