身の賎をもつて其の法を軽んずる事なかれ - Do not make light of a teaching just because the person who preaches it is of humble station.
本文
仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず 只 経文を先きとすべし
身の賎をもつて其の法を軽んずる事なかれ
ぶっぽうは あながち に ひと の きせん には よるべからず ただ きょうもん を さき と すべし
み の せん を もって その ほう を かろんずる こと なかれ
聖愚問答抄・上
しょう ぐ もんどう しょう・じょう
(481頁)
文永2年又は文永5年
(1265年、1268年)
通解(意訳)
相手の信仰している仏法(宗教)が正しいかどうかは、みだりに世間上の身分の上下や外見によって判断してはならない。ただ経文に照らし合わせて判断すべきである。
身分や外見が卑しいからといって、その法を軽んじてはならない。
英語で御書
Gosho in English
Gosho in English
In matters of Buddhist doctrines one cannot jump to conclusions simply on the basis of the eminence of the person involved. The words of the sutras are what must come first.
Do not make light of a teaching just because the person who preaches it is of humble station.
" Conversation between a Sage and an Unenlightened Man "
Part One.
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 109
in 1265, or 1277 to 1268
[ --- ] is liberal translation.Gosho in Japanese
仏法 は 強ち に 人 の 貴賎 には 依る べからず 只 経文 を 先き と すべし
身 の 賎 を もつて 其の 法 を 軽んずる 事 なかれ
BUP'PO HA ANAGACHI NI HITO NO KISEN NIWA YORU BEKARAZU TADA KYOMON WO SAKI TO SUBESHI
MI NO SEN WO MOT'TE SONO HŌ WO KARONZURU KOTO NAKARE
聖愚問答抄・上
SHŌ-GU MONDŌ SHŌ・JŌ
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