師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん - both teacher and disciples can together reach the pure land of Eagle Peak and behold with reverence the faces of Shakyamuni Buddha
仏滅後 二千二百二十余年 未だ 此の書の心 有らず、国難を顧みず 五五百歳を期して 之を演説す 乞い願くば 一見を歴 来るの輩は 師弟共に 霊山浄土に詣でて 三仏の顔貌を 拝見したてまつらん
観心本尊抄送状(255頁)
文永10年4月
通解(意訳)文永10年4月
釈尊滅後二千二百二十余年、いまだこの法華経の書物の肝心である、「南無妙法蓮華経」が説かれることはなかった。いま日蓮は王難を受け、佐渡の孤島に流罪されている身であることをも願みず、五五百歳にあたる末法の初めを期して、法華経の肝心、南無妙法蓮華経を演べ説き明かすのである。
乞い願くは、一見を歴て来るの輩(御書を学び、信行学の実践を経て、強盛な信心を受持し、広宣流布に励む法華経の行者)は、必ず堅く信じ抜いて、師弟ともに霊山浄土に詣でて、釈迦仏・多宝仏・十方の仏の御顔を拝見し奉ろうではないか。
注:「一見を歴来るの輩」の通解について。
一見を=初めて見る、初めて読んで。
歴=へて、発心して信行学を歴て。
来るの輩=来る者、信心強盛な法華経の行者となった者。
総じて「観心本尊抄を学び、信行学の実践に励み、強信な信心を受持している法華経の行者」。
または、観心本尊抄送状の意味合いを鑑みると、
「これから先の未来、仏法に対する真の理解が進んだ時において、御書を学び、信行学の実践を経て、強盛な信心を受持し、広宣流布に励む法華経の行者」。
(管理人訳)
いつも参考にさせて頂いているサイト、創価教学研究室(赤鬼のブログ) 様と、英訳の御書を参考に、管理人が独自に通解・意訳したものです。
間違い等ありましたらご一報頂けると幸いです。
English Translations
" The Object of Devotion for Observing the Mind " - Cover Letter.
In the more than 2,220 years since the Buddha’s passing, the heart of this treatise has never been revealed before. Despite the official persecution facing me, I expound it now in the fifth five-hundred-year period, when the time is ripe for its propagation.
I hope those who read it will remain firm in their faith so that both teacher and disciples can together reach the pure land of Eagle Peak and behold with reverence the faces of Shakyamuni Buddha, Many Treasures Buddha, and the Buddhas of the ten directions.
April, 1273
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 377
"The Writings of Nichiren Daishonin", Vol.1, p. 377
[ --- ] is liberal translation.
参考文献:「御書をひもとく」「英語で学ぶ御書」 第三文明社
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
Bibliography : "The Writings of Nichiren Daishonin"
"The Record of The Orally Transmitted Teachings"
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