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7月, 2015の投稿を表示しています

世間の・すぎえぬ・やうばし歎いて人に聞かせ給うな - Do not go around lamenting to others how hard it is for you to live in this world.

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本文   世間の・すぎえぬ・やうばし歎いて人に聞かせ給うな、若しさるならば賢人に は・はづれたる事なり 崇峻天皇御書(三種財宝御書)(1173頁) 建治3年9月 通解   世間が過ごしにくいようなことを嘆いて、人に愚痴を聞かせてはならない。もし、そのようなことをするならば、賢人から外れて、愚人となってしまう事になる。 意訳   苦しい曲面に直面したり、辛い状況にあったとしても、その事を人に愚痴をこぼしてまわるような、愚かな振舞いをしてはならない。 もし、そのような振舞いを行ってしまえば、「あの人は愚痴っぽい人だ」と人から言われるようになってしまい、自ら自分を悪道へ陥れ、いずれ退転に結び付く原因を作ってしまうからである。 「グチは、自分の弱い心を助長し、停滞の因となります」(池田名誉会長の御指導より) 法華経の行者であるならば、苦しい状況下にあっても、負けじと前進していく姿を見せて、「さすがは信心をしている人だ」と言われる振舞いをしていきなさい。     English Translations " The Three Kinds of Treasure "   Do not go around lamenting to others how hard it is for you to live in this world. To do so is an act utterly unbecoming to a worthy man. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 850 Interpretation (liberal translation)   Even if you face it in the painful curved surface and meet the hard situation, you aren't supposed to do the stupid stand which spills a complaint to a person, and goes around the thing. If you do such behavior, you ...

人に物をほどこせば我が身のたすけとなる - If one gives food to others, one will improve one’s own lot

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本文   大国の王は民を をや(親)とし 民は食を天とす と かかれたり(書かれたり)、食には三の徳あり、一には命をつぎ・二には い ろをまし(色を増し)・三には 力を そう(添う)、人に物をほどこせば 我が身のたすけとなる、 譬へば(たとえば) 人のために火をともせば・我が ま へ(前)あきらか 明らか)なるがごとし 食物三徳御書(1598頁) 通解   「大国の王は、国民を親のように大切にし、国民は食物を天の如く尊重する」と書物に書かれている。食物には三つの徳がある。一には生命を継ぎ、二には色(顔色、肉体的健康)を増し、三には力(生命力、生きようとする心)を添え強くする徳である。 人 に物を施せば、かえって我が身を助けることに繋がる。例えば、人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである。 意訳   「大国の国王は、国の民を親のように大切にし、民は食物を天を仰ぐように大切にする」と書物に書いてある。 国が繁栄し存続するには、国民が大切であり、国民は生きていくために食物を大切にする。このように、 国家の存続には人が大切であり、 食物が最も大切なのである。 食物には3つの力が備わっている。命を維持する力、肉体的健康を増す力、精神力・生命力を高める力である。 このように、大切な食物を御本尊にご供養し、人に差し上げれば、その功徳が必ず顕れ、自分自身を供養し、助ける事につながるのである。 たとえば、不安や苦悩という暗闇に包まれていて、生きる道筋を見失っている人に、話を聞き、励ましや優しい言葉をかけ、共に前進しようとする慈悲の灯火を差し上げれば、同時に自分が抱えている不安や苦悩の解決への道も明るく照らしだされ、共に前進できるようなものである。   English Translations "  On the Three Virtues of Food "   It is written that the ruler of a large state looks on the people as his parent, and the people look on food as their Heaven. Food has three virtu...

身の賎をもつて其の法を軽んずる事なかれ - Do not make light of a teaching just because the person who preaches it is of humble station.

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本文   仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先きとすべし身の賎をもつて其の法を 軽んずる事なかれ 聖愚問答抄・上(481頁)  文永二年 通解   相手の信仰している仏法が正しいかどうかは、みだりに世間上の身分の上下や外見によって判断してはならない。ただ経文に照らし合わせて判断すべきである。 身分や外見が卑しいからといって、その法を軽んじてはならない。     English Translations "  Conversation between a Sage and an Unenlightened Man " Part One.   in matters of Buddhist doctrines one cannot jump to conclusions simply on the basis of the eminence of the person involved. The words of the sutras are what must come first. Do not make light of a teaching just because the person who preaches it is of humble station. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 109 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.2 ↓感想をチェックして頂ければ幸いです!↓

釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり - Shakyamuni Buddha and the written words of the Lotus Sutra are two different things, but their heart is one.

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本文   釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、 然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来 にあひ進らせたりと・おぼしめすべし 四条金吾殿御返事(梵音声御書)(1122頁) 文永9年 通解   釈尊と現在の法華経とは、言語は変わっているけれども、その真髄はただ南無妙法蓮華経一つに変わりはないのである。そうであれば、法華経の文字を拝見する時は、生身の釈迦如来にお会いするのと同じことだと思いなさい。     English Translations "  The Pure and Far-Reaching Voice " Reply to Shijo-Kingo.   Shakyamuni Buddha and the written words of the Lotus Sutra are two different things, but their heart is one [ only Nam-myoho-renge-kyo ] . Therefore, when you cast your eyes upon the words of the Lotus Sutra, you should consider that you are beholding the living body of the Thus Come One Shakyamuni. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 333 *[ --- ] is liberal translation. 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin" "The Record of The Orally Transmitted Teachings" 御書をひもとく 英語で学ぶ御書 The Writings of NICHIREN DAISHONIN Vol.1 The Writings of...

元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり - which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment.

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本文   法華宗の心は一念三千(いちねん さんぜん)・性悪性善(しょうあく しょうぜん)・妙覚(みょうかく)の位に猶 (なお) 備われり( そなわれり) 元品 の (がんぽん の)法性(ほっしょう)は梵天・帝釈(ぼんてん・たいしゃく)等と顕われ(あらわれ)  元品の無 明(むみょう)は第六天の魔王と顕われたり 治病大小権実違目(997頁) 弘安元年6月 通解(意訳)   法華経の根本である、 一念三千の法門に 人の心(境涯)の善悪を 照らせば 、善の 心 も悪の心も、本来人の心の本性に備わっているものである。そのため、仏の境涯を開いたとしても、心の本性が消える訳ではなく、 心 の あらゆる側面(一念三千)がそのまま備わっているのである。 この法理によって、善心によって開かれた法性には、梵天・帝釈天等の諸天善神の加護が顕れ、無明に陥った悪心には第六天の魔王が顕れるのである。     English Translations " The Treatment of Illness "    The heart of the Lotus school is the doctrine of three thousand realms in a single moment of life, which reveals that both good and evil are inherent even in those at the highest stage of perfect enlightenment.  [ Even if you reach the state of the spiritual enlightenment, so the true character of the heart doesn't go off. All resolutions at the heart are equipped just as it is. ]  The fundamental nature of enlightenment manifests itself as Brahmā and Shakra ,  [ and protection of the...

魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ- Though devils and demons may come to tempt you, you must not allow yourself to be distracted.

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本文   人の心は水の器に したがふ(したがう) が如く(ごとく)物の性は月の波に動くに似たり、故に 汝 (ゆえ に なんじ)当 座は信ず(とうざ は しんず)と いふとも(言う とも)後日は必ず翻へさん(ひるがえさん)  魔来り 鬼来るとも 騒乱する事なかれ 聖愚問答抄 下(500頁)  文永二年 通解(意訳)   人の心は、水の形が器の形にしたがって変わるようなものであり、物の性質は、水上に映っている月影が、波の動きに合わせて揺らめくのに似ている。 同じように、人の心も移ろいやすいものであるから、今、法門を聞いたばかりのあなたは、しばらくは法華経を信ずると言っても、後日になってから必ず心が揺り動くであろう。 しかし、それは信心をやめさせようとする魔の仕業であるから、日々の信心に この事を覚悟しておいて、 魔が来ても鬼が来ても、その時になって騒ぎ立てるようであってはならない。     English Translations " Conversation between a Sage and an Unenlightened Man "    The human heart is like water that assumes the shape of whatever vessel it occupies, and the nature of beings is like the reflection of the moon undulating on the waves.  Now you insist that you will be firm in this faith, but another day you are bound to waver.  Though devils and demons may come to tempt you, you must not allow yourself to be distracted. "The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, P 134 参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社 Bibliogr...

今の勧持品は未来不軽品為る可し、其の時日蓮即ち不軽菩薩為る可し - The future, and at that time, I, Nichiren, will be its Bodhisattva Never Disparaging.

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本文   法華経は三世の説法(さんぜ の せっぽう)の儀式なり、過去の不軽品(ふきょうぼん)は 今の勧持品(かんじぼん)今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品 為る可し(たる べし)、其の時日蓮即ち不軽菩薩 為る可し 寺泊御書(953頁)  文永8年10月 通解(意訳)   法華経には過去・現在・未来と三世にわたる仏法の弘通が説かれている。 不軽品には、釈尊の過去世の修行の姿である、不軽菩薩の事が説いてあり、 勧持品には、法華経の行者と三類の強敵との闘争の事が説かれている。 過去の不軽品は現在の勧持品、過去の勧持品は現在の不軽品である。 不軽菩薩の振舞いは、三類の強敵に遭いながらも、あらゆる人を礼拝し続けた姿であり、日蓮が身を持って示している闘争の姿である。 この今の闘争の姿は、今の勧持品であり、未来においては不軽品となるであろう。 そしてその時には、日蓮もまた 一切衆生を敬い、救っていく 不軽菩薩に当てはまることになるであろう。     English Translations "  Letter from Teradomari  "    The Lotus Sutra accords with the fashion of the preaching employed by all Buddhas of the three existences.  The past events described in the “Never Disparaging” chapter I am now experiencing as predicted in the “Encouraging Devotion” chapter; thus the present foretold in the “Encouraging Devotion” chapter corresponds to the past of the “Never Disparaging” chapter.  The “Encouraging Devotion” chapter of the present will be the “Never Disparaging” ch...