其の本尊は正法・像法・二時には習へる人だにもなし・ましてかき顕し奉る事たえたり - The Gohonzon was never known, let alone inscribed, by anyone in the Former or Middle Day of the Law.
先日の まほり(守) 暫時(ざんじ)も身を・はなさず(離さず) たもち(持ち)給へ、其の本尊は正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)・二時には 習へる人 だにも なし・まして かき顕し奉る(書きあらわし たてまつる)事 たえたり(絶えたり)、師子王は 前三後一(ぜんさんごいち) と申して・ありの子(蟻の子)を取らんとするにも 又 たけき(猛き)ものを取らんとする時も・いきをひ(勢い)を出す事は・ただ をなじき(同じき)事なり、日蓮 守護たる処の 御本尊を・したため参らせ候事も 師子王に・をとる(劣る)べからず、経に云く「師子奮迅之力(ししふんじんのりき)」とは是なり
経王殿御返事(1124頁) 文永十年八月
通解(意訳)
先日差し上げた御守御本尊は、どんな時も身を離すことなく、受持していきなさい。この御本尊は、正法・像法の二つの時代には、習い伝えた人すらいない。ましてや、書き顕したことは絶えてしまっていたのである。
師子王(ライオン)は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時でも、また獰猛なものを取ろうとする時でも、全力を出し切るという勢いは、全く同じである。日蓮が御本尊を認める時にも、師子王に劣らぬほど、日蓮の全生命を込めて、顕し認めたのである。法華経湧出品に「師子奮迅の力」とはこれである。
English Translations
" Reply to Kyō’ō "
Always cherish the Gohonzon that I gave you some time ago for her protection. The Gohonzon was never known, let alone inscribed, by anyone in the Former or Middle Day of the Law. The lion king is said to advance three steps, then gather himself to spring, unleashing the same power whether he traps a tiny ant or attacks a fierce animal. In inscribing this Gohonzon for her protection, Nichiren was like the lion king. This is what the sutra means by “the power [of the Buddhas] that has the lion’s ferocity.”
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 412
[ --- ] is liberal translation
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参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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