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6月, 2015の投稿を表示しています

螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし - the renegade disciples say, “Though the priest Nichiren is our teacher, he is too forceful. We will spread the Lotus Sutra in a more peaceful way.” In so asserting, they are being as ridiculous.

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本文 日蓮御房は師匠に ておはせども余にこはし 我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し井江 が河海をあなづり 烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし わらふなるべし 佐渡御書(頁) 文永9年3月 通解 (愚かな者が) 「日蓮御房は私達の師匠ではあられるが、余りにも強盛すぎる。我らは柔らかに法華経を弘めよう」と言っていることは、ホタルの光が太陽や月の光を笑い、蟻塚が華山(約2kmある中国の山)を見下し、井戸や小川が大河や海を侮り、カササギが鸞鳥や鳳凰(伝説上の鳥)を笑うようなものである。 笑うようなものである。 English Translations "  Letter from Sado " The renegade disciples say, “Though the priest Nichiren is our teacher, he is too forceful. We will spread the Lotus Sutra in a more peaceful way.” In so asserting, they are being as ridiculous as fireflies laughing at the sun and moon, an anthill belittling Mount Hua , [ About 6562 feet of Chinese famous mountain ]  wells and brooks despising the river and the ocean, or a magpie mocking a phoenix. Nam-myoho-renge-kyo. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 306 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" ...

仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり - The most important thing in practicing the Buddhist teachings is to follow and uphold the Buddha’s golden words

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本文 仏法を修行せんには 人の言を用う可らず只仰い で仏の金言をまほるべきなり 如説修行抄(頁) 文永十年五月 通解 仏法を修行をするには、教主釈尊以外の言葉や経典を用いてはならない。ただ、教主釈尊の御金言だけを守るべきである。 English Translations "  On Practicing the Buddha’s Teachings " The most important thing in practicing the Buddhist teachings is to follow and uphold the Buddha’s golden words, not the opinions of others. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 393 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし - I have survived until this day. You should realize that this is because, although I am alone, I have firm faith.

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本文 日蓮をば 日本国の上一人(かみ いちにん)より 下万民(しも ばんにん)に至るまで 一人もなく あやまたんと・せ しかども・今までかうて候事は 一人なれども 心のつよき故なるべしと・おぼすべし 乙御前御消息(身軽法重抄) (1220頁)  建治元年8月 通解 この日蓮を、日本国の地位のある者から下賎の者まで、一切の人々が迫害しようとしたが、今までこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心が強いゆえに諸天が守護されたのである、と思いなさい。 English Translations " The Supremacy of the Law " Everyone in Japan, from the sovereign on down to the common people, without exception has tried to do me harm, but I have survived until this day. You should realize that this is because, although I am alone, I have firm faith. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 614 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

仏教をならはん者 父母・師匠・国恩をわするべしや - Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country.

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本文 仏教を ならはん者(習わん者) 父母・師匠・国恩を わするべしや、此の大恩を ほうぜん(報ぜん)には 必ず仏法を ならひ きはめ(習い 極め) 智者とならで叶うべきか 報恩抄(293頁) 建治2年7月 通解 仏法を習う者が、父母、師匠、国の恩を忘れていい訳があろうか。 この大恩に報いるためには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない。 English Translations " On Repaying Debts of Gratitude " What can we say, then, of persons who are devoting themselves to Buddhism? Surely they should not forget the debts of gratitude they owe to their parents, their teachers, and their country. But if one intends to repay these great debts of gratitude, one can hope to do so only if one learns and masters Buddhism, becoming a person of wisdom. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 690 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ...

今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ - Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts.

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本文 法華経は一句一偈(いっくいちげ)も末代に持ち(たもち)がたしと・とかるるは・これなるべし、今度(こんど)・強盛の菩提心を(ごうじょう の ぼだいしん を)・をこして(起こして)退転せじと願(がん)じぬ 開目抄・上(200頁) 文永9年2月 通解 「たとえ一句一偈であっても 末法において法華経を持つ(たもちつ)ことは難しい」と説かれているのは、こ れ(宝塔品にある 六難九易) に違いない。 私は、今度こそ強い求道心を起こして、断じて退転するまいと誓願したのである。 English Translations " The Opening of the Eyes" when compared to the difficulty of embracing even one phrase or verse of the Lotus Sutra in the Latter Day of the Law.  Nevertheless, I vowed to summon up a powerful and unconquerable desire for the salvation of all beings and never to falter in my efforts. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 0240 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり - The heritage of the Lotus Sutra flows within the lives of those who never forsake it in any lifetime whatsoever—whether in the past, the present, or the future.

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本文 過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべか らず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり 生死一大事血脈抄(1337頁) 文永九年二月 通解 過去世において、 強盛に 法華経を信受してきたことが 縁となって 、現世でこの法華経を受持したのである。来世においても法華経と縁し、仏果を成就することは疑う余地がない。 過去、現在、未来と、三世の生死に渡って、法華経から離れず受持し続けることを、法華経の血脈相承というのである。 *意訳および筆者が感じた事 過去世において、法華経を強盛に信受し、善根(善い行い)を 作った ということが 原因 となって、今世でも法華経と 縁する という 結果 を結び、仏の使いである地涌の菩薩となる 報償 を得ることができたのである。 さらに、今世で法華経の行者となり、自身の使命を全うするという善根を 作 ったこと が 因 となって、来世でも法華経と 縁 する 果 となり 、地涌の菩薩として生まれる 報 を得ることは、法華経の生命論に照らし合わせて、間違いないことである 。 これは、昨日・今日・明日という、「眠っては起きる」 という今世での時間の流れが、過去・現在・未来の「生死」という生命サイクルの法則の観点から見た時、常に法華経から離れず、受持し続けることを血脈相承というのである。 *法華経の生命論:生命の状態を顕した「十如是(じゅうにょぜ)」 「十如是」とは、 日々の勤行の中で読んでいる、妙法蓮華経 方便品第二にある、 「 所為諸法・如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末穹境等 」のことです。 現実世界で起きる現象(所為諸法)によって、一瞬のその人の生命、人相(如是相)は、その時の気持ちや性分(如是性)で変わり、人相や性分は、身体(如是体)の変化や、心身的な力(如是力)で変わります。これは起こった現象が原因(如是因)であり、それが心身の変化の縁(如是縁)となって、結果(如是果)としてその人の心身が変化した状態が目に見える報償(如是報)として現れる。 これら(是等)は最初から最後 (本末) まで境目がなく、現実現象と人間の生命状態...

伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し - It was as though there were only wooden or stone statues garbed in priests’ robes and carrying begging bowls.

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伝持の人(でんじ の ひと)無れば(なければ)猶(なお) 木石(もく せき)の衣鉢(え はち) を帯持せるが如し 顕仏未来記(508頁) 文永10年5月 通解 (経典が残っていても)仏法を持ち、伝えていく人がいなければ、それはちょうど木や石で作られた像が、衣を着て、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていないようなものである。 English Translations " On the Buddha’s Prophecy  " No one was found there who could embrace these sutras and teach them to others. It was as though there were only wooden or stone statues garbed in priests’ robes and carrying begging bowls. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 398 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓