所謂南無妙法蓮華経は精進行なり - Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice.
本文
一念に 億劫の辛労を尽せば 本来 無作の三身 念念に起るなり
所謂 南無妙法蓮華経は 精進行なり
いちねんに おくごうの しんろうを つくせば ほんらい むさのさんじん ねんねんに おこるなり
いわゆる なんみょうほうれんげきょうは しょうじんぎょうなり
御義口伝
おんぎくでん
廿八品に一文充の大事
湧出品
にじゅうはっぽんにいちぶんずつのだいじ
ゆしゅつぼん
(790頁)
通解(意訳)
一念に億劫(おくごう;仏教における時間の最長単位である「劫(こう・ごう)」の一億倍、永劫、永遠)にも匹敵する努力を尽くして仏道修行に励んでいけば、本来、自分自身に具わっている仏の生命(無作の三身。無作:むさ;本来の意、三身:さんじん;仏の三種類の特性)が、瞬間瞬間に起こってくるのである。いわゆる南無妙法蓮華経と唱えていくことは、精進行である。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
If in a single moment of life we exhaust the pains and trials of millions of kalpas, then instant after instant there will arise in us the three Buddha bodies with which we are eternally endowed.
Nam-myoho-renge-kyo is just such a “diligent” practice.
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Separate Transmission
The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters
of the Lotus Sutra
15. Emerging from the Earth
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
Part 1, 214
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[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
一念に 億劫の辛労を尽せば 本来 無作の三身 念念に起るなり
所謂 南無妙法蓮華経は 精進行なり
ICHINEN NI OKUGŌ NO SHINRŌ WO TSUKUSEBA HONRAI MUSA NO SANJIN NEN-NEN NI OKORUNARI
IWAYURU NAM-MYOHO-RENGE-KYO WA SHŌJIN-GYŌ NARI
御義口伝
ON-GI-KU-DEN
廿八品に一文充の大事
湧出品
NIJŪ-HAP'PON NI ICHIMON ZUTSU NO DAIJI
YUSHUTSU BON
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