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8月, 2015の投稿を表示しています

兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい偏に貴辺の御身にあり - The efforts of you brothers have led your father to take faith in the Lotus Sutra.

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本文   兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる 御計らい偏に貴辺の御身にあり、又真実の経の御ことはりを代末になりて 仏法あながちに・みだれば大聖人世に 出ずべしと見へて候、喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候  代のおさまれるには賢 人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ 兵衛志殿御書(親父入信御書) (1095頁) ?年9月 通解(意訳)   兄弟二人の力によって、父親を法華経の信心につかせることができたという、仏の御計らいはひとえにお兄さんとあなたの信心によるものである。  また、真実の経である法華経の法理に照らせば、時代が末法となり、仏法がひどく乱れた時には、大聖人が必ず世に出現されるとある。  たとえば、松は霜が降りたのちでも枯れないので、木の王といわれ、菊は他の草が枯れたのちにも、なお花を咲かせるので、仙草というのと同じである。 世の中が平穏なときには誰が賢人であるか分からないが、世の中が乱れている末法にこそ、聖人と愚人との違いが顕れるのである。     English Translations " A Father Takes Faith "    The efforts of you brothers have led your father to take faith in the Lotus Sutra. It is wholly due to you, Hyōe no Sakan , that matters have worked out this way.  According to the teachings of the true sutra, when the latter age has begun and Buddhism has fallen into complete disorder, a great sage will appear in the world.  For example, the pine tree, which withstands the frost, is called the king of trees, and the chrysan...

我等凡夫のつたなさは経論に有る事と遠き事はおそるる心なし - We common mortals are so foolish that we do not fear either the warnings in the sutras and treatises.

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本文   設い(たと い)大鬼神の つける(憑ける)人なりと も 日蓮をば 梵釈(ぼんしゃく)・日月(にちがつ)・四天等・天照太神・八幡の守護し給う ゆへに ばつ しがたかる (罰 し 難かる) べし と存じ給うべし、 月月・日 日につより給へ・すこしも たゆむ心あらば 魔 たより をう(追う)べし。 我等 凡夫の つたなさ(拙さ)は 経論(きょうろん)に有る事と 遠き事は おそるる(恐るる)心なし 聖人御難事(1190頁) 弘安2年10月 通解(意訳)   たとえ大鬼神が取り憑いている者であっても、 師匠である日蓮は、誰よりも信心強盛な法華経の行者であるから、梵天・帝釈・日天・月天・四天王、天照太神・八幡大菩薩等、あらゆる諸天善神の守護があるがゆえ、罰することはできないのだと習いなさい。そして日蓮門下の弟子たちも、師と心を合わせ、師と同じように信心強盛であれば、同じように諸天の守護があるのだと、確信していきなさい。 このようにして、月々日々に、常に信心を奮い起していきなさい。少しでも信心にゆるむ心が出てくれば、三障四魔がその心の隙をたよりにして、紛れて襲ってくるであろう。 我々凡夫の拙なさとして、経文に誡めが説かれている事を常に教えているが、自分に大難が襲ってくる事などという事は、自分には縁遠い他人事として、大難を恐れる心がない。これが信心の緩む心の一例であり、いざ自分に難が襲った時には、退転する原因となってしまうのである。     English Translations " On Persecutions Befalling the Sage "    Not even a person possessed by a powerful demon, can harm Nichiren, because Brahmā, Shakra, the gods of the sun and moon, the four heavenly kings, the Sun Goddess, and Hachiman are safeguarding him.  Strengthen your faith day by day and month after month. Should you ...

善悪に付いて起り起る処の念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり - The entity of our life, which manifests either good or evil at each moment, is in fact the entity of the Mystic Law.

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本文   善悪に付いて 起り起る処の念心の当体を 指して 是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば 成仏の直道とは云うなり、この旨を深く信じて 妙法蓮華経と唱へ ば 一生成仏 更に疑あるべからず、 故に経文には「我が滅度の後に於て・応に斯の経を受持すべし・是の人仏道に於 て・決定して疑有る事無けん」と のべたり 一生成仏抄(384頁)  建長七年 通解(通解)   人の心の善悪は、一瞬一瞬に起こる心の状態の変化によるものである事を指して、凡夫の心そのものがそのまま妙法蓮華経の当体(本質)であると説いたのが、諸経の王である法華経である。だから、成仏の直道というのである。 この宇宙の法理を深く信じて、疑う事なく妙法蓮華経と唱えたなら、一生成仏は絶対に間違いないのである。 ゆえに、法華経如来神力品第二十一には「わが滅度の後において、この妙法蓮華経を受持すべきである。この人は仏道において必ず成仏することは疑いないのである」と説かれている。     English Translations " On Attaining Buddhahood in This Lifetime "    The entity of our life, which manifests either good or evil at each moment, is in fact the entity of the Mystic Law.  If you chant Myoho-renge-kyo with deep faith in this principle, you are certain to attain Buddhahood in this lifetime .  That is why the sutra states, “After I have passed into extinction, [one] should accept and uphold this sutra.  Such a person assuredly and without doubt will attain the Buddha way.” Never doubt in the slightes...

始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり - The Farther the Source, the Longer the Stream

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本文   題目を唱うる人・如来の 使なり、始中終すてず(捨てず)して大難を・とをす人・如来の使なり。 四条金吾殿御返事(源遠長流御書) (1182頁) 弘安元年九月 通解(意訳)   題目を唱える人は、如来の使いである。また法華経を受持し始めてから、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し通す人は如来の使である。     English Translations " The Farther the Source, the Longer the Stream "   Who chants the daimoku, is the Thus Come One’s emissary. Also, one who perseveres through great persecutions and embraces the sutra from beginning to end is the Thus Come One’s emissary. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 942 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

つちのもちゐを仏に供養せし人は王となりき - A man who offered a mud pie to the Buddha was reborn as a king.

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本文   竜 馬につきぬる・だには千里をとぶ、松にかかれる・つたは千尋をよづと申すは是か、各各主の御心なり、つちのもちゐ(い)を 仏に供養せし人は 王となりき、法華経は仏にまさらせ給う法なれば 供養せさせ給いて、いかでか 今生(こんじょう )にも 利生(りしょう)にあづかり 後生(ごしょう)にも 仏にならせ給はざるべき  九郎太郎殿御返事(題目仏種御書) (1554頁)弘安元年11月 通解   竜馬にとりついたダニは千里を飛ぶことができ、松に懸ったツタは、千尋という高さをよじ登るというのはこのことであろう。あなたがた上野殿 (南条家) の一族は、 信心強盛であられた故・上野殿 ( 南条兵衛七郎) と同じ志をお持ちであられる。 土の餅を釈尊に供養した人は、のちに国王となった。法華経は釈尊より勝れた法であるから、この法華経に供養された人が、どうして今生でも利益(りやく)をあずかることができ、後生に仏になれないはずがあるだろうか。     English Translations " Daimoku as the Seed of Buddhahood "   A mite clinging to a fleet horse flies a thousand miles, and that the ivy winding around the pine tree soars a thousand feet? Each of you possesses the same heart as the late Ueno . A man who offered a mud pie to the Buddha was reborn as a king. Because the Lotus Sutra is a teaching superior to the Buddha, having made offerings to it, how could you possibly fail to both enjoy benefit in this lifetime and attain Buddhahood in the next? "The Writings of Nichiren Daisho...

教主釈尊の御すすめか将又過去宿習の御催か - Did Shakyamuni Buddha, the lord of teachings, prompt this visit?

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本文   されども凡夫なればかんも忍びがたく・熱をもふ せぎがたし、食ともし表◯目が万里の一食・忍びがたく・ 思子孔が十旬・九飯堪ゆべきにあらず、読経の音も絶え ぬべし・観心の心をろそかなり。 しかるに・たまたまの御とぶらいただ事にはあらず、 教主釈尊の御すすめか将又過去宿習の御催か、方方紙上 に尽し難し 閻浮提中御書(師子王御書) (1590頁) 年月不明 通解(意訳)   広宣流布の第一線を退き、自ら身延の山林に籠もった日蓮であるけれども、私も凡夫であるから、寒さに耐えることも忍び難く、寒気も防ぎ難い。さらに食べ物も乏しい。 表◯目という者は、万里を行くのに一食で過ごしたというが、日蓮は忍びがたい。 思子孔は百日に九回の食事で堪え忍んだというが、それも堪えられるものではない。 飢えと寒さで、法華経を読み、題目を唱える声も絶えようとしていて、観心の心も疎かになりがちである。 ただでさえ今年は深刻な飢饉に見舞われているというのに、身延の山中にまで 白米などの食物等を、たまたま来られてご供養頂いた事は、ただごとではなく本当にありがたい事である。 教主釈尊が勧められたのであろうか、はたまた過去の宿習によるものであろうか。 ともかく厚い御志への感謝の気持ちは、筆紙に尽くしがたい。 * この年は、深刻な不作や飢饉によって、一般の人々でさえ食料事情が困難だったようです。 日蓮大聖人が入山した身延では、なおさら食料に困ったことでしょう。。 さらに、冬の寒さが昨今に比べて厳しいことも、別の御書でも言及されています。 これらを踏まえて考えると、日蓮仏法の檀家の方々は、自分達が食べることも困難な中にあっても、 師匠の恩に報いるため、日蓮に食料や衣類、墨や紙等を送られた。 この弟子たちの心からの供養に対して、 「送っていただいたお米は、お米ではない。あなたの命を頂いた」、 「釈迦がお使いをよこしたのだろうか」など、 日蓮は弟子達に対して大きな感謝の気持ちの文書を送られている。 そして、日蓮も皆と同じ「凡夫」であり、我々と同じように悩み苦しみがあったことが伝わってきます。 さらに、師匠はその姿を見せず、また弟子はその事を察するという、師弟の強い絆を感じる事ができるのではないでしょうか。     English T...

豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや - How then could your boils possibly not be healed and your life span not extended?

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本文   此の 禅門の悪瘡(あくそう) は但(ただ)謗法(ほうぼう)の一科(いっか)なり、所持の妙法は月愛(がつあい)に超過す、豈(あに)軽瘡を愈して(いや して)長寿を招かざらんや、 此の語 徴(しるし) 無くんば 声を 発して(おこ して) 一切世間眼(いっ さい せ けん がん)は大妄語(だい もう ご)の人・一乗妙経(いち じょう みょう きょう)は綺語の典(きご の てん)なり・名を惜しみ給わば世尊 験(しるし)を顕し(あらわ し)・誓(ちかい)を恐れ給わば 諸の 賢聖 来り 護り給え と叫喚したまえ と 爾か云う(しか いう) 書は言を尽さず言は心を尽さず 太田入道殿御返事 (業病能治事) (1012頁)  建治元年11月 通解    あなたがかかった悪瘡の病は、生まれ育った家が邪宗の檀家であって、知らずのうちに法華経を悪く言ったり、罵ったりして謗法を犯したという、たった一つの罪によるものである。  しかし、今あなたが受持している妙法は、「月愛三昧(がつあいさんまい ・釈迦の苦悩の世界に迷うものを救おうという心、 月の優しい輝きに喩えた言葉 )」の 慈悲をも超えた、大仏法である。どうして軽い瘡を治して、長寿を招かないことがあろうか。  この日蓮の言葉のような現証が顕れなければ、声を大にして、「法華経の行者の病が治らなければ、一切世間の眼目である釈尊は大嘘つきの人であり、諸教の中で最も勝れている妙法でさえ、綺麗事の偽りの経典である。名声を惜しむならば、釈尊はすぐに現証を顕し、法華経の行者を守護すると誓った諸々の賢人・聖者(諸天善神)は、この誓いを破り、無限地獄に陥ることを恐れるならば、すぐにここに来て私を護りなさい」と叫びなさい。 そうして、「釈尊や諸天の加護がない訳がない。信心を受持しているからには、必ずこの病は治るのだ」と、深く信心を起こしなさい。  いくらこの様にあなたの様子を思って言っても、文章では言い尽くせず、言葉は心を表し尽くせない。     English Translations " On Curing Karmic Disease "   Your boils have resulted from only one offense—slandering t...