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10月, 2015の投稿を表示しています

譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し - The joints in a piece of bamboo: if one joint is ruptured, then all the joints will split.

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本文   釈 尊・塵点劫の間・修行して 仏にならんと はげみしは 何事ぞ 孝養の事なり、然るに 六道四生の 一切衆生は皆 父母なり  孝養おへざりしかば 仏に ならせ給はず、今 法華経と申すは 一切衆生を仏になす 秘術まします御経なり、所謂 地獄の 一人・餓鬼の一人・乃至 九界の一人を 仏になせば 一切衆生・皆 仏になるべき ことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破 ぬれば 余の節 亦 破るるが如し   法蓮抄(父子成仏抄)(1459頁)  建治元年4月 通解(意訳)   釈尊が塵点劫もの間、修行して仏になろうと励まれたのは何のためか。一切衆生、すべての生命への 孝養のためである。さて、その一切衆生の過去の人間は皆、辿っていけば我が祖先であり、父母である。釈尊も、孝養を終えないうちは、仏になることはできなかったのである。今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。生命の状態をあらわした、いわゆる十界論の地獄界の一人・餓鬼界の一人・ないし九界の中の一人、この「一人の人」を仏にすることで、「全ての人々が皆、同じように仏になることができる」という道理が顕れたのである。 譬えば、竹の節を縦に一つ割れば、他の節もそれにしたがって、一瞬で縦に割れるようなものである。このように、地獄界にいたとしても餓鬼界にいたとしても、南無妙法蓮華経と唱えた瞬間に仏界に到達し、仏性を開いて、自己の無限の力、可能性を涌現させることができるのである。     English Translations " Letter to Hōren "    What inspired Shakyamuni to devote himself to religious practice over kalpas equal in number to dust particles in an effort to attain Buddhahood? It was nothing other than the ideal of filial devotion. All the living beings of the six paths and the four forms of birth are our fathe...

地涌の菩薩の当体蓮華なり - The Bodhisattvas of the Earth are the lotus of the entity of the Mystic Law

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本文   経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり   当体義抄   当体義抄送状 (519頁)  年月不明(文永10年説が有力) 通解(意訳)   法華経従地湧出品第十五に「本化の菩薩は、世間の間違った法に染まらないことは、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清らかであることと同じである。しかも、この本化の菩薩は大地から湧出した」と説かれている通り、地湧の菩薩が当体蓮華でなのである。地湧の菩薩が蓮華の花に例えられている事は 明らかであろう。これについては後日、改めて書くことにする。 この当体蓮華の法門は、法華経のいわゆる肝心であり、釈尊が生まれてきた使命(出世の本懐)であって、地湧の菩薩に広宣流布を託したところの、末法に弘通すべき肝心である。     English Translations " The Entity of the Mystic Law " Cover Letter   The sutra says, “ [They are] unsoiled by worldly things like the lotus flower in the water. Emerging from the earth . . . ” Here we see that the Bodhisattvas of the Earth are the lotus of the entity of the Mystic Law, and that the lotus is being used here as a simile. But I will write to you about this again at some future time. This teaching represents the ultimate principle of the entire Lotus Sutra. It is the ultimate purpose of the Thus Come One Shakyamuni’s...

本仏と云うは凡夫なり - The “true Buddha” here means common mortals

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本文   釈迦仏は 我れ等 衆生のためには 主 師 親 の 三徳を 備へ給うと思ひしに、さにては候はず 返つて  仏に三徳をかふらせ奉るは 凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・ 本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり、此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり   諸法実相抄 (1358~1359頁)   文永10 年5月 通解(意訳)    釈迦仏が、我ら衆生のために主・師・親の三徳をそなえられていると思っていたのであろうが、そうではなく、かえって釈迦仏に三徳をこうむらせているのは、凡夫なのである。  その理由は、如来というのは天台大師の法華文句の解釈には「如来とは十方三世の諸仏・真仏・応仏の二仏、法身・報身・応仏の三身・本仏・迹仏の一切の仏を通じて如来と号するのである」と判じられている。この釈にある「本仏」というのは「凡夫」であり、 生命の胸中に元来備わっている 「真の仏の姿」である。 「迹仏」というのは、釈尊の過去世の修行の姿を名付けた仏の名前であり、凡夫が仏の生命を理解するための「 例えの姿 」 を「迹仏」というのである。     English Translations " The True Aspect of All Phenomena "    Though it is thought that Shakyamuni Buddha possesses the three virtues of sovereign, teacher, and parent for the sake of all of us living beings, that is not so. On the contrary, it is common mortals who endow him with the three virtues.  The “Thus Come One” is explained clearly in T’ien-t’ai’s commentary as follows: “The Thus Come One is a general designation for the Buddhas of the te...

日蓮さきがけしたり - I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa

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本文   法華経の肝心・諸仏の眼目たる 妙法蓮華経の 五字・末法の始に 一閻浮提に ひろまらせ給うべき瑞相に 日蓮 さきが け したり、わたうども 二陣三陣つづきて 迦葉・阿難にも勝ぐれ 天台・伝教にも こへよかし   種種御振舞御書(910~911頁) 建治2年3月 通解(意訳)   法華経の肝心であり・諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の始めに全世界に弘まっていくきっかけとして、日蓮がその先駆を切った。わが門下一党の者も、二陣・三陣と日蓮に続いて正法を弘通して、法華経を伝えてきた先人達である、迦葉・阿難にも勝り、天台・伝教をも超えていきなさい。     English Translations " The Actions of the Votary of the Lotus Sutra "   Now, at the beginning of the Latter Day of the Law, I, Nichiren, am the first to embark on propagating, throughout Jambudvīpa, the five characters of Myoho-renge-kyo, which are the heart of the Lotus Sutra and the eye of all Buddhas. During the 2,220 or more years since the Buddha’s passing, not even Mahākāshyapa , Ānanda , Ashvaghosha , Nāgārjuna , Nan-yüeh , T’ien-t’ai , Miao-lo , or Dengyō has propagated them.  My disciples, form your ranks and follow me, and surpass even Mahākāshyapa or Ānanda , T’ien-t’ai or Dengyō !   "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 765 [ --- ] is ...

左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつる - Even if it seems that, because I was born in the ruler’s domain, I follow him in my actions, I will never follow him in my heart.

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本文   左 衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば 随えられたてまつるやうなりとも 心をば随えられたてまつるべか らず 念仏の無間獄・禅の天魔の所為なる事は疑いなし  殊に真言宗が此の国土の大なる わざはひにては候なり 大 蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず 若し 大事を真言師・調伏するならば いよいよ いそいで此の 国ほろぶべし と 申せしかば 頼綱 問うて云く いつごろよせ候べき、予 言く 経文には いつとは みへ候はねども 天の御 気色 いかり すくなからず・きうに見へて候 よも 今年はすごし候はじ と語りたりき   撰時抄(287頁) 建治元年12 月 通解(意訳)    国家権力の 実質的な執行者である 平左衛門尉  頼綱 に、 「 武士であるあなたは特に、 国王がいる国に生まれた以上、体や身分は国主に従えられているようであられても、心まで国主の言われるがままに従えられるようであってはなりません。日本国の世が乱れているのは、間違った法を国政に用いているからであることは疑いありません。ことさらに、真言宗がこの日本国に起きている震災、天候不良、日食、月食、大彗星出現、大飢饉、疫病などの大きな禍いの元凶なのです。 大蒙古(モンゴル帝国)との調伏(平和調停)を、真言師に仰せつけてはなりません。もし、この大事を真言師に調伏させれば、いよいよ急激にこの国が滅びる事になります。」  と申したところ、頼綱は、 「大蒙古はいつ頃攻め寄せてくるであろうか」 と聞いてきた。  そこで日蓮は、 「経文にはいつとは書いてはないけれども、天の様子から、国を守護する諸天の怒りが少なくないようです。蒙古襲来は目に見えて迫っており、恐らく今年を越すことはないでしょう」 と答えたのである。  (その後、日蓮の言葉は一切用いられる事なく、逆に日蓮に対する非難はより激しくなった。だが、結果的には日蓮が予言した通り、その年に蒙古襲来 があり、他国侵逼難 が的中し、その後の佐渡流罪中に、北条家の内乱(二月騒動)が勃発し、自界本逆難が的中したのである。) *「 王地に生れたれば身をば 随えられたてまつるやうなりとも 心をば随えられたてまつるべからず 」の御文は、 ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界中の人権闘争を編纂...

仏舎利変じて米と成るとは是なるべし - Buddha’s relics turning into rice.

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本文   法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべ し、一切衆生を利益するなればなり、 故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし、かかる今時分人をこれまで つかはし給う事うれしさ申すばかりなし、釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか。 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし。   高橋殿御返事(米穀御書)(1467頁)   年月不明( 建治~弘安) 通解(意訳)   法華経の行者に米を供養してを養うのは、慈悲のなかの大慈悲の米であろう。なぜなら、法華経の行者とは、 自身の仏性に目覚めた は地涌の菩薩であり、 一切衆生もまた、本来仏性を持っている。そして、 地涌の菩薩の仏性に呼び呼ばれて、一切衆生を利益することになるからである。故に仏舎利が変じて米となるというのは、このことであろう。このような不作が続いているこの時分に、使いの人を身延の山奥まで遣わされたことの嬉しさは、言いようがないほどである。釈迦仏や地涌の菩薩が、あなたの御身に入り替わられておられるのだろうか。 あなたが住んでいるその地 の広宣流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こるものである。この故に諸教の中で最も勝れている、法華経を説くのである。     English Translations " The Properties of Rice "    Rice that nourishes the votary of the Lotus Sutra must be rice of the utmost compassion, because it benefits all living beings.  [ Because an ascetic of a Lotus Sutra is a bodhisattva of the Earth which woke up in its Buddha nature. Equally,  all living beings have Buddha nature primarily, too.  So it'll be because it'll bring benefits to...

上は非想の雲の上.下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名く - The Buddha nature that all these beings possess is called by the name Myoho-renge-kyo.

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本文   上は非想の雲の上.下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の 仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば 一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時 我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば籠の内にある鳥の鳴く 時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し。   聖愚問答抄上 (498頁) 文永2年 通解(意訳)   上は想像もつかない雲の上にいるような生命の状態の者から、下は地獄の炎の底にいるような生命の状態の者まで、あらゆる者の生命に本来備えている仏性を、妙法蓮華経と名づけるのである。  そうであるから、一遍でもこの妙法蓮華経と唱へたてまつれば、あらゆる者の仏性が皆呼ばれて、そこに集まる時、自己の生命の中の法・報・応の三身(仏の生命力)がともに引かれて顕れ出る。これを 成仏というのであり、成仏とは、妙法蓮華経と唱えた瞬間に、即ぐに 自己の仏の生命を成く(ひらく)という意味なのである。  たとえば籠の内いる鳥が鳴く時、その鳴き声を聞いて、空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まる、これを見て、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。     English Translations " Conversation between a Sage and an Unenlightened Man "    All living beings from the realm where there is neither thought nor no thought above the clouds down to the flames in the lowest depths of hell—the Buddha nature that all these beings possess is called by the name Myoho-renge-kyo.   Therefore, if you recite these words of the daimoku once, then the Buddha nature of all living beings will be summ...

過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ - If you want to understand the causes that existed in the past, look at the results as they are manifested in the present.

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本文   過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば 其の現在の因を見よ   開目抄・下 (231頁) 文永9年2月 通解(意訳)   過去世であれ、現世の過去であれ、自分がどのような要因を作ってきたか は、現在の自分の状態(結果)を見ればわかる。同様に、来世であれ現世の未来であれ、自分がどうなっているかを知ろうとするなら、現在の要因を見なさい。そして、理想の自分になれるような要因を、今作っていきなさい。     English Translations " The Opening of the Eyes " Part Two   If you want to understand the causes that existed in the past, look at the results as they are manifested in the present. And if you want to understand what results will be manifested in the future, look at the causes that exist in the present. [ And make the causes which can be ideal itself over now. ]   "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 279 [ --- ] is liberal translation 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせん - I have vowed to enable all women to chant the daimoku of this sutra.

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本文   但 法華経 計りこそ 女人成仏・悲母の恩を 報ずる 実の報恩経にて候へと 見候いしかば・悲母の恩を 報ぜんために 此の経の題目 を 一切の女人に唱えさせん と 願す   千日尼御前御返事(真実報恩経事) (1312頁)  弘安元年7月28日 通解(意訳)   あらゆる仏典の中で、唯一、法華経だけが女性が成仏できる事を明かした経文である。慈父・悲母(父母の慈悲)への報恩(恩に報いる・恩返し)、特に悲母への報恩のための、真実の報恩経であると考えたので、悲母の恩を報ずるために、法華経の題目をすべての女性に唱えさせようと、願いを立てたのである。     English Translations " The Sutra of True Requital "    Since I have realized that only the Lotus Sutra teaches the attainment of Buddhahood by women, and that only the Lotus is the sutra of true requital for repaying the kindness of our mother,  [ the sutra for which you can repay parents' mercy ,]  In order to repay my debt to my mother, I have vowed to enable all women to chant the daimoku [  Nam-myoho-renge-kyo ]  of this sutra.   "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 931 [ --- ] is liberal translation 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitte...

二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へ と 思食すべし - Bear in mind that the twenty-eight chapters of the Lotus Sutra contain only a few passages elucidating the truth, but a great many words of praise.

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本文   金(こがね)は やけば(焼けば)弥(いよいよ)色まさり 剣(つるぎ)は とげば 弥 利くなる(とくなる)・法華経の功徳は ほむれば 弥 功徳まさる、二十八品は 正き事は(まさしき こと は)わずかなり 讃むる言(ほむる ことば)こそ多く候へ と 思食す(おぼし めす)べし   妙密上人御消息(法華経功徳抄) (1241~1242頁)  建治2年潤3月 通解(意訳)   金は、焼いて精錬すればいよいよ色がよくなり、剣は、研げばいよいよよく切れるようになる。これらと同じように、法華経の功徳に感動し、歓喜して讃嘆することで、ますます功徳が勝れ、歓喜の心を語ることで、法華経を讚嘆することになるのである。法華経二十八品は、正しい法理を説いたところはわずかではあるが、讃めた言葉こそ多くあるのだ、ということを心得てきなさい。     English Translations " The Blessings of the Lotus Sutra "   The more gold is heated in the flames, the brighter will be its color; the more a sword is whetted, the sharper it will become. And the more one praises the blessings of the Lotus Sutra, the more one’s own blessings will increase. Bear in mind that the twenty-eight chapters of the Lotus Sutra contain only a few passages elucidating the truth, but a great many words of praise.   "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P  673 [ --- ] is liberal translation 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : ...

先臨終の事を習うて後に他事を習うべし - [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.

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本文   先 臨終の事を習うて 後に他事を習うべし   妙法尼御前御返事(臨終一大事) (1404頁)  弘安元年7月 通解(意訳)   仏法における三世永遠の生命観においては、今世の人生の終わりは、 新たな人生の始まりを迎えようとする時で あり 、 来世への旅路 でも ある。 この今世の総仕上げの最期、臨終の時に「自分の人生に悔いはない」と思えるには、人生をどう生きていくかを習ってから、その他の事を習うべきである。     English Translations " The Importance of the Moment of Death "   [ You ] should first of all learn about death, and then about other things.   "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, P 759 [ --- ] is liberal translation Interpretation (liberal translation)    The case and at the end of a life of person's this world when a life and death sense is considered by the life look of the Third eternity of Buddhism are when the origin of the otherworldly new life is met.  Others should be learned after who learn from the end of person's this world how is living through the life first to think "I could send a wonderful life." 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nic...

一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり - Nichiren is the only person in the entire land of Jambudvīpa who has fulfilled the Buddha’s words.

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本文    日蓮 二十七年が間. 弘長元年 辛酉 五月十二日には 伊豆の国へ流罪, 文永元年 甲子 十一月十一日 頭にきずをか ほり 左の手を打ちをらる、 同文永八年 辛未 九月十二日 佐渡の国へ配流 又 頭の座に望む、其の外に 弟子を殺され 切ら れ 追出・くわれう等 かずをしらず、  仏の大難には 及ぶか勝れたるか 其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は 余に肩を 並べがたし、  日蓮 末法に出でずば 仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後 二千二百三十余 年が間・一閻浮提の内に 仏の御言を助けたる人・但 日蓮一人なり   聖人御難事(1189~1990頁)  弘安2年10月 通解(意訳)   日蓮は27年の間に、伊豆へ流罪させられ、頭と左手を打たれ、佐渡へ流罪され、また斬首の刑にも臨んだ。その他に弟子たちを殺され切られ、追放や罰金などは数知れず、様々な難に遭ってきた。 釈尊が遭われた大難にも並び及ぶか、勝るか、それは知らない。しかし竜樹・天親・天台・伝教ら、法華経を後世に残した先人達は、このような難に遭っていないので、日蓮とは肩を並べがたい。 日蓮が末法に生まれ、法華経の肝心である、南無妙法蓮華経を弘めなければ、 「この法華経を説く時、 釈尊が生きている間 でさえ、反発する者が多かった。釈尊が滅した後の世に法華経を説けば、言うまでもなく大難に遭う」(猶多怨嫉・況滅度後) と説いた釈尊は大嘘つきの人となり、「釈尊の説いた法華経が真実である」と保証した、あらゆる諸天善神は全くの嘘を保証したことになってしまう。 釈尊滅後2230年余りの間、全世界の中において、釈尊の御言葉を助け、釈尊は正しいと証明したのは、経文通りに数々の難を受けた、日蓮ただ一人なのである。   English Translations " On Persecutions Befalling the Sage "   In these twenty-seven years, however, Nichiren was exiled to the province of Izu on the twelfth day of the fifth month in the first ...

法華経の行者として諸人にかたり給ふ - You, as a votary of the Lotus Sutra, have told others of this Law.

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本文   貴辺 又 日蓮にしたがひて 法華経の行者として 諸人にかたり給ふ 是れ 豈 流通にあらずや、法華経の信心 を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば 火をえず、強盛の大信力をいだして 法華宗の四条金吾・四条金吾と 鎌倉 中の上下万人 乃至 日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ   四条金吾殿御返事 (煩悩即菩提御書) (1117~1118頁) 文永9年5月 通解(意訳)   あなた(四条金吾)もまた、日蓮に従って、法華経の行者として信心の素晴らしさを様々な人に語られている。これこそまさに広宣流布ではないか。  法華経の信心を貫き通しなさい。火を起こすのに、その作業を途中で休んでしまえば火は得られない。強盛な信心を取り出して、法華宗(日蓮仏教)の四条金吾・四条金吾と、鎌倉中の上下万人、そして日本国の全ての人々が口にするようになっていきなさい。     English Translations " Earthly Desires Are Enlightenment "    Following me, you, as a votary of the Lotus Sutra, have told others of this Law. What else could this be but the transmission of the Law?  Carry through with your faith in the Lotus Sutra. You cannot strike fire from flint if you stop halfway. Bring forth the great power of faith, and be spoken of by all the people of Kamakura , both high and low, or by all the people of Japan, as “ Shijō Kingo , Shijō Kingo of the Lotus school! [ The Nichiren Buddhist ] ”   "The Writings of Nichiren Daishon...

未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり - We can change the karma that destines us to suffer terribly in the future.

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本文   我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受す れば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまね ぎこして少苦に値うなり   兄弟抄(1083頁) 文永12年4月 通解(意訳)   我らは、過去世で正法(法華経)を修行していた者に対して怨をなしたのであるが、今世では反対に自分が正法を信受することになったので、過去世に法華経の行者の修行を妨げた罪により、本当は 未 来世に大地獄に堕ちるはずであったが、今世に強盛に正法を行じているため、その功徳も強盛であるから、来世の大きな苦しみを今世に招きよせて、少さな苦しみに値う事で済んでいるのである。     English Translations " Letter to the Brothers "   We, who now believe in the correct teaching [ The Lotus Sutra ] , in the past once committed the offense of persecuting  its practitioners [ of The Lotus Sutra ] , and therefore are destined to fall into a terrible hell in the future. The blessings gained by practicing the correct teaching, however, are so great that by meeting minor sufferings in this life we can change the karma that destines us to suffer terribly in the future.   "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 497 [ --- ] is liberal translation 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "Th...

南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり - Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.

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本文   始めて 我心 本来の仏なり と知るを即ち大歓喜と名く 所謂 南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり   御義口伝 廿八品に一文充の大事  五百品(788頁) 通解(意訳)   御本尊を受持することによって、初めて自分自身の生命の中に、何者にも揺るがされない強靭な生命力や、無限の可能性を秘めている事を知る事ができる 、すなわち 自分自身の生命に本来備わっている仏性(= 妙法の当体)である と悟っていくことができる。これを大歓喜というのである。 南無妙法蓮華経と題目を唱えていくことで、自分自身の仏の境涯を顕す事ができる(=即身成仏)のであり、これが歓喜の中の大歓喜なのである。     English Translations "  The Essential Passage in Each of the Twenty-eight Chapters of the Lotus Sutra  "  -  8. Prophecy of Enlightenment for Five Hundred Disciples -   The great joy that one experiences when one understands for the first time that one’s mind from the very beginning has been a Buddha. Nam-myoho-renge-kyo is the greatest of all joys.   " The Record of The Orally Transmitted Teachings " Separate Transmission, P 211 [ --- ] is liberal translation Interpretation (liberal translation)    It's possible to know to keep the tough life force shaken by no persons and an infinite possibility in the life for the first time ...