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南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて候 - included within the title, or daimoku, of Nam-myoho-renge-kyo is the entire sutra consisting of all eight volumes

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本文    南無妙法蓮華経と申すは是れ一句 一偈にて候、然れども同じ一句の中にも肝心にて候、南無妙法蓮華経と唱うる計りにて仏になるべしやと、此の 御不審所詮に候・一部の肝要八軸の骨髄にて候。  人の身の五尺・六尺のたましひも一尺の面にあらはれ・一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候、又 日本と申す二の文字に六十六箇国の人畜・田畠・上下・貴賎・七珍万宝・一もかくる事候はず収めて候、其のごとく 南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字・一字ももれず・かけずおさめて 候   妙法尼御前御返事 [ 一句肝心事 ] (1402頁) 弘安1年(1278)7月 通解(意訳)    南無妙法蓮華経というのは、法華経のうちのたった 一句一偈である。しかしながら、同じ法華経の一句の中でも、最も肝心の一句である。南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏になることができるのかとのご質問であるが、このご質問こそ最も大切なことである。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのである。  人の身は五尺・六尺(約150cm~180cm)であっても、魂はその一尺(約30cm)の顔に現われ、一尺の顔に現われている魂も、わずか 一寸(約3cm)の眼の中に収まっている。  また、「日本」という二つの文字に、六十六カ国の人々や動物・田畑・身分の上下・無量の宝物が一つも欠けることなく収まっている。  そのように、南無妙法蓮華経の題目の中には、一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字が一字ももれず、欠けずに収まっているのである。 自分らしさを発揮するための題目  仏法は、人間を幸福にするための智慧を集大成したものです。そのエッセンスが「題目」なのです。ゆえに、題目を根本にしてこそ、一切(自分の経験、知識、生命力)が生きてくるのです。 - 池田大作   English Translations " The One Essential Phrase "    Nam-myoho-renge-kyo is only one phrase or verse [of the Lotus Sutra ] , but it is no ordinary phrase, for it is the es...

苦楽ともに思い合せて 南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ - Regard both suffering and joy as facts of life, and continue chanting Nam-myoho-renge-kyo, no matter what happens.

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本文   苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて 南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ   四条金吾殿御返事 [衆生所遊楽御書] (1143頁) 建治2年(1276年)6月 通解(意訳)   苦しい時は苦しいままに、楽しい時は楽しいままに、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきって、今世の人生を存分に楽しみなさい。       English Translations " Happiness in This World "   Suffer what there is to suffer, enjoy what there is to enjoy. Regard both suffering and joy as facts of life, and continue chanting Nam-myoho-renge-kyo, no matter what happens.   June, 1276. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 681 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings"

法華経の敵をだにも・せめざれば 得道ありがたし - If one fails to denounce the enemies of the Lotus Sutra, it will be impossible to attain the way.

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本文   信心ふかきものも 法華経の かたきをば せめず、いかなる大善をつくり 法華経を 千万部 読み 書写し 一念三千の観道を 得たる人 なりとも 法華経の敵をだにも・せめざれば 得道ありがたし   南条兵衛七郎殿御書[慰労書] (1494頁) 文永元年(1264年)12月 通解(意訳)   (今の世相を見てみると、)信心の深い者であっても、法華経の敵(かたき)を責めようとしない。どれほど大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観心の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、成仏への道を得る事はできないのである。   破折の精神 『悪人の敵になりうる勇者でなければ、善人の友とはなり得ぬ』 ー牧口常三郎 『悪と戦う根性のない意気地無しは、戸田の弟子ではない』 ー戸田城聖 『勝つか負けるかである。最後まで、悪にはとどめを刺さなければいけない』 ー池田大作     English Translations " Encouragement to a Sick Person "    Even those with profound faith do not reproach the enemies of the Lotus Sutra. However great the good causes one may make, or even if one reads and copies the entirety of the Lotus Sutra a thousand or ten thousand times, or attains the way of perceiving three thousand realms in a single moment of life, if one fails to denounce the enemies of the Lotus Sutra, it will be impossible to attain the way [ to the Buddhahood ] .   December,1264. "The Writings of Nichiren Daishonin",...

楽かなや 不肖の身として今度心田に仏種をうえたる - how joyous, to think that with this unworthy body I have received in my heart the seeds of Buddhahood!

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本文   悦しきかなや・楽かなや 不肖の身として 今度 心田に仏種をうえたる   撰時抄(286頁) 建治2年 通解(意訳)   なんと悦ばしく、なんと楽しいことであろう。我ら日蓮と門下一同は、凡夫の身でありながら、今生で心の田畑に仏種を植えたのである。     English Translations " The Selection of the Time "   How fortunate, how joyous, to think that with this unworthy body I have received in my heart the seeds of Buddhahood!   Unclear Month, 1276. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 578 [ --- ] is liberal translation. 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

まへにかう申すはきたうなるべし - In admonishing you in this way, I am trying to forge your faith.

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本文   きたはぬ・かねは・さかんなる火に入るれば とく とけ候、冰を ゆ に入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くは とけず 是 きたへる故なり、まへに かう 申すは きたうなるべし   四条金吾殿御返事[世雄御書] (1169頁) 建治3年(1277年) 通解(意訳)   鍛えていない鉄は、燃え盛る火に入れれば、すぐに溶けてしまう。氷を湯の中に入れるようなものである。剣などは大火に入れても、しばらくは溶けない。これは鍛えられているからである。あなたに、あえて事前にこのように申すのは、あなたの心を鍛えるためである。   信心を鍛える 信心を根本に生活する中で、常に自分を鍛えていく努力を惜しまない事が大事です。 Myohoによって、自身の生命を練磨することが真の勝利をおさめるための道なのです。 鍛練とは、我々に置き換えるなら朝晩のGongyoであり、信心のための活動です。 自身の人間革命を成し遂げた時、勝利の扉が開かれるのです。 ー 池田大作   English Translations " The Hero of the world "    Untempered iron quickly melts in a blazing fire, like ice put in hot water. But a sword, even when exposed to a great fire, withstands the heat for a while, because it has been well forged. In admonishing you in this way, I am trying to forge your faith.   Unclear Month, 1277. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 839 [ --- ] is liberal translation. To train faith?  It is always important to do not spare an effort training oneself whi...

信心に退転無く身に詐親無く... - Practitioner of the Lotus Sutra remains unwavering in faith, free of all false alliances...

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本文   法華経の行者は 信心に退転無く 身に詐親 無く・一切法華経に其の身を任せて 金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず 今生も息災延命にして 勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり。   祈祷経送状(1357頁) 文永10年(1273年)正月 通解(意訳)   法華経の行者は、信心において退転なく、行動や振舞いにおいて偽り親しむことなく誠実であり、一切を法華経にその身を任せて、金言のとおりに修行するならば、たしかに後生(未来世)はいうまでもなく、今生においても息災延命で、勝れた大果報を得て、広宣流布という大願をも成就することができるであろう。 不退転の信心 『信仰が惰性におちいった時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動である -  戸田城聖 』 「進まざるは退転」です。  どこまでも南無妙法蓮華経の御本尊を根本とし、信・行・学を貫き、御書に仰せのままに広宣流布の大願に生き抜くことです。 広宣流布のための祈りに徹すれば、自身に本来具わる、仏の無限の智慧と勇気と力が湧いてきます。それゆえに、不可能を可能へと転じていくことができるのです。 - 池田大作   English Translations " Letter Sent with the Prayer Sutra "    Practitioner of the Lotus Sutra remains unwavering in faith, free of all false alliances, entrusting himself wholeheartedly to the Lotus Sutra and practicing in accordance with the Buddha’s golden words, he will without fail be able to prevent disaster and prolong his life in this present existence, to say nothing of in the life to come.  Splendid recompense will be ...

人に物をほどこせば 我が身のたすけとなる - If one gives food to others, one will improve one’s own lot.

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本文   人に物をほどこせば 我が身のたすけとなる、譬へば 人のために火をともせば・我が まへあきらかなるがごとし 食物三徳御書(1598頁) 年月不明 通解(意訳)   人に物を施せば、かえって我が身を助けることに繋がる。例えば、人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。   菩薩の心の信心 「人のため」(利他のため)だけを言うと、傲慢になる。「人を救ってあげている」偽善になる。自分のためにもなっている事を自覚して、初めて『修行させてもらっている』『学ばせてもらっている』という謙虚さが出る。自他不二です。 人のために尽くしただけ、自分の生命に福運が積まれる。これが 『 菩薩道』なのです 。 - 池田大作   English Translations " On the Three Virtues of Food "    If one gives food to others, one will improve one’s own lot, just as, for example, if one lights a fire for others, one will brighten one’s own way. Unclear Month and Year. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.2, p. 1060 [ --- ] is liberal translation. Interpretation (liberal translation)   Faith of The mind of the Bodhisattva.  " I make it only for a person. "  Only by such a way of thinking of the person that become arrogant, and save a person; become hypocritical.  " My action is not only helpful for a person. I learn vari...