善知識に値う事が第一のかたき事なり - Encountering a good friend is the hardest possible thing to do.
本文
善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり
ぜんちしきに あうことが だいいちの かたきこと なり、されば ほとけは ぜんちしきに あうこと をば いちげんの かめの うきぎに いり・ぼんてんより いとを さげて だいちの はりの めに いるに たとえ たまえり
三三蔵祈雨事
さんさんぞうきうのこと
(1468頁)
建治元年6月
(1275年)
通解(意訳)
善知識に値うことが最も難しいことである。それゆえ、仏は善知識に値うことを、千年に一度しか浮かび上がってこない伝説の一眼の亀が、たまたま海に浮いている浮木に出会って、浮き木の穴に入るようなものであり、天より糸を下げて、大地に立ててある針の目に通すようなものである、と譬えられているのである。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
Encountering a good friend is the hardest possible thing to do. For this reason, the Buddha likened it to the rarity of a one-eyed turtle finding a floating log with a hollow in it the right size to hold him, or to the difficulty of trying to lower a thread from the Brahmā heaven and pass it through the eye of a needle on the earth.
" Three Tripitaka Masters Pray for Rain "
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 598
in June, 1275.
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
善知識 に 値う 事 が 第一 の かたき 事 なり、
されば 仏 は 善知識 に 値う 事 をば 一眼 の かめ の 浮木 に 入り・梵天 より いと を 下て 大地 の はり の め に 入る に たとへ 給へり
ZEN-CHISHIKI NI AU KOTO GA DAI-ICHI NO KATAKI KOTO NARI,
SAREBA HOTOKE WA ZEN-CHISHIKI NI AU KOTO WOBA ICHIGEN NO KAME NO UKIGI NI IRI・BONTEN YORI ITO WO SAGETE DAICHI NO HARI NO ME NI IRU NI TATOE TAMAERI
三三蔵 祈雨事
SAN-SAN-ZŌ KIU-NO-KOTO
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